30.武術の指南役
何ということだろう。
サレドニア王国に続き、ここリムルラントでも港が閉鎖されてしまうなんて。
しかも、マリエルが言うには、サブリアナ大陸から渡ってきた魔物が退治され、全ての船への立ち入り検査体制が確立し安全が確認されるまで、港の閉鎖は無期限に行われるらしい。
ああ、こんなことになるのなら、『物見の鏡』の話に飛びついたりせず、昨日のうちに客船に乗っておけばよかった。
勿論、サブリアナ大陸への客船運航や、各国との貿易を生業としているマリエル商会としても、港の閉鎖は大打撃だ。
その為、マリエルはサレドニアの状況を視察し、その状況をリムルラント王政府に伝えて港の閉鎖決定を思いとどまらせようとしていたらしい。けれど、それは間に合わず、王命は下ってしまった。
しかも。
私がマリエルに、養父クロスを探す旅をしていると伝え、『物見の鏡』を使わせてほしいとお願いしたところ、残念な答えが返ってきた。
「あの鏡は神器に間違いないようなのだが、伝説で言われているような、見たいものを映すという力はなく、ただの鏡と変わらない代物だった」
「ええっ」
ショックで、目の前が真っ暗になる。
じゃあ、一体何のために私たちは船に乗るのを遅らせたんだろう。
「今は、ウィザーストンの総裁に預けて、どうにかして伝説に言われる機能が作動しないか調べて貰っている」
ウィザーストンはサブリアナ大陸にあり、クロスもマーナもかつてそこで学んだという魔法使いの聖地だ。
ということはつまり、『物見の鏡』そのものも、今はこのお屋敷内に無いってことだ。
はああああ……。
その時のことを思い出し、ガックリと肩を落とす私の前で、木刀を素振りしていたヒルメス少年が怪訝な表情を浮かべて手を止める。
「……そんなに、私には剣の素質は無いか?」
「あ、ううん。違うんです。続けてください」
そうだった。今は、ヒルメス殿下に剣の指導をしている最中だった。
あの後、更に驚愕の事態が明らかになった。
何と、ヒルメスはサレドニア王国の王太子殿下だったのだ。
それが何故、たった一人の側近だけを伴ってリムルラントの豪商のお屋敷にいるのかというと、平たく言えばお家騒動らしい。
正直、港が封鎖されたという話を聞いたショックで、あんまりハッキリ話の内容を覚えていない。
確か、ヒルメス殿下のお父上である国王陛下が突然の病に倒れ、一番上の姉上様が夫と共に政務を代行することになったそうだ。まだ王太子であるヒルメス殿下が十五歳だから、という理由らしい。
けれど、その姉上様の陰謀で、ヒルメス殿下は命を狙われ、僅かな手勢と共に王宮を脱出した。そこを、サレドニア王国にも拠点を持つマリエル商会が助け、最も安全なこのお屋敷で匿われていたという。
けれど、港閉鎖の騒動でマリエルがお屋敷を空けてサレドニア王国へ向かったことで、その分お屋敷の警備が手薄になった。そこを狙われ、ヒルメス殿下は命を落としかけたというわけだ。
つまり、このお屋敷内に、サレドニア王国の王太子が匿われていること、警備が手薄になっていることを外部に漏らしたスパイがいるらしい。
私は、ヒルメス殿下の武術の指南役だけではなく、護衛の役割も期待されている。
特に、ヒルメス殿下の側近で現在唯一このお屋敷にいるサレドニア騎士アルスが怪我を負って満足に剣が振るえないので、誰かが殿下と常に行動を共にしてお守りしないといけない。
で、年齢が同じで殿下が気安く接しやすい相手として、私に白羽の矢が立ったというわけらしい。
「港の閉鎖が解けたら、一番の便でサブリアナ大陸へ渡らせてあげるから」
しかも、一等客室を無料で提供する、とマリエルに提示されたら、断る理由なんてない。
どうせ、船が出るまでは先に進めないんだし。それに、この話を断ってお屋敷を出たところで、都市警備隊のホルス隊長から逃げ回った上、宿屋で無為に餞別を消費するしかないんだし。
それなら、悲運の王太子様をお守りするほうが、ずっとやりがいがある。
それに、このお屋敷の食事は絶品で量も多い。ちゃんと働いているから、遠慮せずに満足するまで食べられるし。うへへへ……。
「……もう、いいだろうか」
今日のお昼は何だろう、と想像しながら涎を垂らしていた私は、そう声を掛けられてハッとなった。気付けば、ヒルメス殿下が木刀を杖に荒い息を吐いている。
そうだった。素振りさせてたんだった……。
「はい、充分です。では、少し休憩して、手合せといきましょう」
まずいまずい。稽古中は余計ないことは考えないようにしないと。
こういう時、剣の道場に通っていた経験が活かせてよかったな、と思う。
実は私、同年代の門徒の中では一番強くて、師範代に昇格も決まっていたくらいなのだ。だから、最近は入門したての子供たちに基礎を教えることも多くなっていた。
ヒルメス殿下は王太子として、幼い頃からそれなりに剣の指導も受けていたようだ。だから、全くの素人というわけじゃない。
けれど、それはあくまで教育の一環としてのことらしい。つまり、一度も実戦を経験していないのだという。
だから、私には実際に賊に襲われた時に自分の身を守れるような武術を身につけさせてほしいらしい。
って言われても、私が教えられるのは、自分が習ってきた剣術くらい。いざ実戦になると、私だってその場凌ぎにそこにあるものでめちゃめちゃに暴れるだけなんだから。
ヒルメス殿下の呼吸が整ってきたところで、指導再開。
お互い、剣を構えて手合せを始める。
はっきり言って、怖い。ヒルメス殿下が弱すぎて、怪我をさせちゃうんじゃないかと心配になる。
王太子殿下にかすり傷でもつけたら、大変なことになるよね……。
でも、実戦では、一対一でお互い剣を構えてからってことはまずない。あの吹き矢男のように、どこから何を飛ばしてくるかも分からない。
だからわざと、変則的に我流の剣技を入れたり、蹴りを入れてみたりする。
勿論、本気でなんてしないよ。やったら、骨折させちゃうかも知れないから。
大変だね、ヒルメス殿下も。
線が細くて綺麗な顔立ちをした真面目なこの王太子殿下が背負っている運命の大きさに、何だか憐れになってきた私だった。
剣の稽古が終わると、休む間もなくヒルメス殿下は勉強の時間だ。
姉王女に国を追われてしまっても、ヒルメス殿下はまだ王太子殿下のまま。何でも、サレドニア王国には男子にしか王位継承権がないらしい。
姉王女は、そんな国の法律を変えようとしているみたいだけど、まだ実現できないでいるみたいだ。
だから、ヒルメス殿下は、いつか国に戻って国王になる日が来た時の為に、国政に必要な知識を身につけておかなければならないらしい。
……ホント、大変だね、王太子って。
私は、ヒルメス殿下の護衛でもあるから、勉強の間も部屋の片隅にある椅子に座って警護をしている。
ちなみに、勉強を教えているのはサレドニア王国騎士のアルスさんだ。
ヒルメス殿下と共にマリエル商会に救われた殿下の側近のうち、アルスさんだけがこのお屋敷にいるのは、この教育係としての役割を果たす為でもあるらしい。
他の騎士達は、サレドニアに残ってヒルメス殿下が祖国へ帰還できるよう画策しているそうだ。
アルスさんは、背が高くすらっとしていて、少し長めの黒髪を肩の辺りで縛っている。髪を解けば、パッと見た感じではクロスに似ていなくもない。
そして、分厚い本を片手に授業をしているところを見ていると、益々クロスに見えてくる。
……クロス。今、どこにいるんだろう。
きゅうっ、と胸が締め付けられる。
クロスが、魔族の作り出した空間に消えてしまって、もうすでに半月以上が経過していた。




