“リーナ”
「さて……話を本題に戻しましょうか」
リーナの方にヒュールフォンが向き直る。
彼女は毅然とした表情を崩さないまま尋ねる。
「男爵領に侵入した部隊がグノムスの位置を知らせる水晶を持っていました。この装置の一部だったのですね」
装置には複数の水晶球が取り付けられているが、幾つかは外されているようだった。おそらくはあれが親機であり、水晶球は子機のような物だろう。
「その通り。さすがはエンシア王女の記憶を持つだけはありますね」
ヒュールフォンの謎めいた言い方に、リーナはつい訝しむ表情を浮かべる。
「確かにユールヴィング領に部隊を差し向けたのはわたしです。これも、貴女の言う水晶も我々フィルディング一族に伝わる古代の遺産の一です」
「これがあったから、私が地上に現れる時や位置までご存じだったのですね? ずっと、これで監視していたのですか?」
自分は地中で孤独に過ごしていたと思っていたので、監視されていたなんて考えたこともなかった。だが、いつ地上に現れるか分からないまま監視されていたと思うと正直、良い感情は湧かない。
「いいえ。むしろ、この装置は長年、忘れられていました。その存在価値がなくなっていたからです」
ヒュールフォンがかぶりを振った。
「貴女はすでに死亡しているはずだったからです」
リーナは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
ヒュールフォンはそんな彼女の反応を確かめるように見つめると、さらに説明を続ける。
「グノムスには、永い時を眠ったままで過ごすための生命維持装置が搭載されています。しかしそれに不備があったようです……映像をごらん下さい」
ヒュールフォンが装置を操作し、映像を映しだす。
映像には《グノムス》の内部構造と、その中で眠っているリーナの姿が映っていた。その周りには様々なデータが表示されている。
「それはグノムスのなかで眠っていた王女の生命反応を計測するものです……いまから、過去の記録を再生します」
ヒュールフォンが水晶の表面を操作する。計器の上に記されている経過日数を表示する数字が逆戻りし、それに伴って計器の光の波長も激しく揺れる。
「……これが問題の日時です」
ヒュールフォンが示したのは今から百年近く前だろうか。
映像は先ほどと同じような映像を映し出す。
しかし、そのうちのデータ表示に変化が見られた。
特に激しく変わったのは光の波として表されている生命活動を示すデータだ。その波長は先ほどのように大きくはなく、弱々しい小さな波が途切れ途切れに映し出されている。
「これは……」
「弱っているのです」
ヒュールフォンが答えた。
「生命維持装置の不調でしょう。巨人の中にいた古代王国の姫は地中で眠りにつく過程で装置の故障により弱っていたのです。そして――」
ヒュールフォンが表情を変えぬまま、水晶を操作する。
他のデータの変化も激しくなり、警告表示が幾つも映しだす。だが、ついに光の波が消え、データも一斉に消える。最後に“死亡”を示す表示と、水平の光の筋だけが表示されるだけだった。
「生命反応が消えました。つまり、姫は巨人のなかで死亡したことになるのです」
リーナは動揺せずにはいられなかたった。
自分は死んでいた――
どう受け取っていいか分からないまま、リーナは反応のない計器に目を見張る。
「話はこれだけではありません。見ていてください」
ヒュールフォンの操作で再び映像に変化が生じた。
その日付から、今度は最近になっての記録だろうか。
映像のモニター表示はほぼ動いていなかった。管理するはずの自分が死んでしまっていたからなのだろうが、現に生きている自分がその映像だけで納得することはできなかった。
「ここからです」
ヒュールフォンの表情が硬くなる。
突然、モニター表示が変動した。それもいままでになく激しい反応だった。
「鉄機兵グノムスには様々な力の測定機器も装備されています。いま激しく反応しているのは“光”の力です」
測定器の表示は限界は超えて悲鳴をあげるように激しく明滅し、やがて消えた。
「それだけではありません」
しばらくの間、《グノムス》からの通信が途絶えたのか、映像の表示が消えた。
「我々は装置の故障も考えました。しかし、やがて記録は再開しました。不思議なことに何もなかったかのようでしたが、ただ一つだけ違っている点がありました……巨人の中にいた王女の生命活動が復活しているのです」
ヒュールフォンの言葉を裏付けるように、映像にあるモニターの光波は先ほどよりも力強く波打っていた。
「私は……」
リーナは言葉を継げなかった。
自分は一度、死んでいて、後になって蘇っていたということになる。しかし、たとえエンシア文明の力を以てしても死者の完全復活はできなかったはずだ。
「このデータにはとてつもなく膨大な輝力を観測された記録が残っています。考えられるとすれば、あれは“光”に属する存在、それも、とても高位の存在といっても良いでしょう。おそらくは上位の神族か、もしくは、これはわたしの推測でしかないのですが、貴女はあの時、“神”そのものと接触したのかもしれません」
ヒュールフォンが興奮を隠しきれない様子で告げる。
「さらに、グノムスの中にいた貴女にまで輝力の反応が確認されたのです。これを知った我々は貴女が神に近い存在であると結論付けました。そして、接触する機会をずっと待っていたのです。そして、ようやく巨人が動き出したのを知り、何とか貴女をお迎えしようとしました。しかし、グノムスが地上に出現する時も、親衛騎士団を動かした時も、ことごとくユールヴィング卿に邪魔されました。だが、ようやく、こうして貴女をお迎えすることができたのです」
ヒュールフォンが再び熱のこもった瞳でリーナを見る。
「我々は本当のことが知りたいのです。貴女は“神”に出会った。いや、貴女は本当の王女ではない。ならば、貴女は“神”の御使いなのかも知れない!」
「やめてください!」
リーナはたまらず叫んだ。
自分がすでに死んでいた。自分は本当の王女ではない。しかも、地中で神様に接触しているとまで言われても、彼女にはどうすることもできなかった。自分は何も覚えていないのだ。ずっと王女リーナだと信じていたのだ。
「……一つ、教えて下さい」
ようやくして、リーナは声を振り絞った。
「私が本物の王女リーナではなく、指輪が反応しないことも、すべては貴方の予想通りだったのですか?」
「予想はしていました。しかし、確証を得たのはティーゲル子爵の城で出会ってからです」
ヒュールフォンが答えた。
「貴女は記憶になかったかも知れないが、そこでお会いした時にあの指輪を身につけていたのです。これは純粋に指輪が貴女に対してどう反応するか確かめたかったからです。そして、貴女と踊った時、指輪は反応しなかった。これで貴女が本物とは違う存在だと確信しました」
「……そして、マークルフ様を陥れるために指輪と私を利用したのですね」
祖国を失った者同士としての同情を利用しながら、すでに策略を進めていたのだ。
リーナの表情は険しくなるが、ヒュールフォンは表情を動かさなかった。
「貴女を利用したくはありませんでした。ですが、いずれは分かること。それまでの間、ユールヴィング卿に委ねるなど許すことはできませんでした。我が祖国のみならず、神聖なる乙女までを食い物にされるとあれば、わたしはどのような手段をとってでもそれを阻止します」
ヒュールフォンの言葉は厳しかった。マークルフがフィルディング一族を敵と見なすのと同様に、彼もまたユールヴィングの存在が許し難いのだ。
「しかし、ようやく貴女を彼の下から引き離すことができました」
ヒュールフォンが真摯な眼差しをリーナの瞳に向ける。
「わたしも子供の頃から、このことを教えられてきました。“神”の娘が地上に現れる時を心待ちにしていました。そして、いま、こうして貴女とわたしがここにいる――これも運命、あるいは“神”の御意思でしょう。光の乙女よ、貴女がこの地に目覚めた使命をどうかお示しください。さすれば、わたしは貴女の勇士となり、そのために剣を捧げましょう。いえ、わたしだけではありません。我が一族もまたそのための礎として力を尽くしましょう」
ヒュールフォンはその言葉通り、リーナの前にひざまずく。
リーナはしばらくその姿を無言で見つめていたが、やがて言った。
「残念ながら、私はそのような使命を与えられた記憶はありません。私はリーナ=エンシヤリス以外の何者でもないのです」
リーナはその場を離れ、ヒュールフォンに背を向ける。
「……きっと貴方は自分がひざまずくことが、相手にとっての最大の賞賛と思われているでしょう。ましてや、この時代に権勢を振るうフィルディング一族の力を得られるとすれば、それ以上に望むことなどありえないとお考えかもしれません」
リーナは毅然とした態度を背中で示しながら告げる。
「――ですが、私は拒否します。私が何者であろうとも、貴方を選ぶことはきっとないでしょう」
ヒュールフォンはしばらく黙っていた。
しかし、やがて含み笑いが聞こえだした。
「……なるほど、“神”の意思を理解するのも一筋縄ではいかないということですか」
リーナが振り向くと、ヒュールフォンは笑いながら立ち上がっていた。
「……何がおかしいのですか」
「貴女があくまで自らを“リーナ”だと言うのなら、“神”はそれこそ、その少女“リーナ”に自らの力と使命を託したということでしょう……なら、わたしも貴女をそう扱い、その意を従わせることにしましょう」
リーナは身の危険を感じ、身を強ばらせるが、ヒュールフォンはそれを見て楽しむようにほくそ笑む。
「ご安心を。わたしは強引な手段は好きではありません。ただ、貴女がわたしを選ぶのを待つだけです」
ヒュールフォンは椅子に座ると、リーナを試すように問いかける。
「ですが、貴女はただ待っているだけではすまないはず。ユールヴィングの手下たちが動き出したようですが、こちらもそれはお見通しです。いずれは一網打尽になるでしょう。そうなれば、それこそドブ犬どもも言い逃れはできなくなる」
男爵たちをドブ犬と呼ぶことにリーナは激昂しそうになるが、ヒュールフォンはそれをも楽しむように涼しい笑みを浮かべる。
「貴女が偽姫なのは間違いないこと。この勝負はわたしが圧倒的に有利なのですよ。だが、貴女の考え次第ではこの勝負、流しても構わないとも思っています」
リーナは両手を握る。ヒュールフォンが自分を追い詰めて従わせようとすることは明らかだった。嫌悪の感情が湧き上がるが、いまそれを表に見せれば男爵たちを救えないかもしれないと考える自分もいた。それが悔しかった。
「わたしを恨まないでいただきたい。あくまで“リーナ”でいることを選んだのは貴女なのですから。ですが、これで良かったかもしれませんね。わたしは“リーナ”という少女と“神”の娘の両方を我がものにできるのですから――」
先ほどまで崇拝するようにひざまずきながら、それをはねつけられると豹変して、乙女を屈服させることを楽しもうとしている。
リーナは悟った。
この男は自分を男爵から奪い取りたいのだ。歪んだ恨みと歪んだ欲望を満たすためなら、本当にこの男はどのような手段でも打つだろう。
「見てご覧なさい、貴女の鉄機兵がすぐ近くまで来ている」
装置の映像は一つの反応を映しだしていた。それはこの近くに《グノムス》が来ていることを示している。だが、それによって男爵たちの動きがヒュールフォン側には筒抜けかもしれないのだ。
「ついでに言っておけば、向こうがこのことに気づくこともちゃんと想定しています。この装置を手に入れてわたしの陰謀を明らかにしようという魂胆でしょうが、いざとなればわたしは躊躇いなくこの装置を破壊します。しかも、ここは船の上。鉄機兵も手を出せず、忍び込む道もない。さて、貴女がどう判断するか楽しみだ」
ヒュールフォンはそう言うと夜景の見物をするかのように船室の窓から外を睨むのだった。
仮面の剣士は河の真ん中に停泊する船を背にし、小舟の上に腰掛けていた。
港のあちこちで灯りがゆらめき、兵士たちの声がここまで伝わってくる。
港を襲撃した――おそらくはユールヴィング麾下の傭兵たちの対応に追われているようだが、この様子では手に余っているようだ。
仮面の剣士は懐から水晶球を取り出す。
「仮面の旦那」
同乗する船頭の男が尋ねてくる。
「奴らはいったい、どう出てくるつもりなんですかね?」
「船の反対側から鉄機兵が近づいているようだ。中に誰もいないとなると囮の可能性が高いな」
輝く水晶球を見ながら仮面の剣士は答える。
この水晶球は他と違い親機側で情報開示の設定を変更されている。居場所だけでなく、内部に人が乗り込んでいるかを調べることも可能だ。
「船に戻りますか?」
船頭はさらに尋ねるが、仮面の剣士は首を横に振る。
「いや……灯りを消して静かに進んでくれ」
仮面の剣士は脇に置いていた剣を手に立ち上がる。
船頭は言われるままに小舟を港側に向かって静かに進めた。
やがて夜の闇に潜むようにこちらに進んでくる筏があった。
筏の上に乗るのは黒の外套を纏った男だ。
不思議なことに他に操船する者がいない筏が河の流れに逆らい、こちらに近づいてくる。
向こうも小舟の存在に気づいたのか、筏が動きを止まる。
筏に乗っている男は動こうとせず、小舟が横付けし、仮面の剣士が乗り込んでも慌てる素振りは見せなかった。
「やはり貴殿が来たか」
仮面の剣士は剣を腰に差すと黒外套の男に近づく。
「港で他の者らが注意を引きつける間に一人で乗り込もうとは、いかにも貴殿らしいな。鉄機兵の動きを知られることを逆手にとり、囮の役をさせながら自身は警戒の緩む流れの反対側から侵入を試みる。この筏もおそらく河底から鉄機兵にロープで引かせているのだろう?」
仮面の男は剣を抜いた。
「わたしはこのような足場には慣れているが、さて貴殿はどれほどのものかな?」
黒衣の男はようやく動きを見せる。僅かに表れている口許に笑みを浮かべたのだ。
「抜いたな――」
男は顔を覆うフードを後ろにずらした。
「――ならば、こちらも剣を抜かねばなるまい」
男は暑苦しいまでに精悍な笑みを浮かべると、腰の大剣を抜き放って仮面の剣士を薙ぎ払う。
「チッ――」
鋭い太刀筋に仮面の剣士は後ろに飛び退き、剣を構え直す。
小舟に身を潜めていた船頭が短剣を抜き、男の死角となる暗闇から襲いかかった。
「伏兵か!」
剣を振り切った隙を狙ってきた攻撃だが、男はためらうことなく左腕で受け止めた。
短剣の刃は通らず、逆に男が船頭の首を掴むと、大剣の柄でその頭を殴りつける。船頭は後ろによろめき、小舟の縁に足を引っ掛けると、その中に倒れた。
男が外套を脱ぎ捨てる。
その下は白の板金鎧に包まれていた。
「……貴公、何者だ?」
仮面の剣士は尋ねた。
扱いの難しそうな大剣を易々と操り、船頭に扮していたとはいえ、ヒュールフォンの密偵を簡単に撃退した。それに水の上でも躊躇なく全身鎧で武装しているという意味でも、とても只者とは思えない。
「名を尋ねる時は自分から名乗るものだが、我が輩の方から訪れているからな。先に名乗るとしよう。我が名はカーグ=ディエモス! クレドガル王国に仕えし白鎧の騎士なり!」
仮面の剣士もその名は聞いたことがあった。
クレドガル王国でも屈指の武勇を誇る騎士であり、フィルディング側が危険視する人物の一人だ。もっとも、独自の騎士道に従い国王に仕えることのみを是とし、フィルディングや大公バルネスの派閥にも組しないことは広く知られている。そういうわけで、とりあえず面倒なので触れないようにしようというのが暗黙の了解となるほどの面倒な人物だ。
「その名は聞き及んでおります、伯爵殿。しかし、これはどういうことですかな?」
「姫君のご様子を伺いに来たのだ。姫様の身を案じる少女に頼まれてな」
「……ご自分のお立場がどうなるか、お分かりなのですかな?」
「我が輩は仮面で顔を隠すやからの言葉には耳を貸さないことにしている。そもそも、剣を抜かれた以上、こちらも剣を抜かねばなるまい」
話にはならないと判断した仮面の剣士は剣を構えた。
「忠告しておきますが、溺死という不名誉な死に方になりますぞ?」
伯爵も大剣を構える。
「これが我が正装でな。死ぬならこの姿でと思っている。無論、この場ではないがな」
仮面の剣士は動いた。持ち前の俊敏さで伯爵の懐に飛び込むと、剣でその喉元を突いた。
伯爵は避けない。いや、僅かに身体を傾けるだけだ。しかし、刃は鎧の上を滑り、剣の軌道が逸れた。
伯爵がそのまま片手で大剣を振り下ろす。
仮面の剣士は剣で受け止めようとするも、すぐに諦めて横に飛び退く。床を転がり、間合いを取りながら、すかさず立ち上がった。
「……なるほど、確かに面倒な騎士殿だ」
足場の悪い筏の上で素早い自分の動きを見抜いて合わせてきた。口だけではない。間違いなく腕も立つ。
それに鎧が正装と言う言葉も誇張ではない。ただ受け止めるのではなく、刃を殺す効果的な使い方を身体で覚えている。
逆にその剛剣は相手がどう受けるかを考えない重い一撃で、まともに受けていたらすぐに剣をへし折られただろう。
仮面の剣士はその仮面の下でため息をつく。
お互いに技の全てを乗せ、命や大義を賭けて刃の応酬という踊りに興じる――これこそが仮面の剣士の求める戦いだ。ただ受け止め、ただ断ち切るという伯爵の戦い方は無骨極まりなく、彼にとってつまらぬものでしかなかった。
(やはり、《オニキス=ブラッド》の副長ほどでなくては面白くないな)
しかし、その副長は自分ほどには戦いに執心していないようだ。
(つれないものだ……しかし、この借りはすぐに返させてもらうぞ、副長よ)
仮面の剣士は再び剣を構えた。




