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乙女の祈り

 数刻前──


 タニアは大公の屋敷の一室にいた。

 そこは男爵が私室として使っている部屋だ。主は城に拘束されていなかったが、そこには一振りの黄金の槍が壁に掛けられていた。

 常に肌身離さないはずの《戦乙女の槍》を今回に限って男爵は置いていった。

「もう、大事なお守りを置いていくから思いっきり追い込まれてるじゃんか」

 タニアはつい愚痴る。そのためにログは危険な戦いに向かう羽目になったのだ。

 だが、すぐに思い直した。悪いのはフィルディング側だ。槍を置いて謁見に出向いたのも、きっと最近、リーナ姫とうまくいっていなかったからだろう。槍に誓って守ると決めた姫が、謁見が終われば離れていくことも覚悟していたのかもしれない。

 タニアは槍の前に立つ。間近でじっくりと見るのは初めてだったが、その名の通りの美しい槍だ。

 いざとなればどこかに持って逃げなければならないだろう。男爵たちが戻っても槍がなければ“戦乙女の狼犬”の復活にはならないのだ。

「戦乙女様、みんなが戻るまではあたしが槍を守ります。ですから、どうかログさんたちが無事でありますように──」

 タニアは槍の前で祈る。自分が誓うことで、戦乙女に彼らの武運を約束してもらうために──

「ログとは《オニキス=ブラッド》の副長のことかね?」

 突然の背後の声にタニアは慌てふためく。

「これは驚かせてすまなかった。扉が開いていたのでな」

 振り返ったタニアの前に立っていたのは白き鎧を纏った騎士だった。

「え、ええと、騎士様は確か、以前に男爵と、いえ閣下と──」

 見覚えがあった。この王都の旅の途中に合流した伯爵だったはずだ。

「左様。カーグ=ディエモスだ。君はユールヴィング男爵の付き人かね? エルマという女性を探していたのだが知らないかね?」

「エ、エルマさんも、その、ちょっとお使いに──」

「そうかね。うむ、実は国王陛下のご下命により、しばらくこの館を預かることになってな。この屋敷を熟知するエルマ殿と話がしたかったのだが……おお、あれは男爵の槍ではないか。それも探していたのだ」

(そ、そんな……)

 タニアは膝から崩れ落ちた。そうなればすぐにログたちのことは分かってしまう。槍を持ち逃げするのも今からでは無理だろう。

「どうした、お嬢さん?」

 伯爵が訊ねるが、タニアは目から涙をこぼした。たったいま、槍を守ると誓ったばかりなのに、これではログたちの無事を祈るどころではない。

(どうして、自分はいつも肝心なところでドジなんだろう──)

 タニアは泣きじゃくりながら目を擦る。貴族の前だが自分が情けなくて立ち上がる気力も湧かなかった。

 伯爵は黙ってその姿を見ていたが、やがてタニアの肩に無骨な手を置いた。

「そうか、いまの祈りは聞いてはいけない祈りだったのだな」

 伯爵が穏やかな声で告げた。てっきり不敬罪でどうにかされると思ったタニアは思わず顔を上げる。

「涙を拭きたまえ」

 伯爵はハンカチを差し出した。意外と良い香りのするハンカチでタニアは言われた通りに涙を拭いた。

 伯爵は立ち上がると、《戦乙女の槍》の前に立つ。

「ここに居合わせたのも戦乙女の導きかも知れぬな」

 カーグは剣を抜き、胸の前に掲げる。

「時は来た。我が剣と戦乙女の前で誓おう、お嬢さん。これより我が輩はそなたが無事を祈る者の敵を我が敵としよう」

 カーグは剣を収め、部屋を出て行こうとする。

「あの、どちらへ!?」

「決めておらぬ。だが、男爵の部下たちが動きだしたなら、いずれは分かるだろう。陛下のため中立の立場にいたが、いよいよ獅子身中の虫退治の時が来たようだ」

 伯爵はフィルディング側と戦うつもりのようだ。しかし、それは危険な立場に自ら立つようなものだ。

「待ってください! どうしてあたしの為にそこまで──」

「乙女の涙を前に動かずして、どうして“騎士”は名乗れよう。それにフィルディングの跳梁を許してきた罪、償わなければならない。そなたの秘めたる想い、我が輩だけでもそのために戦うことで少しでも贖罪にしたいのだ。安心したまえ、この部屋でのことは生涯、誰にも言わないことを誓おう」

 部屋を出る伯爵を追って、タニアは慌てて追いかけると、騎士の背中に向かって言った。

「ログさんたちは港に行っています。高台で様子を探るっていってましたから、いまならまだ追いつけるかも!」

 伯爵は振り返ると、彫りの深い顔に笑みを刻んだ。

「礼を言う」

 伯爵はそれだけ言って、通路を歩き出す。

「が、頑張ってください! そして皆と一緒に戻ってきてください!」

 伯爵は立ち止まり、振り向かずに言った。

「祈りはそなたの想い人のために捧げたまえ。身分違い、そしておそらく向こうにはリーナ姫がおられるだろう。それでも涙するそなたの為に、我が輩は必ずや連れて帰ろう」

「……え、リーナ姫?」

「ユールヴィング男爵をな」

(す、すみません!? 一番肝心なところが──)

「さらばだ。侍女服に身を包みし、気高き乙女よ」

 去って行く伯爵にタニアは訂正しようとしたが、覚悟を決めた伯爵を前にしては、ついに口にすることができなかった。 

「……だ、大丈夫かな」



「さあ、その強情がどこまで続くか楽しみだ」

 ヒュールフォンはリーナの顎に手をかけながら、彼女の強気を崩さない顔を愉悦の表情で見つめる。

「……貴方は何も畏れないのですか」

 あまりにも不遜なヒュールフォンの態度に、リーナは訊ねずにはいられなかった。

「神を否定したエンシアの姫らしからぬお言葉だ。それとも神の娘としてのお言葉かな。どちらにしろ、その通りと答えましょう。我がフィルディング一族にとって、手に入れた物の価値こそがその者の価値なのです。エンシアの姫と神の娘。これほどの価値ある者を前にして畏れるなど、フィルディングの名折れというものです」

「……フィルガス王が《アルターロフ》を蘇らせ、世界を支配しようとしたのが良く分かりましたわ。そのために大地は傷つき、多くの命が失われ、最後に自らの国を失ってしまった」

「いえ、フィルガスは失われてはいません。全てを失うのはユールヴィングの方だ」

 その時、扉をやや乱暴に叩く音がした。

「閣下、お知らせしたいことがございます!」

 見張りの兵の声がした。

 ヒュールフォンが入室を許可すると、親衛騎士の一人が焦った様子で入ってきた。

「こ、これは閣下、お取り込み中、申し訳ございません!」

 リーナに手をかける姿を邪推したのか、騎士は慌てた様子で頭を下げる。

「構わん、報告を聞こう」

「ハッ、先ほどユールヴィング男爵が城を抜け出し、こちらに駆けつけているそうです!」

 その言葉にリーナは驚く。ヒュールフォンの手を振り解き、さらに騎士に説明を求めるように見る。

「どうやって城を抜け出した?」

 ヒュールフォンの表情が硬くなる。

「《アルゴ=アバス》の一部を右腕に装着しているとのこと。国王陛下もリーナ姫救出のために一時的に行動を容認しているようです」

 騎士は動揺を隠しきれない様子で告げる。

「ここは危険でございます。向こうが強化鎧を完全に纏えば、ここも──」

「うろたえるな」

 ヒュールフォンは機械装置の前に立った。

「“聖域”では魔力消費が激しい。右腕のみに絞って稼働時間を延ばしているのだろう。完全に纏えば逆にすぐに身動きできなくなる。右腕のみでもいずれは魔力を使い切って停止する。焦るな。時間はこちらの味方だ」

 ヒュールフォンの声は冷静だった。ユールヴィングを仇敵とするだけあって、その切り札についてもかなりの知識を持っているようだ。

「空も飛べまいし、装甲を纏ったまま泳ぐこともできまい。この船に殴り込むことも当然、できまい。いままで通り、守りを固めろ。ただし、鉄機兵の動きにだけは目を離すな」

「ハッ!」

 騎士は落ち着きを取り戻すと部屋を出て行った。

 ヒュールフォンは装置の映像を睨みながら、やがてほくそ笑む。

「面白いことになってきましたよ。これでユールヴィング側が何も証拠を出せなければ国王自身の責任を言及することもできるようになる。我がフィルディングが今後、有利な立場に立つこともできる」

 ヒュールフォンが装置を操作すると、《グノムス》の位置を示す光点が表示される。

 それを見る限り、現在はこの近くの湖底にいるようだ。内部に人は乗っていなかった。

「この鉄機兵もいずれはわたしの物になる。珍しい型です。分解すれば古代技術の復活に大いに貢献してくれるでしょう」 

「何もかも、貴方の思い通りにいくものですか」

 リーナは語気を強めたが、ヒュールフォンは余裕の表情でそれに頷く。

「それは誰にとっても同じ事。だからこそ、手に入れた物に価値はあるのです。貴女こそユールヴィングの反抗がいつまでもうまくいくと思っていませんか? そもそも貴女の救出が思通りにいくとは限りませんよ」

 リーナは言葉に詰まる。確かに男爵の心配をしていたのは間違いなかったからだ。

 しかし、リーナはそれでも毅然としてヒュールフォンを睨む。

「……それでも、為し続けることこそ価値あることだと思いますわ」

「それはただの自己満足というものです」

 ヒュールフォンは肩をすくめる。

「いいえ……エンシアは一度は世界を手にしました。しかし、貴方の言う通り、その統治はずいつまでも続きませんでした。そのために世界に《アルターロフ》という消すことのできない災厄を遺してしまったのです」

 リーナはヒュールフォンの顔の方を睨み付ける。彼の顔を見ているのではない。その顔に表れている人の傲慢の罪と対峙しているのだ。

「私がこの時代に驚いたのは、人々は世界の崩壊を乗り越えて生き続けていることでした。そしてその災いの元凶に抗い続けるマークルフ様ともお会いすることができました。私もこの時代でどうするべきか決めたところでした」

 リーナは目を伏せ、自分に言いきかせるように告げる。

「この時代に生き続け、世界の行く末を見続けることです。手に入れた物を自らの価値と考えることは否定しません。ですが、それが行き過ぎると、最後に手に入れるのは世界の命そのものとなりかねないのです」

「大したご高説だ」

 ヒュールフォンはゆっくりと拍手をしながら言った。

「貴女の目にはさぞや、この時代が素晴らしく見えるのでしょう。ですが、わたしにしてみればただ生き続けるなど、死人でいるのと同じこと。世界の命のために死人でいるなど、世界に命を食われるものでしょう。ならば逆にわたしは世界を獲物としますよ。それこそがフィルディングの名を持つ者にとっての究極の価値です」

 リーナは胸が締め付けられるぐらいに悲しくなる。まるでエンシアの支配者に共通した価値観だったからだ。長い歳月を以てしても人の中からそれは消えないのだろうか。

 その時、機械が警報を鳴らした。

 ヒュールフォンが慌てて映像を確認する。映像には警告メッセージが表示されていた。メッセージは機械の動力不足の表示だった。計器や表示の光が薄れ、映像も《グノムス》の位置を失っていた。

「何だ、何が起こった!?」

 

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