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反撃(2)

 マークルフは軟禁された城部屋から外を睨んでいた。

 転落防止の格子越しに見える窓の夜景は風情があるものの、いまはそれをどうこう感じる暇はない。

 城下の外れにある川岸の港で灯りが幾つも行き来していた。その動きの早さは何かが起きていることをはっきりと教えている。

(やはり、あの船か)

 マークルフはリーナの移送場所を河の真ん中に停泊する船だと目星を付けていた。

「ログたちが動いたか」

 様子を眺めていると灯りの一つが規則的に明滅しているのに気づいた。光の広がり方から、周囲には漏らさず、こちらにだけ光を向けているようだ。

 それは信号だ。遠距離にいる傭兵たちが戦場で示し合わせるためによく使う手段だ。これは自分に対して送られているのだ。

マークルフはその信号を解読する。

 送信しているのはエルマだ。どうやら、リーナとヒュールフォン側の策略の証拠奪取に動き出したらしい。兵たちの話から大物貴族がやって来ているそうだが、ヒュールフォン本人に違いない。

「やはり、てめえは小物だ、ヒュールフォン=フィルディング──」

 尋問の時の挑発が伝わったか、それとも自ら動き出したか。どちらにせよ、これでこちらも反撃に出ることができるのだ。

「だが、本にするにはあつらえ向きの悪役だ。悪いようには書かせはしないぜ」

 マークルフは不敵な笑みを浮かべると、右腕を胸の前へ掲げる。

「立派なゲス野郎として載せてやるよ」

 右腕を包むように真紅の紋様が浮かび上がった。



「所長代理! 男爵からの装着信号を受信しました!」

 アードが叫ぶ。

「今度は男爵なの!?」

 メンテナンスルームの装置が自動で起動し、先ほどよりも大きなモニターが上部から迫り出す。

 モニターが表示する信号をマリエルたちはすぐに確認する。先ほどとは違い、“心臓”からの信号は消えることなく、表示を続けている。

 男爵は《アルゴ=アバス》の右肩腕部の装着を求めていた。

「いやはや、男爵は城から脱走する気ですかい?」

 さすがにウンロクも困ったようにまた頭をかく。男爵が不利な立場に陥いることを常に懸念してきたのに、向こうがそれをあっさりと台無しにしてきたのだ。

「待つよりも、自分から動くことを選んだのでしょう」

 マリエルもため息をつく。要は自分たちに脱走の手伝いをしろと言っているのだ。

「仕方ないわ。アード、《アルゴ=アバス》の右腕を射出カタパルトに載せて。転送位置の設定はこちらでやるわ。他のみんなも退去させて」

「本当にやるんですか、所長代理?」

「この先、責任は負えないと言ったはずよ」

「しかし、射出するならパーツを分割した方が良いんじゃないですか? まとめて射出するとさすがに外に気づかれるかも--」

「男爵はまだ自由に動けないはず。分割は装着する男爵の負担が増すわ。それに男爵が脱走してしまえばどちらにしろ、一緒よ。射出と同時に研究ブロックの防火壁を全部落として」

 マリエルの指示に従い、アードとウンロクの二人は肩をすくめる。

「何を考えてるんすかね、男爵は──」

「姫様のことに決まってるじゃねえか。格好良く助け出せば朝が明けるまでお触り──アタッ!?」

「いいから、さっさとやれ!」

 マリエルは手にした書類ケースをウンロクの頭に投げつけると、腕を組む。

「男爵からすれば、いまがフィルディング一族を追い詰める反撃の機会と見たのでしょう。多少の無茶は承知の上での行動のはずよ。こちらも覚悟を決めて支援行動を続けるわよ!」 

「了解っす!」

「了解しやした!」



「来たか!」

 マークルフは強化鎧が高速で接近するのを肌で感じ取ると、格子窓の隙間から右腕を突き出した。

 闇夜の中から飛来した鋼の腕部は宙で急制動すると、マークルフの腕の紋様と光の信号が行き交いながら装甲を展開する。右肩から先を包み込むと、そのまま装着された。《アルゴ=アバス》の肩部に搭載された動力ユニットと同調し、マークルフの全身に力がみなぎる。

「よしッ!」

 マークルフは強引に腕を窓から引き抜くと、鋼の右腕で鉄格子を破壊した。

 壁に穴が開くと、マークルフはそこから飛び降りる。

「あれはッ!?」

「きゃあ!?」

 外にいた衛兵や侍従たちの悲鳴が聞こえるなか、マークルフは城の城郭の上に着地した。

 普通の人間から無事ですまない高さだが、《アルゴ=アバス》からの魔力供給で肉体強化された身体には全く支障はなかった。

「だ、脱走か!?」

 見張り塔からの警報と兵士の叫びが城中を駆け巡る。

「う、うあッ!?」

 近くに出くわした兵士が腰を抜かしながら槍を突きつけるが、マークルフは鋼の右手で槍の柄を掴むと、そのまま握りつぶした。

「驚かせてすまない。職務ごくろうさん」

 槍を折られ愕然とする兵士の肩を左手でポンと叩くと、兵士は腰を抜かしたまま悲鳴をあげて逃げ出す。

 周りを見れば人々は逃げ惑い、あるいは壁の影から遠巻きにしていた。

「うーむ、予想していたとはいえ、ここまで驚かれるとやりにく──」

 風を切って飛来する矢を、マークルフは同じく風を切る早さの鋼手で掴んだ。

「──だからと言って、警告抜きでこれはあんまりじゃないか」

 矢はボウガンから放たれたものだ。当たれば確実にその部位を肉片に変えるだろう。

 周囲を見渡せばボウガンで狙いを定めた射手たちが壁に身を隠しながらこちらに狙いを定めていた。

「よほど、俺が邪魔らしいな」

 一斉に矢が放たれた。

 マークルフが駆け出すと矢が次々に通路に突き刺さる。マークルフを追って次の矢が飛んでくるが、それらは右腕で弾き返すか、ことごとく躱した。

(やはり、動きは鈍いな) 

 《アルゴ=アバス》から魔力を供給されたマークルフは身体能力が格段に強化されている。しかし、周りから見れば超人的でも、マークルフには力を半分も出し切れないような動きの鈍さを感じていた。これも“聖域”の力による制約だろう。

「喰らえ!」

 突然、前方の詰め所の扉が開き、目の前を塞がれる。

 ──ガキッ 

 巨大な斧で扉ごとマークルフを叩き付けた兵士は手応えに一瞬、笑みが浮かぶが、すぐに恐怖の表情に変化する。斧は鋼の腕で受け止められていた。マークルフの走る勢いを利用した待ち伏せからの不意討ちだったはずだが、斧の方が耐えきれずに刃が砕け散っていた。

「化け物か!?」

 兵士がその場から逃げると、足が止まったマークルフを狙って矢が飛来する。

 マークルフは兵士が投げ捨てた斧の柄を足で拾い上げ、右手で掴むとそれを矢が飛んでくる方向に向かって縦横に振り回す。

 やがて矢が止むと、マークルフの足許には落とされた矢の残骸が広がっていた。

 前方の扉が開き、大盾を持った鎧兵たちが姿を表す。振り向けば同じように鎧兵が逃げ場を塞ぐように並ぶ。その背後からは弓や槍を持つ兵士がいつでも射出できるように武器を構えていた。

 警告の言葉はない。だが、マークルフは包囲のなか、自ら動かなかった。兵士たちもいまのマークルフの力が計れず、狙いを定めたまま攻撃に出るのを躊躇している。

「──待て」

 城中の者が緊迫して息を潜めるなか、一人の若者の声がマークルフらに届いた。

 声が届いたのは城の最上階。声の主は豪奢なガウンを纏ったナルダーク三世だった。

「危険でございます、陛下! お下がりください、すぐに我らが--」

「余の足許で騒がれて、黙って隠れているわけにはいくまい」

 隊長が慌てて叫ぶが、国王は自ら前に進み出て、マークルフを見下ろす。

 いまのマークルフなら届かぬ高さではない。城の兵士たちがいまにも矢が放ちそうになるが、マークルフは国王に向かって臣下の礼をとり、かしずいた。

「これは国王陛下、夜分に城を騒がせてしまい、まことに申し訳ございません」

「どういうつもりだ、ユールヴィング卿? 貴公はここを脱走するつもりではなかったのか?」

「火急の事態ゆえ、強行な行動をとったことは深くお詫び致します」

 さらに頭を下げたマークルフを前に、兵士たちが国王の命令を求めるように顔を見上げる。

 しかし、自ら隙を見せたマークルフを前にしても、国王は攻撃の命令を下さない。

「火急とはどういうことだ、ユールヴィング卿? 嫌疑をかけられたまま脱走してもやらねばならないことか」

「はい。いましがた川岸の港で賊が暴れていると騒ぎを耳にしました。しかも相手は手強く、警備の者たちも苦戦しているようです。そこには現在、リーナ姫も留まっておられるとのこと。あるいは賊の狙いは姫かも知れません」

「ほう、城に閉じ込められながら随分と耳が早いことだ。狼犬の耳はたいしたものだ」

「畏れ入ります。こうしている間にも姫は助けを求めているかもしれません。ここで馳せ参じなければ“戦乙女の狼犬”の名折れにございます」

 マークルフはまるで舞台に立つかのように朗朗と告げる。

「白々しいことを!」

「貴公が仕組んだのではないのか!」

「そもそも、偽姫を担いだのはそちらではないか!」

 周囲からは反論が飛び交うが、マークルフはこれは心外とばかりに肩をすくめると、足を踏み締めて立ち上がる。

 周囲にいた者たちが怯んで下がるなか、国王は一歩も下がらなかった。いや、逆に前に進み立つ者もいた。ガウンを纏った王妃が表に出て国王に寄り添うように立ったのだ。国王にすがるようでいながら、逆に自らの身を呈して国王を守るようでもあった。

「畏れながら、リーナ姫がまだ偽姫と決まったわけではありますまい。もし、姫が正真正銘のエンシア王女であったとしたならば、貴殿らの誰が責任をとるとおっしゃるのか!」

 マークルフは鋼の右手を握りながら、周囲にいる城の侍従たちに訴える。

 反論はすぐには飛んでこなかった。

 誰もが間違いなくでっちあげだと疑ってはいたが、その責任を背負うのには二の足を踏むようだ。もし万が一、本物であったら首が飛ぶだけではすまないし、真偽がはっきりしないまま問題だけが長続きするようになっても、その負担は大きくなるのは明らかだ。

「……卿はリーナ姫が本物だと信じているのか?」

 周囲を見渡した国王がやがて口を開く。

 マークルフは然りとばかりに、いつもの不敵な笑みを浮かべる。

「例え、どう疑われようとも、姫はわたくしにとって姫にございます」

 国王はしばらくマークルフの姿を見つめていたが、やがて門番の兵を指差した。

「門を開けよ」

 国王の命令に城の者たちは困惑し、騒然となる。

「しかしながら、陛下──」

「構わん! リーナ姫が真のエンシア王女であったならどうする? 誰も責任を負えぬなら余が責任を負うしかあるまい!」

 国王が有無を言わさぬ物言いで告げると、やがて門番たちは閉ざされていた城門を開け始めた。

「ユールヴィング卿よ。賊の退治とリーナ姫救出をそなたに命ずる。だが、一部とはいえ、余の許しなく《アルゴ=アバス》の着用を認めたわけではないぞ。戻ってきたら相応の仕置きは覚悟いたせ」

 マークルフは大仰に頭を垂れる。

「勇断にして寛大なるお言葉、このマークルフ=ユールヴィング、感銘に言葉がございませぬ。しかと肝に銘じましてございます」

 マークルフは頭を上げた。

「“戦乙女の狼犬”の名に賭けて、必ずやリーナ姫をお救いし、この王国を蝕む者たちを退治いたしましょう。あわよくば、王妃殿下の御心を蝕む病魔も一緒に退治してくれましょうぞ」

「ほう、貴殿は賊と病魔も一緒に退治するというのか」

「余り知られておりませぬが、昔から狼犬の牙は病魔の特効薬と言われております」

 マークルフがそう言うや否や姿が消えた。

 包囲する兵らの頭を飛び越え、城門の前に着地したマークルフは、門番が開けた門の隙間を通り抜けて走り出したのだった。



「……まったく、見え透いた芝居だ」

 走り去るマークルフの姿を目で追いながら、ナルダークは苦笑する。

「だが、ついつい、それに加わりたくなる。まったく困ったものだ」

 ナルダークは隣に立つ王妃に言った。

 王妃は黙ったまま、曖昧に目を向ける。彼女は王家に嫁いでから言葉をあまり話さないようになっていた。周囲から待望される世継ぎを未だに望めず、その後ろめたさからか夫であるナルダークにも心を閉ざしがちだった。

「戻ろう。夜風は冷える」

 ナルダークが城内に戻ろうとする。

「……陛下」

 王妃が一言呟き、案ずるような表情を向けた。

 彼女はフィルディング一族の血を引いている。かの一族はこの国にも権勢を強めようと彼女を自らの妻へと推し進め、それは成功した。しかし、一族と王族を結びつける後継者が生まれないため、その野望はいまだ達成されてはいない。

 それが王妃をさらに苦しめる、そう憎き病魔である。

「ありがとう。だが、大丈夫だ」

 ナルダークは彼女にだけ聞こえるようにささやく。

 ユールヴィング側を贔屓する言動は、フィルディング側に攻撃の口実を与えかねない。あの一族の力を、それに苦しめられる王妃はよく知っているのだ。

「『姫はわたくしにとって姫』──か」

 ナルダークはガウンに隠れるように王妃の手を握りしめる。

「余にもそなたをそう言える強さが欲しいものだ」

 ナルダークの手を王妃は握り返したような気がした。

 だが、すぐに王妃の身体を心配した女官に声をかけられると、手を離して城内へと戻っていった。

「……増援の用意をしておけ。いつでも動けるようにな」

 ナルダークは側近に告げると、この戦いの行方を見届けるために自らも準備を始めた。

(……ユールヴィング卿、頼むぞ。この“聖域”でも退けられぬ魔を、そなたの手で──)


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