13.お家へ帰ろう
息を飲んだ私達の前で、杖を下ろしたクロスがゆっくりと振り返った。
「さて……」
まだ何も言われていないのに、反射的に私の肩がビクッと跳ね上がった。
「あ、あの、……クロス、これはね」
何か言い訳をしようとしても、静かに光るクロスの濃緑の瞳に見据えられたら、何の誤魔化しも効かないと観念するしかない。
「……ごめんなさい」
そう言って頭を下げると、ポン、と大きなクロスの手が私の頭の上に乗った。
「お前は今までにも、いろんな無茶をしてきたな?」
「……うん」
「返事は『はい』だ」
「はい」
「でも、今回は今までとは違う。他の人を巻き込んだ上に、命を危険に晒した。違うか?」
「そ……うです」
もし、クロスが来てくれるのが後少し遅かったら、私たちはあの黒い玉をくらって死んでいただろう。
というか、何でクロスは間に合ったんだろう。この時間なら、まだ王都で家庭教師の仕事をしているはずなのに。
怪しい。クロスだって、私達に黙ってどこで何をしているんだか……。
「聞いているか? ミラク」
クロスの表情が険しくなる。
おおっと、別のことを考えていたのまでクロスにはお見通しみたい。
ますます小さくなる私とクロスの間に割って入ったのは、マーナだった。
「クロスさん。申し訳ありませんでした。あれ程、ミラクのことを頼むと言われていたのに、止めることができませんでした。私の力不足です」
クロスに向かって、マーナが深々と頭を下げる。
「えっ。……いや、どうせこいつが夜中に抜け出すとかとんでもない手段を取ったんだろう。あなたがそんなに気にすることはない、マーナ」
怒りが沸点を超えて冷え冷えとしていたクロスの怒気が、じんわりと和らいでいく。
けれど、気にすることはない、と言われたのに、何故かマーナは逆に肩を落として涙目になった。
「……そうですね。どうせ私には元々、ミラクを止める力なんてなかったんです」
「えっ?」
「いいんです。それより、ミラクもずっとフレイユを背負ったままですし、まずは家に戻りませんか?」
目頭を指で拭いながらそう言ったマーナに、クロスはやや動揺を見せながらも頷いた。
という訳で、マーナのお蔭で、私は家に着くまで執行猶予を与えられたのだった。
私への罰のつもりなのか、クロスは私にフレイユを背負わせたまま、運ぶのを代わってくれたりはしなかった。
ま、別にそれほど重くないからいいんだけど。
すでに、フレイユの耳を髪の中に隠してマーナのハンカチで縛り、その上からローブのフードを被せてある。
それから、クロスの指示通りに進んで、森の出口近くの藪の中で身を潜めていると、何やらガチャガチャと金属の擦れる音、馬が嘶く声、何かを指示する怒号なんかが聞こえてきた。
あ、王国軍だ。
私達が国王陛下からのお達しを破ってククロの森に忍び込んでいたことが分かったら、取り敢えず逮捕されるのは確実だ。その上で取り調べを受けたら、フレイユの正体なんてあっさりとバレてしまう。
そうなったら、伝説の神族が生きていた、と大騒ぎになるだろう。捕まって見世物にされて、人間の政治の世界に利用されたりして、フレイユにとって不幸なことにしかならない。
とクロスに切々と説かれたら、絶対に王国軍に見つかる訳にはいかない。
息を潜めてじっと待っていると、やがてだんだんとその物音は小さくなっていった。
「……こっちへ」
傾いた日の光が木々の間から斜めに差し込んでくる頃、クロスが戻ってきて囁いた。
その頃には、フレイユも意識を取り戻していて、自分の足で歩いてくれるようになっていたので正直助かった。
クロスに導かれて森から出ると、そこは通行禁止の関からかなり離れた場所だった。少し離れた所には、荷車に物資を満載した商人たちの姿や、旅人の姿もある。
「あれは、南西部からククロの森を通って王都へ向かおうとしていた人たちだ。通行禁止が解除されるまで、ずっとああやって待っている」
つまり、私達は今、王都とは反対側、南西部地方側の森への入り口に出てきたってことだ。
「彼らに混じって、私達も南西部からの通行人として王都に入るってことですね?」
そう訊ねたマーナに、クロスは頷いた。
「そうだ。私が森の中心部まで踏み込んで、魔物の危険は去ったと確認した、とノーマン将軍には伝えている。もうすぐ、時間制限付きだが通行禁止は解除されるだろう」
そう言うと、クロスは再び森の中に戻って行った。また、森を通って王国軍に合流するらしい。
クロスの言った通り、少し待つと、前方の荷車がゆっくりと進み始めた。
私たちはさり気なく通行人の列に紛れ、配備された国王軍が等間隔に立って護る街道を通り、無事に王都へ戻ることができたのだった。
家に戻った時には、もう日付が変わろうかという時刻になっていた。
別行動になったクロスは、まだ家には帰っていなかった。帰路の途中でマーナから改めて聞いた話だと、クロスは昨日の夜から私に内緒で王国軍に従軍して、ククロの森の調査をしていたらしい。
それと知っていたら、私だって絶対にククロの森になんて行かなかったのに。……多分。
その日の夜は、さすがの私も疲れ切っていて、お腹も感覚がないくらいペコペコだったのに、家に帰り着いた途端に床に崩れ落ちて眠ってしまった。
目が覚めると、もう朝だった。
自分でした記憶がないのに、私はちゃんと寝間着に着替えていて、自分のベッドで寝ていた。ベッドの下では、もう目が覚めているパトリックが、伏せの姿勢で起きた私を見て尻尾を振っている。
「おはよ、パトリック」
何だか、昨日のことが全て夢みたいだ。
夜中に目が覚めて家を抜け出して以降の出来事が、全部夢だったりして。
でも、いつも道場で使う細身の剣を立て掛けている場所には、鞘だけしかなかった。
ブーツは普段よりも土汚れが酷くって、剣術の練習着は洗い替え用の一着しか衣装箱に入っていなかった。
その練習着に袖を通して部屋を出ると、ダイニングテーブルについていたクロスとフレイユがほぼ同時に振り返った。
「目が覚めたか」
クロスは昨日よりは、幾分機嫌がいいみたいだ。
「随分良く眠っていましたね、食事もとらずに」
フレイユにそう言われた途端、空腹を思い出して、私の腹の虫が一斉に鳴き始めた。
「丁度、遅い朝食の支度が整ったところよ。みんなで食べましょう」
キッチンからマーナがパンの入った籠と皿を持って入って来た。
「手伝おう」
クロスが立ち上がり、二人でテキパキとテーブルの上に四人分の朝食を並べていく。
「マーナも疲れてたのに、朝からこんなに用意してくれたの?」
薄く切ってこんがり焼いたパンに、バターや蜂蜜を塗ったもの。蕩けるようなオムレツに、彩りのいいサラダ。リンゴやオレンジなんかの果物を小さく切って、ヨーグルトをかけたものまである。
「ミラクが起きるまで時間があったから。よっぽど疲れていたのね。昨夜なんか床でそのまま眠っちゃって、私とフレイユとで揺すり起こして着替えさせてベッドへ入らせたのよ」
「そうだったんだ。……全然覚えてない」
「でしょうね。目が開いていなかったもの」
というか、フレイユの前で着替えたのか。記憶がないとはいえ、ううん、覚えていないからこそ、とっても恥ずかしい。
一応、十五歳の少女、だからね。




