5.夕食の時間
フレイユがベッドから起き上がれる程度の状態だったので、私達は四人揃ってダイニングテーブルに移動した。
いつもの夕食の時間よりもだいぶ遅くなっていて、私のお腹はもう背中にくっついてしまうんじゃないかという勢いだった。
「お口に合うかしら……」
スープの皿をフレイユの前に置きながら、マーナは不安げに眉をひそめている。
「大丈夫ですよ。我々の食する物は、古来から人間とさほど変わりはありませんから」
そう微笑みながらも、フレイユは食事に手を付けようとしない。
「お腹が空いてないの?」
すでに二つ目のパンを頬張りながら私が訊くと、彼はふんわりと微笑んだ。
「いいえ、そういう訳では。それにしても、あなたはよく食べますね」
「うん。とってもお腹が空いていたから」
「そうですか」
ニコッと笑えば、フレイユも微笑む。
そうしてふと気配を感じて視線を横にずらすと、クロスが厳しい表情でこっちを見ていた。
あ、またやっちゃった。
慌てて、口いっぱいに頬張ったパンを飲み込み、次は小さく手で千切って口の中に入れたけれど、もう手遅れだった。
クロス曰く、私は見た目もだけれど、中身も全く十五歳の少女らしくないという。
そりゃ、クロスの知っている少女って、家庭教師をしている貴族家のご令嬢なんだろうから、そういう人と比べられても困るけど。
でも、確かに私の食べる量は、マーナどころかクロスと比べても倍以上多い。
仕方ないじゃない。だって、食べられちゃうんだから。
それなのに、体の方はちっとも大きくなってくれない。縦どころか横にも太らない。
よく動くから、身になる前に栄養を使い果たしてしまうのよ、とマーナは慰めてくれるけれど、いつまで経っても女の子らしい丸い体つきにならないのは密かな悩みどころなのだ。
と、ふと視線を上げると、フレイユがじっとこちらを見ていた。赤い瞳がキラキラと輝いていて、右の口角が少し上がっている。
「何?」
「いえ。あなたの食べっぷりを見ていると、食欲が刺激されますね」
そう言うと、フレイユはスプーンを手に取ってスープを口にした。
それを見て、私の隣に腰かけていたマーナが、ホッと小さく安堵の溜息を吐いた。
何だ。私の大食いも、少しは役に立つことあるじゃない。
クロスの反応が怖いから、絶対に口に出して言ったりはしないけどね。
食事がある程度進んだところで、クロスが話を切り出した。
「ところで、もし構わなければ、事情を伺っても宜しいでしょうか」
「事情、とは?」
「神族大戦で、神獣族は地底に下ったと我々人間には伝わっております。ですが、そのお姿から察するに、あなたはずっと地上で暮らして来られたのではないでしょうか」
クロスの問いかけに、フレイユは難しい表情で黙り込んでしまった。
「あのっ。答えたくないのなら、それで構わないんですよ。でも、そんな怪我をされてまで、このロザーナまで旅をして来られたのには、よっぽどの理由があったんじゃないかって、私達に出来ることがあるならお手伝いできれば、と思っているだけなんです」
沈黙に耐えかねて、マーナが必死に言い募る。
「そうだよ。一人では無理でも、四人でなら何とかなることもあるし」
私も四つ目のパンの最後の欠片を飲み込んで、クロスとマーナを援護射撃した。
けれど、フレイユは残りわずかになったスープ皿に視線を落としたまま、何も答えてはくれない。
と、ふと思いついたことを訊いてみた。
「まさか、ククロの森に出た謎の生物って、フレイユのことじゃないよね?」
「ミラク!」
ぎょっとした顔で私を睨んだクロスも、慌てて私の口を手で塞いだマーナも気付かなかったと思う。
フレイユが、ハッと視線を上げて小さく何かを呟いたことに。
結局、何も語ってくれないまま、フレイユは再びクロスの部屋のベッドに横になった。
何日か前に負ったという傷からばい菌が入り、熱もあったからだ。
人間だったら、起き上がるのが難しいほどの重傷になっていただろう、と治癒魔法を施して部屋を出てきたクロスが言った。
やっぱり、神獣族は神族の仲間だけあって、人間とは比べものにならないくらい丈夫らしい。
お腹が満たされて眠くなった私は、パトリックを連れて自分の部屋へ向かった。
マーナの飼い犬だったパトリックだけれど、最近は私の方に懐いて、同じ部屋で寝るようになっている。
台所からは、まだ食事の後片付けをしている音が聞こえる。
この後、マーナは今日買い込んだ食材の下拵えをしたり、ジャムを煮たりピクルスを漬けたりするみたいだ。
マーナを見ていると、私にお母さんがいたらきっとこうなんだろうな、と思うことが時々ある。
※※※※※
リンゴの皮を剥いて、細かく切って鍋に入れ、砂糖を大量に投入して火にかける。
それを木べらで混ぜながら、ふと疲れが襲ってきて大きな溜息が出た。
今日は本当にいろいろなことがあったなぁ。
私、マーナがこの家に来て、もう二年が経つ。今ではこの台所が私の職場みたいなものだ。
今ではすっかり居候の家事手伝いだけれど、これでも昔はサブリアナ大陸の魔法使いの聖地ウィザーストンで魔法を学んだ魔法使いだ。
でも、御覧の通りの有様となっていることからも分かる通り、私の魔法の腕はそれで食べていけるような実力じゃない。
それに比べたら、この家の主クロスさんの実力は半端じゃない。
ウィザーストンにいたら、きっと国立学院の理事長になれていたんじゃないかって思うくらいに凄い。
今も、ここローザラント王国の宮廷魔法使いに、という誘いを断って、それなら代わりに王侯貴族の家庭教師を、と依頼されているくらいだ。
そんな凄い人に偶然とはいえ助けてもらって、しかも居候までさせてもらえるなんて、私はなんて運がいいんだろう。
それを思えば、それまでの辛い日々だって、捨てたもんじゃなかったって思えるくらい。
「マーナ。ちょっといいかな」
不意に声を掛けられて、私は危うく木べらを取り落すところだった。
「は、はいっ! どうしたんですか?」
「しっ。ミラクが起きるといけない」
小さな声で囁いたクロスさんは、素早く狭い台所に入ってきた。
その時気が付いた。クロスさんは、外出用の黒いコートを着ている。
「あ、また、スラム街からの呼び出しですか?」
「いや。……実は、国王陛下から、ククロの森への派兵に同行するよう命令を受けたんだ」
「ええっ!」
「しっ。だけど、ミラクに言ったらきっと一緒に行くだの何だのと我儘を言い出すに違いない。だから、あの子には、私がスラムの急患に呼び出された後、家庭教師の仕事に直接向かったと、適当に誤魔化しておいてくれないか」
「は、はあ……」
「それから、フレイユ殿のことだが、彼が何も語らないままここから去ったとしても、それはそれで仕方のないことだ。私達が首を突っ込むことではないのだろうから」
「……分かりました」
殊勝に頷くことしかできない私。
ああ、私のバカバカバカ。
そんな危険なところに、宮廷魔法使いでもないのに行くことないです、行かないでくださいって、どうして言えないの!
「あ、あのっ!」
台所を出て行きかけたクロスさんを、私は慌てて呼び止めた。
「何だい?」
「そのっ、……お気をつけて」
消え入りそうになる語尾を飲み込んで、私は唇を噛んだ。
すると、にこりと笑ったクロスさんは、手を伸ばして私の頭をそっと撫でた。
「すぐに帰ってくるから、それまでミラクを頼むよ」
自分の顔が真っ赤になるのが分かった。
胸がじんわりと温かくなって、足元から震えるような幸福感が押し寄せて来た。
例え、その言葉が、居候に養女を託す内容でしかなかったとしても、私にとって、クロスさんに頼られるなんてこれ以上幸せなことなんてないのだから。