3.ローブを着た男
「マーナ……、一体、何したの?」
倒れたままピクリとも動かないローブの人物を揺すりながら、私は鼻を押さえたまま立ち尽くしているマーナを見上げた。
「ち、違うの。ただぶつかっただけなのに」
フルフルと首を横に振るマーナは涙目になっている。
きっと、この人にぶつかって打った鼻の痛みと、自分がこの人に倒れたまま起き上がれないほどのダメージを与えてしまったことへの罪悪感で、泣きそうになっているせいだ。
私はそっと目深にフードを被ったままのローブの人物の口元へと手を当てる。うん、息はある。
それにしても、随分くたびれた格好の人だ。傍には一抱えほどの鞄も落ちているし、すり切れたブーツの底といい、きっとどこか遠くからやってきた旅人なんだろう。
でも、何だろう。この人からは、これまで感じたことのない雰囲気を感じる。厳かな、というか、近寄りがたいような。
「ね、ミラク。……死んだりしてないわよね?」
真剣な顔をしてローブの人物を見下ろしていると、マーナが恐る恐るといった様子でそう問いかけてきた。
「息はしているよ」
「そ、そう。よかった……」
安堵したように息を吐いたマーナに、私は落ちていた鞄を拾って押し付けた。
「え? 何?」
ぎょっとした表情のマーナに、慌てて首を振る。
「違うよ、置き引きじゃないって。この人をうちまで連れて帰るから、それ持ってきて」
「つ、連れて帰るって、どうやって? あなた、ずっしり重いリュックを背負っているじゃない」
「大丈夫だよ」
よっこいしょ、と私はローブの人物を抱え起こすと、所謂お姫様抱っこの容量で抱え上げた。
ローブの人物は細身だけれど男性のようだ。クロスとまではいかないけれど結構背も高くて、腕にずっしりと重さがかかる。
「重くないの?」
そう言われて顔を上げると、マーナが唖然としてこちらを見ていた。
え? ちょっと、マーナ。何なの? そんなドン引きしたような顔して。
「さすがに、ちょっと重いかな。ほら、早く帰ろうよ」
途中で耐えきれなくなったとしても、この人も背中の食糧も置いていく訳にはいかない。力尽きる前に、なんとか家まで辿り着かないと。
急ぎ足で家路につく私たちを、通りすがりの人々は驚いたように見ていたけれど、そんなこと気にしている余裕もなかった。
「……と、いう訳なんです」
と、クロスに強打した鼻を診て貰いながら、マーナはこれまでの経緯を説明した。
家に帰り着くと、いつもより早く帰宅していたクロスは、私が抱きかかえて連れて帰ったローブの人物をすぐに自分の部屋のベッドに寝かせた。
クロスは魔法使いだけれど、医学の知識もあるし簡単な治癒魔法も使えるので、高額な治療費を払えないスラム街の人たちに医者の代わりに呼ばれて行くこともあるくらいだ。だから、ローブの人物の手当てもクロスに任せておけば大丈夫。
意識を失ったままのローブの人物を簡単に診た後、クロスは自分の部屋から出てきて、マーナの鼻を診てくれていた。
「うん。折れてもいないし鼻血も出てないし、大丈夫だ」
そう言うと、クロスはマーナの鼻先に魔石の付いた杖の先を当てて何か小さく呟く。と、仄かな光が魔石に点り、マーナは両目を寄せて何度も瞬きした。
「これで痛みも消えただろう?」
「あ、はい。ありがとうございます」
そう言ってクロスを見上げるマーナは、嬉しそうに目を細めてどこか夢見心地のように見える。
そんな、幸せモードのマーナと、そんな彼女を微笑ましく見つめているクロスを、私は暖炉の前に座って、傍らに寝そべった大型犬パトリックの長い毛並を撫でながら眺めていた。
何だか甘~い気分になる。でも、正直ずっと見ているのはしんどいし、こっちが恥ずかしくなってくる。
「じゃあ、私はあのローブの人物を診て来るから、夕食の支度を頼むよ」
「はいっ!」
張り切って満面の笑みを浮かべたマーナは、華麗なステップを踏みながら台所へと姿を消した。
「お前もご苦労だったな」
クロスは、暖炉の前に座っている私の傍まで来て、軽く頭を撫でた。
「あ、うん」
見上げると、労わるように細められたクロスの優しい眼差しがあった。
「それにしても、お前、また一段と力持ちになったな。あのリュックを背負って、人一人抱えてくるなんて、私でも無理だ」
「充分重かったよ」
「重い重くないの話じゃない」
クロスは苦笑すると、不意に真剣な顔をして私をじっと見つめてきた。
何だろう。何かを言いたげな、ちょっと不安げな顔だ。
やっぱり、私は変なんだろうか。十五歳の女の子で、同年代の同性より体もちっちゃいのに、大人のクロスより力が強いなんておかしいのかな。
前々から、ふとした瞬間に、クロスがこんな表情をすることはあった。でも、何かと尋ねても、クロスは絶対に本心を語ってはくれなかった。
だから、私はクロスがこんな表情をした時は、何か別の話題を振ってクロスの意識を逸らすようにしている。
「あの人、大丈夫そう?」
「あ、ああ。ベッドに寝かせる時にチラッと見た限りでは、差し迫って命に別状はないようだ。けれど、右腕に怪我をしているみたいだな」
「怪我?」
「ローブに血が付いていただろう? ついさっき負った怪我ではないようだが、まだ完全には治っていないし、少し熱もある」
「じゃあ、ひょっとしたら、ククロの森で魔物に襲われた商隊の人かも知れないね」
そう言うと、クロスは少し間を置き、「そうだな」と微笑んで自分の部屋へ入っていった。
「……お腹空いた」
一人になると、不意に空腹が襲い掛かってきた。
私の呟いた言葉を理解しているのか、パトリックがまるでお腹の虫の鳴き真似のような声を出した。
「パトリックもお腹空いたの?」
首に腕を回して抱き着くと、パトリックのザラザラした舌が私の頬を何度も舐める。
パトリックは、マーナと一緒にこの家にやってきた長毛の大型犬だ。マーナがサブリアナ大陸で魔物狩りをしている時に、仔犬だったパトリックを拾って飼い始め、一緒に旅をしてきたんだそうだ。
マーナと私が偶然出会ったのも、このパトリックが原因だった。このロザーナに来たばかりのマーナが、突然走り出して私に飛びついてきたパトリックに引きずられて転び、うちに連れてきて手当したのがきっかけだった。
今ではすっかりうちに馴染んでいるマーナだったけれど、あの時は本当に壊れちゃいそうなくらい危うくて、あのまま一人で旅を続けさせちゃいけないと思った。だから、同じくそう感じたクロスと二人で説得して、ここに住んでもらうことにしたんだ。
暖炉の火を見つめながらその時のことを思い出していると、台所から美味しそうな匂いが漂ってくる。
今度はパトリックの鳴き真似じゃなくて、本当に私のお腹の虫が盛大に声を上げた。
「ミラク。お皿並べるのを手伝って」
マーナにそう頼まれ、ダイニングテーブルにお皿を並べていると、クロスが自分の部屋から出てきた。
気のせいだろうか。何だかいつもと比べて表情が冴えない。
「どうかしたんですか?」
それに気付いたマーナが、私よりも先にクロスを気遣った。
「……いや、別に」
「ハッ、まさか、あの人の具合がそんなに悪いんですかっ?」
マーナは口元を押さえて身を震わせた。彼女はやっぱり、あのローブの人が倒れたのは自分のせいだと思い込んでいるらしい。
「そうじゃない。……ただ、彼は、……人じゃなかった」
「……は?」
私とマーナは口を開けたまま同じ言葉を発し、固まってしまった。