70.港街ニケア
客船の一等船室でのんびりと優雅な船旅を楽しむこと三日。
私達はようやくサブリアナ大陸の土を踏んだ。
「へ~え、ここがサブリアナ大陸かぁ……」
客船から岸壁へ降り立った私は、大きく息を吐き出した。
一応、この船は客船だけれど、マリエル商会が扱っている荷も積み込まれている。
下船する乗客と、積荷を下ろす船乗りや商会の社員が入り乱れて、港は大賑わいだった。
けれど、その先に広がる港街は、リムルラントほど華やかじゃない。どちらかと言えば、港の仕事に携わる人々の需要を満たすためだけに存在している街って感じだ。
「何か、予想してたのと違って、小さな街なんだね」
「サブリアナ大陸には他にも幾つも港があるし、特にこのニケアは辻馬車ですぐのところにもっと大きな街があるからね」
オークルが入った携帯用ゲージを抱えて後をついてきたマーナが、そう教えてくれた。
なるほど、下船した人々は、ぞろぞろとある地点を目指して流れていく。
その先にある道幅の広い街道には、辻馬車が列をなしてお客を待ち構えていた。
「ニケアは、ロンバルディア大陸との交易で開かれた街だから、あちらの港が閉鎖されていた間は本当に厳しかったでしょうね」
ふ~ん、と相槌を打ちながら、私は感心していた。
「前から思っていたけど、マーナって結構物知りだよね」
「そう? 一応、地理も学校の必須科目だったからかも知れないわね。ほら、魔法使いって、ウィザーストンに残って研究をする一部の人以外は、大陸の各地で職に就くから、いろんな知識が必要なのよ」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ今、その知識が役に立っているんだね」
私がそう言うと、マーナは少し照れたような笑顔を浮かべた。
「じゃあ、私達もあの辻馬車に乗るの?」
「そうね、それでもいいけど、この街にもマリエル商会系列の宿があるのよ。これからの旅に必要なものもすぐに買い揃えておきたいし、次の街まで行ってもいいけど、今日のところはこの街に泊まろうと思っているんだけど」
「えっ。だって、旅の準備なら私とフレイユがリムルラントでちゃんと揃えて……」
「甘い!」
突然、マーナが叫んだ。
「え?」
「船の中で、あなた達の荷物を見せて貰ったけど、肝心なものが幾つも抜けていたわよ」
「そ、……そう?」
「まず、薬草や解毒草なんかの薬の数や種類が圧倒的に足りないわ。敵は魔物だけじゃないの。旅路には、毒草毒虫毒キノコ、それに思わぬ怪我や天候の変化による体調不良、水や食が合わないことによる腹痛、その他いろいろと不測の事態があるんだから」
「そうなんだ……」
マーナの勢いに気圧されながら、私は何度も頷いた。
「それから、魔よけの鈴。これは必須アイテムよ」
「魔よけの鈴? 何それ」
マーナは目を瞬かせると、はぁ~、と大きな溜息を吐いた。
「近くに魔物が現れると、鳴って危険を知らせてくれる道具よ。魔物が出没する地点を旅する時や、万が一野宿になってしまった時なんかに使うの」
「魔物が近くにきたら、封邪の剣が震えて教えてくれるから必要ないんじゃないかと思うんだけど」
そう反論すると、マーナは首を激しく左右に振った。
「あなたにだけ分かっても仕方がないでしょ」
「えっ、ちゃんと皆に教えるよ」
「例えそうだとしても、ちゃんと音が鳴って皆に危険を知らせてくれる道具はあった方がいいわ!」
そこまで力説されたら、もう逆らうことはできない。
「まあ、そもそもこれまでロンバルディア大陸には魔物がいなかったから、魔よけの鈴なんてリムルラントの店にも置いていなかったでしょうし。……あ、だとしたらこれからロンバルディアで魔よけの鈴が大量に売れるでしょうね。今なら一攫千金のチャンスなんだけどなあ」
すると、それまで黙って私たちの話を聞いていたフレイユが、小さく苦笑した。
「あの抜け目のないマリエルが、そんな商売のチャンスを見逃すはずがないでしょう」
「ま、それもそうね」
マーナは恥ずかしそうに笑うと、船内で配られていたニケアの観光パンフレットを開いて見せた。
「じゃあ、まず宿で宿泊手続きをしましょう。このパンフレットに、丁度マリエル商会系列のお薦めの宿が載っていたの」
ニケアの港街で一際目を引く白壁の大きな宿屋は、マリエル商会系列の少し高級そうな宿泊施設だった。
何でも、ロンバルディア大陸との交易に関わる商人達が主に利用するところらしく、羽振りがよくて目の肥えた客を満足させつつ、料金設定は良心的という最高の宿だった。
通常なら予約客で埋まっているらしいけれど、今はまだロンバルディア大陸との交易が再開したばかりで、今日は空室があるという。
勿論、宿泊手続きの際、マリエルがくれたマリエル商会の特別会員証を提示する。
「これ、使えますか?」
そう言って金色の札を差し出すと、受付係の若いお兄さんは一瞬、驚いたように目を見開いて私達を見つめた。
「ええ、使えますよ。恐れ入りますが、マリエル商会の会長とはどういったご関係でしょうか」
「どういった、と言われても……」
話せば長くなるし、かと言って的確に言い表せる端的な言葉が思い浮かばない。
命の恩人、なんておこがましいし。
リムルラントやサレドニア、それにエルドーラの救世主、なんて自分で言っちゃうと何だか嘘くさいし。
困っていると、傍からフレイユが助け舟を出してくれた。
「彼が困った状況に置かれていた時に、力を貸したのですよ。そのお礼だと言って、船に乗る前に彼本人から直接その札を貰いました。系列の店舗でも使えるから役立ててほしい、と」
「そうだったのですか」
受付係はにっこりと微笑むと、すぐに部屋へと案内してくれた。
窓からはニケアの港を一望でき、リビングに二人用と一人用の寝室が別になっている。更に浴室までついているという、まさに理想的な部屋だった。
「うわぁ、凄い!」
確かにマリエルのお屋敷もサレドニア王宮も豪華だったけれど、この素晴らしいオーシャンビューだけはなかったもんね。
それぞれの寝室に荷物を置き、中央のリビングで寛いだところで、マーナがいつもの斜め掛け用の鞄を肩から掛けて立ち上がった。
「さあ、買い物に行くわよ!」
「えっ、今から?」
驚いて目を瞬かせた私達に、マーナは腰に手を当てて言い放った。
「今からって、まだ夕方までには時間があるじゃないの。買い物が終わる頃には丁度夕食時だから、どこかで食事を摂れば丁度いいし」
そして、私の耳元でそっと囁く。
「このニケアには、近くの漁村から新鮮なお魚を仕入れて調理してくれるお店がたくさんあるのよ」
ごくっ、と私は口の中に湧いてくる唾を飲み込んだ。
「という訳で、行くわよね?」
「うん、いくいく」
ぴょん、とソファから立ち上がると、私も自分の鞄を持ち、封邪の剣を背中に背負った。
そのやり取りをみて呆れたように溜息を吐いたフレイユも、仕方なさそうに腰を上げる。
でも、ソファに丸くなったオークルは顔も上げず、
「勝手に行ってこい。それから、俺の分の夕食を買ってくるのを忘れるなよ」
とだけ言って目を閉じてしまった。
ニケアの街は、ハッキリ言ってリムルラントとは比べものにならないくらい小さい。
でも、何でも過剰なほど立ち並んでいて飽和状態だったリムルラントよりもこじんまりとしていて、必要なものが必要なだけ存在している、といった感じの、すっきりした街だった。
マーナが必要だと主張していた品物も当然のように店頭に並んでいて、買い物はよろず屋一件であっさりと終わってしまった。
まだ夕食には早いけど、と食堂や居酒屋が数件立ち並ぶ通りを歩いている時だった。
「きゃあっ! 何をするの、止めてください!」
若い女性の悲鳴が、人通りのあまりない狭い通りに響き渡った。




