19.封邪の剣
王都の北の出口まであともう少しというところまで来た時だった。
お日様が顔を出して、爽やかな初秋の風がそよそよと流れている穏やかな朝なのに、私は不意にこれまで感じたことのない寒気を覚えて足を止めた。
「どうしました?」
急に立ち止まった私を、心配そうに振り返るフレイユに、私は迷うことなく告げた。
「ごめん、フレイユ。ここでお別れするね」
「えっ?」
「何か、嫌な予感がするんだ。じゃあ、元気でね。体に気を付けて!」
本当は、そんな素っ気ない別れ方をするつもりじゃなかった。
もう少し、フレイユといろいろ話をして、名残り惜しくさよならをしたかったのに。
でも、急いで帰らないと。そうしないといけないと、何かが私にしきりに訴えかける。
それからは、全力で大通りを駆け抜けた。
途中、朝市でごった返す露店通りを通らなくちゃいけなかったけど、荷車の上から馬の背中へと飛んで渡って何とか通過することができた。
早く、早く戻らなきゃ。
頭の中で痛いほど、自分の声が響き渡る。
どうしてなのか分からない。けれど、この自分を突き動かしている衝動が間違いないじゃという確信があった。
あの時と同じ。
大きな手に、一振りの大きくて黒い剣を渡された。
『これを持って、あの中に逃げ込め』
土砂降りの中、指さされた方向を見た瞬間、天を切り裂いた雷光に浮かび上がった大きな街。
『絶対に捕まるんじゃないぞ。これを誰にも奪われずに逃げ切るんだ』
逃げなきゃ。これを持って、逃げ切らなきゃ……。
何度も転んで、体中擦り傷だらけになって、泥まみれになりながらもひたすらに走った。
何で、今、そんな昔のこと思い出すの……?
あの時、私は大切な人を失ったのに。
それまで私を大切に育ててくれていた、ハディを……。
嫌な予感はどんどん膨らんでいく。その嫌な予感を払拭するように、私は激しく首を横に振りながら走った。
……クロス!!
家の前まで辿り着いた時だった。二階の窓ガラスが砕けて、見たこともない白い光が炎のように噴き出しているのが見えたのは。
悲鳴を上げる間も惜しかった。
私は鍵がかかっていなかった門を押し開け、家の中に飛び込んだ。そのまま一気に階段を駆け上がり、普段は入ることをクロスに禁止されていた物置部屋に飛び込んだ。
見たこともない巨大な生物が、壁にもたれて気を失っているマーナに手を振り上げている。
「止めろっ!」
怒鳴りつけると、そいつは動きを止めて振り返った。
トカゲが縦横比で同じになるくらい太ったらこうなるんじゃないか、というような生物だった。一応ボロボロだけれど服は着ているから、魔物じゃなくて魔族なんだろうか。
と、私は吸い寄せられるように、近くに倒れているクロスに気付いて駆け寄った。
えっ、何であんなに強いクロスが、こんなにボロボロにやられてるの?
っていうか、何でクロスの周りがこんなに黒くて禍々しいの?
というより、クロス、消えかかってない!?
「クロス」
慌てて手を伸ばすと、何か見えない力が私の手を弾いた。
「……っ、クロス!」
これはただの黒さじゃない。瘴気だ。
触れちゃいけないことはすぐ分かった。でも、じゃあ、その瘴気の中に溶けてしまいそうなクロスは、このまま放っておけばどうなってしまうの?
早くここから引きずり出さなくちゃ!
何か見えない壁でもあるように拒まれる手を、渾身の力を込めて伸ばしていく。
バチッ、バチバチバチ……!
弾くような音と共に、鞭で叩かれているような痛みが手を襲う。でも、私は絶対にこの手を引っ込めるつもりはなかった。
あともう少しでクロスに手が届く、と思った時だった。
急に、クロスの方から冷たい風が吹き付けてきた。
「クロス!」
いつの間にかクロスを包んでいた黒い瘴気が消えて、その代わりに現れたのは、見たこともない風景。
広がる森、流れる川、その広大な風景を、まるで鳥の視点になったみたいに遥か上空から眺めているような……。
クロスが手を伸ばしてくる。けれど、私の手を掴もうとしたクロスの手は、その僅か手前で何も掴めずに空を掻いた。
クロスの姿が遠ざかっていく。風に長い黒髪をなびかせながら、遥か彼方の地上へ向かって。
無我夢中でその空間へ身を乗り出し、クロスの後を追おうとした私は、不意に何かに突き飛ばされて吹っ飛んだ。床に叩き付けられた身体が跳ねて、その勢いのまま壁沿いに置かれた棚の前まで転がっていく。
「……っ、痛」
呻きながら顔を上げた時には、もうクロスを飲み込んだ景色は跡形もなく消えていた。
「お前は何者だ。俺様の術を変化させるとは……」
太ったトカゲの魔族が、爬虫類のような金色の目で私を睨みつけてくる。
こいつが、クロスにあの術をかけたのか。
それでクロスが、……クロスがっ!
沸々と、たぎるような怒りがお腹の底から沸き上がってくる。
「まあ、いい。どこかは知らんが、魔法も使えん状態であの高さから落ちれば無事ではおるまい」
魔族はニヤニヤと笑いながら、愉快そうに膨れきった腹を揺すった。
カチン、と私の頭の中で何かスイッチが入った。
こいつは許さない。
こいつは絶対、私が倒す!
待て。私は素手だ。……どうする? どうやってこいつを倒す?
その時、ゴトン、と重い音を立てて、私の目の前に布に包まれた長いものが倒れてきた。どうやら、壁際の棚と棚との間に立て掛けてあったらしい。
……これ。
見た瞬間、曖昧にしか覚えていなかった十年前の記憶が鮮やかに甦ってきた。
いつも、何かから逃げていたハディ。
とうとう逃げ切れなくなって、私にこの剣を託して追手と対峙することを選んだ。
それよりも前に、これを振るって戦うハディの姿を、私は何度も見てきた。
この剣があれば、……勝てる。
剣を包んでいる布を素早く取り払うと、黒光りする柄に手をかける。
ドクン、と鼓動のようなものが剣から手に伝わってきた。再び日の目を見る喜びに震えるような律動だ。
すらりと抜けた剣の刀身は、底冷えするほどの青白い光に包まれていた。十年以上も放置されてきたのに、錆び一つないどころか、寧ろ見とれてしまいそうに美しい。
「そ、……それは、まさか、封邪の剣!?」
こぼれ落ちそうなほど目を剥いたトカゲの魔族が、危険を察知して後ずさりしようとしている。
そんな猶予なんて与えるものか。
床を蹴って飛びかかり、魔族の懐に飛び込んで剣を一閃させる。
右上から左下へ振り下ろした剣は、魔族の身体を切り裂いた。
「う、……うおおおおっ!」
魔族は呻いて数歩後ずさりすると、切られた箇所を手で押さえる。その傷口から、一拍を置いて血ではなく黒い煙のようなものが噴き出した。
違う。これはただの黒煙じゃなくて、瘴気だ。
瘴気はどんどんと私の持っている剣に吸い込まれていく。やがて、煙がすっかり剣に飲み込まれてしまうと、そこには魔族の姿はどこにもなかった。
「……っ」
不意に気が抜けて、ゴトンと音を立てて手から落ちた剣が床に転がった。
魔族は倒した。ハディが魔物を倒していた時のように、この剣で消滅させてやった。
なのに、あのどこか分からない場所へ繋がった空間は、クロスを飲み込んで消えてしまったままだ。
「クロス、……クロスっ!!」
力が抜けて床に座り込んでしまう。涙が込み上げてきてボロボロと床に落ちていく。
どこへ行ってしまったの? 何で戻ってこないの?
……あの魔族が言ったように、もう助からないなんて、そんなことないよね?
絶対ないよね!?




