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水面下の攻防

リーナの前でヒュールフォンは装置をいろいろ操作するが、装置は復旧しなかった。完全には停止していないが、最低限の動作しかしていないようだ

「何が起こった!?」

 ヒュールフォンは装置に拳を叩きつけると、すぐに警護の騎士に外の状況を確認させる。

 やがて、騎士が報告に戻ってきた。

「分かったか」

「は、はい。現在、港で野盗どもが暴れ、仮面の剣士殿も近くの船で敵と交戦中は変わらずですが、湖岸で鉄機兵の姿が目撃されています。すぐに河の中に消え、現在は行方が掴めません」

「こちらの探知ができないうちに、誰かを乗せたか──船の警備を固めろ。錨もすぐに外せる用意をしておけ」

「しかし、城の認可なく船を動かすのは──」

「非常時だ! 国王陛下のことなら、後でわたしが何とでもできる!」

 騎士はこれ以上、不興を買うのを怖れ、慌てて持ち場に戻った。

「どうやら、そう思う通りにはいかないみたいですわね」

 リーナが冷ややかに告げた。

 そう、男爵はいつだって一筋縄ではいかないのだ。

 だが、ヒュールフォンはすぐに冷静さを取り戻した、いや、そういう風に見えた。

「ご心配なく。こっちもまだ切り札は用意しています」

 そう言うと、近くのソファにふんぞり返るように座った。

「──できればあまり見せたくない切り札ですがね」

「そうしていただこう」──

 男の声にヒュールフォンは立ち上がろうとするが、それより先に扉が乱暴に開き、何者かが踏み込んできた。

 ヒュールフォンは腰の剣を抜くが、男は小剣を振って弾き飛ばすと、ヒュールフォンの喉元に切っ先を突きつけた。

「……貴様──」

 男は全身、水で濡れた兵士の姿をしていた。

 それはまぎれもなく副長ログだった。


 少し前──


「これで探知を妨害するのか」

 ログはエルマから作戦の鍵となる《アルゴ=アバス》の動力ユニットの説明を受けていた。

 ユニットは現在、エルマの手で簡易的にだが魔力を出力できる装置となっている。

「ええ。探知装置の効果範囲が魔力を阻む“聖域”全体にまで及ぶのなら、装置の動力は魔力ではなくて、グノムスちゃんと同じく大地の気力を用いていると考えるべきでしょう。さらに言えば、装置の動力源はグノムスちゃんと見たわ。装置側で無駄に広範囲を探知するより、グノムスちゃんから送られる信号を受信する方が効率的でしょう。位置を知らせる信号が装置を動かす動力を兼ねているとすれば、信号の出力を抑えれば装置はすぐに止まるはずよ」

「さすがだな、すでにそこまで分かっているのか」

「実証するまでは分かったことにならないわ。あ、これ、マリエルの口癖ね」

「構わん。実証はいまからする。それで、どうするんだいい?」

「この動力ユニットをグノムスちゃんのハッチに入れて時限式で起動するの。強い魔力を打ち消すように霊力は働くから、一時的にグノムスちゃんの動力はそちらに持っていかれる。そうすれば、探知信号の出力は落ちるわ」



「……あの鉄機兵も囮だったか」

 ヒュールフォンは憎々しげに顔をしかめる。

 ログは《グノムス》と一緒に湖底の地下を進んで来た。巨人に乗ると探知されるため、巨人に地下空洞を作らせながら進み、船の近くまで来ると、地下を脱出して《グノムス》の動力を手はず通りに抑え込んだ。策が通じたのか、ログが浮上する頃には見張りは鉄機兵を探しており、囮のために湖岸に戻した《グノムス》に注意が集まっていた。

 その後、ログは錨鎖を登って甲板に取りつくと、《グノムス》に引きつけられている隙を突いて潜入したのだ。

 だが、ヒュールフォンはすぐに口の端を釣り上げた。

「さすがはゴロツキの傭兵だけある。忍び込むのは得意と見えるな」

「リーナ姫の許に忍び込む貴方ほどではございません」

 ログはリーナの姿を見て無事を確認すると、手近にあった置物を手にした。そして、それを船室の窓に投げつけてそれを割った。

「……わたしを取り押さえた合図か」

 ヒュールフォンは一転して追い詰められた立場にいながらも余裕の態度は変わらなかった。

「ヒュールフォン様!?」

 部屋の前に護衛の騎士たちが殺到した。ここに来るまでに何人かは撃退し、水の垂れる服装で床も濡れている。すぐに気づかれるのは予想していた。

「これからわたしをどうするつもりかね?」

「もうじき、わたしの部下たちがここにやって来るでしょう。貴方の身柄はそこの装置と一緒に国王陛下に引き渡します」

 騎士たちが困惑の顔を見合わせる。事情を知らない者がほとんどなのだろう。

 だが、ヒュールフォンの余裕の笑みがさらにはっきりとする。

「やれやれ、使いたくはなかったが……仕方あるまい!」

 ヒュールフォンの声と同時に、向かいの部屋の木壁が破られた。

 騎士たちの背後に現れたのは、細い四肢を持つ機械人形だった。それは水晶の単眼を持つ鋼の操り人形のようだが、その瞳は紅く輝き、無機質な意思のようなものを感じる。

 機械人形は両手に剣を持つ剣で不意を突かれた騎士達を薙ぎ払った。

「キャアッ!?」

 リーナが叫んで顔を逸らす間に、騎士達は鮮血で辺りを染ながら、その場に崩れ落ちた。

 機械人形はさらに通路の奥に向かって姿を消す。しばらくしてまた船員たちの断末魔の悲鳴が聞こえた。

「どういうつもりだ?」

 ログはヒュールフォンの喉にさらに刃を突きつける。あの機械人形が“切り札”なら止めさせなければならない。

「言ったはずだ。この切り札は極力、人には見せたくなかったとね。だから口封じさ。あれは君がやったことにさせてもらうよ。幸い、それだけの剣の腕があるからね」

 機械人形が戻ってきた。その身を返り血で浴びながら、ログを真紅の眼光で照らす。

「古代エンシアの対人制圧用の機械人形だ。もっともこの時代なら粛正用というべきかな」

 機械人形が音もなく踏み込み、剣を突き出す。その一撃は凄まじく速く、そして正確だった。ログはそこから飛び退いて躱した。刃が頬を掠るが、少しでも反応が遅れていたら顔を串刺しにされていただろう。

「お見事。さすがだ」

 ヒュールフォンが賛辞を贈るように拍手をする。

 機械人形がゆっくりとログに向き直る。ログは剣を構え直すと同時に機械人形は早足で突進してきた。左の剣の突きが放たれ、ログはそれを身体を傾けて躱す。機械人形の剣が壁を貫通する隙を突いてログは剣で斬りつけるが、その刃は鋼の装甲にはまったく歯が立たない。右の剣が薙ぎ払ってくるが、ログは剣でそれを受け流す。しかし、機械の力は受け止めきれず、ログは吹き飛ばされる。

「ログさん!?」

 リーナはの悲鳴がすると同時に、ログは壁に叩き付けられた。

「ほお、これは素晴らしい。受け止めきれないと見て、自分の身体を浮かせたか」

 ログは立ち上がる。確かにそうしなけらば剣を折られ、そのまま斬られていたかもしれなのだ。

 機械人形は再び近づき、双剣の攻撃を繰り出す。

 ログはそれを躱していく。剣での受けが危険な以上、そうするしかないが、幸いにも剣技自体は単調だ。エンシアの技術でも熟練の剣さばきは再現できなかったのだろう。

「忠告しておくが、その機械人形はこの前、狩った“実験体”の装置を動力に流用しているんだ。この“聖域”内でもかなりの稼働時間があるから、体力切れは狙わない方がいいぞ」

 ログはヒュールフォンの言葉を無視し、戦いを続ける。

 やがて、機械人形の動きに隙ができる。ログはその懐をかいくぐり、ヒュールフォンへと突き進む。ヒュールフォンを取り押さえ、この機械人形を止めさせるのだ。

 だが、ヒュールフォンの喉元に向かうはずだった切っ先が途中で止まった。

 機械人形がログの頭上を跳躍して前に回り込み、真正面から剣の鍔で受け止めたのだ。

 ログは驚愕するが、すぐに飛び退く。機械の剣が足許を薙ぎ、床を大きく切り裂く。

 ログは踏み込んで突きを繰り出sた。狙うは機械人形の水晶の“目”だ。剣先が“目”に突き刺さり、亀裂が入ると光が消えた。

 途端に機械人形の動きが止まる。視力を失い狼狽する代わりに、無駄な消費をしない機械独特の行動に移ったらしい。

 ログはすかさずヒュールフォンの前に立つと、剣を向けた。

「命令してもらおう。あの機械人形の動力を切れ」

「口の利き方に気をつけろ、ゴロツキ」

 ヒュールフォンは余裕を崩さずに言った。

「真の君主の前では命令がなくとも動くものだ」

「危ない!?」

 リーナの悲鳴が聞こえ、ログは咄嗟にその場から飛び退く。

 背中の左肩口に激痛が走るが、ログは床で受け身を取ってすぐに起き上がった。反撃に出ようとするが、それよりも先に機械人形の手がログの喉を掴み、そのまま持ち上げるように壁に叩き付けた。

 頭と背中を打ち付けて朦朧とするなか、ログの脳裏に疑問がよぎる。

 単調な動きしかできないはずの機械人形が軽業的な動きをし、視界を潰されても正確に標的の位置などが分かるのかと──

「……ま、さか」

 首を締め付けられるなか、ログはヒュールフォンを睨み付ける。

 隊長から聞いたことがあった。《アルターロフ》は疑似知能を持つ全ての魔導機械を操る力があることを──

「何を考えているか分からないが、まあ、正解としておこうか。だから、言ったんだよ。これはあまり人に見せたくないってね」

 それで騎士や船員たちまで皆殺しにしたのだ。

 ともかく非常事態だ。ヒュールフォンは《アルターロフ》と深く関わっているのは間違いない。

「さて、姫……どうされるかな」

 ヒュールフォンは自らの剣を抜いて、ログの眼前に切っ先を向ける。

「このまま、この男を見殺しにしますかな」

 ヒュールフォンの剣先がログの瞳に近づく。

「やめてください!」

 それを止めたのはリーナの叫びだった。



 仮面の剣士とディエモス伯爵の戦いは不安定な筏の上でありながら、なおも続いていた。

 仮面の剣士の一撃を伯爵は剣で受け止め、強引に押し返した。仮面の剣士は後ろに飛び退き、筏の端に着地する。

「ほお、何度やっても踏みとどまるか。大した軽業師だ」

 伯爵は眉間の刀傷から血を流しながらも、なお感心する余裕を見せていた。不安定な足場では刃を殺す受け方が十分にとれず、かなりの傷を負っている。たが、その闘志は逆により強固になっているようで、少しも剣の衰えは見られなかった。

「……お代は結構なので、早くお帰りいただきたいものですな」

 仮面の剣士は剣を構え直す。優位に立っているはずだが、仮面の剣士の姿になぜか焦りを感じていた。

「つれないことを言うな。人を待っているものでな、それまで、もっと余興を見せてくれ、道化よ」

 伯爵が剣を構え直す。そうだ、この落ち着きぶりが異様だった。伯爵本人の気質があるのだろうが、何か裏があるような気がしてならなかった。

 その時、仮面の剣士は視界の端が光った。小舟に置いていた水晶球の輝きだ。先ほどまで理由も分からず光を失っていたが、どうやらまた力を取り戻したようだ。

「……どうやら、来たようだな。これで我が輩の役目は果たせる」

 伯爵は勝ち誇ったように告げた。

 悪い予感を覚えた仮面の剣士は決着を付けるべく、一気に踏み込む。伯爵との間合いを詰めると、渾身の突きを放った。不安定な足場ではこの突きを完全に避けることはできないはずだ。

 だが、伯爵はその突きを身体を躱しながら、刃を装甲で受け流した。完璧なまでの防御だ。

 その時、仮面の剣士は気づいた。

 足場である筏が揺れていないのだ。そう、まるで下が地面になっているかのようで、それで伯爵は防御をとれたのだ。

(まさか──)

 水晶が目映く輝くとうことは大地を自在に操る鉄機兵がすぐ近く、いや、真下にいるということだ。

 そして、その予想は的中した。

 見上げた仮面の剣士の視界に、鋼の右腕を持つ少年が映った。

「よそ見はいかんな!」

 目の前に伯爵が迫っていた。

(ここまでか──)

 仮面の剣士は伯爵が薙ぎ払った剣を受け、筏から転落する。

 そして、いれ違いに見た。

 鉄機兵グノムスが湖底から突き上げた土の柱で筏を固定し、それを足場に連続で跳躍するマークルフ=ユールヴィングの姿を──

 そう、最初から伯爵と筏はこの時のために用意されていたのだ。鉄機兵の探知の妨害工作の真の役目も、これを悟らせないためだったのだ。



「やめてください!」

 ログの窮地を看かねたリーナが叫ぶと、ヒュールフォンは手を止めた。だが、まだ足りないとばかりにヒュールフォンは剣を下ろさない。

「……貴方の言葉に……従います」

 リーナがそう言うと、ヒュールフォンはようやく振り向いた。その顔には勝ち誇った顔を浮かべていた。

「それでいい。ははっ、そうとも、エンシアの姫を、戦乙女を、あのようなドブ犬に渡してなるものか」

 ヒュールフォンはリーナにゆっくりと、近づくと、右手の人差し指をリーナの唇に添えた。そのまま指を下に這わせ、胸元の感触を楽しむように指を突きつける。

 リーナは毅然とした顔をするが、身体は恐怖に震えていた。それが指を通して向こうに伝わっているのが悔しくて仕方がなかった。

 しかし、こうしなければログの命はない。向こうが本当に約束を守る確証がないにしてもだ。

 ヒュールフォンがリーナの身体を指で強く押し、背後のソファに強引に倒す。

「幸運だぞ、そこの男。伝説の乙女が人の子に自ら身を差し出す姿を、間近で目撃できるのだからな。貴様の親玉が来たら、その様を語って聞かせてやるがいい」

 ヒュールフォンはそう言ってリーナを見下ろす。

 その時、部屋の隅にあった装置が再び息を吹き返した。すぐに《グノムス》の探知をはじめるが、場所は湖岸であり、なかには誰も乗っていないようだ。

「いまごろ復旧したか。だが、これで救援は望めないことがはっきりしただろう。さて、あのドブ犬が来るまでどれぐらいかかるかな。まあ、どう足掻いても手遅れだろうがね。空でも飛べない限り、ここまでひとっ飛びには来れまい」

 ヒュールフォンが手を伸ばす。

 リーナが思わず目を背けた時、部屋のなかを轟音と木材がへし折られる音が轟き、船が揺れた。

 轟音が静まり、船体が揺れるなか、リーナが顔を上げる。

 信じられない光景がそこにあった。

 部屋の天井を破壊してそこに現れたのはマークルフだったのだ。

 マークルフは鋼の装甲を纏った右腕の籠手からやや湾曲した刃が迫り出し、ログを捕まえていた機械人形の腕を切断した。そして、返す刀で機械人形のもう一方の腕も切断すると、機械人形の胸を蹴り飛ばす。重量のあるはずの機械人形はまたしても部屋の外壁を破壊しながら突き落とされていった。

 派手な水飛沫がしたが、やがて静かになる。

「……両腕がなくてはもう浮かんでこないだろう。まあ、もとから泳げるとも思えんがな」

 マークルフはそう言うと、リーナの方を向いた。

「待たせたな。姫のためならひとっ飛び──もとい、二段跳びで参上したぜ」

 マークルフはいつもの、そして安心することができる不敵な笑みを投げかけた。

「言ったはずだぜ。何かあっても俺がどうにかしてやるってな」

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