目覚めた眠り姫(2)
マークルフは城下のある酒場にいた。
小さな酒場に唯一ある二階のテーブル席、そこがマークルフの──いや、先代からのユールヴィング家当主の専用席だ。
マークルフはテーブルに肘をつきながら、昨夜、保護した少女のことを考えていた。
(戦乙女の槍を持つ勇士の前に、戦乙女が巨人に載って現れる、か)
マークルフは髪をかき上げると、ため息をついた。
「あらあら、若様、何か楽しいことでもあったのですか?」
声をかけたのは、注文の飲み物を手に階段を上がってきた初老の女将だ。
細身で落ち着いた雰囲気だが、長年に渡って酒場を切り盛りし、先代ルーヴェンが古くから馴染みにしてきた女主人である。
「これがそんな風に見えるか?」
マークルフは苦笑するが、女将は運んできた紅茶のカップをテーブルに置きながら頷く。
「ええ、普段の何か企んでいる顔とはちょっと違いますね。先代も楽しいことがあるとそんな表情を見せていましたよ」
女将はいたずらっぽく笑った。昔はかなりの美人だったらしいが、その面影が笑顔からうかがえる。
「なに、いざ夢みたいな事が起きると、かえってネタにできないと思っただけさ」
マークルフは紅茶に口をつけた。
「ばあちゃん! 遊びにいってくるね!」
階下をドタバタと走る音がした。
見れば、幼い女の子がこちらに手を大きく振っている。
この酒場で女将と暮らす孫娘のフィリーだ。
「フィー! 店内では走らないように言ってるでしょう!」
「いいじゃねえか、いま客は俺だけだろ。行ってこい、行ってこい!」
「だんしゃくもはやくツケはらってね! いってきまーす!」
閉口するマークルフに手を振り、フィリーは出て行った。
マークルフのことを『だんしゃく』と呼び、懐いているが、相手が(一応)偉い人だという認識がないのは、まあ、幼いからだろう。
フィリーが出て行くのを見送っていると、入れ違いに外套を纏う人物が姿を見せた。
ログだ。黒の外套ではないのは、いまの行動が内密のことだからだ。
ログは一度、外を振り返ると、店内へ入ってくる。
「女将、もうじき客が来る。案内してやってくれ」
「かしこまりました」
ログがそう告げると、事情を知っている女将は頷いた。
マークルフは席を立つと階段を降り、ログと共に酒場の隅の扉を開けて中に入った。
ここは石壁に囲まれた、密談用の小部屋である。窓もない部屋には明かりのランプ、それと机に椅子が置いてあるだけだ。だが、ここは二階席と共にマークルフがいつも利用する商談場所である。
マークルフは片足を机の上に投げ出す形で座り、ログは脇に立ったまま控えた。
しばらくして、その密室に一人の男が姿を現した。
男は旅の行商人らしい衣装をした男だ。だが、それは彼の裏稼業を隠す表のそれでしかない。
「お待たせしまして申し訳ございません。ちと、別件に手間をとったもので──」
男は声を潜めて言いながら、マークルフの向かいの席に座った。
盗み聞きはできない部屋だが、それだけ男の扱う商談は重要な内容なのだ。
「それでは、さっそく。まずは保留していた一騎打ちの件ですが──」
「その前に聞きたいことがある」
マークルフは男の話に割りこむ。
「何でしょうか? 何か、不都合なことでも?」
「昨晩、領地の外れに所属不明の部隊が侵入した。そいつらの情報が欲しい」
マークルフは少女と鉄騎兵については言及を避けた。相手を信用はしているが、むやみに情報という金を渡すこともない。
「ほう、閣下のところへ……捕まえなかったんですかい?」
「逃げられた」
男の問いにログが答える。
「ほう、副長には珍しい不手際ですな……まあ、丁度、良かった。実はこっちの耳にも関係あるかも知れない情報が入っているんですよ」
「さすがに耳ざといな。で、いくらで売る?」
「こいつはタダです。どうやら、うちらの水とは合わない連中らしいんで、ね」
男は身元不明の部隊が幾つかの場所で目撃されていることを告げた。その部隊も細心の注意を払って密かに動いていたらしいが、それ以上にマークルフたちが張る監視の網はより緻密だった。
「……ここから一番遠い目撃地点はディエモス伯爵領の外れですな。目撃例を集めると、そこからここまでほぼ線につながります」
男は机に地図を広げ、目撃地点を指で示した。
マークルフは腕を組みながら思案する。
ディエモス伯爵領はユールヴィング領からはるか北、本国であるクレドガル王国の外れに位置する。そこで目撃されたということは、謎の部隊はクレドガルからやって来た可能性が強いということになる。
「どう思う?」
「あのディエモス伯爵の差し金とは思えません」
マークルフの背中越しにログが答えた。
「隠れた目的があったとしても、まずはそこの領主を訪れて警戒を解く方が得策でしょう。同じ国の騎士ならば、なおさらです」
ユールヴィング領もまた、クレドガル王国の領地だ。
男爵領は“聖域”の南端に位置する辺境の地だが、先代領主ルーヴェンが王国に忠誠を誓ったため、飛び地ながらクレドカル王国の属領となっている。
「やはり礼儀知らずな連中というわけか。まあ、歓迎の宴に金を出さずにすんだけどな」
マークルフは背もたれに身体を預け、腕を組んだ。
最初から対立する立場の者が差し向けたと考えた方が良いだろう。
しかし、心当たりが有り過ぎるため、これだけではまだ相手を絞りきれない。
「あっしから言えるのはこれだけです」
「ああ、助かった。礼を言うぜ」
「では、ここからは打ち合わせの話をさせてもらうます。まず、このモンルーク丘陵での一騎打ちの件ですが、先方は──」
念入りな打ち合わせを終え、後のことはログに任せたマークルフは酒場を出る。
外の空気を吸いながら、ふと裏庭に目を向けた。
そこには綺麗に手入れされた色とりどりの花が咲き誇っており、そこに水をやる女将の姿があった。
「綺麗に咲きましたでしょう」
「そうだな……女将、少しもらって良いか?」
「おや、珍しい。若様が花に興味をお持ちとはね。もしかして、彼女でもおできになられましたか?」
「なあに、ただの客人さ。いまのところはな」
女将は微笑み、適当な花を見繕いはじめた。
「若様が花をご用意されるなんて、よっぽどの方なんですね」
「ああ、何か運命的なものを感じるな」
「あらあら、それじゃ、なおさら下手なものは差し上げられませんわね」
マークルフの冗句に乗るように女将も笑った。
女将の作業を眺めていたマークルフだが、誰かが早足でやって来るのに気づいた。
侍女の一人、タニアだった。
「男爵様、お目覚めになりました!」
「そうか! 話は出来るのか?」
「はい、向こうも閣下にお会いしたいとおっしゃってます」
「分かった──すまんが女将、花はタニアに渡してくれ! じゃあな!」
マークルフははやる気持ちを隠しきれないように叫ぶと、手を振りながら足早に去って行った。