56.王女様の遊び相手
「……全く、何を考えているの」
前足の付け根を持ち上げるように抱き上げて視線を合わせながら嘆息すると、オークルは気まずそうに視線を反らせた。
ようやく自分の部屋に戻ってきたのは真夜中過ぎ。
今日はもう遅いから、明日また猫を連れて来ます、とアデリア様を説き伏せ、陛下やモルガナ様との話も終わって、自分の部屋に戻り寝る支度が整って女官達が出て行ったのがついさっきのこと。
二人きりになった私は、こうなった経緯をオークルに問いただした。
「……情報収集してただけなんだよ」
さすがに、さっきまでの騒動の原因が自分にあることを自覚しているのか、オークルにこれまでの尊大さはない。
「そしたら、ついあの王女の部屋の外まで足を踏み入れちまってて、王女に見つかっちまったんだよな。大慌てで逃げるのも余計に怪しいかと思って、愛想よく一声鳴いて優雅に通り過ぎるつもりだったんだよ。ところが、あの王女に気に入られちまってさ……」
美味しそうなお菓子で釣られて近寄ったところを捕捉され、放してもらえなくなってしまった、とオークルは投げ槍に語った。
「へ~え。それで、暴れてでも逃げなかったのは何故?」
「そんなもん、もし俺が王女を引っ掻きでもしたら、飼い主にも累が及ぶだろうが」
不意に金色の目を見開いたオークルが、強い視線をこちらに向けながらそう言い放った。
「……え? 私の為?」
「……悪いかよ」
照れたように視線を外したオークルに、私は大きな溜息を吐いた。
オークルの気持ちは嬉しいわよ、それが本心なのだったら。
でも、自分の失態を私の為だった、と言い訳しているように聞こえなくもないのはどうしてかしら。
「とにかく、こうなったからには、明日からアデリア様のところへ行って、遊び相手になってあげないとね」
そう言うと、オークルはまだ不服なのか返事もしなかったけれど、
「飼い主に累が及んでもいいの?」
と畳み掛けると、仕方なさそうに小さく頷いた。
翌日、アデリア様の部屋を訪ねると、小さな王女様は上機嫌で出迎えてくれた。
「ほんとうにきてくれたのね。うれしいわ。マーナもいっしょにおちゃをのんでいかない?」
「えっ、私もですか?」
別に他の用事もないから構わないのだけれど、どこの馬の骨とも知らない異国の魔法使いが、王女様の部屋でお茶を飲んでも構わないんだろうか。
ここは、誘われても断るのが流儀なのかしら。それとも、断る方が失礼にあたるんだろうか。
元々、こんな上流社会の流儀なんて知らないし、ましてやエルドーラの常識なんて分かるはずもない。
どうしようかと視線を女官達に送っていると、王女は私の返事も待たず、私の手を掴んで自分の部屋に引っ張り込んでしまった。
うん、なかなかに強引、いえ、行動力のある王女様だわ。
アデリア様は女官の手を借りて大人用の椅子に腰掛けると、膝にオークルを置いて、小さな手で撫で始めた。
「オークルの毛ってきもちいい」
そう言って無邪気に微笑むアデリア様は、本当に愛らしい。美丈夫なエドガー陛下には似ていないけれど、きっと将来は美人になるだろうと思われる整った顔立ちをしている。
アデリア様の母親である王妃様は、三年ほど前に病気でお亡くなりになっているそうだ。そして、王である父親は、アデリア様に構っている時間がなかなかとれない。
まだ幼いアデリア様は、女官達に囲まれてはいるけれど、きっとお寂しいのに違いない。
って、やっぱりシャルロット嬢と重なる部分が多いのね。知り合ったら、きっといいお友達になれるんじゃないかしら。
オークルは、昨夜の私の言葉が効いているのか、大人しくアデリア様に撫でられていて、目を細めて喉まで鳴らしている。
ちょっと、それは演技じゃなくって、本当に気持ちいいんじゃないの? あんなにアデリア様のお相手をするのを嫌がっていたくせに、いいご身分なんだから。
「ねえ、オークルと、おにわであそんでもいい?」
ふと思い立ったようにアデリア様はそう言うと、私の返事も聞かずにオークルを抱いて椅子から飛び降り、テラスの方へと駆けていく。
「まあ、お帽子も被らずに。アデリア様!」
女官達が大慌てで後を追う。
お茶に誘った客、つまり私のことなんか完全にほったらかし。
ま、いくら厳しく躾けられた王女様だといっても、五歳の女の子なんだから仕方がないか。
そう言えば、ミラクは元気かしら。
周りを振り回しながら無邪気に笑っているアデリア様を見ていると、不意にミラクのことを思い出した。
せっかく、後少しで追いつけるところまで辿り着いていたのかも知れないのに、こんな遠回りをすることになってしまったなんて。
それも、あの骸骨兵士が、寄りによってエルドーラの宰相を襲ったりなんかしなければ、この国に来ることなんかなかったのに。
……寄りによって?
ふと引っ掛かりを覚えて、私は顎に手を当てて考え込んだ。
それって、本当に偶然なのかしら。
だって、いくら戦争が始まるかも知れない上に港も封鎖されて、街道を行き交う人がほとんどいなかったとはいえ、魔物が疾走する馬車を執拗に追いかけるもの?
最初から、モルガナ様の命が狙いだったんじゃないの?
なら、誰が?
考えられるのは、サレドニア王国に魔族が入り込んでいて、攻め込んでこようとしているエルドーラの宰相を消して敵国の力を削ごうとした可能性。
それともう一つ、気になることがある。オークルが、この城に魔族が入り込んでいると言っていたことだ。
その魔族が、モルガナ様の存在を邪魔だと感じているとしたら。
それに、エルドーラではなく、サレドニアでモルガナ様が亡くなったら、どうなる?
ただでさえ緊張が高まっている両国の関係は、最早修復不可能になってしまう。
そして、この城にいるという魔族が、本当にモルガナ様と対立していて命を狙っているとしたら、モルガナ様の命を救った私はそれを邪魔した憎い奴ってことになっているんじゃない?
急に寒気が襲ってきて、私はブルッと身を震わせた。
私って、もうすでに、この国の事情とやらに巻き込まれているんじゃないの……?
オークルがアデリア様のお気に入りになってしまった以上、今すぐにこのエルドーラ城からおさらばする訳にもいかない。
でも、私はすでにエルドーラ城にいるという魔族から敵視されていると思われる。だから、自分の身を護るためにも、ここは逃げじゃなく、立ち向かわないといけない。
立ち向かうっていっても、探し出して倒すなんて絶対無理。そうじゃなくて、せめて魔族が誰なのか、何の目的があってこの城に入り込んでいるのか、どうすればその魔族と衝突せずに穏便にこの城から出ることができるか、を探らなければいけない。
最も手っ取り早いのは、モルガナ様にお話を聞くことだけれど、相変わらず政務に忙殺されているのか、会いに来てくれるどころかお姿を見かけることもできない。
そこで思い出したのは、もし何かあれば従者のサテラに伝えて、というモルガナ様の言葉だった。
……正直、高熱に魘されている私をどこかの宿の一室に置いていこうと主張していたというサテラに、私は苦手意識を持っていた。
サテラは私よりも年下でありながら、モルガナ様の従者として働く貴族の三男坊で、何でも卒なくテキパキこなすとっても優秀な少年だ。
けれど、あまりに優秀すぎて近寄りがたいというか、気軽に話しかけられるような雰囲気じゃなくて、これまで接触せずにいた。
……でも、背に腹は替えられないか。
モルガナ様に教えられていた通り、女官を通してサテラに話ができないかと伝えると、半日ほど経ってようやくサテラがやってきた。
「どんなお話でしょうか」
ほら、向こうだって私にいい感情を持っていないんだから。
少し苛立ったように、ぶっきらぼうにそう言ったサテラは、お茶を淹れてくれようとした女官にキツイ物言いで断りを入れると、腕を組んで視線で早く話せと促してくる。
モルガナ様の前では完璧に優秀な少年の仮面を被っているくせに、こんな裏の顔もあるんだ。
でも、馬鹿だね。こんな態度を取ったって反感を買うだけ。自分どころか、モルガナ様にとってもマイナスにしかならないのに。
むかつく気持ちを何とか抑えると、私は女官達に部屋から出て行ってもらい、訝しむサテラにこの国の詳しい事情を訊ねた。




