目覚めた眠り姫(3)
「あーー、あたしもお話聞きたかったなぁ」
タニアは酒場の椅子に座りながら、いてもたってもいられずに足をジタバタさせた。
「ごめんね、タニアちゃん。もう少し待ってね。何しろ大事なお客様らしいから」
女将はカウンターで花の茎を切りそろえながら丁寧に花束を用意していた。
「だいたい男爵様だって普段は花なんて見向きもしないのに、こんな時だけ……」
不満を漏らすタニアに女将は笑う。
「そんなものじゃないかしら。でも、思いだすわ。昔はよく先代様にこうして花束を用意したのよ」
「そうなんですか? やっぱり、先代様は英雄と呼ばれただけあって、粋な方だったんですね」
タニアは英雄ルーヴェンを肖像画でしか見たことはなかった。空想で英雄と(少し若めの)女将の姿を思い浮かべる。昔馴染みの間柄の二人が花の前で談笑する姿は、きっと絵になる光景だっただろう。
「そうね。戦う相手へ殴りかかるのに使ったりしたわね」
「……え、殴る?」
「ええ、それに食べたりとか」
「食べる!?」
「一度、そうとは知らずに食べたらいけないものを渡したことがあってね。あの時は本当に大騒ぎしたけど、いまではそれも良い思い出ね」
にっこりと微笑む女将。
「若様も、いま会われている方といい思い出ができればいいわね」
女将がまるで我が子か孫の幸せを祈るように目を閉じる。
心温まる光景のはずだが、タニアには花束で襲いかかる男爵しか思い浮かばなかった。
城に戻ったマークルフは、その足で客室へと向かった。
衛士の見張る部屋の前には、城で働く使用人が野次馬となって集まっていたが、マークルフの姿に気づくと慌てて道を開けた。
マークルフが部屋に入ると、侍女たちがベッドを囲っていた。
例の少女はベッドの上で身体を起こしながら、差し出された杯の水に口をつけているところだった。
少女はマークルフの姿に気づくと、どうしていいのか分からないのか、ぎこちない様子で会釈する。
向けられたその青い瞳は、少女の姿をさらに美しく飾る碧玉のようにも思えた。
思わず見とれるが、使用人たちの目もあり、すぐにいつもの不敵な笑みに戻る。
「おっと、そんなに畏まらなくたっていいさ。あんたは当主の俺が招いた客人だからな」
マークルフはそう言ってベッドの脇の椅子に腰掛ける。
「どうだ、自分のことは覚えているか」
「……はい」
マークルフの問いに少女は静かにそう答える。その振る舞いからはやはり、気品が感じられた。
「自己紹介しないとな。俺の名はマークルフ=ユールヴィング。クレドガル王国の男爵だ。まあ貴族と言っても成り上がり者の家系で、傭兵部隊の隊長と言った方が分かりやすいかな。それであんたの名は何ていうんだ?」
「リーナ=エンシヤリスです……エンシア王国の国王リカオーン四世の娘です」
「エンシア?」
マークルフは眉を潜めた。
エンシアといえば、古代高度文明期の世界を支配した王国の名だ。
すでに滅び、僅かな技術の残滓を後世に遺しているが、エンシアの名を継ぐ王国は現在に至るまで現れていない。
「突然、こんなことを言って申し訳ありません。侍女の方からエンシアがすでに滅びていることは聞きました」
少女の面持ちが沈痛なものに変わる。
少なくともマークルフの目には、彼女が嘘を言っているようには見えなかった。
「良ければ最初から話を聞かせてくれないか? 話せるだけのことでいい」
「……はい」
マークルフとその背後で侍女たちが見守るなか、少女はやや間を置いて自分の身の上を語り出した。
「私は皆さんが古代王国と呼ぶエンシアの王族の一人です。エンシアは科学と魔導力学に支えられた国でしたが、ある事件により壊滅の危機を迎えました」
「──《アルターロフ》か」
マークルフの表情が忌々しげになるのを見て、少女の口が止まる。
「おっと、悪い。先を続けてくれるか」
「……はい。《アルターロフ》により王国が、いえ、地上そのものが壊滅の危機に瀕した際、私は地中を自在に動ける鉄機兵に乗せられて、地中深くに避難させられました。王族の血を絶やさぬため、後の世にエンシアを復興させるために……その後のエンシアがどうなったかは分かりませんでした。私は鉄機兵のなかで眠り続けていたのです」
少女──リーナがマークルフの返事を待つように見つめた。
「……気の毒だが《アルターロフ》は封印はしているが、未だに存在している。滅ぼす手段も見つかっていない」
「そうですか……やはり、父上たちでも、どうにもできなかったのですね」
「そうらしいな。まあ、伝承では“闇”の力と対になる“光”の“神”の軍勢が現れて、機神を封印したらしい。それにエンシア王族の血は絶えてはいない。俺の仕えるクレドガル王はその古代王家の血を引いているからな」
クレドガルは古代王国と最も縁のある王国として、古くから存在する。
その王家は古代王族の末裔とされており、周辺諸国の盟主的な立場でもある。
ただ、それはエンシアの名ではなく、クレドガルの国力によるものであったが──
「永いこと眠っていたみたいだが、正直、いまも問題は山積みというところだな」
マークルフの言葉にリーナは明らかに意気消沈していた。
少女の話を信じるなら、彼女は一人、自分の住んでいた世界とは全く違う世界に投げ出されたのだ。しかも、故国を破滅に追い込んだ元凶はいまだに健在だ。
一度にそれらを聞かされても、どうすれば良いか、分かりはしないだろう。
「……私は地上に戻ってくるべきではなかったのかもしれません」
リーナが目を伏せて悲しげに言う。
「父王は《アルターロフ》の消えた後の世で王国復興をするために、私を逃がしたのです。ですが、いまの現状では私は何の役にも立てそうにありません。いえ、かえって混乱を招くかもしれません」
「それじゃ、どうするつもりなんだ? また、あの巨人のなかで眠っているつもりか?」
リーナは黙ってうなづいた。
「……あんたがお姫さまってのは多分、本当なんだろうな」
マークルフは気づいていた。
王女としての振る舞いのなかに、何も分からぬまま負わされた重責に潰れそうな少女の姿を──
最も祖父を尊敬していたが故に、その跡を継ぐ重荷から逃げたかった昔の自分と同じ姿を──
「こういう時は高貴な身分や義務感が邪魔して、なかなか弱音を吐けないもんだからな……よしッ」
マークルフは立ち上がる。
「だったら、俺があんたの家臣になろう。一度、王女を守る騎士っていうのをやってみたかったんだ」
マークルフは振り向くと、聴衆の後ろに控えていたログに目で命じる。
ログは頷くと部屋の外に出た。そして少しして、家宝の黄金の槍を手に戻って来る。
マークルフは槍を受け取ると、珍しそうに見つめるリーナの前で槍を構えた。
「《戦乙女の槍》と呼ばれる我がユールヴィング家の家宝だ。エンシア式の儀礼は正直言って、よく知らなくてな。代わりにこれを契約の証でどうだ?」
リーナがマークルフの顔と差し出された槍を交互に見る。どうすればいいのか躊躇しているように見えた。
「せっかく、地上に戻ってきたんだ。しばらくはここにいて地上がどうなったか知るのも悪くないだろう。嫌になったら、その時にあの巨人のなかへ戻ればいいさ。もちろん、無作法者の田舎男爵で良ければの話だが──」
少女はしばらく槍を見つめていたが、やがて、おずおずと自分の右手を差し出し、槍を握るマークルフの手に添えた。
その手は細く、柔らかかった。
「私もこの国の作法は分かりません。これで代えさせてください」
リーナがはじめて安堵の笑みを浮かべていた。
「私のこと、信じてもらえるのですね」
「もちろん。俺は人が信用できるかどうか、見る目はあるつもりだ。あんたは嘘をついてはいない。信じるさ」
「そう言う閣下が一番、信用のできない人かもしれませんけどね」
侍女の誰かがそうこぼすと、周囲にいた他の侍女や兵士たちも思わず笑う。
「何を言うか。なじみの酒場でツケはしても、おまえらの給金をツケにしたことはねえぜ。これほど良心的なことはあるまい」
マークルフも負けじと笑い返す。
リーナもまたきょとんとするが、すぐに微笑みを浮かべた。
臣下に気さくに接するマークルフの姿に緊張が解けたらしい。
「ともかく、あんたは今日からここの姫君だ。エンシアの王城とは比べものにはならないが、遠慮なく何でも言ってくれ」
「はい。ありがとうございます。皆さんもご厄介になります」
しばらく、この美しき乙女の“狼犬”でいるのも悪くはない──
マークルフは槍を見つめながら、そう思うのだった。