覚醒
「地上階の設備を停止して」
マリエルの命令を受け、アードが地上階の動力を切る。そして、そのために使われていた魔力を全身鎧と複数のコードで結ばれた供給装置に送った。
「いま、どれぐらい?」
焦りを隠せないマリエルに、ウンロクは緊張感のない様子で答える。
「いやー、現在、施設の貯蔵量の約半分を供給装置に転送済み。ただ、《アルゴ=アバス》に供給できたのはそれの半分ぐらいですか」
ウンロクが頭をかく。彼なりに焦ってはいるのだ。
「転送過程での減衰が障害か……」
マリエルは腕を組み、右腕を欠いた姿で主を待つ強化鎧を前にする。その様はまるで生気を感じられないように思える。
“聖域”内では魔力の働きは著しく減少するため、普段は外部と隔絶した貯蔵装置に封印している。しかし、それから取り出した場合、短時間の転送でも急激な消耗は避けられない。
“聖域”の外ならこの鎧も素晴らしき力を発揮できるだろうが、それを待っていては“機神”によって“聖域”の国々は壊滅する。
「A10回路を切りなさい、マリエル」
女性の声にその場にいた三人が一斉に振り返る。
そこには下着姿で白衣を纏った変態──もとい、エルマの姿があった。
「ね、姉さん!? この非常時に何て格好してんのよ!!」
「非常時だからこそ、悠長に着替えてられないのよ! アーくん、ウンちゃん、パッパッとやっちゃってちょうだい!」
「お帰りなさいっす、姐さん!」
「へへ、本気の姐さんの命令には逆らえねえでさあ!」
二人はいきなりの指示にも慌てることなく、阿吽の呼吸で動き出す。強化鎧に取り付くと緊急で整備を始めた。
「姉さん! リミッターを外したら、過負荷で内部回路にダメージが──」
「《アルゴ=アバス》はそんなヤワな子じゃないわ。それよりも魔力の流れを早くすればそれだけ損失は少なくなるわ」
「そうだけど、その前に内部がボロボロになったら元もこうもないわ!」
「そこはあなたが手動で調節しなさい。あの子のことを一番熟知しているのはあなたのはずよ」
エルマはそう言ってマリエルの肩をポンと叩く。
「機体にできるだけ負担を与えず、できるだけ魔力を充填してちょうだい。うちは外していた動力ユニットを元に戻すわ」
エルマは気軽に難題を言ってのけると、自分もまた作業のために《アルゴ=アバス》に取り付く。
マリエルはああだこうだ言い合う三人の姿を目にすると苦笑した。
(結局、肝心なところでは姉さんには敵わないわね。やっぱり、自分には静かに何かに打ち込む方が性に合っている──)
「ちょっと、アーくん! お尻がジャマよ!」
「そんなこと言っても、先にリミッターを外さないと──」
「そういや、姐さん! この前、あっしの秘蔵の酒を飲みやしたね!」
「秘蔵? ああ、《幻影垂涎》だっけ? 名前からして、ただの安酒だと思ったわ」
「その割には全部飲み干してるじゃありやせんか!」
「全部は飲んでないわよ! 半分よ!」
「姐さん!? いきなり動力ユニット回したら危な──あ、ごめん、ウンロクさん。三分の一ほど僕が飲んじゃったんだ。喉が渇いてて──」
「おまえかい! せっかく経費を浮かせて手に入れた楽しみを──」
「うるさーーーーーーーいッ!!」
ドンッ
拳を叩きつけた音に、おしゃべりを止めた三人が恐る恐る振り返る。彼女らが見たのは怒りに眉を震わせるマリエルだった。
「みっともないから姉さんはさっさと服を着て! それとせこいごまかししない! アードも喉が渇いたからって酒を飲むな! ウンロク、あんたも経費で酒を買ってんじゃない! とにかく、その酒のお金は三人の給料から引きます!」
「ええーー」「オニっすか!」「あっしは飲んじゃいねえですぜ!」
「とやかく言うなら、二度と経費は認めません! いいから男爵が来る前にさっさと作業を進めろーーー!!」
「り、了解!!」
三人の声が同時に響いた。
鋼の蜘蛛の糸に捕らえられながら絶え間なく続く苦痛はやがて、リーナの感覚を奪い去る。時間も空間も、そして苦痛さえも混濁する意識のなかに消えていった。
『──貴女は見つけたの?』
脳裏にはっきりと声が聞こえ、リーナは自らを取り戻した。
目の前に広がるのは果てのない闇の空間だった。身体の感覚がなく、自由に動くこともできるが、そこにいる実感もない。夢か幻の中にいるかのようだ。
目の前に突然、人の姿が浮かび上がる。
光の衣を纏い、黄金の槍を持ったその少女は──自分だった。
自分と同じ顔を持つ光の少女がこちらにゆっくりと近づいてくる。
『思い出しなさい』
もう一人の自分の声が響く。口を開かず、ただ声だけがリーナの意識に直接、届いていた。
「……貴女は誰なの?」
リーナは訊ねた。自分も口の感覚がないが、その声が相手に届いたことはなぜか分かった。
『私は戦乙女としてのあなた自身』
光の娘がリーナの目の前で立ち止まる。近くで見れば、その光の槍はマークルフが所持する《戦乙女の槍》とそっくりだった。
『あなたは勇士を見つけたの?』
戦乙女がもう一度、訊ねる。その微笑は慈愛のように暖かく、そして切なかった。
「私は……」
『そう、彼なのね。でも、もはや意味はなくなるわ。ここまで“闇”の王が覚醒した以上、人の子の持つ武器ではもはや立ち向かうことはできない』
リーナの脳裏に浮かんだマークルフの姿を見たのかのように戦乙女は頷く。
「貴女はいったい……」
『私は貴女。貴女は私。そして、貴女の使命そのもの』
「私の使命……どういうことなの?」
『《アルターロフ》と呼ばれた、人の子が造りし“闇”の王を倒すこと。それが貴女の使命──』
「それを私が? いったいどうやって……」
『それは貴女が選ぶこと。私はその選択の一つ──』
戦乙女が凛々しい表情を浮かべた。
『私の力に目覚めるのです。貴女は戦乙女のなかでも最も尊き栄光となるべく、選ばれたのです』
その言葉の意味が分からずにいると、これから戦いに向かうかのように黄金の槍を構えた。
『我らが主、“神”はかつて娘たちを地上に遣わせ、勇士の武器としてその勇士を助けました。ですが、“闇”の王が相手であるならば、“神”が自ら立つことになるでしょう。その時、貴女は我らが主の武器となり、“闇”の王を再び封印する刃となるのです』
リーナには何を言っているのか、すぐに理解できなかった。確かに“神”が使う武器となるならば、それはどの武器よりも素晴らしき武器となれるだろう。だが、それがどういう意味なのか、全く分からない。
『ダメよ。そんなことをすれば人々が滅びる。マークルフ様も助からない』
背後からの悲痛な“声”に、リーナが振り返る。
そこには古代文明期のドレスを纏った自分がいた。その表情は切実に訴えかけるようだ。
「貴女は……」
『私は貴女。貴女は私。私はエンシア王女としての貴女自身。生まれ変わっても消えることのない人の“心”としての貴女──』
ドレス姿のリーナもまたゆっくりと近づいてくる。
『“神”が戦うことになれば、その力を発揮するために“聖域”は壊されるわ』
リーナの脳裏に映ったのは均衡の力である霊力の流れを逃がすため、“聖域”全体が凄まじい地殻変動に襲われる幻だ。その幻に人の姿はないが、まず間違いなく“聖域”の人々に甚大な被害が出るだろう。
『いま、《アルターロフ》に力を与えているのは私。なら、私がいなくなれば《アルターロフ》も力を取り出せなくなり、いずれ力尽きるわ。“光”がある限り“闇”があるなら、どちらかが消えればもう片方も消えるわ』
そうかも知れない、とリーナは思った。だが、それが意味するのは自ら犠牲となることだ。
『私は覚悟を決めています。私は一度は死んだ身。それにエンシアの残した災厄を止めることが、エンシア最後の王女としての私がすべきことよ』
そう、自分もそのつもりだった。災厄を遺してしまった後世を確かめるために地上に留まったのに、その自分が災厄を蘇らせているとしたら、それは何としてでも止めなければならない。
『私を選べば貴女の命は消える。マークルフ様ともお別れになるけど、私はあの人を犠牲にさせたくない』
『それこそ許されないわ』
戦乙女の声が一際、強く響いた。
『“闇”の王が“聖域”内で力尽きずに脱出したら、それこそ世界が壊滅の危機となる』
振り向いたリーナに戦乙女は強ばった表情を見せた。
『“聖域”はどこにでも創れるわけじゃないの。ここで戦い、もう一度、“聖域”を再建することでしか、“闇”の王を封印することはできないわ』
リーナは何故か気づいていた。かつて“神”が《アルターロフ》を倒す時にこの地を選んだこと。そして、この地が“聖域”の創造に相応しい霊力の集まる最高の環境だったことを──
光と闇の自分がリーナを挟むように立つ。
リーナは二人の自分を前に、重すぎる選択を迫られるのだった。
「これで最後よ。この部屋を覗いた全ての動力を切りなさい」
所長に復帰したエルマの指示により、メンテナンスルームを除く研究所の全ての設備が停止した。天井の照明も落ち、計器の灯りだけが周囲をぼんやりと照らす。
そうして賄った魔力を全て、目の前の《アルゴ=アバス》に注入を開始する。
「……これでやることはやりましたかね、姐さん」
アードがエルマの横に立ちながら強化鎧を見つめる。
「そうね。あとは男爵次第よ。ご苦労だったわね、みんな」
「うちがまだ終わってないけどね」
背後で供給装置のモニターを睨み続けるマリエルが言った。彼女は急速充填のため、鎧に流れる量を絶えず監視しては調整していた。
「感謝しているわよ。そんな根気のいる作業、うちらじゃできないわ」
「威張ることじゃないわよ」
マリエルは愚痴るように言うが、同時にやることはやり終えた安堵のため息も交じる。
「しかし、研究所の魔力を呑みまくって平気とは、この鎧も随分な酒豪ですな」
ウンロクが床にあぐらをかきながら、感心するように鎧を見上げる。
「この鎧にしてみればまだまだじゃない? 本当は酔わせて大暴れさせてあげたかったけどね」
その時、マリエルが慌てて椅子から立ち上がった。
「どうしたの?」
「近辺の魔力レベルが急に上がりだした」
その言葉の意味に他の三人もすぐに気づく。
「来るわ!」
エルマたちはすぐに持ち場に戻り、最後の作業に入る。
その間にも魔力レベルの上昇は止まらない。
全ての作業が終了し、《アルゴ=アバス》に接続していたコードは外された。鎧はすぐに装着できるように待機状態に入る。
天井を揺るがす轟音が響いた。その轟音は次第に大きくなり、施設全体が激しく揺れている。
「アード、男爵まだ!?」
「装着要請信号はまだ届いていないッす!」
ついに天井が破壊され、破砕音と大量の瓦礫がルーム内に雪崩れ込んだ。
エルマはとっさに機材の後ろに隠れて巻き込まれるのを防ぐ。
流れが収まると、エルマは機材のかげから顔を出し、仲間たちの安否を確かめる。
大量の瓦礫と土砂でルーム内は埋まっていた。その損失は途方もないものになるだろうが、それよりも肝心の《アルゴ=アバス》が埋もれてしまったことが問題だった。
「……あ、姐さん、無事ですかい」
「待って、ウンロクは……」
アードが瓦礫の中から起き上がる。彼が庇う形でマリエルもいた。
「あっしはここですぜ」
ウンロクは天井の照明に掴まっていた。
『……ユールヴィングはまだ来ぬか』
暗闇が禍々しい真紅の光で照らし出される。そのなかで浮かび上がったのは鋼糸を全身に纏い、甲殻の装甲を纏った人型の“機神”だった。威厳を誇るように腕を組み、顔を覆う一際大きな円殻がエルマたちを一瞥する。
「……姉さん、こいつは──」
「ヒュールフォン=フィルディング……あるいは“機神”の操り人形というところかしら」
『操り人形ではない……わたしは……蘇り……究極の“闇”の意思となったのだ』
ヒュールフォンの全身を紅い魔力が覆った。全身の鋼糸が蛇のようにのたうつ。
「どうみても鋼のミイラじゃない。蘇り方、間違えてんじゃないの?」
『……そうか……ならば正しい蘇り方……おのれの身で教えてもらおうか……』
ヒュールフォンが一歩踏み出す。足許の瓦礫が重さで砕け散る。
エルマは後ずさるが、すぐに壁に行き詰まる。
『……ユールヴィングの前で蘇ってみるがいい』
ヒュールフォンを取り巻く鋼の触手の先端が刃となる。
『ユールヴィングが……どのような顔をするか……見ているとしよう』
だが、ヒュールフォンの身体が不意に後ろに仰け反る。
瓦礫の山をすり抜けて現れた巨大な鋼の手が、触手の一つを掴んで引っ張ったのだ。
『来たか』
鋼の触手が巨大な手から抜け出すと、ヒュールフォンの全身の鋼糸が刃となって伸びる。それは地下にいる標的に向かって次々に瓦礫の隙間に突き刺さる。
『あの鉄機兵か……わたしの前にひれ伏すには低すぎだ。引っ張り出してやろう』
触手が縦横無尽に動き、恐るべき力と鋭さで瓦礫の山を切り裂いていく。
『……さあ、いつまで……隠れているつもりだ』
「蘇ったばかりとはいえ、寝ぼけたこと言うなよ」
廃墟と化した施設の片隅で真紅の紋様が浮かび上がる。それは人の形を為し、やがてその正体を現す。
「俺はここにいるぜ」
右腕の装甲を除いた全身を魔力の紋様で包まれたマークルフが立っていた。
「男爵!!」
エルマたちが歓喜の声を上げるが、ヒュールフォンは鷹揚としながら向き合う。
『よくぞ……逃げずに来たな……だが、生身で立ち向かう気か……』
マークルフは先代からの宿敵を前にしてなお、不敵に微笑む。そして、踏み込みの構えをとる。
「てめえが瓦礫をかき混ぜてくれたおかげで取り出しやすくなった。礼を言うぜ──やれ、グーの字!」
マークルフの合図と同時に、周囲のあちこちの瓦礫の山が盛り上がる。細かく砕かれた瓦礫の下から地面と一緒に迫り上がったのは《アルゴ=アバス》のパーツだった。マークルフの踏み込みと同時に全身の装着信号と応答した複数のパーツがマークルフに引きつけられる。
『──させん!』
「それはこっちの台詞だ!」
ヒュールフォンが動くよりも早くマークルフは飛びかかり、右腕の刃を展開した。魔力レベルの上昇で力が若干回復していた刃は、鋼の鋼糸は切り裂けなかったがヒュールフォンを吹き飛ばすには十分だった。
その間にパーツがマークルフの全身に次々に装着される。
『おのれ!』
ヒュールフォンが踏み留まるが、その甲殻の仮面に再び手甲の拳が叩き付けられた。
「……礼を言うぜ、みんな」
よろめくヒュールフォンが顔を上げた時、目の前には完全な姿で《アルゴ=アバス》を装着したマークルフの姿があった。
」




