その命運、ここに断ち切る(2)
「アード、装置がどっかおかしいんじゃねえか?」
「いや、装置は正常っすよ、ウンロクさん」
「そうね……こんな記録は──誤動作の記録も含めて、見たことはないわ」
破壊された研究所から避難したエルマたちは、近くの丘に陣取っていた。
“機神”の悲鳴のような混乱、対生成機関による発光現象の消失──男爵が善戦していると知った彼らは、持ち出した機材から測定装置を修復し、戦況を少しでも確かめようとした。だが、装置を再起動させると同時に測定したのは、分類ができない謎の力だった。
「……いったい何が起こったんすかね──」
「男爵よ」
計器と睨み続けるマリエルが告げた。
「反応から推定できる出力レベルは《アルゴ=アバス》に酷似しているわ。それもこの反応がこの距離まで“聖域”の干渉を無視して届いているなら、この“力”は現在、うちらが知るどの種の力でもないことになるわ」
マリエルの冷静な分析に、ウンロクは驚愕の表情を浮かべた。
「ヒエェ、男爵の偽造技術にはあっしも一目置いてましたが、とうとう新しい力まででっちあげるまでになりやしたか」
「……もう少し、科学者らしく驚きましょうよ、ウンロクさん」
アードが呆れて言うが、その表情には力が戻っていた。この絶望的な状況に希望を見いだしたからだろう。それはその場にいる全員も同じだった。
「そうね、こんな興味深い現象、見せられては死ぬに死ねないわね」
マリエルが少しでも記録を残そうと、白衣に忍ばせていたメモに鉛筆で記入を始める。
「ともかく!」
エルマは部下達の真ん中に立つと、腕組みをした。
「男爵が謎の不思議パワーで“機神”をボッコボコにしているというわけなら、うちらがこれからすることは只一つ!」
「どうするんです、姐さん?」
「この新現象を材料に、研究所の再建資金をさらに集める方法を考えるのよ」
周囲は沈黙に包まれた。
「……姉さん、科学者としての矜持とか、そういうのは──」
「そんなの、後で男爵にこっそり教えてもらえば済む話よ」
「姐さん。さすがにそれは身も蓋もないかと──」
「そんなことないわ。科学者はね、お金を自分で集めてなんぼの商売なのよ」
エルマは拳を握って毅然と答える。
「た、大変っす!」
アードが血相を変えて、測定装置の向きを変えて、エルマたちに見せる。
表示計は強大な魔力の反応を示していた。その数値を示す針は左右に振れながらも上昇を続け、測定限界値に張り付く。だが、計器の挙動からその魔力が上がり続けているのは、そこにいる者全員が経験から判断できた。
「お、おい。これは本当に計器が故障したんじゃねえのか?」
「そう思いたいんすが、やっぱり壊れてはないっす」
部下二人のやり取りを無視し、マリエルが表示を凝視する。
「“聖地”の干渉が働いている……それでもこの反応……逆算が正しければ、この近辺まで破壊するほどの凄まじい魔力だわ」
「だ、男爵じゃないんですかい? きっと、切り札のあれを──」
「おそらく、違うわ。〈アトロポス・チャージ〉はもっと効果範囲が限定されるはず。こん無差別な発動はありえない……」
「そうね、“機神”が最後の手段に出たというところかしら」
エルマは空を見上げた。白み始めた夜空を覆っていた鋼の触手がいつの間にか姿を消していた。それは残った力を本体に全て集めたと見るのが自然だろう。
「お、落ちついてますね、姐さん」
アードが再び絶望的な表情を浮かべるなか、エルマはため息をついて、体格の割に気弱な、だが愛すべき部下の頭を軽く小突いた。
「さっきから言ってるでしょう。うちらがしなければいけないのは再建資金をどうするかって。後のことは男爵が戻ってきてから、訊けばいいのよ」
エルマはもう一度、腕組みをして断言した。
部下たちは再び沈黙したが、今度は誰一人、閉口する者はいなかった。
王都の外れの丘に、大公バルネスが自ら身を預けていた“教会”の神殿が存在する。
古代文明技術と距離を置くここは発掘された機械類はなく、定期的な討伐活動により魔物の棲息もほとんど許していなかった。そのために“機神”の暴走の被害が最も少なく、現在は人々の避難先となっていた。
バルネスは神殿の窓から外を睨む。
空を覆っていた“機神”の触手が消えたことで、暴走していた機械は止まり、魔物も逃亡した。しかし、王都の上空には地上から放たれる真紅の光を受けた暗雲がうごめき、災厄はまだ終わっていないことを示している。
(ルーヴェン……我らの力、及ばなかったな)
バルネスは亡き戦友に無念を伝えると、眼下の光景に目を向ける。
神殿内だけではなく、神殿の外にも避難してきた人々の姿が丘を埋め尽くすように広がっている。怪我人の姿は絶えず、布を敷かれた亡骸の数も増え続けている。
バルネスは手にしていた杖を両手で支え、自分の額をそこに押しつける。
災厄も悪意も、老若男女の区別なく牙を向くことは、長い人生でよく分かっているつもりだ。だが、小さすぎる骸布が目に入ると、やはりいたたまらなくなる。
あのフィルガス戦役の再来を防ぐため、ルーヴェンは様々な遺産を残し、自分はそれを影から支えてきた。だが、その尽力も全てがふいとなったのだ。
神殿内外で怒号が響き渡り始めた。
バルネスは顔を上げると一人、声の集まる方に向かった。
怒号に金属が叩き付けられる音が混じる。
辿り着いた神殿内の広間で目にしたのは、破壊された外壁の近くに倒れた鉄機兵の姿だった。
神殿も決して無傷ではない。少ないとはいえ、鉄機や魔物の襲撃にさらされていたのだ。
「クソッ! クソッ!! 俺の女房を返せ!!」
「俺にもやらせろ!」
「何が“聖域”よ! こんな悪魔が何で! 何でいるのよ!」
“機神”の力が途絶え、機能を停止した鉄機兵の周りには人々が殺到していた。
手にした石や農具などで鉄機兵を完全に破壊しようとしている。なかには魔物の死体まで潰そうとする者までいた。誰もが恐怖が蘇ることを怖れているのだ。
「大公閣下、ここにおいででしたか」
遠慮がちに声を掛けたのは、この神殿で暮らす神官だった。この神殿に身を預けることになってから何度か顔を合わせている痩身の男だが、その神官衣も血や泥で汚れていた。
「貴方も無事だったか」
「無事にはほど遠いですが、負けてはいられません。“神”はまだ私にこの地上で働くことを望んでおられるのでしょう」
神官の目はこの災厄の前でも強い意志を失っていなかった。だが、人々の姿を見るとさすがに“神”に祈るように目を伏せる。
「……大公閣下、ここにはあまり居られない方が宜しいでしょう」
「わたしが古代文明の研究を支援しているからかね?」
「申し上げにくいですが……大公閣下は援助者としては有名なお方です。いま人々の目につけば──」
「……そうだな、そうするとしようか」
「狭いですが、人目をしのげる個室を用意いたしました。ご案内いたします」
神官は丁重に頭を下げると案内のために先に歩き出す。
バルネスは後に続いた。
この身は惜しくないが、このまま死ぬこともできない。ルーヴェンが育て上げた若き“狼犬”はいまも“機神”と戦っているはずだ。その結末を見届けることが、二度の悪夢を生き残っている自分のせめてもの役割だと思ったのだ。
やがてバルネスたちは神殿の片隅にある通路に差し掛かる。
「……しかし、悲しいものだな」
バルネスの嘆きに似た呟きに、神官は振り返る。
「例え、“機神”の脅威が去ったとして、人々の心には悪夢と恐怖は残り続ける」
「……それは確かに悲しいことです。ですが、その恐怖に打ち克つため、“神”の僕たる我々はいます。どうか、お気を落とされませぬよう」
「すまないね。だが、やはり悲しく、そして怖ろしくすらある」
立ち止まった神官が慰めるが、バルネスのその横を通り過ぎる。
「多くの人々が悪夢と恐怖で苦しみ中でも、人の悪意は途絶えることはない……いや、その災厄すら影にして暗躍し、あまつさえ、それを利用しようとする、救いようのない悪党と言った方が良いかな」
バルネスは立ち止まった。
「この神殿には傭兵上がりの神官戦士がいてね。実はその者からいろいろと神殿内について教えてもらっている。まったく、我が戦友の作りだした傭兵の情報網は、どこでどうつながっているか分からないものだよ」
「そんなことが……しかし、まったく気づきませんでしたな」
「そうでしょうな。実は差し入れでお願いしていた傭兵ギルドの雑誌に載せてもらっていたのですよ。暗号になっているので検閲しても気づかんで当然だろうね」
バルネスは手にした杖でトンと床を突いた。
「この建物には不案内だったのでね。万が一のために、神殿内の作りについてもこっそり教えてもらっていた。だから、ここは裏口に続く道で、貴方の言うような個室はないと思ったのだが、わたしの勘違いかな」
神官からの返事はなかった。
「ここでわたしが逃げだしたと吹聴され、激怒した民に私刑にさせれば、わたしの名声は地に堕ち、フィルディング一族としては随分と動きやすくなるだろうね」
バルネスは厳しい目で振り向いた。
「……気分はどうかね? 誰もが恐怖に逃げて怯えるなか、裏で歴史を動かせる任務に動くというのは? さぞや爽快だろう」
床に血が落ちていく。身体に刺さった短剣の刃から血が滴り落ち、床を点々と血に染めていく。
「だが、自分は特別だと思わんことだな……死は誰にも平等だ。“機神”の手にかかるか、老いぼれ一人にかかるか、その違いにしかすぎんのだよ」
襲いかかろうとした神官の手から短剣が落ちる。その胸にはバルネスが仕込み杖から抜いた刃が突き刺さっていた。
「だが、救いも平等であるべきだ……言いたまえ。雇い主は誰かね? そうすれば命は助けようではないか」
「……わ、分からない……だが、そうすれば……“機神”の災厄からも……守ってくれる……と、じ、実際、魔物も機械もわたしは……狙わなかった……し、仕方なかったんだ……」
バルネスは杖の刃を抜いた。
神官は傷口を押さえてうずくまるが、すぐにその場から逃げだす。深手を負っているが足の弱ったバルネスには追いかけることはできなかった。
「……お、おーーい! 大公が逃げ──!?」
叫ぼうとした神官は言い終えることなく、前のめりに倒れた。そして二度と起き上がることはなかった。
バルネスは脇に挟んで狙いをつけていた杖の鞘を持ち直すと、刃をしまい込んだ。
杖には仕込み刀ともう一つ、仕掛けがあった。鞘自体が消音器付きの銃になっているのだ。それを作ったのはエルマだ。
「やれやれ、これでまた研究資金をせびられるな」
今後は風当たりが強くなるだろうが、優れた頭脳とそれに囚われない奔放な感性を持つ娘は、この程度の逆境では諦めないだろう。
(ルーヴェン、お前は言ったな──勝てば終わる戦いはないと──)
だから、いかに戦いに人を惹きつけ続けるかが真の勝負になるのだ。
「……死ぬまで楽隠居はできそうにないな」
人を惹きつけるには老いぼれたが、世界を舞台とする主役たちの引き立てぐらいはまだできるだろう。
「いまの声は!?」
「大丈夫でございますか!!」
神官たちが駆けつけるのを聞き、バルネスはその場に自ら尻餅をついた。
「おお、すまない。賊が裏から押し入って、神官どのが──」
『うおおッーー!!』
咆哮の如き叫びと共に黄金の《アルゴ=アバス》の双剣が“機神”の巨体を大きく切り裂く。しかし、その傷は瞬く間に修復していく。
『まだまだ!』
マークルフは右の“魔爪”を“機神”の傷口に突き刺し、その力を開放する。破壊の力が周囲の鋼糸の分解しながら、内部へと浸透していく。斬るだけでは簡単に修復されるため、直接、傷を抉る方法を執ったのだ。それも、王都一帯を吹き飛ばすだけの魔力を“機神”から少しでも奪うためだった。
『それぐらいでは止まらんぞ!!』
ヒュールフォンの怒声と共に、刃の刺さった箇所を中心に“機神”の一部が分離した。排除された機体の一部が鋼糸の束となってマークルフを包み込む。
“機神”の顔の甲殻が輝き、強烈な光線が鋼糸の繭となったマークルフを射貫き、閃光がその姿を呑み込んだ。
『それはこっちも一緒だ!!』
魔力の光線が幾筋に分かれ、やがて見えない反発に押されて周囲に四散する。
その中心には左手甲の“楯”を展開したマークルフの姿があった。
『なら物理攻撃ならどうかな!』
“機神”が右腕を振り上げ、巨大な鉄拳が迫る。
マークルフは“魔爪”で切り刻もうと両腕を振るうが、その眼前で“機神”の右腕は無数の触手となって拡散し、マークルフの周囲を取り囲む。
『マークルフ様、気を付けて! 狙い撃ちにされます!』
リーナが警告の声をあげると同時に、触手に並ぶ無数の甲殻から光線が発射される。
「分かってるさ!」
マークルフはリーナにだけに伝えると、全方位から放たれる光線を次々にかいくぐって避けていく。
「だが、頭に血を上らせて、魔力を無駄遣いしてくれれば好都合だ!」
戦いはある意味、膠着していた。
ただ、“機神”を倒すだけなら現在のマークルフでも可能だ。そのためには魔力を使い切らせればいい。しかし、その前に“機神”の意思となったヒュールフォンは残る魔力を使って“自爆”するだろう。逃げることはできない。それは周辺地域の人々を見捨てることになる。
だが、ヒュールフォンも自爆は最後の切り札のはずだ。できるなら現存する力でこちらを倒したいだろう。ならば苦戦を演出し、少しでも向こうに魔力を消費させながら、こちらの“切り札”が来るのを待つしかない。それも向こうにそれを気づかせないようにしつつ、だ。
『マークルフ様!』
リーナの声と同時にモニターに周囲の映像が浮かぶ。
「何だと!?」
“機神”はただ魔力の光線を放っているのではなかった。ある甲殻から放たれた光線はマークルフに避けられると、その射線上に待ち構えていた別の甲殻に着弾し、その魔力を吸収していたのだ。
光線の数が増し、周囲の空間に複雑な網目模様を作るように、マークルフを追いつめていく。『チィッ!』
回避の間に合わない光線を“楯”で受け止めるが、瞬く間に全方位から光線が降り注ぐ。
『クッ!?』
『キャッ!?』
光線の幾つかがマークルフを捉えるが、すぐにバーニアを拭かすと近くの触手に迫り、それを斬り落とす。それが受け止めるはずだった光線が流れ弾となって“機神”自らにに命中すると、それで生じた隙を突いて、触手の包囲網から飛び出す。
「限りある魔力を有効的にか──でかい図体の割にケチくさい疫病神だぜ!」
『マークルフ様! あれを──』
リーナが示したのは触手の一つだ。それだけがマークルフではなく別の方向に伸びている。その先端からは巨大な魔力の反応を捉えた。
『ヤロウッ!!』
触手が魔力の光線を放つが、それは間一髪、その前に飛来したマークルフが“楯”で受け止めた。そうしなければ光線は先にある街に被弾していただろう。
だが、その時には再び触手の包囲網は完成し、またしても光線の嵐がマークルフに襲いかかる。
『逃げられはせんぞ! すでにこの一帯の避難地は全て把握している。逃げればせっかく逃げ延びた者たちが巻き添えになるぞ!』
光線の数がさらに増していく。被弾する度にマークルフの姿は翻弄され、それでも躱し続けるしかなかった。
「リーナ、大丈夫か!」
『は、はい! でも、このままでは──』
「なに、ここからが勝負だ」
マークルフは追い込まれなお不敵な笑みを浮かべた。
「“闇”と戦う俺たちに、“光”はちゃんと味方してくれているようだ」
マークルフは周辺から飛び込んでくる光の反射に気づいた。
それは姿を現し始めた朝日を受けた鏡の反射だ。
それは“機神”に気づかれないように間隔を置き、しかし、的確にマークルフに合図を伝えていた。
「リーナ、もう少しだけ頑張ってくれ。ヒュールフォンの注意をこちらに引きつけるんだ」
『分かりました。やるぞ、くず石ども──ですね!』
「おい、どこでそれを覚え──」
マークルフは光線をあわやで避けると、開き直るように笑った。
「仕方ねえ! 磨けば光るクズ石も、あんなゲテモノの光線に削られるのだけはゴメンだ! 今回だけは俺が応えてやる────オオッ!!」
マークルフは気合いの声をあげると、相手に気づかれないように密かに計算を始めた。
「ちゃんと男爵に伝わっているでしょうか、ログさん!?」
“機神”に防戦を強いられる《アルゴ=アバス》の姿を前に、タニアは焦りの顔を向ける。
「大丈夫だ。閣下はどのような時も合図を見逃す方ではない」
ログは部下に合図を送る。部下は手鏡を動かし、周囲に散らばって協力している傭兵たちににその合図を伝達する。
「後は任せる。頼むぞ」
ログは振り返ってこの作戦の適任者に声を掛けると、他の者たちには急いで撤退を指示する。
ログの背後には、全身に深い傷を負いながらも《戦乙女の槍》を手にする《グノムス》が控えていた。
マクルーフの視界に眩しい光が奔る。
それは遠方に連なる山の尾根からこぼれ落ちた太陽の光だった。
「いくぞ!」
『はい!』
マークルフは《アルゴ=アバス》の推進装置を全開にすると、光線の嵐を突き抜けて急加速する。
マークルフは両腕を胸の前で交差させた。両腕の組み合わさり、右腕に合体手甲が完成する。
『“その命運”──!』
合体手甲から一対の“魔爪”が前に迫り出し、大きく左右に開く。
それは巨大な“鋏”のようであった──いや、まさしく運命の糸を切る鋏、《アルゴ=アバス》の最後の切り札〈アトロポス・システム〉だ。
同時に、陽光を背にした《アルゴ=アバス》に向かって、黄金に輝く“矢”が飛来する。
それは《戦乙女の槍》だ。周囲に配置された傭兵たちの位置、そして日の出の方角と時刻の全てが重なる、この一点に向かって放たれた、もう一つの勝利の切り札だった。
マークルフは槍を掴むと、その穂先を“機神”に向けた。
『させるか!!』
“機神”から無数の触手が襲いかかり、《アルゴ=アバス》の四肢と、槍に巻き付く。
『──“ここに断ち切る”!!』
マークルフは〈アトロポス・システム〉を発動させた。
巨大な“鋏”が赤熱し、唸りをあげる。それに挟まれた《戦乙女の槍》もまた目映い光を放ち始めた。
『──なにッ!?』
槍と右腕に絡まっていた触手が瞬く間に蒸発する。
合体手甲の一対の“魔爪”によって《アルゴ=アバス》の全出力を集中、制御し、手にする武器に膨大な破壊力を付与する〈アトロポス・システム〉──付与できる力は武器の強度に比例しており、決して折れることのない《戦乙女の槍》は、全てを粉砕する絶対の武器へと変貌する。
“機神”は四肢をさらなる触手で縛り、八つ裂きにしようと力を込めるが、《アルゴ=アバス》の全身が輝き、装甲の放つ“力”に触手はことごとく粉砕された。
“機神”に向けられた神槍は凄まじい“力”を内包した光の槍と化し、周囲の空気を震わせる。
『決めさせてもらうぞ! ヒュールフォン=フィルディング!』
ログたちの避難を確認し、《グノムス》も地中へと姿を消すのを見届けると、マークルフはは自ら、光の槍と一体となりながら、“機神”へ向かって突撃する。
『ドブ犬!! 貴様だけは──そのふざけた“力”だけはこの世から消し去ってやる!!』
“機神”の全身の甲殻が全て、マークルフの迎撃に向けられると、その全てから破壊の凶光が放たれた。それは“機神”に残された全ての魔力の解放だった。
『消え去れ!! ユールヴィングーー!!』
『いいえ、消えるのは!』
リーナの言葉が力となって、マクルーフの身体を突き動かす。
『そう、てめえだぁッーーー!!』
マークルフの叫びと共に周囲の全ての景色が閃光に包まれた。
これこそが“闇”を打ち払う“光”と──
先代からの使命を背負い、宿敵に牙を向く“狼犬”と──
世界の破滅の運命そのものである、人造の神に抗う人々の祈りをのせた──
最終攻撃〈アトロポス・チャージ〉の咆哮だった。
王都にいた全ての人々は、天を貫く巨大な光の“柱”を見た。
周囲の雲を吹き飛ばし、空へと消えていくそれは、互いを飲み込もうとしてせめぎ合う二つの“光”を内包していた。紅き凶光と目映い光、混ざり合い、反発する“柱”はやがて収束していく。
“柱”が細くなるにつれ、その光は澄みきったものへと変わり、やがて消滅した。
そして、それ以降、異変は起きることはなかった。
人々はやがて誰からともなく確信し、そして歓喜した。
目に焼き付いた光の残像が、最後に消えることなく残った“希望”の光であったことを──
閃光が消えると共に、“機神”の全身の甲殻からも光が消えた。
《アルゴ=アバス》の持つ槍は“機神”の頭部を粉砕していた。
顔面の甲殻は木っ端微塵となり、その奥に隠されていたヒュールフォンの肉体が剥き出しになっていた。
槍の穂先はヒュールフォンの左胸に埋め込まれた真闇の水晶球に突きつけられていた。
“機神”の放つ魔力を全て相殺し、その全身に破壊の力を叩き込み、そして中枢となったヒュールフォンの“心臓”へと、槍は突き進んだ。
しかし、水晶球へと近づこうとするほどに、そのために必要な力が加速度的に増していき、ついに突撃は水晶球まで髪の毛一本の隙間を挟んで止まったのだった。
ヒュールフォンの口に歪んだ勝利の確信が浮かぶ。
その顔にマークルフは有無を言わせず右の拳を叩き込んだ。
『……もう、いいだろ。憎しみに染まりきった魂は大地に還れないというぞ』
水晶球に亀裂が入った。それは全体に広がり、やがて破片がその内側へと消えていく。そこから覗くのは完全に光から鎖され、〈アトロポス・チャージ〉をもってしても踏み込むことのできない、“闇”の絶対領域だった。水晶球は自壊し、内包する“闇”自らの重力で極微の一点へと凝縮し、やがて消えた。
ヒュールフォンの肉体も塵となり、風に消えていった。
『……終わりましたね、マークルフ様──』
「ああ、“機神”は結局、滅ぼせなかったがな」
新たな“力”が生まれたことで期待したのだが、それでも、“闇”の特異点である“機神”を滅ぼすことはできなかった。
死後硬直のように活動を停止した“機神”から、マークルフは降り立つ。
「それより、リーナ。おまえをどうにかしないとな」
『私は大丈夫です。こうなったことも自分の意思ですから──』
「やれやれ……ここで邪神は滅んでめでたしめでたしが、お約束だろうに──」
まだ、自分の役目が終わる時はないのだ。
気の緩んだマークルフは地面に膝をついた。
《アルゴ=アバス》はともかく、マークルフ自身の肉体は激闘で限界まで消耗していた。
『マークルフ様──!?』
《アルゴ=アバス》の装甲が光の粒子と化して散っていく。
それはマークルフの前で一つとなり、やがて目の前にしゃがみこむ一人の少女の姿をとる。
「リーナ……」
光が消えた時、目の前にはリーナが元の姿を取り戻していた。彼女も元に戻れるとは思ってなかったのか、呆然としながら自分の姿を確かめている。
「元に戻れたのか」
マークルフは疲労しきった顔に、晴れ晴れとした笑みを浮かべる。
「……どうして、でしょうか?」
「さあな……そういうのは研究所の連中に聞け……ば……」
マークルフは前のめりに倒れる。リーナは慌てて受け止め、その頭を自分の両膝に乗せた。
「……すまん、しばらく動けそうにない。さすがに疲れた」
リーナはマークルフの髪をそっと撫でた。
「いいですよ。少し、お休みください。そのうち、お迎えが来てくれますわ」
「そうか、迎えが……」
「ええ。きっと多くの人々がマークルフ様の勝利を讃えて駆けつけてくれますわ」
「……まずい!」
マークルフは慌てて起き上がった。
「ど、どうされたのですか──動けないんじゃなかったのですか!?」
「それどころじゃない! 俺たちが《アルターロフ》を倒したとばれたら、面倒なことになる!」
マクルーフは立ち上がると、リーナの腕を掴んだ。
「どういうことですか」
「いいか。俺たちは“聖域”の中心で、均衡の制約を無視して《アルゴ=アバス》を動かしたんだ。いまや、俺たちは身動きできない“機神”以上に危険な存在になった。正体がばれたら、いままでのような傭兵稼業は続けられなくなる!」
「でも、どうやって、逃げるんですか!?」
“機神”との激闘で周辺はすべて薙ぎ払われ、隠れるところはなかった。
「なに、こいつがいる!」
マクルーフが“お手伝い券”の束を取り出すと、《グノムス》に出てくるように命令した。
「マークルフ様!? その券の束、私が渡した数より多くありませんか!?」
「驚くことはない。これは我がユールヴィング家が代理発行した、互換チケットだ」
「それは“偽造”と言うんです!」
やがて、《グノムス》が地中から姿を現した。
「問題ない。チェック機能はザルだ。グノムス、ハッチを開けろ! 俺たちを地中に逃がしてくれ!」
チケットの山が効果を発揮したのか、それともただ空気を読んだのか、命令通りに胸の装甲を開いた。
「で、でもグノムスは一人乗りで──キャッ!?」
マークルフはリーナを両腕で抱き上げると《グノムス》の中へと押し込む。
「大丈夫だ。詰めれば何とかなる!」
リーナを押し込むと、マークルフも強引に中に入り込もうとする。
「ま、まって──キャッ!? ど、どさくさにまぎれて変なところ、触らないでください!」
「この状況だ! どさくさでなくとも、触らざるをえない!」
「ひ、開き直らないでください!」
「一度は一つになった身だ。気にするな!」
「誤解を招く言い方はやめてやめてください!」
「安心しろ! 誰も聞いてはいない!」
「そう言う問題では──ヒャッ!? や、やっぱり無理です! 強引に入らないで!」
「かまわん、グノムス! ずらかれ!」
リーナの抗議の声も虚しく、《グノムス》の装甲は閉じられたのだった。
しばらくして、王国の兵士達がこの場に駆けつけるも、もはや、そこには誰もいなかった。
ただ、《戦乙女の槍》だけが、勝利の御旗のように地上に突き刺さっていたという。
その間、“戦乙女”とその“狼犬”がどうしていたのか──
それは《グノムス》だけが知っていたが、それが語られることはなかった(ただし、元から口はない)。




