その命運、ここに断ち切る(1)
ログと仮面の剣士シグは何度となく切り結ぶ。
周囲の傭兵たちもその激しい剣技の応酬に立ち入ることもできず、ただ戦いの趨勢を見守っていた。
シグの剣がログの肩を掠る。
ログは後ろに引いて態勢を立て直そうとするが、シグはさらに追いすがり、ログに連撃を繰り出す。ログは両手の剣で受け続けるが、その幾つかがログの身体を掠める。
ログはそれでも反撃の機会を狙い、連撃の隙を突いて反撃の剣を振るうが、シグはそれを後ろに躱した。
「……このまま、負ける気か」
シグは宣告するように剣先をログに向けた。
「何度かの手合わせで感じていたが、おまえは何故、自ら弱点を作っている?」
「……何が言いたい?」
「その左手だ」
シグの剣先が、逆手に構えた左手の短剣に向けられる。
「なぜ、その左手を逆手に構えたままにする? 貴殿の腕ならそれを順手に構えた技も当然、使えるはずだ。むしろ、手の内を制限するような戦い方に固執する理由が解せない……その革手袋で覆っているのに何か、理由があるのかな?」
「貴様には関係ないことだ」
ログは両手の剣を構える。
「親切で言っているのだぞ。わたしがそれに気づいた以上、その固執を捨てなければ貴殿に勝ち目はない」
シグも剣を構え、再び両者は切り結ぶ。
だが、先ほどよりもログは圧されていた。シグの言葉通り、ログが左手を逆手から変えないため、それを突かれた攻撃が容赦なくログに向けられたのだ。
「そこまでして負けたいのか! 世界の命運がかかっているのではないのか!」
ログは両腕を交差させながら双剣でシグの剣を受け止めると、刃で挟み込みながら、シグの剣の動きを止める。
「……何をしている! 早く槍を閣下の許へ──」
「しかし、副長! このままじゃ──」
「言ったはずだ。この男はわたしが引き受けるとな」
ログは力押しでシグを壁際に押しやろうするが、壁に叩き付けられる直前にシグは自らを剣を離すと、壁に足をかけて跳躍する。ログの頭上を乗り越えながら、再び自分の剣を掴むと、そのまま身体に回転をかけて剣を振るう。ログは咄嗟に右手の剣で受け止めるが、無理な受けに態勢が崩れる。シグは身を低くして床に着地すると、バネのように身を起こしながら、剣を下から斬り上げた。剣はログの左腕を斬りつけ、手にしていた短剣が宙を舞った。
「ログさん──!?」
タニアの悲鳴と部下の動揺が周囲の空気を振るわせた。
シグは勝ちを確信したかのように、ログに剣先を向けた。
「あくまで一騎打ちの勝負に徹したのは誉めるところだが、正直、貴殿には失望したよ」
ログは剣を持ったまま、右掌で左腕の傷口を押さえるが、その隙間から血が床へとこぼれ落ちる。
「剣を極めた者同士、全てを出し切った勝負をしたかったが、剣が泣くというものだ」
「……生憎だが、わたしは剣を極めたつもりはない。自分の剣が泣こうが、それもどうでもいいことだ」
ログは剣を振るった。右手に付いた血が飛び、シグの仮面に点々と着く。だが、仮面に阻まれて目眩ましにはならず、ログの剣をシグは躱すと剣を振るう。ログは床に転がりながらも何とかその剣から逃れた。
「……この後のおよんでくだらん真似はよせ」
シグは剣を手にログへと詰め寄っていく。その動きはこれで終わりにする表れのように鋭い殺気を纏っていた。
「残念だ。新たな勇士シグの最初の勝利の剣、貴殿の名と共に戦乙女に捧げたかったが、このような腑抜けでは戦乙女に向ける顔がない」
膝を付いて立ち上がろうとするログの前で、シグが剣を上段に構えた。
「……喋りすぎたな」
「何──」
ログは背後に手を伸ばすとそれを前に投げつけた。同時に飛び上がり、剣でシグへと躍り掛かる。
シグはそれを避けようとするが、その足が乱れた。ログが投げつけた《戦乙女の槍》が床を滑り、足許を通り過ぎたのだ。
だが、その一瞬の隙は剣を極めた者同士の雌雄を決するには十分だった。
槍が止まった時、ログの剣はシグの身体を貫いていた。
「……貴様はただ、父祖シグの名をおのれのものとして欲しただけだ」
剣で貫いたまま、ログは告げた。
「だから、その槍を踏めず、わたしの剣を避けられなかった」
槍を迷わずに踏むば、ログに突けいる隙は与えなかっただろう。だが、父祖の魔剣と同じく戦乙女の化身たる武器であるがゆえに、シグは一瞬、その槍を踏むことを躊躇った。
「……世界の平定と言ったが、貴様の覚悟はそれだけのものだっただけだ」
「……なるほど……わたしの……固執を……見破った……か」
「おまえが自分で喋ったことだ」
シグは自ら剣を引き抜くと、後ろによろめき、それでも倒れるのを潔しとしないのか、壁にもたれるが、やがて壁に血を張り付けながら床に沈んでいく。
「ログさん!」
タニアが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!? 早くその左腕を手当しないと──」
左腕の傷は手まで血が伝い落ちていた。
「タニア、そのままでいい」
「ダメです! ちゃんと手当しましょう!」
タニアが邪魔になる革手袋を外した。
「……そうか……貴様……“白き楯の騎士”の……」
シグの声がした。息も絶え絶えのなか、ログと最後の会話をするためか、自ら仮面を外した。
ログの左手の甲には、何かの文字を刻まれた白の楯の紋章が彫られていた。
「……暗愚な主君に……売られ……罠にかけられ……根絶やしにされた……最強を謳った騎士団……よく知っているよ……」
シグは剣で身体を支えようとするも、その力もなくなり、剣が床を転がる。
「……ただ……最も若かった……騎士だけが……生き残り……主君に傷を負わせ……消息不明になった……と……」
ログはタニアを離させると、シグの前に立った。
「“白き楯の騎士”はもういない。それに生き残ったのではない……皆がわたしを生かしてくれたのだ。だから、わたしは彼らの犠牲のなかで手に入れた剣を、フィルディング打倒のために使うと決めた」
「……そうか……あれも……フィルディングの……陰謀だったと……言われている……からな」
シグは床にうつ伏せに倒れた。
「……わが命運を……絶った剣…………聞けて……満足……」
それがシグの最期の言葉だった。
「副長、見てくだせえ!」
部下たちが外を見ながら叫ぶ。
ログも近くの窓から外を見ると、空を覆っていた“機神”の触手の発光が収まっていたのだ。
その甲殻の真紅の凶光は変わらないが、“機神”に力を与えていたという対生成機関の働きが途絶えたと見て間違いないだろう。
「急ぐぞ。閣下がこの槍を必要としているだろう」
ログの号令に部下たちは再び鬨の声をあげると、道を切り開くべく外へと駆け出した。
ログは血に染まっていない左手で《戦乙女の槍》を逆手に拾い上げた。
逆手に持つことで、武器に対して左手の甲の紋章は逆位置となる──
それがいまを生きる“ログ”の──そして、自分一人を生かしてくれた仲間たちの生きた“証”のつもりだった。
「……ログさん、あたしが持ちます」
痛む左腕で槍を持ち上げるのを見て、タニアがそっと近づいて言った。
「……タニア、あの男の言う通り、わたしは固執していると思うか」
ログはシグの遺体に今一度、目を向けた。
タニアは自分から槍を抱えて受け取ると、首を横に振った。
「それがログさんの生き方なら、それでいいじゃないですか。過去に何があったか知りません。でも、もし、何か言いたくなったらいつでも言ってください……それまでは、何も訊きませんから」
普段から噂話に目がない少女はそう言うと、槍を持って先に館の外へと向かった。
「……すまんな、気を遣わせて」
ログは袖を切り、それを止血のために左腕に巻き付けると、陣頭に立つべく後を追った。
『何が起こった──』
機神の生体中枢として再び結合したヒュールフォンは、目の前で起こった光の爆発で目が眩むなか、マークルフと戦乙女の姿を捜した。
戦乙女を再び内部に取り込み、力を取り戻さなけらば“機神”と融合した自分は機能停止と同時に死ぬことになる。その後で“聖域”の外まで抜け出すことができれば、世界は“機神”の力に屈することだろう。当然、忌々しきユールヴィングと傭兵どもを地上から一掃することも忘れてはいなかった。
『逃げられると思うな。貴様の命運はすでにわたしに握られているのだ!』
“機神”の全身の、翼の甲殻に瞳孔が浮かび上がる。“機神”はエンシア全ての魔力を補うために造り出された。その“目”は世界に広がる機械の全てを認識することができたという。幾つかの目を眩ましたところで、この無数にある“目”から逃れることはできないのだ。
『──逃げるつもりはないさ』
光が薄れていくなか、マークルフの声がした。
ヒュールフォンは違和感を覚えたが、すぐに無数の“目”を声のする方に向けた。
『てめえの命運を断ち切るまではな』
光が消えると、すぐにヒュールフォンはマークルフの姿を捉えた。
しかし、何かが違っていた。
マークルフの全身を紋章のような紅い光が覆っていた。それは《アルゴ=アバス》を装着するための信号だ。だが、その《アルゴ=アバス》は大破状態ですでに纏っているはずだ。いまさら、何をするつもりだ。
『──なッ!?』
大破した《アルゴ=アバス》が黄金の光を放った。
その光がやがて形を取りだした。破壊された《アルゴ=アバス》の装甲が弾けて地面に落ちそれを埋めるように光が新たな装甲へと変わっていく。まるで古い皮を脱ぎ捨て、新しく生まれ変わるかのように、全身に新たな装甲が形成されていく。
『なんだ、それは……』
ヒュールフォンも動揺せずにはいられなかった。
光が収束した時、そこには新たな《アルゴ=アバス》を身に纏った怨敵の姿があった。
“機神”の計測能力が目の前の《アルゴ=アバス》から新たな“力”の反応を捉えた。
それは“闇”の魔力でも、“光”の輝力でも、“大地”の霊力でもなかった。計測機能は誤動作を起こしたかのように狂い、それがノイズとなってヒュールフォンの神経を苦痛に蝕む。
黄金の《アルゴ=アバス》が紅き光を放ち、さらなる“力”を解放する。
その分類不能の“力”がさらに“機神”の機能を混乱させていく。
『おのれェ! ふざけた真似を!』
ヒュールフォンは状況が飲み込めないまま、とにかく煩わしい存在を破壊しようと、“機神”の制御に集中する。“機神”本体の巨大な右腕を振り上げ、そのままマークルフへと鉄槌のごとく振り下ろす。
地響きと共に大地を砕くがごとき一撃が叩きつけられた。
だが、大地を砕いた手応えしか感じなかった。
気が付いた時には、《アルゴ=アバス》は元居た位置から遙かに離れた場所に立っていた。一瞬にしてあそこまで避けたのだとすれば、いままでの動きとはうって変わった反応と速さだ。
『何をしたか知らんが、逃がさんと言ったはずだ!』
ヒュールフォンは《アルターロフ》の右腕を構成する鋼糸の一部を解き、無数の触手に変化させた。今度は避けられないよう、《アルゴ=アバス》を包囲するように触手を展開させると、全包囲から一斉に攻撃に移る。複数の触手の先端が破壊の魔力を発しながら、同時に《アルゴ=アバス》に迫った──その瞬間、全ての触手がズタズタに切断され、消滅した。
『何だと!?』
《アルゴ=アバス》が両腕の手甲から一対の刃を展開していた。黄金の刀身と紅い光を宿したそれは、力を取り戻し、極限まで硬度と鋭さを高められた“魔爪”だった。
『なぜだ……なぜ、それほどの力を出せる!?』
ヒュールフォンの狼狽を表すかのように、“機神”の全身の鋼糸が大きく揺れた。
真の力を取り戻した《アルゴ=アバス》がそこにあった。
いや、生まれ変わったというべきだろうか。
リーナが戦乙女の力を解放し、マークルフの武器──《アルゴ=アバス》へとその身を変えたのだ。
それは“光”の神の娘の化身であり、古代の叡智で造られた“闇”の武器でもあった。
光にして闇。闇にして光。
矛盾した存在。
しかし、存在する矛盾は究極の均衡でもあった。
光と闇の均衡を維持する“聖域”においても、マークルフはその世界の法則に縛られることなく、その持てる力の全てを発揮していたのだ。
「リーナ……バカ野郎が──」
マークルフは新たな装甲に包まれた自分の身体を見つめながら呻いた。
戦乙女は一度、その姿を武器に変えてしまうと、永久にその武器のままで存在することになると伝えられている。
リーナは自ら、世界の法則から外れた存在になることを選んだのだ。
『……大丈夫です。私は後悔していません』
マクルーフの耳にリーナの声が響いた。
「リーナなのか!?」
『会話ができるみたいで少し安心しました。さあ、一緒に《アルターロフ》を止めましょう』
マークルフを再び、触手が襲った。
それを跳躍して避けると、背部の装甲を羽根のように展開し、上空で静止する。
“機神”が全身を震わせた。肩口から幾つもの触手が伸びると、その先端の甲殻が赤熱し砲塔へと変化し、そこから膨大な魔力が迸った。
幾筋もの破壊の閃光が《アルゴ=アバス》を直撃する。
だが、《アルゴ=アバス》は微動だにしなかった。
左手甲を中心に展開された“力”の“楯”が、その攻撃を全て受け止めていたのだ。
「……リーナ、おまえは大丈夫なのか」
『はい。苦痛とか、そういうのはなさそうなので、遠慮せずに私を使ってください!』
マークルフが訊ねると、いつものリーナの声が返ってくる。
「……リーナ。ありがとう」
自らの身を以て起死回生の一手を生み出してくれたリーナに、マークルフはいままでにしたことがなかった飾り気のない感謝を告げた。
『え、えーと、そんな間近で真顔で言われると、その、何て言いますか──』
よく分からないが途惑い気味のリーナの声が返ってくる。
不意に周囲が闇に包まれた。
空に広がっていた三対の翼の一対が、マークルフたちを叩きつぶすように迫っていた。
「リーナ、とにかく、いまは“機神”を止めるぞ!」
『はい!』
右の“魔爪”が赤熱すると、マークルフはそれで迫り来る大質量の“翼”を貫いた。
閃光と共に“翼”に大きな穴を開けると、そこから外に抜け出す。
再び肩の砲塔が狙いをこちらに向けるが、魔力が放たれるよりも早く、砲塔まで飛翔すると瞬く間にそれらを寸断した。さらに手を休めず、“機神”の周囲を縦横無尽に駆け巡り、その鋼の体表に次々と斬り裂いていく。
ヒュールフォンもその動きについていけないのか、頭部の鋼糸を自分の周囲に巻き付けて“鎧”代わりにしながら、マークルフの猛攻に耐える状態だ。
『おのれ、おのれ、おのれ、おのれぇええーーー!!』
ヒュールフォンの苦悶と怨嗟の叫びが周囲の空気を震わせた。
『わたしから何もかも奪おうとする、不遜なドブ犬にわたしは敗れるというのか!』
『てめえはそのドブ犬以下なんだよ! これ以上、奪われるのが耐えられないなら、最後にしてやる! てめえの命を奪うことでな!』
マークルフはヒュールフォンが居座る“機神”の頭部に突撃しようとするが、“機神”から放たれた強大な魔力の波動に一瞬、動きを止める。
『貴様に奪われるぐらいなら、この命、自ら終われてくれよう! だが、ただでは死なんぞ!』
空を覆っていた鋼の触手が急速に収縮していく。そして、三対の翼と人型の上半身という本来の姿に戻ると、六枚の翼を渦のように広げた。その全身と翼の甲殻が赤熱していく。その一つ、一つが膨大な魔力を宿しはじめ、四方に狙いを定めていた。
『何をする気だ!』
『逃げればこの周辺は焦土と化す。それまでに“機神”を止められるかな』
ヒュールフォンの挑発の真意をすぐにマークルフは悟った。
ヒュールフォンは“機神”に残った魔力を全て放出し、辺り一帯を破壊するつもりだ。その被害を少しでも減らすためには、“機神”に攻撃を加え続け、残った魔力を消費させるしかない。だが、そうすれば逃げることができず、“機神”の自爆をまともに喰らうことになるだろう。そうすれば、さすがにこちらもひとたまりもない。しかも“機神”は機能を停止し、ヒュールフォンも死ぬだろうが、“機神”自体が消滅することはなく、その脅威は残されるのだ。
「──リーナ」
『ダメです。魔力の残量が多すぎて、発射までに止めることはできません』
同調しているからだろう。マークルフの思考を読むように、リーナが悲痛な声で答える。
『どうする? 自分だけ逃げても構わんぞ』
ヒュールフォンの哄笑に、マークルフは叫びかえす。
『ふざけるのは存在だけにしろよ、ヒュールフォン──てめえごときのために“戦乙女の狼犬”の名を地に堕とすわけにはいかねえんだよ!』
マークルフは“機神”の前に降り立つ。
「……リーナ、〈アトロポス・システム〉は使えると考えていいんだな」
『はい』
リーナは答えた。
『私はマークルフ様と一緒に“槍”を手にするため、この“形”を選んだのですから──』
「リーナ、もう一度だけ訊く。俺と一緒に──最後まで戦ってくれるか?」
『もちろんです』
リーナは迷うことなく即答した。
マークルフは女神の祝福に力を与えられたように、自らを鼓舞する。“機神”と対峙しながら、《アルゴ=アバス》の出力をさらに引き上げた。
「よーし、もう一人の戦乙女が戻って来るまでに、もう少しだけ舞台を派手にしてみるか」
『ええ、お手伝いさせてもらいます』
「いくぞ!」
二人は、身も心も邪神に売り渡したヒュールフォンの暴走を止めるべく、“機神”に向かって飛翔した。




