78.村に戻れば大騒ぎ
村の浜辺に戻ると、そこには引き上げられた漁船の上で呑気に欠伸をしているオークルの姿があった。しかも、船の下には数匹の猫が集まっていて、じっとオークルを見上げている。
私達が近づくと、いかにも野良って感じのその猫ちゃん達は驚いて逃げていったけれど、少し離れたところで立ち止まり、遠巻きにこっちを見守っている。
「よお。意外と早かったな。海竜退治ご苦労様」
オークルの厭味な言い方にカチンときた。私達の様子と、戻ってきた時間から考えて、退治なんかできなかったことぐらいオークルも分かっているはずだ。なのに、こんな厭味を言うなんて。
「ただいま、オークル。それにしても随分モテモテじゃない、この色男」
平気な顔でマーナはオークルの厭味をサラッと無視すると、猫ちゃん達を見ながらオークルの頭を指で突っついた。
「ばっ、馬っ鹿、ちげーよ! あいつら、俺がただの猫じゃないことを察して寄ってきただけなんだって」
「はいはい。帰りますよー」
カディスや他の村人達の目もあるからか、それともオークルへの仕返しなのか、マーナはオークルの言葉を完全に無視して抱きかかえた。
やっぱり、ローザラントからリムルラントまで一緒に旅をしてきたせいか、マーナは随分とオークルの扱いがうまい。腹の立つことを言われても受け流すし、我儘言われてもうまいこと宥めるし、でも譲れないところはガツンと言い切る。
いいコンビだなぁと思う一方で、何だか焼けちゃう自分がいる。マーナに甘えてお世話をかけるのは、私の特権だと思っていたのに。
マーナの腕の中にいるオークルをジト目で睨んでいると、不意に浜辺で作業をしていた漁師たちがざわめき、近くで遊んでいた子供達が歓声を上げた。
「あ、ラーラ様だ!」
振り向くと、山の方向から浜辺を駆け下りてくる少女の姿があった。
あ、ナーシャ。
手を振ろうとして、ふと途中で止める。確かにナーシャにそっくりだけれど、何か違う。頭にキラキラ輝く飾りを乗せ、袖や裾の長い白い衣を翻しながら走ってくるのは、ナーシャではなくラーラだ。
ラーラは息を切らしてカディスの前まで来ると、細い眉を吊り上げ、いきなりカディスの頬を平手打ちした。
「あなたは、……あなたは、何てことを!」
頬を押さえて呆然とするカディスに、更にラーラは手を振りあげる。
「あんな危険な真似をするなんて! 島にいる時に海竜が暴れ始めたら、どこにも逃げられないというのに!」
ラーラの白くて小さい拳が、何度もカディスの厚い胸板を叩く。
全く物理的なダメージを受けていなさそうなカディスだったけれど、ラーラが泣きそうな声で非難を重ねる度に精神的なダメージを蓄積しているみたいで、だんだんとその太い眉毛が困ったように下がってきた。
「海竜はいなかった」
「いいえ! 今回は偶然、遭遇しなかっただけよ! 私、言ったわよね? 沖の小島に渡るなんて絶対に止めてって」
「でも、俺は……」
カディスは、何度も自分の胸を叩くラーラの両手首を掴んで、苦しそうに目を細めた。
「お前が、これ以上村人達と険悪になるのを、見ていられない」
「……そっ」
ラーラの白い頬が一気に桃色に染まっていく。
「そんなことっ。私は、巫女の務めを果たしているだけよ。神域を侵すことは、例え村長の息子といえども許されないことだわ。村長に申し上げて、村の掟に則って厳正に対処していただきますから!」
ラーラは一気にそうまくしたてると、カディスに掴まれていた手を振りほどき、元来た道を走り去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、ふと視線を感じて目をやると、村長の家の方向にナーシャが立っているのが見えた。
手を振って呼びかけようとしたところを、後ろからマーナに抱きつかれて口を押えられる。
すると、ナーシャはこっちへ近づいてくることも声を掛けてくることもなく、踵を返して村長の家の中へと姿を消した。
「ふーん、なるほど。やっぱり、村の掟にはそれなりの意味があるのね」
耳元で聞こえるマーナの呟きに首を傾げる。
「どういう意味?」
「んー。ミラクには、まだちょっと早いかな~」
子ども扱いするようなマーナの口調にちょっと腹が立ったけれど、私達を取り囲むように近づいてきた村人達のただならない様子に、それどころではなくなってしまった。
「カディス。今の話は本当かい。沖の小島に渡ったって」
カディスよりも年上らしい青年がそう訊ねてくる。
「……ああ」
「分かっているのか。神域を侵すのは村の掟に反する。いくらお前だって、ただじゃすまないぞ」
「分かっている」
「けどさ。カディスさんのやろうとしていることも分かる。いつ襲ってくるか分からない海竜に怯えて、村から離れろなんて無茶なことを言う巫女の言いなりになってこれまでの生活を捨てるより、先に倒しちまったほうがいいに決まっている」
一人の青年がそう言ったのをきっかけに、カディスを取り囲む若者達の空気が一気に変わった。
「それもそうだな」
「俺も賛成だ。よし、カディスさん。次に沖の小島に行く時は、俺も連れて行ってくれ」
「それより、やる気のある者を集めて海竜討伐隊を組むっていうのはどうだ?」
「おおっ、いいな、それ」
「俺も参加するぜ」
「俺も俺も」
カディスと年齢の近そうな青年たちが異様な盛り上がりを見せ始めた。そこへ、
「何言ってやがる!」
怒鳴り込んで来たのは、髪や髭に白いものが混じっている年代の漁師たちだった。
「村の掟を堂々と破ろうなんざ、見過ごせねぇな」
「そうとも。カディス、いくら村長の息子でも、許されることと許されねぇことがある」
カディスを糾弾しようと近づいてきた年配の漁師達に、若い漁師達が立ち塞がった。
「じゃあ、親父達はこのままラーラの言う通り、家も船も全部捨てて村から出て行くっつーのかよ!」
「それは……」
「俺達はそんなの御免だね。俺らの村は俺らで守る!」
そうだー!! と拳を突き上げる若い漁師達。
それを前に、苦々しい表情を浮かべながらも反論できずにいる、彼らの親世代の漁師達。
異様な緊張感に包まれている浜辺で、私達は人だかりから少し離れた場所で事態を見守っていた。
と、その時。
「これは一体、何の騒ぎだ!」
腹に響くような声に、その場にいた全員が振り向く。
そこには、カディスによく似た、体格のいい五十代くらいのおじさんが腕組みをして立っていた。そう、彼こそ昨夜私達を家に泊めてくれた、このトスカナ村の村長であり、カディスのお父さんだ。
村長が歩いてくると、人だかりが左右にさっと別れる。いつの間にかその中心にいたカディスの元まで歩いてくると、村長はいきなりその岩のような拳をカディスの頬に叩き付けた。
衝撃で吹っ飛び、砂の上に倒れ込むカディス。頬を押さえる息子を見下ろして、村長は雷を落とした。
「自分のやったことの結果を、少しは反省しろ!」
そして、集まった村人たちを見回して、落ち着いた声で呼びかける。
「一刻の後、緊急集会を招集する。役員は我が家へ集まってくれ。それから、あんたらだが」
いきなり振り向いてそう呼びかけられ、思わずビクッと肩が震えてしまった。
「うちの馬鹿息子に焚き付けられたとはいえ、あんたらも村の掟を破ったことには変わりはない。大人しくついてきてもらおうか」
……ええっ!! それって、何かお咎めがあるってこと!?
驚いて振り向くと、フレイユはフードを目深に被っているので表情は見えないけれど、マーナはオークルを抱き締めたまま蒼白になっていた。
「あ~あ、言わんこっちゃない」
溜息交じりのオークルの呟き声が、私の胸に重く伸し掛かった。




