41.初めての魔法
シャルロット嬢を公衆の面前で拉致したのは、口元を逆三角に折った布で隠した男たちだった。
ミハエルさんが駆け付けた時には、馬車は露店通りを行き交う人たちを跳ね飛ばすような勢いで走り去ろうとしていた。
「お嬢様が!」
ミハエルさんは大声を上げると、拉致犯の馬車とは反対の方向へ走っていく。
その先には、豪華な装飾の馬車が停められているけれど、こちらに背を向けて停められているので、御者は全く騒動に気付いていないようだった。
そんな、悠長な……。
そもそも、世界的に有名な商社のご令嬢が、執事一人しか伴わずこんな下町に出かけてくるなよと言いたいわ。いくらローザラントが平和な田舎国家とはいえ、王都の下町はそれなりに治安が悪いのよ。
私は走り去る拉致犯の馬車を追いかけたものの、勿論追いつくはずもない。
何とか、馬車を停めないと。
息を切らして走りながら、腰のベルトに挟んである杖を手に取る。
……でも、あの白い炎じゃダメだし。
魔物を焼き尽くしたあの白い炎の魔法は、人や物を焼く力はないようだ。それに、仮に何でも燃やす力があったとしても、そんな魔法を使ったら中のオークルやシャルロット嬢まで焦がしてしまう。
うっ……。使うのはかなり久しぶりだけれど。
久しぶり、というより、実戦ではほぼ初めてと言っていい。魔法学校時代に習って、コップの水を表面だけ薄っぺらい氷に変えることしかできなかった、氷結魔法……。
大丈夫。白蛇の杖を使えば……。
私は足を止めて呼吸を整えると、川に架かる橋を渡り始めた馬車の後ろから、白蛇の杖を突き出しながら魔法を放った。
ガゴン!
と音を立てて、馬車が急停車する。
狙い通り、馬車の車輪がバキバキと音を立てながら凍り付いていく。
「うわっ、何だコレは!」
拉致犯の一人が御者台から飛び降りて目を丸くし、車輪を覆う氷を蹴りつけるも、今度はその靴が凍り始め、慌てて靴を脱ぎ捨てて逃げ出した。
「何事だ!」
馬車のドアが開き、中から飛び出した拉致犯も、馬車を下から浸食しようとする氷に驚き、馬車から飛び降りて逃げてしまった。
そこでようやく、馬車の下半分を覆っていた氷の浸食が止まった。
ああ、よかった。あのまま全部凍り付いちゃったらどうしようかと思った……。
ほっと胸を撫で下ろした私は、馬車に駆け寄って、開いたままのドアから中を覗きこむ。
「……お、お前か。助かった」
オークルは相変わらず、シャルロット嬢の腕に抱えられたまま、身動きがとれずにいた。
……それにしても、気絶してもなおオークルを放さないこのお嬢様の執念、恐ろしいものがあるわね。
「いいわね、お金持ちのお嬢様にそれほどまでに可愛がられるなんて。いっそ、このお嬢様に飼われたほうがいいんじゃないかしら?」
冗談を言うと、オークルは金色の目から炎が吹き上がるんじゃないかというほど怒りを顕わにした。
「冗談じゃないぞ! お前、俺の気持ちを知っているくせに!」
「ごめん、冗談よ。ほら、おいで」
馬車に乗り込み、シャルロット嬢の腕を何とか解いてオークルを救い出すと、ぐったりとした彼を抱えて頭を撫でる。
「本当に、協力者がいないとダメみたいね」
「……そうなんだよ。認めたくないがな。単独行動すると、珍しいペットの収集家に狙われるか、野良猫扱いで追い払われたり石を投げつけられたりするか。だから、お前が頼りなんだ」
ちょっと待ってよ。今、胸がキュンとしちゃったじゃないの。
まるで、美味しい料理を作った時に、クロスさんに「いつもありがとう」なんて言われた時みたいな、胸が震えるような喜びが込み上げてくる。
オークルは、私が守ってあげないと。
抱きしめると、ほんの少し身動ぎしたオークルだったけれど、気持ちよさそうに目を細めたところを見ると、こうされるのは嫌ではなさそうね。
「お嬢様!」
ようやく、ミハエルがエルマール商会の馬車を連れて追いついてきた。そして、橋の上で半分凍り付いて停まっている馬車を見て目を丸くする。
「これは、あなたが……?」
そう問われて頷くと、ミハエルは脱力したように溜息を吐いた。
「何とお礼を申し上げていいのかわかりません。旦那様にご報告して、後日相応の謝礼をさせていただきます」
「いいえ、それには及びません。お嬢様が無事で本当によかったですね」
そう答えると、ミハエルは柔らかな笑みを浮かべた。
「今日の所は、どうかお嬢様がお目覚めになられる前に、その猫を連れてお帰り下さい」
「えっ……」
「執事として、責任を持ってお嬢様を説き伏せます」
いいの? と視線で問えば、ミハエルは少し自嘲気味な笑みを浮かべた。
「お嬢様はご両親がお忙しい為、幼少より寂しいお暮しをなさってこられました。その為、私も少々、お嬢様に甘すぎたようです。本来なら、お嬢様をこのような下町にお連れするべきではありませんでした」
そう言って頭を下げるミハエルに慌てて頭を上げてもらい、問われて名前と住所を教えると、私はオークルを抱いたままその場を離れた。
後日、旅の支度を整えるために再び露店通りへ行くと、いつも野菜類を買っている露天商に声を掛けられた。
「よっ、マーナ。あんた、この間、すごい魔法を使ったんだって? 人は見かけに寄らないっていうけど、本当だな」
そう言われて、私は苦笑いを浮かべる。
実際、あの氷結魔法が噂になって王宮まで伝わり、宮廷魔法使いになってほしいと使いが家まで来た。それが、あの魔法戦闘部隊の隊長だったから笑える。
勿論、丁重にお断りしたし、向こうも断る前から依頼を取り消す気満々だったけれどね。
因みに、その時に、私がククロの森で迷った時に魔物に遭遇した、森の奥に魔物が棲みついているようだと伝えたから、気を付けて任務に当たってくれるだろうと思う。
「それにしても、ミラクも隅に置けないね。姿を見せなくなったと思ったら、男と旅に出たって言うじゃないか」
えっ、それは、確かに間違いじゃないけれど、……多分、おじさんが想像するのとは全く違う状況なんだけど。
「マーナも早く、そういう相手を見つけるんだな。犬や猫ばっかり相手にしてちゃダメだぞ」
そう言いながら、私の鞄から頭だけ出しているオークルをでかい手で撫でる。
「ケッ、触んじゃねぇよ、オヤジ」
悪態を吐くオークルの声がニャーンにしか聞こえない露天商は、可愛いなぁ、と目を細めている。
何と、あのミラクでさえ恋の噂をされているなんて。それなのに、私は……何て寂しい。
いいえ、今はそんなことを言っている場合じゃないのよ。オークルを無事フレイユに送り届けないと。
それに、私はクロスさんが帰ってくるのを待つと決めたんだから。
それから二日後、旅の支度が整い、私はロザーナを出発することになった。
その前日には、ミハエルさんが家に来て、あれほどいらないと言ったのに、多額の謝礼と数個の魔法石を置いて行った。
彼の話によると、シャルロット嬢はオークル、いいえ、彼女にとってはフローレンスを私に返したことを知って、泣き喚いたという。けれど、父であるエルマール商会会長とミハエルに懇々と諭され、渋々ながら諦めてくれたらしい。
「それから、各地にあるエルマール商会の店舗をご利用の際は、この札を見せていただければ、特別割引をさせていただきます」
そう言って渡されたのは、エルマール商会の屋号が刻み込まれた銅板だった。
けれど、エルマール商会の店はどれも逸品揃いで、庶民にはなかなか手に入らない価格の品ばかりだ。
札はありがたくいただいておくけれど、多分利用する機会はないだろうな、と思いつつ、特別割引という辺り、何か商魂たくましいものを感じて苦笑した私だった。
家の魔法錠に鍵をかけた私は、ノーマン将軍のお屋敷に魔法錠を渡して、北へと延びる街道を歩き始めた。
「あいつら、もうサブリアナ大陸に渡っているのかな」
「さあ。サレドニアとリムルラントの港が閉鎖された時期が、ちょうどフレイユたちが到着するのと同じくらいだったから、船に乗れたかどうか微妙なところだわね」
両国の港が閉鎖されたという噂は、ローザラントでも広まっていた。
ミラク達が船に乗れていた場合、港の閉鎖が解けなければ、追いつくどころかどんどん距離が広がって行ってしまう。
そうなったら、どこまでオークルを送って行かなければならなくなるのやら。
そんな不安に包まれながら、私は北へ向かう足を速めていた。




