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“聖域”の中心

城下の街並みは一変していた。

 そこかしこから立ち上る炎が破壊された家屋や広場の姿を照らす。

「出てきやがれ、ヒュールフォン! あれぐらいでくたばったわけじゃねえだろうが!」

 城壁の上から飛び降りたマークルフは叫ぶ。

 人の姿はない。少なくとも避難が間に合ったということだろう。

『無論だ』

 声がして、目の前の瓦礫の山が弾ける。

 その中心に腕組みをして待ち受けるヒュールフォンの姿があった。

「瓦礫の中でおネンネとは随分と悠長じゃねえか」

『何、待ってやったのだよ。小娘でも観客は多い方が楽しめるだろう。ユールヴィング流の闘いとやら、見せてもらおうか』

 先ほどのテトアとの会話を聞かれていたらしい。

 確かに上空には“機神”の張り巡らせた触手の網が広がっている。音声ぐらい簡単に拾えるのだろう。

 マークルフは身構えた。

「もう盗み聞きぐらいじゃあ、てめえの悪趣味さ加減には驚かないぜ』

『この地に巣くう傭兵の存在自体が悪趣味と思うがね。キャンキャン吼えるだけのその頭目は特にな』

 対するヒュールフォンは腕組みしたまま余裕の態度を見せる。

 マークルフは一気に踏み、右腕の刃で斬りつけた。

 ヒュールフォンの左腕を覆う鋼のツタが緩む、前碗部に集中して絡まる。巻き付いたツタが手甲となり、《アルゴ=アバス》の刃を受け止めた。

「――ッ」

『どうした? 斬れ味が落ちているようだが?』

 マークルフは左の刃で突くが、それもヒュールフォンの右腕のツタが右手に集中して受け止められる。

『確かに同時に複数の行動に魔力は振り分けきれない。それを見抜いたのは誉めてやるが……だが、それがどうした?』

 強化装甲の双刃も防御に徹したヒュールフォンを前には文字通り刃が立たないでいた。

 マークルフはヒュールフォンの胸板を蹴って強引に間合いを作ると、今度は身を翻しながら右の刃で斬りかかる。

『回転の勢いを加えたところで――』

 ヒュールフォンも左腕で受け止めようとするが、その直前にマークルフは強化装甲の右刃を収納。刃を止めようとした腕をかいくぐり、マークルフの右拳がヒュールフォンの顔面にめり込む。

 ヒュールフォンもたまらずよろめいた。

「どうだ!?」

『くだらない小細工を!』

 ヒュールフォンもすぐにマークルフを殴り返した。

 まったく落ちていない破壊力でマークルフは宙に吹っ飛ぶ。

 ヒュールフォンも跳躍すると、マークルフの喉元を鷲づかみにして、そのまま頭から地面に叩きつけた。

 衝撃にマークルフの視界が大きく揺れる。

「グッ!?」

『まだ伸びるには早いぞ!』

 “機神”が上空に張り巡る鋼の網からツタが無数に降り注ぐ。その先端が刃に変わる。そして、飛び退いたヒュールフォンと入れ替わるように《アルゴ=アバス》の全身に突き刺さる。

「ガアアッ!?」

 槍衾の下敷きとなり、マークルフも思わず苦悶の声を上げた。

『すでにここは“機神”の支配領域、わたしの舞台だよ。引き立て役が主役ヅラをされては困るな』

 鋼糸の槍が上空へと収束し、ヒュールフォンが告げた。

 マークルフは瓦礫の中で仰向けに倒れたまま、現在の状況を確認する。

 全身の装甲がかなり損壊していたが、内部機構にまで及んだ被害は許容範囲だ。駆動系はまだ生きている。

 しかし、残留魔力にはすでに余裕がなくなっていた。

 強化装甲の動力も最大出力で稼働を続けるが、それでも“聖域”の力による減衰には追いつけないでいる。

『これ以上は見世物としてもつまらんな。そろそろ終幕としよう』

 ヒュールフォンが刃を伸ばした右腕を構える。

「……俺も“機神”の贄にする気か」

『どこの世界にドブ犬を供儀にする馬鹿がいるかね? だが、彼女にも見せてやろう。無様に敗れ果てた貴様の姿を――“機神”の目を通してな』

「リーナは……“機神”の中……か?」

『貴様にはそれ以上の台詞は用意していない。退場の時を間違えるなよ。いや、そもそもこの“聖域”にユールヴィングという役者は必要なかったのだ』

 ヒュールフォンが動きだそうとする瞬間、その両脇から岩盤が現れて挟み込む。

『乱入は予想済みだ。この程度で止められはせんよ!』

 岩盤が内側から弾け、ヒュールフォンがマークルフ目がけて飛びかかる。

(――今だ!)

 マークルフは倒れたまま左脚を持ち上げ、そして踵を落とす。崩れた瓦礫の山からテコのように瓦礫の板が飛び出した。

『なッ――』

 ヒュールフォンの足に板が引っかかる。板が砕けるが、ヒュールフォンは思わず足を取られ、隙が生じる。

「いらねえのは――」

 マークルフは《アルゴ=アバス》の出力を限界まで引き上げると、前傾姿勢のヒュールフォンの背中を前から掴み、そのまま持ち上げる。

「――てめえだ!」

 マークルフはそのまま持ち上げ、ヒュールフォンを後頭部から地面に叩きつけた。

『なッ!?』

 マークルフはそのまま身体を回してヒュールフォンを羽交い締めにすると、そのまま後ろに仰け反り、弧を描くように地面に叩きつけた。

『グッ――』

「まだだ!」

 羽交い締めにしたままマークルフは飛び上がる。自分を中心に大きくヒュールフォンを振り回しながら、そのまま近くの家屋に叩きつけた。

『ヌァッ……』

 壁となった家屋が崩壊し、ヒュールフォンの苦悶の声がこぼれる。

 それでもマークルフは勢いを緩めることなく羽交い締めにしたまま、城下の家屋という家屋に次々とヒュールフォンを叩きつけた。

 周辺の建物という建物を粉砕するまで叩き付けると、かつては城下町の一角だった廃墟の中心に鉄仮面を叩き着け、追い打ちの膝を鉄仮面の背中にめり込ませる。

『――カアッ!?』

 鉄仮面は気管が潰れたような呻きをあげ、手足を地面に投げ出して動かなくなる。

『て、鉄ミイラが動かなくなりました! 相当の効いているようです!』

 モニターと集音装置が離れた場所に立つ人の姿と声を捉えた。

 見れば城に近い高台にテトアがいた。どうやら、そこで自分たちの戦いを一人で実況していたらしい。

「テトア! 遠くにいろとは言ったがわざわざ危険な城の方に行ってどうする!」

 マークルフが装甲の音声を最大にして声を飛ばすと、向こうは思いっきり驚いて慌てふためく。

『あああ、す、すみません! でも、ここが一番、よく見えるので!』

「だいたい、一人で何を実況してやがる!」

『す、すみません! でも、一人実況って、戦いを細部まで覚えられるんで取材にはいいんです!』

「悲しい覚え方を覚えんじゃねえ!」

『心配するな、ユールヴィング卿! 我が輩もいるぞ!』

 聞き覚えのある野太い声と共にディエモス伯爵がテトアの隣に現れる。

「増えた!?」

『ユールヴィング卿! 貴公の一世一代の大舞台、このカーグ・ディエモス、しかと見届けておるぞ!』

 伯爵は全身に怪我を負っているものの、それでも猛将は揺るぎなく立っていた。

『それで、そこの娘、なぜ、あの鉄のミイラはこうも為す術なくやられたのだ?』

『は、はい! 鋼のツタは万能の機能があるみたいですが、一度に複数の行動に力を注ぐことができないという弱点があるみたいです! 男爵は身体を締め上げ、家屋に休む間もなく叩き付けることで防御に集中させ、反撃に出る余力を与えなかったのです!』

 テトアの実況はかなり正確であった。先ほどの戦いからそこまで分析できたことは、マークルフも感心せざるを得なかった。

『しかも、全身に対する打撃は衝撃吸収の計算と調整が難しいのか、完全に威力を削ぐことができなかった模様。さしもの鉄ミイラもこれは苦しいのか! カーグ・ディエモス伯爵! この戦い、男爵にも勝ち目が出てきたようです!』

『うむ。さすがは英雄の後継者と言えよう。だが、油断はできぬ。相手はヒュールフォン=フィルディング、何をしてくるかは分からんぞ!』

『だ、だめですよ、さりげに正体をばらすのはお約束違反です!』

『何と!? これは失言!』

 よく分からないが、まあ、話はかみ合っているようだ。

『……よくもやってくれたな……この――どぶ犬が!!』

 ヒュールフォンがゆらりと立ち上がった。

 強化装甲のセンサーが膨大な魔力の反応を感知する。それは上空の“機神”の触手からヒュールフォンに向かって送信されていた。

『いつまでも、いつまでも、いつまでも! 小賢しい真似をしてわたしと渡り合えるつもりでいるな! 見せてやろう! これが“機神”の――我の力だ!』

 周囲が強大な魔力反応で包まれた。

 この周辺に魔力の力場を形成したらしい。

『逃れられぬ“闇”の恐怖を知れ!』

 ヒュールフォンが右拳を突き出した。

 途端にマークルフは顔面に強烈な衝撃を受け、仰け反る。

 さらにヒュールフォンは右手を握りしめた。

 マークルフの全身が見えない力で締め上げられる。頑強な装甲が悲鳴を上げ、映像モニターに乱れが生じる。

 ヒュールフォンが拳を振り上げ、そして思いっきり振り下ろす。

 マークルフも見えない力で上空に持ち上げられると、急降下で地面に叩きつけられた。

 さらに不可視の力がのし掛かり、思うように身動きがとれない。

 それでもマークルフは立ち上がろうとするが、飛び上がったヒュールフォンがその後頭部に両脚で着地し、顔を地面へと叩き付ける。

「グッ……」

 今の衝撃でモニターの一部が機能を停止した。

 装甲の自己診断装置も全身の機能不全を悲鳴を上げるように告げる。だが、もはやそれ自体が正常かどうかも怪しい状態だ。

『どうかね? “機神”の力のほんの一端を味わった気分は?』

 ヒュールフォンが余裕の態度を見せながらマークルフの頭から降りる。

 魔力の空間を作り出し、意のままに操る――確かに“聖域”でそんな芸当など、“闇”の神でもなければできないだろう。

 しかも、こちらには僅かにも魔力は届いておらず、力の差は歴然としていた。

『もう少し聞き分けがよければ、多少はマシな最期を用意してやったのだがな』

 ヒュールフォンが装甲の脇を蹴り上げた。

 マークルフは地面を転がり、動くこともままならずにうずくまる。

『だ、ダメです! 鉄ミイラが復活してしまいました。しかも強力な魔力の領域を作り出したようです!』

『……娘、そなたは避難しろ』

『は、伯爵様は逃げないのですか?』

『我が輩は最後までここにいる――それが見届けるということだ』

 強化装甲がテトアと伯爵の声を拾う。音声機能がまともに機能しているのを確認すると同時に、マークルフは苦笑する。

「……伯爵、悪いがあんたにおいしいところはやれねえよ」

 マークルフは両手を地面につけて、身体を起こそうとする。

「テトアも見ていろ。見せ場は……ここからだ」

 強化装甲が軋む中、マークルフを膝をついて身体を起こした。

 ヒュールフォンがその姿を見下ろすようにふんぞり返る。

『まだ足掻くか? しかし、ここから何を見せるというのかな?』

「聞いていたんだろ? ユールヴィング流の戦いの極意を。相手に力を出させ、それを利用すると――』

『機体も魔力も限界に近いのに、どうするつもりかな?』

「……エンシアがどうして滅びたか、知っているか?」

 マークルフは両足を踏み締めて立ち上がる。出力の鈍った装甲と負傷した身体が重くのしかかった。俊敏な動きは難しいだろう。

「答える気がないなら言ってやる。魔力を使った文明によって世界が“闇”に傾きすぎたために、均衡を司る“大地”の力が強くなったためだ」

 その瞬間、周囲の地形が変動を始めた。

 一部が隆起し、逆に陥没が起こり始めた。

 地殻変動のようだが、それはまるで地形を作り替えているかのようだ。

 そして、遠くから激流の音が近づいてくるのが聞こえた。

『か、川です! 地面がひとりでに川を引いています!』

 高台から向こうが見えたテトアが叫ぶ。

『何をした!?』

 ヒュールフォンもさすがに動揺を見せ、周囲を見渡す。

「ここを中心に“聖域”の模型を造らせたのさ。知っているか? 王都ネフルは“聖域”の中心。そして、王都の構造自体も“聖域”を模したものだ。つまり、ここは“大地”の力が溢れている――なら、さらにここも“聖域”を模した地形にしたら、さて、どうなるかな?」

 空気を震わせて、何かが弾ける音がした。

 ヒュールフォンが“闇”の力が増大させたことで、対抗しようとする“大地”の力も強くなっていた。

 それは“大地”の力で動く《グノムス》の能力を一時的に高め、本来では難しい大規模な地形操作を可能にした。

 マークルフの合図で《グノムス》が作り出した疑似“聖域”――瞬間的にここの“大地”の力が劇的に増大し、ヒュールフォンと“機神”を繋ぐ魔力のリンクが断ち切られたのだ。

 ヒュールフォンは急速に力を失い、みずから纏う鋼の重さに潰れるように崩れ落ちる。

『……き、さま……またしても――』

「ああ、いつまでも、いつまでも、いつまでも――そして何度でもだ!」

 マークルフは重い足取りながらもヒュールフォンに詰め寄る。

 “大地”の力の影響で《アルゴ=アバス》の出力も低下していたが、独自に動力炉を搭載する分、まだ動くことができた。

『……だが、それでわたしを倒したつもりか?』

「いや、倒しても蘇るんだろ? だが、“機神”の魔力供給を止めることはできるだろうさ」

 マークルフは先に見える“機神”の翼が伸びる城塞を睨む。

「魔力のつながりは断った。てめえは“機神”の加護を受けられない。そして“機神”からすれば、てめえを器にした膨大な魔力を失ったことにもなる――さて、“闇”の力が落ちればどうなるかな?」

 マークルフの真の狙いはヒュールフォンを倒すことではない。ヒュールフォンにできるだけ魔力を集めさせること。そして《グノムス》に疑似“聖域”を造り出すまでの力を貯めさせるためだったのだ。

 城塞から王都中へ響かんばかりの軋んだ悲鳴が広がる。

 それと同時に宙に浮かんでいた“機神”の触手が火花を散らせた。

 魔力の総量が減少したことで、対生成していた“光”の輝力が逆流したのだ。

 自身が超巨大な対生成機関となっていた“機神”は、対生成のバランスが崩れたために、その暴走が莫大な負荷となって自身に返ってきたのだ。

『……きさま……』

「てめえの恨み節はこっちも飽きたところだ。終わりにしようぜ」

 マークルフは右腕の刃を振り下ろし、ヒュールフォンの首を叩き折った。

 本来なら即死だが、“機神”の力とつながればまた復活するだろう。

 だが、それを許すつもりはない。

「均衡というのは天秤を激しく振り合うだけじゃねえ。どちらかを抑えれば、もう片方も必ず抑えられる。均衡という絶対の掟を利用し、力を操ること――それがユールヴィングの光と闇理論の神髄だ。テトア、ちゃんとメモしておけよ!」

『は、はい!』

「それと伯爵、見届けはここまでだ! 礼はいっておくぜ!」

 マークルフは残った力を《アルゴ=アバス》の推進装置に込め、城塞へと飛び立った。

 ヒュールフォンはリーナを“戦乙女”と呼んだ。

 そしてこの異変――にわかには信じ難いが、リーナがそのために利用されている可能性は高い。

 だが、彼女が何者だろうと救出するつもりだった。

 彼女のための“狼犬”でいると誓ったのだから――

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