10.神獣族の秘宝
ボウッ
火の玉が、空中で黒い毛並の生物とぶつかった。
ギャアッ!
悲鳴を上げて身体を捩ったその生物は、身体から煙を立ち昇らせながらヨロヨロと立ち上がった。周囲に、毛や肉を焦がす異臭が立ち込める。
その生物は、パトリックよりも小さい四足の見たこともない動物だった。毛並は黒と灰色が混じり合った色で針のように鋭く、耳の辺りまで裂けた口からは長く鋭い牙が覗いている。赤い目を爛々と光らせているが、フレイユのとは違い、こっちは狂気に駆られて血走っている目だ。
「ミラク、気をつけて。こいつが魔物よ」
マーナが前方に構えている杖の魔石は、濡れたような光を湛えている。ついさっき、この魔石から一抱えほどの火の玉が飛んで、魔物を焦がしたのだ。
「これが、魔物」
その禍々しい姿に、私は息を飲んだ。
ゾクッ、と何か言い知れない感覚が私の身体を突き抜け、反射条件のように腰の剣を抜き放っていた。
あの目、私、どこかで見た……。
何かに憑りつかれたような、狂気に満ちた赤く光る目。
体の奥の方から、何か言い知れない力が込み上げてくる。この目の前の禍々しい生物を、消し去ってしまいたいという衝動が。
「下がってください」
静かな声がして、ふわりとフレイユが私たちを庇うように魔物との間に割って入った。
フレイユの指先から紡がれるように光が溢れだしていく。
「……哀れな。けれど、同情はしません」
神力の光で魔物が消滅する直前、フレイユのそんな声が聞こえたような気がした。
その後、何度か魔物に遭遇した。
現れた魔物は同じ種類じゃなく、大型の蝙蝠みたいなのや泥の塊みたいなものまで様々だった。
マーナは主に火の玉の魔法を使って攻撃していたけれど、一発で倒せた魔物はいなかった。
「……やっぱりね、こんなものよ、私なんて」
自嘲気味にそう呟いたのが聞こえてきたけれど、詮索しちゃいけないような気がして私は聞こえない振りをすることにした。
魔物に止めを刺すのは、ほとんどがフレイユだった。フレイユの使う光の神力は、魔物を跡形もなく蒸発するように消してしまう。
私も、マーナの火の玉の魔法で弱った魔物相手に剣で応戦した。
最初は、道場での剣の稽古とはあまりに違う戦いに戸惑い、空振りすることもあった。
それでも、魔物の動きに目が慣れてくると、その動きに合わせて剣を振るうことができるようになってきた。
パトリックも、魔物が近づくと唸って教えてくれるし、果敢にも体当たりしたり噛みついたりして戦いに加わっている。
「あの、……何かさっきから変じゃないですか?」
フレイユに続いて二番目を歩いていたマーナが、不意に立ち止まって辺りを見回した。
「ええ。確かに、雰囲気が変わりましたね」
振り返ったフレイユも頷いて、近くの木の幹を撫でる。
「そうだよね。私達、さっきから先に進んでいるよね?」
やっぱり気のせいじゃなかった、と声を弾ませる私に、同意するようにパトリックが一声吠える。
感覚を惑わすような異様な雰囲気が消え、森の中に立ち込めていた霧もいつの間にかすっかり晴れている。
「結界が消えたようです」
フレイユはそう言ったけれど、嬉しいというよりは、どこか怪訝な表情をしている。
「でも、結界が消えたって言っても、まだ何か感じるよ」
何か、私たちをどこかに導くような空気というか、目に見えない意志のようなものが一定方向へ流れているように感じる。
「確かにそうね」
マーナも緊張した面持ちで周囲を見回している。
私達をある方向へ向かわせようとしているその意志に従っていいのか、それともそちらへ行ってはいけないのか分からない。
戸惑ったように顔を見合わせる私達に、フレイユが小さく溜息を吐いた。
「この力を感じられるということは、きっとあなた達も神獣族の秘宝に呼ばれているということなのでしょう」
「神獣族の秘宝?」
何、それ。と、首を傾げる私達に、フレイユは静かに答えた。
「私が探していたものです。その神獣族の秘宝を手に入れる為に、私は旅をしてきたのです」
フードを下ろしている頭に手を伸ばして、フレイユは耳を縛って髪に隠していたリボンを解いた。
長く垂れた耳が、何かを感知しようとしているように角度を変えながらピクッ、と動く。
「さあ、行きましょう。目的の場所まで、もうそう遠くはありません」
そう言って先頭を切って歩き始めたフレイユの後を、意を決したように口を引き結んだマーナが続く。その後ろから尾を振りながら追いかけるパトリックと一緒に、私も後を追いかけ始めた。
そこは、まるで森の心臓のようなところだった。
生い茂る巨大な木のせいで太陽の光がほとんど届かないにも関わらず、そこは仄かに温かい光に包まれていた。
そして、今まで肌寒いくらいだった森の中なのに、そこだけ包まれるような温かさに満ちていた。
「……あ」
これまで常に冷静だったフレイユが、まるで迷子の子供が親を見つけた時のように目を潤ませ、手を前に泳がせながらゆっくりとその巨木に向かって歩いていく。
「どうしたの? 何が……」
追いかけようとして、私は思わず足を止めた。
その木の幹の前に、薄らと白銀に光る人の姿が浮かび上がったからだ。
ううん、きっと、あれは人じゃない。
だって、髪の毛はまるで白銀の毛皮のようで、人間の大人の女性よりもずっと背が高くて、見たこともないほど美人で神々しい。そして、フレイユの兎の耳があるのと同じ場所に、ピンと格好良く立った白銀色の狼の耳がある。
「……まさか、……神獣王妃シルヴァーナ?」
呆然とした表情でマーナが呟いた。
濡れたように光るその神獣族の青い目がフレイユを捉え、そしてふとこちらを見た。
色のない薄い唇が、ほんの僅かに微笑みを浮かべたように見えた。
そして、急速に光は失われていき、暖炉の火が消えるように神獣族の姿も温かさも消えていった。
「待って、……待ってください! どうか、我々のところへお戻りになって、皆を導いてください!」
心の中から絞り出すような悲鳴が、フレイユの口から洩れた。
けれど、光はどんどん小さくなって、やがて掌に乗るくらいの小さな宝珠へと変わり、フレイユの差し出した白い両掌に収まった。
それまで感じていた、私達をここまで導いてきた力も、森の中に満ちていた不思議な空気も、全て消えてしまった。
「……そうですか。あなた様はとっくに命を終えていらしたのですね。私がここへ辿り着くまで、安らかな眠りにつくことなくずっと待ってくださっていた……」
フレイユが、宝珠を両手で包み込むように握り、その手に額を押し付けて慟哭した。
「ご安心ください。これは私が必ず無事に神獣族の里まで持ち帰りますから」
きっと、フレイユが探していた神獣族の秘宝というのは、この宝珠のことだったんだろう。あの白銀色の神獣族は、フレイユが来るまでこのククロの森の奥深くでずっと待っていたんだ。
ククロの森の奥深くに足を踏み入れると生きては帰れない、といわれているのも、きっとさっきまでの不思議な力に惑わされて、迷って行き倒れてしまった人がこれまでに幾人もいるからだろう。
と、温かく慈愛に満ちた光が消えた森の中心部に、不意に禍々しい気配が満ちた。
ハッと身構えて立ち上がったフレイユの表情が凍り付いた。
「やっと見つけたぞ、神獣族の小童」
ザリッ、とブーツで踏みつけたその地面が黒く変色し、周囲の草が力なく萎れていく。
木々の間からゆっくりと姿を現したのは、黒い狼の頭部を持った人型の魔物だった。




