《戦乙女の狼犬》亭
「馬ってあんなに気性が激しかったのですね。知りませんでした」
マークルフに付いて歩くリーナが、心臓の高鳴りが収まらない様子で言った。
マークルフは、笑いながら振り向いた。
「あれは格別、気性が荒いだけさ。馬には乗ったことないのかい?」
「ありますが、私がいた時代は乗馬は娯楽でした。それに私の乗る馬は全て、機械で興奮を抑えられていましたから──」
「なるほど、姫に転倒されたら大変だからな」
古代王国の姫と名乗る少女、リーナとの出会いから一ヶ月ばかりが過ぎた。
最初は見知らぬことばかりで途惑っていた彼女も、日が経つにつれて徐々に慣れた様子を見せていた。この時代で生活していくため、機会があるごとに質問をしては知識を深めようとする姿が目立っていた。
そんな彼女にマークルフは説明を惜しまなかった。彼女の問いに一つ一つ、ときには冗句を交えながら、説明していった。
必然的に接する時間も長くなり、二人は打ち解けていった。
今日もまた、マークルフはある用事で外出するため、まだ城から出たことのないリーナを誘ったのだ。
「私もついてきて良かったのですか……って、ついてきて、こんなこというのもおかしいですよね」
マークルフと並んで城下を歩きながら、リーナは言った。
照れ隠しに笑うあたりがとても愛らしい。
「誘ったのは俺さ。なあに、一人で行くより二人の方が楽しいしな。ずっと城の中でも息が詰まるだろ」
城下はのどかな田園風景が目立っていた。
ここは中央王国と呼ばれるクレドガル王国を囲むように列強国が居並び、六王国地方、または“聖域”と呼ばれている。
六王国地方の南部に広がる旧フィルガス地方──そのまた南端にユールヴィング領は位置する。
元々、ここはフィルガスという王国の一部だった。
“機神”と呼ばれた《アルターロフ》を発掘し、世界制覇のためにそれを復活させようとしたフィルガスは、クレドガル王国を中心とする周辺国との戦いに敗れて滅びた。
祖父ルーヴェンが英雄と呼ばれるようになったのもその時だ。
復活しようとした古代文明の破壊神を、ルーヴェンは同じ古代文明の遺産である強化鎧《アルゴ=アバス》を纏って倒し再度、封印したのだ。
マークルフは隣を歩くリーナに目を向ける。
リーナはよほど物珍しいのか、周囲の光景を飽きることなく見渡し続けていた。
マークルフは一人、肩をすくめる。
英雄の領土といえば聞こえはいいが、大都市とは比べるべくもない僻地の光景だ。それでも姫君には新鮮に映るらしい。
「おや、坊ちゃん! 今日は彼女連れかね?」
道に面した畑で作業に従事していた農民の中年男が手を止めて声をかける。
「俺の姫君さ、羨ましいだろ! そういや腰の具合はどうなんだ? この前みたいにぎっくり腰にならないように気をつけな!」
「そっちこそ、若さにまかせて彼女に腰を──」
マークルフは男が言い終える前に、近くにあった荷台車にわざとぶつかり、道端に落とした。
「おっと、すまねえ」
マークルフは荷台車を引き上げよとする。男が慌てて手伝いに駆け寄った。
(てめえ、相手を見てものを言え)
マークルフはリーナに聞こえないように小声で言った。
(す、すいません、坊ちゃんの彼女だからああ見えて何でもありだと──)
(次に余計なことを言ったら、てめえをツケの代わりに狼犬亭で働かせるぞ)
(そんな、何年もタダ働きなんて、あ、でも女将さんと住み込みで働くのなら──)
(そん時は孫娘に手を出そうとした変態の噂を流してやるさ。何なら、今からでも流してやろうか)
二人が荷台車を引き上げる頃には男の顔はにわかに青くなっていた。
「大丈夫ですか? お顔の色がすぐれないようですが?」
リーナが心配そうに男に言う。
「暑いからな。少しバテたらしい。まあ、休めば大丈夫だってさ」
「そうですか。気をつけてくださいね」
気遣うリーナの背後で、マークルフは鬼の形相で男に睨みをきかせる。
平身低頭の男に見送られながら、二人は再び歩き出した。
「坊ちゃんって呼ばれているのですね」
リーナが言った。
「まあな。俺の祖父様が領地の見回りする時、よくついていったんだ。その頃から“若様”とか“坊ちゃん”とか呼ばれてるんだ」
「領民に慕われているのですね。私はあまり領民と接する機会はありませんでした」
「元は成り上がりの傭兵だからな。お互い、気楽なもんなのさ」
「ところで、マークルフ様?」
「何だ?」
「腰を酷使するような何かをされているのですか?」
リーナが真顔で訊ねるのを見て、マークルフの表情が固まる。
「マークルフ様?」
「い、いや、槍術の訓練は思う以上に腰を使うんでね」
「そうなのですね。武芸の修練も忘れないなんて素晴らしいことですわ」
感心するリーナの眼差しに、マークルフは何となく後ろめたさを感じる。
(これは予想以上にお姫様だな……部下たちの会話はとても聞かせられん)
マークルフたちが辿り着いたのは、城下の外れにある小さな酒場だった。
入り口にかかった小さな看板には《戦乙女の狼犬》亭と描かれていた。
「俺の二つ名と同じ名前なんだよ」
「二つ名?」
「そうさ。ここいらの傭兵は自分を売り出すための二つ名を持っていてな。俺の二つ名は先代のルーヴェン=ユールヴィングのそれをを受け継いだ“戦乙女の狼犬”なんだ」
マークルフは得意満面で答える。
「このお店はマークルフ様たちと関係があるのですか?」
「先代からのなじみの店さ。ここにいる女将と祖父様は古くからの付き合いなんだよ」
「すると、名前が同じなのも何かの縁なんですね」
「それはよく知らないんだ」
マークルフがそう答えると、リーナはきょとんとした様子を見せる。
「祖父様も、女将も、自分が先に名前をつけたと主張しているのさ。本当のところは俺も知らないんだ。両方にも訊いてみたが、どっちも本当のことは教えてくれなくてな」
「もしかして喧嘩でもされていたのですか?」
マークルフは手を横に振った。
「そんなんじゃねえよ。その方が面白いって、祖父様たちが話を合わせているだけさ。まあ、二人だけの秘密ってやつだな」
「そうですか。おふたりとも夢のある方なんですね」
リーナがそう答えると、今度はマークルフが意外そうな顔をするが、すぐに笑った。
「それはいい。女将に言ったらきっと喜ぶな。だが、祖父様を呼ぶ時には、もっといい言葉がある。次からはそう呼んでほしい」
「どうお呼びすればいいのですか?」
マークルフは悪戯っぽい笑みを見せながら言った。
「“ほら吹き”さ──」
「フィー、外のカゴを持ってきておくれ」
「どのカゴなのー?」
フィーは、店の奥にいる祖母に向かって大声を返す。
「小屋の隅に置いてある一番大きなカゴだよ」
「わかったー」
フィーは元気よく返事をすると、祖母のいいつけ通りにカゴを取りに行った。
フィーは《戦乙女の狼犬》亭を一人で切り盛りする女将の孫娘だ。
看板にあるような凛々しく美しい戦乙女になるのを夢見ているが、それにはまだ十年以上は必要だろう。それでも祖母を助けて店を手伝い、健気さと元気の良さで立派に看板娘を務めていた。
庭の隅にひっくり返して置いてあるカゴを見つけると、フィーはそれを抱え上げた。
────
カゴの中に何かがいた。
それは鉄兜のようだった。よく見ると、いや、視線を外せずに凝視すると、それが巨大な鉄の頭で、首だけが地面から現れているようだった。
トン
フィーはカゴを置いてそれを覆い隠すと、慌てて引き返す。
少しして、フィーはホウキを持って戻ってきた。
フィーは頭上でホウキを振り回す(真似をする)と、“だんしゃく”直伝の見得を切る構えをした。
「……」
フィーはほうきの柄をカゴに向けて伸ばすと、同じく男爵直伝のめくり芸を以て、恐る恐るカゴを持ち上げる。
だが、そこには何もいなかった。
カゴを降ろすと、フィーは周囲を見るが、変わったところは一つもない。
フィーは気のせいかと思い、ホウキを置くと、再び近づいてカゴを持ち上げた。
カゴを持ち上げると同時に地中から鉄の頭が浮かび上がったが、フィーと目(?)が合うと、鉄の頭はそそくさと地中へと消えた。
フィーはしばらくその姿勢のまま固まるが、ゆっくりとカゴを降ろすとちょんちょんと爪先で地面を叩いてみた。
普通に固い地面だった。
「……ば、ば、ばあちゃーーーん! なんかでたーー!!」
「やれやれ、騒々しいね。フィー! 特別なお客様が来てるんだから静かになさい!」
「元気なお孫さんですね」
リーナは女将と孫娘のやりとりを微笑ましく思いながら言った。
彼女は貸し切り状態で広く空いたカウンター席にひとり座っていた。
「どうも、すみませんね。お口に合うかは分かりませんが──」
そう言いながら女将は暖めたミルクを彼女の前に差し出す。
リーナはそれを手にとり、そっと口をつける。
「おいしいです。ありがとうございます」
リーナが笑みを向けて言うと、女将もにこやかに会釈する。
「しかし、長生きはするものですね。古代王国の王族の方がお客として来るとは思っていませんでした。亡くなった先代様も今頃、あの世でうらやんでいるかもしれませんね」
「女将さんも私のことを信じてくださるのですか?」
リーナはいまだに疑問に思っていることを、思い切って訊いてみた。
「ここの人たちは皆さん、私を本物の王女として接してくださり、とても嬉しく思うのですが、何か拍子抜けしたようで──いえ、どうか、気を悪くしないでください」
女将はリーナの戸惑う様子を見て、逆に微笑んだ。
「ええ、信じております。それに、わたしたちは若様の言葉を信じるだけ、それが本当か嘘かは関係ないんですよ。少なくとも、ここで暮らす者にとっては──」
リーナはそれを聞くと、手にしていたコップをコンとカウンターに置いた。
「おや、どうかされましたか、姫様?」
「いえ! 感銘を受けたのです! 素晴らしいですわ。領民の方たちからそこまで信頼されているなんて。しかも私と歳も違わないのに──さすが、英雄の名を継ぐ方ですわ」
「ふふ、そんな堅苦しいものではないですよ」
「いいえ、エンシア王族にあのように民に慕われる心があったなら、きっとエンシアは災厄を後世に遺して滅亡することはなかったでしょう」
リーナは後ろを振り返る。
「その丘の上で祖父様は言ったんだ──『傷跡が戦士の勲章であるなら、大地の悲痛な叫びが聞こえるこの光景こそが、儂の勲章だ』ってな」
マークルフは店の中央のテーブルに片肘を置いた格好で、一目で鼻高々と分かる調子で雄弁に語り続けていた。
話の題目は傭兵部隊《オニキス=ブラッド》の隊長マークルフと、先代の隊長ルーヴェンとの間の、いままで語られることのなかったエピソード──領地の外れにある丘で幼いマークルフに祖父が語ってきかせた一連の話と、現在でもマークルフはたまにその丘に訪れては、それを思い出しているという話だ。
マークルフの話を、数人の男女がそれぞれにメモに筆を走らせている。
「酒場に用があるとは聞いていましたが、何かの取材なのですね」
リーナはミルクを口にしながら、マークルフの演説に耳を傾けていた。
「傭兵ギルドの取材ですよ」
女将が答える。
「この地には傭兵たちの仕事斡旋や情報交換を生業とするギルドがあるんです。傭兵に関する情報を集めた冊子も行しているんですよ」
「そうなのですか。この時代にもそういうのがあるのですね」
リーナは興味深く、取材の様を眺めた。
年配の男がマークルフから話を聞き出し、もう一人の助手らしい男がメモを取っている。そこから少し離れて、若い女性がマークルフの姿をスケッチしているのが見えた。
「でも光栄です。偉大な英雄の知られざる一面をじかに聞けるのですから──」
「ふふ、そうですね、わたしも初耳ですよ」
「だったら、なおさらですわ。親交の深い女将さんまでが知らなかった話をいち早く耳にできるなんて──」
女将が一瞬、苦笑を浮かべたが、リーナはそれに気づくことなく若き男爵の雄弁に耳をすませていたのだった。