58.秘密の会合
ファビリア帝国の皇帝乱心事件。
ロンバルディア大陸にまで伝わっているかどうかは知らないけれど、サレドニア大陸では有名な話だ。
大陸中央の広大な国土を誇るファビリア帝国で、十年ほど前、突然皇帝が臣下を粛清し、民を虐殺し始めた。
皇帝は旅の勇者達によって倒され、正当な血筋の後継者が新たな皇帝となり、帝国には平和が訪れた。
突然の皇帝乱心については諸説あり、元々の気性によるもの、不遇な生い立ちによる心の病、などと噂されていたけれど、その中にこんな話も紛れていた。
皇帝は、瘴気によって気が触れたのではないか。
いや、皇帝そのものが、人間ではなく魔物だったらしい。
勿論、皇帝に成りすますことができるような高度な知能と能力を持った魔物は、今のところサブリアナ大陸でも確認されてはいない。
でも、それが未だに人間の間で実在すると知られていない『魔族』だったとしたら、可能なんじゃないだろうか。
私が実際にこの目で見た魔族は、元神獣族だったというガードンだけ。ガードンは獣の頭部に人間の身体を持った、明らかに人間とは異なった外見だったけれど、もっと人間に近い魔族だっているんじゃないだろうか。
部屋に戻り、さっそくオークルに訊ねると、その推測は半分だけ合っていた。
「あいつが魔族だ。それは間違いねぇよ。ただ、あれは人間に化けてるだけだ。本当の姿は違う」
「人間に化ける? そんなことができるの?」
「ああ。そういう能力を持っている奴らもいるってことだけどな」
オークルは、ベッドの上に飛び乗ると、パタンと横倒しになるように寝そべった。
「尤も、俺らみたいに人型でも、耳や尻尾がくっついている奴もいるしな」
「え? 人型って、……もしかして、フレイユは人型に化けてるの?」
「あ? ああ、言い方が悪かったな。俺らの場合は、こっちが本体だ。獣型が所謂戦闘型って奴だ」
いまいちオークルの言っていることが分からずに首を傾げていると、オークルは後ろ足で頭を掻きながら、仕方ねぇなぁ、と舌打ちした。
「俺は今、獣型な訳。本当の姿は、フレイユみたいに耳のついた人間型だ」
「確か、ガードンに襲われて、気が付いたらその猫みたいな外見になってたって言ってたわね」
「そう。しかも、本来の獣型はもっと大きくてカッコいいんだ」
やだぁ、自分でカッコいいなんて言っちゃって。
生温かい目でオークルを見下ろすと、何だよ、と口を尖らせる。
「じゃあ、今は元の人型にも、本来の獣型にも戻れないんだ」
「そうなんだよな……」
「でも、何ででしょうね。ガードンは、クロスさんの魔法で異空間に封印されてしまったんだし、何かの術がかけられたにしても、もう解けてもいいと思うんだけど」
すると、オークルの目がすうっと細くなった。
「魔族の『呪い』を馬鹿にしないほうがいいぞ」
「え?」
「勿論、神族の『祈り』もそうだけどな。例え、かけた相手が死んでも、何百年も続くものもある」
「そうなんだ……」
「だから、俺は早くフレイユと合流したいんだよ。あいつは博識だから、この呪いを何とかする方法を知っているかもしれない」
私はじっとオークルを見つめた。
そうよね。オークルも、フレイユと同じ神獣族なんだもんね。
そう思うと、途端に恥ずかしくなってきた。
よく考えれば私って、オークルを抱きしめたり一緒に寝たり、果てはオークルのいる前で平気で着替えたりしてきたのよね。
「オークル」
「何だよ、急にかしこまって」
「今日から、寝室を別にしましょう」
「既婚夫婦みたいな台詞だな」
暢気にそんな冗談を飛ばすオークルを強引に引っ掴むと、壁際に置かれたソファの上に移動させた。
「今日から、そこがあなたの寝床よ」
「は?」
「人間社会では、独身の女性が男性と同じベッドで寝るのは問題があるの。という訳だから、今後、ベッドには入ってこないでね」
「別に、お前が寝てないときならいいだろうが」
オークルはそう反論したものの、私が厳しい表情で首を横に振ると、お前が嫌なら仕方ない、と小さく呟いてソファの上に丸くなった。
エルドーラ城に入り込んでいる魔族の正体は、ギュレイ将軍と分かった。
でも、そのことをモルガナ様に伝えていいものかどうか迷う。
もし、信じてもらえなかったら……。
けれど、モルガナ様はギュレイ将軍と対立していて、命まで狙われている。
このエルドーラ国内では、まだ魔物を使っての襲撃は思いとどまっているようだけれど、それもいつまで続くか分からない。
それに、誰かが魔物を使って自分を襲わせたと思っているなら、モルガナ様もある程度のところまで推測していると考えられる。だったら、ちゃんと伝えていたほうが、より厳重な警戒態勢を敷くことができるんじゃないかしら。
という訳で、夜半、密かにモルガナ様の執務室に呼ばれた私は、オークルを伴ってその部屋を訪れた。
壁一面にびっしりと置かれた本、重厚で艶のある執務机、その上に置かれた山のような書類。
その書類に埋もれるようにペンを走らせていたモルガナ様は、入ってきた私を見てニッコリと微笑んだ。
「いらっしゃい。あなたが協力してくれると聞いて嬉しいわ」
数日振りに見たモルガナ様の顔は、明らかにやつれていた。
「モルガナ様、お疲れではないですか?」
「え? いいえ、このくらい大丈夫よ。それより、こんな時間にしか会えなくてごめんなさいね」
職務に忙殺されながらも、こんな異国の魔法使い風情を気遣ってくれるモルガナ様の優しさが心に沁みる。
この執務室には今、モルガナ様と私とオークルの他に、サテラ、二人の文官、それに騎士が一人立っていた。騎士以外は、別の机に乗った書類に目を走らせたり、何枚かを纏めてモルガナ様へ提出したり、モルガナ様がサインをしたものを受け取って並べたりしている。
「普段でも忙しくてたまらないのに、誰かさんが軍を動かしたりするものだから、こっちまでてんてこ舞いだわ」
冗談めかしてそう言うモルガナ様に、ただ一人、手を後ろで組んで立っている騎士が、苦い表情を浮かべる。
「冗談では済まされませんよ」
「分かっているわ」
誰だろう、この人。と、長身の騎士を見上げれば、三十代後半ほどの年齢と思われるその騎士は、微かに唇の端を上げた。
「はじめまして。私は、エルドーラ近衛騎士隊長フェデルだ」
「はっ、こちらこそ、はじめまして。私はマーナと申します。ローザラントから旅をしてきた、魔法使いです、一応」
やばい。不躾に顔をじろじろ見ていたのに気付かれた。
焦りながら自己紹介すると、フェデルは少し表情を崩した。
「君の話は聞いているよ。サレドニアで、魔物から我らが宰相閣下を救ってくれたんだって?」
「は、……まあ。その後、高熱を発して、逆にモルガナ様に命を救っていただきました」
言われる前に、と先にそう申し上げると、フェデルは短く整えた口髭を震わせながら笑い始めた。
「ね? 何かを企むような人じゃないのよ」
モルガナ様がそう言って片目を瞑る。
なるほど。つまり、私はサテラ以外の穏健派に、怪しい人物だと思われていたらしい。
「それで、サテラからも聞いてくれていると思うけれど、あなたにはフェデルに、魔物に関する知識を教えてあげて欲しいの」
「私の知識なんて、大したことはないですが」
「どんな些細なことでもいいのよ。あなたが知っていることだけでいい。何せ、ロンバルディア大陸には魔物がいなかったのだから、どんな腕利きの騎士でも、魔物を相手に戦うのは初めてなのよ。あなたが協力してくれなかったら、リムルラントの知り合いを頼って、魔物狩りの経験のある人物を紹介してもらおうと思っていたところなの」
魔物狩り……。その言葉にドキッとしてしまう。
「それなら、私の知っている限りのことをお教えします。ですが、モルガナ様。その前に、お伝えしたいことがあります。聞いていただけますか」
緊張と不安で声が震える私に、モルガナ様は首を傾げた。
「ええ、いいわ。どんなこと?」
「この城には、魔族がいます」
ざわっ、と部屋の空気が一変した。




