76.村長宅にて
トスカナ村は、約五百年前に海竜の襲撃を受けて一度滅びた。
けれど、助かった者が全くいなかったわけじゃなかった。村に住んでいた不思議な力を持つ娘の予言によって山に逃げ込んでいた村人たちは、命を拾ったのだ。
壊滅した村に一人二人と村人が戻ってきて、数十年が経つ頃にはほぼ元通りに近い戸数の家が建ち、生まれた子供が大人になって、更にその子孫が生まれた。
不思議な力で村人の命を救った娘は、同じ力を持った娘を生んだ。その娘の娘も同様に、不思議な力を受け継いだ。
村人は、巫女の血筋だと彼女達を崇めた。そして、再び海竜が村を襲った時に逃げ込めるよう堅牢な建物を数十年かけて築き上げた。
やがて、人々の記憶からその災厄が消えかけようとしていた二百年後、再び海竜が牙を剥いた。
その時、当時の巫女の予言通り、どこからともなく現れた不思議な魔法使いによって海竜は鎮められ、村は守られた。人々は益々巫女の血筋を崇めるようになった。
嵐を予言しては海で命を落とす者を無くし、豊漁を予言しては村を栄えさせ、不漁を予言して備蓄を推奨して村人たちを救った歴代の巫女。
けれど、今、その巫女が村人たちの平穏な生活を奪おうとしている。そのことに、村人たちは戸惑い、不安を感じ、それは怒りに変わりつつある――。
というのが、私達がカディスから聞いたここに至るまでの事の顛末だった。
「ふうん。じゃあ、やっぱり海竜っているんだ」
村長の家に連れて来られた私達は、カディスのお母さんだという優しそうで恰幅のいいおばさんにお茶を淹れてもらい、テーブルを囲んで寛いでいた。
熱いお茶を啜りながら、カディスが頷く。
「ああ。俺も見たことはないが、晴れた日に沖の小島でギラギラ光る長くて太いものが蠢いているのを、船から見かけた奴もいるらしい」
「ほう。そうですか」
フレイユの何か含みを持った相槌に呼応するように、マーナの鞄に入ったまま首だけ外に出したオークルが馬鹿にしたように吐き捨てた。
「海竜っつったら、普通、海の中にいるもんだろうが。陸を這ってたとしたら、そいつは海竜じゃねぇよ」
……え、そうなの?
オークルの言葉にびっくりしたものの、反応する訳にはいかなくて驚きの声を慌てて飲み込んだ。それはマーナも同じだったようで、オークルの頭をしつこいぐらい何度も何度も撫でてやっている。
「島に行って、ほんとうに海竜がいるかどうか確かめた人はいないの?」
そう訊くと、カディスは苦笑しながら首を横に振った。
「沖の小島は神域だ。人が上陸するのは昔から禁止されている」
「では、その禁忌を破って島へ渡り、海竜を討伐することは許されるのですか?」
フレイユにそう突っ込まれて、カディスは渋面を作った。
「……許されないだろうな、本来は」
そこで、彼はテーブルを挟んで向かいに座っているナーシャに手を伸ばし、日に焼けた大きな手で彼女の白い手を握った。
「けれど、そうしろという巫女の占いが出れば話は別だ」
「私に、嘘を吐けというの!?」
目を剥いて手を振り払おうとしたナーシャの手を放すまいと握り込んで、カディスは真剣に頷いた。
「頼む、ナーシャ。村を守る為なんだ」
「そんなことできないでしょう! 第一、その方法で本当に村が救われるのなら、ラーラがとっくにそう予言しているはずよ」
ナーシャにそう反論されて、カディスはグッと声を失う。
「分かったわ。あなたはさっき言ったことと同じことをラーラにも頼んで断られたのね。だからラーラは村人との関係が悪くなっても、あなたに会って相談することもできなくなってしまったんだわ」
「だが、ラーラの言う通りにはできない。いつ襲ってくるかも分からない海竜の為に、生活の全てを捨てて避難するなんて無理な話だ」
「だからといって、ラーラがみすみすあなたを死にに行かせる訳がないでしょう!?」
砂浜で会った時とは逆に、今度はカディスがナーシャに怒られて肩を竦めた。
「討伐は別として……」
その時、言い争いに割って入るかのように、不意にフレイユが口を開いた。
「その島にいる、海竜とやらの様子を窺いに行くのはいいかも知れませんね」
「「「「「はあっ!?」」」」」
異口同音にみんなが叫んだ。若干一名、フニャア!? だったけど。
「お前、何を考えてやがる!?」
マーナの鞄から飛び出したオークルが、フレイユに飛びついてローブの胸元に爪を立ててぶら下がる。それを苦笑しながら抱き留めたフレイユは、面白そうに口元に笑みを浮かべていた。
「オークルが言った通り、沖の小島にいるのは海竜ではない可能性が高いと思います」
村長宅の一室に寝泊まりすることになった私達は、その部屋に移動すると、早速フレイユを囲むように集まった。
ちなみに、ナーシャは昔から娘のように可愛がってくれたという村長の奥さんと、台所で夕食を作ってくれている。
「しかも、陽光に輝く鱗を持っているとすれば……」
「神族!?」
マーナが祈るように手を組んで目を輝かせた。
「その可能性は高いと思います。長い身体に輝く鱗を持つとすれば、龍族か、蛇族でも長老級の御方でしょうね」
蛇族、といえば、マーナの杖にくっついている白蛇のお爺ちゃんもそうらしいけれど、沖から小島にいるのが見えるくらいだから、もっとずっと大きいんだと思う。
フレイユに出会うまでは、神族って伝説上の存在で本当にいるなんて思ってもみなかったけれど、こんな風に呆気なく出会えたりできちゃうもんなんだ。
「でもよぉ。そいつは過去に二度も村を襲っているらしいじゃねぇか。神族が人間に危害を加えて、地母神が放っておくとは思えねぇな」
マーナの膝の上からフレイユを見上げつつそう吐き捨てたオークルを、フレイユは真剣な顔で見下ろした。
「そこです。おかしいと思いませんか、オークル」
「……は?」
「地上では、これほど大っぴらに魔族が人間に危害を加えています。おまけに、絶対に人間と接触しないという条件の元で地上に隠れ住んでいる我々神獣族が、こうやって人間と共に旅を続けているというのに、地母神は何の動きも見せていないのです」
オークルが、丸く大きな目をすうっと細める。
「地母神には、動くに動けない事情があるって言うのか?」
「ええ。或いは、敢えて放置しているのかも知れませんね」
しかしなぁ……、と呟きながら、オークルは後ろ足で耳元を掻いた。
「だとしても、神獣族の秘宝を里に持ち帰るという使命もまだ道半ばの俺達が、こんなところで道草食っていいはずがないだろう?」
心底面倒くさそうなオークルに、私はついカチンときてしまった。
「道草って。オークルには、困っている人を助けてあげようという気持ちはないの?」
「ない!」
間髪入れず完全に否定されて、呆気に取られてしまった。
「優しくないなぁ」
つい、非難がましい口調で見下ろすと、オークルは逆にこっちを睨みつけてきた。
「俺達が、何故人間の為に危険を冒さなきゃならんのだ。俺達が千年、雪と氷に閉ざされた極寒の地で生きてきたその間、人間どもはこの地上に元から自分達だけが生きてきたように暢気に暮らしてきた。そこに至るまでに、どれだけ多くの血が流れてきたかも知らずにな」
うっ、と言葉に詰まってしまう。
「確かに、私だけじゃなく、ほぼ全ての人間が千年前の神族大戦なんてただの伝説だと思っていたわ。でも、人間の寿命は何十年かしかない。だから、千年以上も生きられる神族のようには、過去の出来事を現在に伝えられていないのは、仕方のないことじゃないかしら」
マーナがそう反論してくれたけれど、オークルは不機嫌そうにそっぽを向いたままだ。
「オークル。協定後神獣族が置かれた不遇への不満を、ミラク達にぶつけるのは間違っていますよ」
優しく諭すようなフレイユの言葉を、まるで聞きたくないと駄々を捏ねているように、オークルの尻尾が素早く左右に揺れる。
「正直、私自身にも人間を積極的に助けようという思いはありません。ただ、今回は海竜と村人に呼ばれている者の存在がとても気になります。だから、正体を確かめたい、ただそれだけなのです」
フレイユの赤い瞳が燃えるように輝いている。雪みたいに白い顔が少し高揚して、いつも冷静なフレイユにしては珍しく興奮しているように見えた。
チラッとフレイユを振り返ったオークルは、ちょっとだけ目を見開いた後、再びそっぽを向いた。
「……勝手にしろよ」
こうして、私達は村長宅に一泊した後、カディスの船で沖の小島に渡ることになった。




