33.事件の後で
満天の星空に、雷鳴が轟く。
俄かに湧き上がった黒雲が星空を覆い隠し、すぐに痛いほど大粒の雨が叩き付けてきた。
その中で、私とソルバーンは、周囲の喧騒とはかけ離れた倉庫の陰で十歩ほどの距離を置いて対峙していた。
ソルバーンが息を吐くと、瘴気交じりの空気が吹き付けてくる。死臭のような生臭い瘴気は、肌に触れるだけで痺れるような不快感を伴い、吸い込むと頭がクラクラする。
「ほう。見た目によらず、胆力があるようだな」
ソルバーンは目を細めると、こちらに腕を突き出してきた。
ハッ、と重い身体を叱咤するように横っ飛びに逃げると、さっきまで私がいた地面に、何倍もの長さに伸びたソルバーンの腕が刺さっていた。
まずい。いつの間にか、何か術でもかけられた? 体が動かしにくい。
これまでに感じたことがないくらい身体が重く、息苦しい。
地面を転がり、置かれていた木箱の陰まで逃げると、膝をついて背中の剣に手をかける。
すると、何か不快なものが身体からスッと抜けていくのを感じた。
……ありがとう、ハディ。
「隠れても無駄だ!」
一度元の長さに戻ったソルバーンの腕が、再びこちらに向かって突き出される。
その腕が木箱を粉々に砕く、その破片と共に、私はソルバーンに向けて飛びかかった。
背から抜いた、封邪の剣を振りかぶって。
「……なんだぁ」
間抜けな顔で目を見開いたソルバーンに、私は渾身の力を込めて封邪の剣を振り下ろした。
「ミラク。大丈夫ですか?」
その声に振り返れば、フレイユが路面に溜まった雨水を跳ね上げながら走ってくるのが見えた。
「うん。……でも、ちょっと疲れた」
抜身の剣を下げたまま笑顔を浮かべたつもりだったけど、ストン、とその場に尻餅をついてしまう。
「あれ?」
「どこか怪我をしたんですか?」
「ううん。ちょっと瘴気を吸っちゃったみたいだけど、この剣を持ったら排出されたみたい」
私は、雨に打たれながらも生き生きと輝く黒い剣に視線を移した。
その長い刀身で切り裂いたソルバーンを、黒い霧に変えて吸い込んでしまったのはついさっきのことだ。
「やはり、人間のあなたが神器を扱うと、体にかなり負担がかかるのですね」
フレイユが辛そうに唇を噛む。
ひょっとして、私に封邪の剣を使わせたのは自分だ、なんて自分を責めているのかな。
「ううん、平気平気。動いたからまたお腹が減ってきちゃったんだって。食べて寝たら元に戻るよ」
私は剣を背中の鞘に納めると、縛りつけていた紐を解いて抱え、柄も丁寧に布で覆った。
「それより、マリエルは?」
「閃光で目を晦ませている間に、気を失わせて近くの荷物の陰に隠しました」
その後、目が見えるようになった社員と都市警備隊は、マリエルが居なくなっていることに気付いて動転。お互いにどこへ隠した、と睨みあううちに土砂降りの大雨になり、同行していたソルバーンの姿が見えなくなっていることに気付いたホルス隊長は挙動不審となった。そして、隊長から適切な指示を受けられなくなった都市警備隊は、ひとまず港湾から撤退していったそうな。
「それを見送った後で、社員の方々にマリエルを隠した場所を教えてから、ここへ駆けつけてきたというわけです」
「そう。いろいろありがとう。でも大丈夫? あんな大勢の人がいる前で神力なんか使っちゃって。この雨も、フレイユが降らせたんでしょ?」
「誰もこっちを見ていなかったから大丈夫ですよ。見ていたとしても、私のことを魔法使いとでも思ったでしょうし。それに、この土砂降りの雨も、随分雨を降らせられずに鬱憤が溜まっていた水の精が、私の要請に大盤振る舞いしてくれたからですよ」
「降らせられずにいた?」
「火事を大きくするため、空気を乾燥させておきたかったのでしょう」
フレイユがそう言って視線を落とした先には、ソルバーンが嵌めていた指輪が落ちている。
木の箱を砕いた弾みで指から抜け落ちたらしいそれは、封邪の剣で消滅したソルバーンと共に消えることはなく、そのままの姿で残っていた。
「雨のお蔭で鎮火しつつありますし、魔族も倒すことができました。お屋敷に帰りましょう」
「うん。そうしよう」
そうして、私たちはずぶ濡れの疲れ切った身体を引き摺るようにお屋敷へ戻った。
幸い、私たちがいない間にヒルメス殿下を狙った襲撃はなかったようで、私たちはマリエルの無事を確認しようとするリュークたちに適当な返事を返すと、早々に濡れた衣服を脱ぎ捨ててベッドの中に潜り込んだ。
翌日、目を覚ますと、やけに隣の客間が騒がしい。
メイドさんたちが容易してくれた新しい服に袖を通して寝室を出ると、私は思わず目を瞬かせた。
「フレイユ、どうしたの?」
そこには、長くて白い髪を項で縛ったフレイユが、フードも被らずに優雅に足を組んでお茶を飲んでいた。
しかも、今日はローブも着ず、襟元に刺繍を施した白いシャツを着ているのだけれど、それがもう、本当に絵になる。
「昨日、濡れたままのローブをそのままにして眠ってしまいましてね。まだ乾いていないのです」
うん、事情は分かった。それで、初めてフレイユの顔全体を見たメイドさんたちが黄色い声を上げているのか。
フレイユは、器用に長い耳を隠すよう髪で覆って、その耳ごと髪を縛っている。なるほど、そうすれば髪が揺れた拍子に耳が見えることもない。
でも、改めてみると、フレイユの美しさは破壊的な威力があるなぁ……。
見とれていると、フレイユは首を傾げた。
「変ですか?」
「ううん。久しぶりだから、フレイユの顔全部が見えるのは」
このお屋敷に入ってから、メイドさんたちが常にどこかにいるので、フレイユは私の前でもフードを外すことはできなかったのだ。
「ローブが乾くまでの限定公開です」
「メイドさんたちが残念がるよ、きっと」
私がそう言うと、フレイユはクスッと笑った。その笑顔の破壊力に、またメイドさんたちが悲鳴を上げ、中には気絶してしまう人もいた。
それから数日、マリエルはお屋敷に戻ってこなかった。
また何かあったのかと心配になったけれど、どうやら国王陛下から貸与されていた港で火事を発生させたことで、事情聴取を受けていたらしい。
けれど、その担当は王政府の港湾管理局で、都市警備隊ではなかったとリュークが教えてくれた。
焼けた船は三隻。どれも商船で、幸いなことに積荷は全て港の倉庫に移していたため、被害は最小限で済んだらしい。
火の気のない箇所から、しかも港湾の警備員が交代する時間帯を狙ったかのような出火だったので、放火の可能性が高いと判断され、マリエルは管理責任を問われないことになったようだ。
それから。
ソルバーン商会の会長が、突然姿を消したと大騒ぎになっているらしい。
港の火事の現場に都市警備隊のホルス隊長率いる一隊と屋敷を出た後、行方不明になっているという。
港の倉庫の陰で、砕けた木箱の傍に会長の指輪が落ちているのが見つかったけれど、その他の目撃情報はなく、殺されたにしても遺体も見つからず、誘拐されたにしては身代金の要求も犯行声明もない。
まさに、煙のように消え失せてしまったという。
そうこうしているうちに、ソルバーンのお屋敷で正体不明の遺体が発見されたり、お屋敷のメイドが数人不審死を遂げているのが明らかになったり、社員が暴行・脅迫・強盗などの重罪を犯していたことが判明したりと、とにかく大騒ぎになっているそうだ。
で、世間的には、これまで犯してきた数々の犯罪がバレそうになって雲隠れした、と結論付けられているらしい。
「ミラク。お前がソルバーンの後を追いかけていくのを見た奴がいるそうだが」
家に帰ってきたマリエルにそう訊かれたけれど、
「うん。でも、あのおっさん、足が速くて逃げられちゃった」
と答えたら、それ以上は追及されなかった。
まさか、ソルバーンは魔族で、封邪の剣で消滅しました、なんて言えない。言っても、信じてもらえないだろうし。
で、ソルバーンがいなくなって、リムルラントは平和を取り戻し、港の閉鎖は間もなく解かれるだろう。
と暢気に構えていた私たちは、また予想外の事態に巻き込まれることになってしまった。
「サレドニアとエルドーラが、戦争を始めるらしい」
手紙らしき紙を握り締めたヒルメス殿下が、蒼白になりながら、私の前でがっくりと膝をついた。




