反撃(1)
「外の監視はどう?」
マリエルが訊ねると、外の様子を見てきたアードは首を横に振った。
「厳しいっすね。僕たちが何かしないか警戒しているようですよ」
マリエルは軽くため息をつくと、指輪の解析データを検証していたウンロクの方を向く。
「そっちは?」
「いや~、指輪に使われている貴石組成は古代エンシアの物と酷似してますな。本物の可能性は高くなりましたわ」
ウンロクも困ったように頭をかく。
「すると、リーナ姫は本物じゃなかったってことですか?」
「結論を出すのは早いわ。“聖域”内での指輪の動作実験がまだ終わってないわ」
マリエルはあごに手を置くと、厳しい顔をする。
「予断は禁物よ。とにかく実証結果を出すのに集中して。男爵側にも、フィルディング側にっ込まれても平気なように正確なものを、ね」
「なるほど、この指輪が男爵の凶器攻撃に使えるかも知れないわけですな」
ウンロクが言うと、アードが首を傾げる。
「どう凶器に使うんです、ウンロクさん?」
「そいつは男爵が決めることよ。まあ、こっちはこっちで逃げるんじゃなし、じっくり調べましょうや」
いま必要なのは“時間”だ。鑑定のためのものと、それと男爵たちが次の一手を仕掛けるまでの時間だ。
マリエルは所長席に戻ると椅子に腰を下ろした。
その時、施設の壁の一部が反転し、小さなモニターが表れた。緊急を知らせるライトの点滅と共に、モニターに光の文字と数字が浮かび上がる。
アードはすぐにメモを取り出すと、表示されたデータを筆記で記録する。この“聖域”内で魔力を用いた無線通信は非常に困難だ。すぐに筆記で写すのも、データの保持が僅かの間だからだ。
マリエルはアードからメモを受け取ると、すぐにそれを解読する。この緊急時の通信装置を所持するのは所長代理のマリエルと、あとは所長のエルマしかいない。使えるのは一回、それもマークルフに不測の事態があった場合に、《アルゴ=アバス》を他所に逃がすことを想定したものだ。
「姐さん、何かあったんすか?」
アードが訊ねる。この緊急通信文の符号を知るのも機密保持のため、この場ではマリエルのみが知らされている。
エルマに何か起きたのかと急いで解読するマリエルだが、その内容を知ると、今度は呆れるように顔に手を置いた。
「所長代理、姐さんは何て言ってるんですかい?」
ウンロクも側に来ると、マリエルは困ったように今度は深いため息をついて答えた。
「『《アルゴ=アバス》の動力ユニットの一つを至急、送れ。これ所長命令』……ってあるわ」
アードとウンロクも互いに顔を見合わせ、頭を捻る。
「……どういうことっすか?」
「こっちが知りたいわよ!」
《アルゴ=アバス》の動力ユニットは小型ながら、その性能はエンシアの遺産のなかでも最も強力な部類に入る。“機神”を倒した力の源であり、この研究施設の動力源としても用いているほどだ。確かに動力ユニットの数は三つあるが、一つとはいえ忘れ物みたいに送ってくれと言われて、すぐに納得できるわけはなかった。
「あーー!! この非常時に何を考えているのよ、ダメ姉貴は!」
マリエルは苛立つように頭をかくが、やがて吹っ切れたように実験台に拳を叩き付けた。
「……仕方ないわ。《アルゴ=アバス》からユニットを一つ外して!」
「本当にいいんですか?」
アードが念を押して訊ねるが、マリエルは有無を言わせぬ視線を向けた。
「所長命令には逆らえないでしょう! 射出カタパルトを使うわ。外の施設の灯りは怪しまれないようにできるだけ抑えて。夜の闇に紛れれば、あの小さなユニット一つぐらいはばれないように射出できるでしょう!」
アードとウンロクもすぐに準備を始めた。
口ではああ言っているが、マリエルもまたエルマを信頼していることをを二人は知っていた。
当然、姐さんと呼ぶ自分たちもまた、エルマの策を疑うつもりはなかった。
陽が沈み、夜の闇が静かに空を染め出していく。
「そろそろね」
エルマは纏っていた外套を脱ぎ捨てると、それを折りたたんで地面に敷いた。自らは軽装に様々な工具を身体に巻き付けた姿となり、腰の工具入れから何かの装置を取り出すと、見事な手際でいじり始めた。
「何をしているんですかい、所長さん?」
傭兵の一人が訊ねる。
「切り札の偽造中よ」
意味が分からず傭兵はログの方を向くが、ログは「好きにさせろ」と言ってジッと待つ。
やがて、外套の上に何かが落ちた。小さいが相当、高い所から落ちたのか、大きく沈んでポンと跳ね上がるが、エルマはまるで計算していたかのように目の前に来たそれを手で掴み取った。
「それが《アルゴ=アバス》の動力ユニットか。随分と小さいな」
「魔力は凝縮しやすいから、動力は小型化し易いの。でも暴走したら、この王都ぐらいは吹っ飛ぶぐらいの力はあるわ」
エルマはさらっと恐ろしいことを言いながら、自分が持っていた装置を繋いでいく。
「それじゃ、お願いね、いかさま師さん」
エルマの差し出した動力ユニットを受け取ると、ログは静かに歩き出した。
夜になると港は一時的に封鎖されていた。
“偽姫”を幽閉する船の警護のために一般人の立ち入りは禁止され、普段なら荒くれた船員たちの代わりに警備の兵が行き交う。
一人二組となり、巡回する兵士達は閑散とする港を見回しながら軽口を言い合う。
「しかし、港まで閉鎖するなんて大げさ過ぎねえか?」
「ここだけの話だがよ、いま船に結構な大物が来ているらしいぜ」
「本当か、誰だよ?」
「そこまでは知らねえよ。だが、いまごろは偽姫のとこにしけこんでるかもしれねえぜ」
「ケッ、俺たちはそのための見張りかよ」
二人はにやついた笑みを浮かべながら、ふざけ半分に愚痴を言いあう。
並び立つ倉庫の隙間から何者かが二人の前に立ちはだかる。
闇夜に紛れる黒の外套を頭から纏い、目だけを出した長身の男だった。
「嫌なら眠ってもらおうか」
手にした槍を向けようとする兵士たちより早く、男は腰から鞘ごと剣を抜き出した。兵士の一人が向けた槍を躱すと鞘で兵士の顔を殴り倒し、呼子を鳴らそうとしたもう一人の腹にも鞘の先を叩き込んだ。
瞬く間に二人を沈黙させた男──ログは気絶した二人を足で倉庫の隙間に押しやると、何事もなかったかのように先を歩き始める。
その時、港の一角で激しくランプが点滅した。続いて警報の鐘が港中に響き渡る。
ここに来るまでに何人か撃退していたが、それに気づかれたようだ。
だが、それは想定の範囲内だ。
ログは路地裏へ逃げ込み、鞘を腰に収める。そして左手に常に身につけている指ぬきの革グローブの具合を確かめると、覆われた左手の甲を見つめる。
脳裏に過去の光景が蘇る。ログがまだログと名乗っていなかった頃のことだが、すぐに現実に戻る。
ログは両手で二振りの小剣を抜くと、左手の剣を逆手に握り直す。
とにかく、いまは警備を混乱させればいい。仮面の剣士が出てくる可能性もあるが、その時は今度こそ討ち取るつもりでいた。
向こうも包囲網を狭めながら追い詰めてくるだろうが、ログに怖れはない。
あの時の戦いで自分は全てを捨ててきたのだ──
「どうやら、何者かが侵入したようですね」
港から響く警報の鐘が船内に微かに届く。
「おそらくユールヴィングの手の者でしょう。貴女を逃がして主君にかけられた嫌疑をうやむやにする魂胆でしょうか」
さも愉快そうにヒュールフォンは言うと、目の前の機械装置に手を添えた。
計器の並んだ本体には複数の水晶球が取り付けられているが、幾つかは取り外されているようだ。そう言えば男爵が持っていた《グノムス》の位置を知らせる水晶球と同じ物のように見える。
「だが、それが命とりになる」
ヒュールフォンが手を伸ばしたのは一際、大きな水晶球だ。それに指を這わせると水晶球の表面に光の文字が浮かび、指の操作に合わせて表示が変わっていく。水晶の添えられたその台座からコードが伸びており、透き通るほどの水晶盤が装置の上に取り付けられている。
リーナの見たところでは、これは水晶の端末を操作して、記録された情報を映像として浮かび上がらせる物だ。そして、予想通り、水晶盤に映像らしきものが浮かび上がる。
それは地形図だ。線図で表された地形の中心に《グノムス》の輪郭が表示されている。
「これは古代王国の終わりに王族の守護者として開発された鉄機兵の行動記録を読み取る装置です。地中に潜伏する鉄機兵の位置を遠くからでも正確に把握できます。いまなら、行動を共にする男爵の手下たちの潜伏位置も教えていることになるでしょう」
ヒュールフォンはテーブルの上に置いてあったワイングラスを手にすると、映像を映す水晶盤に軽く合わせた。
「さて、どこまでやるか、健闘を祈ろうではありませんか」
「まだ、捕らえられんのか! いいや、敵対行動は明らかだ、死体でもユールヴィングの手下と判明できれば構わん! 斬り捨ててしまえ!」
デバスは部下たちの報告に大声で怒鳴りあげる。
「それが、相手はかなりの手練れで……」
「二刀流の男とまでは判明しているのですが……」
「間違いない! そいつは《オニキス=ブラッド》の副長だ! ええい、そこまで分かっていて手をこまねいているのか、この無能どもが!」
デバスの罵声に部下たちが一瞬、顔を強ばらせるが、すぐに頭を下げてそれを隠す。
「言い訳を考える暇があったら、さっさとどうにかしろ!」
部下たちは慌てて自分の持ち場に戻っていった。
「……よろしいので? 応援の要請もできますが──」
デバスの副官が進言するが、デバスは鼻を鳴らして一蹴した。
「傭兵ごとき、それもたった一匹に親衛騎士隊が応援を要請するなど、末代までの恥さらしよ! 奴らはこの手で息の根を止めねばならんのだ」
最近、失態が続き、妙な噂までが流れ始めていたデバスは失地回復に燃えていた。それを知っている副官は呆れ顔をするがデバスはそれに気づくことはなかった。
その時、デバスの懐から光が漏れる。ヒュールフォンから預かった《グノムス》の位置を知らせる水晶球だ。
デバスが取り出すと、光はさらに強くなる。それはすぐ近くまで来ているということだ。
「どうしますか、隊長!?」
「近くにいる兵を呼べ!」
デバスは好機到来とばかりにほくそ笑みながら命じた。
「ただし、周囲に身を隠して出方を待たせろ。ワシの命令が出たらすぐに飛び出せるようにしておけ」
「しかし、いくら兵を集めても、鉄機兵に勝てるとは思えませんが……」
「なあに、向こうも正体を隠している以上、おおっぴらには鉄機兵を使えんさ。むしろ、暴れてくれた方がこちらとしては助かるな」
自分が先頭に立つわけではないデバスはすでに皮算用を始めていた。
やがて、水晶球は目映く輝いたまま、光量が安定する。それはすぐに近くに止まっているということだ。
デバスは部下たちを集め、辺りに身を隠させていると、水晶球の光がさらに強くなりだした。
「来るぞ!」
デバスたちが待ち伏せするなか、やがて彼らの前に鉄機兵が現れる。地面から上半身だけ姿を現すと胸の装甲を開く。
出てきたのは軽装の若い女だった。女は地面に降り立ち、周囲を警戒するように見回す。言い訳できないぐらいに怪しい行動だ。
「よし、誰もいないようだし、このまま工作開始しますか」
鉄機兵が地面に沈みだし、肩から下までが姿を隠す。
「いまだ!」
デバスの号令に周囲にいた兵たちが一斉に駆け寄り、女と鉄機兵を包囲した。
「な、何よ!? あんたたちは!?」
女は待ち伏せされているとは微塵も思っていなかったのか、途惑いを隠せずに叫ぶ。
「それはこちらの台詞だ」
完全に自分たちの有利を確信したデバスは、堂々とした様子で部下達の間を通って謎の女に近づく。
「その鉄機兵を従えるということはユールヴィング男爵側の人間だろう。いったいここに忍び込んでどうするつもりだったのかね、え?」
デバスの追及に女は髪を振り乱しながら周囲を見回すが、すぐにごまかし笑いを浮かべる。
「い、いやですわ~、忍び込むだなんて。ただ、楽が出来るんで、このグノムスちゃんにここまで運んでもらっただけです」
「なら、工作活動というのは何かね?」
デバスがさらに問い詰めると女はさらに動揺の素振りを見せるも、媚びを売るようにデバスに片目を瞑る。
「もう、隊長さんたら疑い深いんだから。うちは研究所の人間なんです。ちょっとここで工作でもしようかな、って思いまして」
女はそう言って、腰や胸ポッケから鋏やトンカチを取り出した。
「……ここは子供の工作教室ではないんだがね。だいたい、貴様のような軽薄な女が研究員とは到底、思えん」
「いえいえ、本当ですって。実は例の指輪の実験のためにリーナ姫の血の検体が必要になったんで、代表としてここに来たんです。あの、姫様にご面会できるでしょうか?」
デバスはかぶりを振る。
「必要ない。何を企んでいるのか、白状してもらうぞ」
包囲の輪が狭まる。
「い、いやだわ、隊長さん。うち、たった一人ですよ」
「その鉄機兵に何をさせるか分からんからな。下手な真似をすれば、女と言えど命はないと思え」
女はしばらく何か考えていたが、やがて口の端を釣り上げた。
「じゃあ、上手にやりましょうか」
デバスは急に浮遊感を覚えた。目の前の光景が一変し、気づいた時には尻餅をついて落下していた。
「ぬおッ!? な、何だ──」
周囲は土壁になっているが、まるで綺麗にくり抜いたように円形の空間になっていた。鉄機兵の胴体が目の前にあり、部下たちも同じように尻餅をついている。
そして、ここには棍棒を構える覆面姿の男たちがいた──
「これで全部ね」
エルマの目の前で親衛部隊の兵士たちが山積みとなっている。
「上手くいきやしたね」
地上に戻った傭兵たちが兵士たちの武器を奪って身につけていく。
エルマは隊長が持っていた輝く水晶を手にした。
彼女自身は鉄機兵に乗っていたが、他の傭兵たちは《グノムス》に周囲の隙間を空けさせながら、鉄機兵と一緒に地下を移動していたのだ。
「グノムスちゃんの居場所は分かっても、周囲に誰がいるかまでは把握できないみたいね」
「その水晶があれば、フィルディングの連中が罠をはっていた証拠にはなるんじゃないですかい?」
傭兵の一人が訊ねる。
エルマたちの目的はリーナの奪還もあるが、同時に《グノムス》の探索装置の強奪もあった。それがあればフィルディング側の陰謀を糾弾し、マークルフの不利な立場を押し返せるかもしれないからだ。
「ダメね、これは複数ある端末の一つっぽいわ。同じ物を男爵も持っていたし、でっち上げられたと言い逃れは簡単にできる。やはり、フィルディングが所持している親機がいるわ」
ヒュールフォン=フィルディングが船で罠をはって待ち伏せしているのなら、親機もそこにあるはずだ。それだけの大きな装置になれば管理できる者はフィルディング一族に限られる。男爵も同じように考え、いずれかはそれの強奪をもくらんでいたのだ。
「了解しやした。それじゃあ、そっちは頼みましたぜ!」
傭兵たちはそろって港へと向かいだした。彼らの役割は先行している副長に代わっての陽動作戦だ。野盗に扮し、例え捕まっても火事場泥棒として男爵の名は絶対に出さないことになっている。つまり、失敗したら助けられないということだ。
「頼むわね……格好良いわよ、あんたたち」
エルマは言った。
「姐さんもですぜ」
傭兵たちは不敵に笑い、闇夜に消えていく。成功しても称えられることのない危険な裏方に徹するために──
「こちらもしょっぱい真似は出きないわよ、グノムスちゃん」
エルマは《グノムス》を見上げると、ユールヴィング対フィルディングの世紀の決戦実現のために動き出すのだった。




