偽姫
リーナは星を眺めていた。
彼女は一人、王城の上階の部屋に案内され、そこで一夜を過ごすことになった。
あくまで丁重だが、疑われる立場であり、部屋の前では衛兵が監視している状態だ。
リーナの頬を涙が伝う。
謁見式が中止となり、退出する際の列席者たちの視線と噂しあう声がいまも脳裏から離れない。自分を詐欺姫と呼び、女の身では聞くに堪えない誹謗中傷がわざと聞こえるように投げかけられた。
それだけなら、まだ自分が耐えればいい。
だが、男爵までが自分の巻き添えでユールヴィングの名声を貶められるはめになったのだ。
それだけは看過できずに叫びそうになったが、マークルフは一言、自分の名を呼んでそれを止めた。その時の目が自分を安心させようとする優しい眼差しだったのが、逆にリーナには辛かった。
自分は何のために長い時を隔てて、この地上に戻ったのだろう。
エンシア王女であることも否定され、優しくしてくれた人たちを窮地に陥れただけではないか。エンシアの壊滅から自分一人を逃がしてくれた故国の人々の想いすらふいになってしまった。
だが、リーナは手で涙を拭うと、誰もいない部屋のなかで一人、毅然と立ちながら窓の外を見つめ続ける。
男爵はかつて、星々の光を“神”の御使いの輝きに例えた。
その輝きを全身で受け止めながら、リーナは自分を奮い立たせる。
例え、エンシア王女であることを否定されたとしても、自分にはまだ一つの誓いが残っているのだ。
若きユールヴィング男爵を見守り、支え続ける神の娘、“戦乙女”の代わりとなることを──
いま、ここで挫けるわけにはいかないのだ。
謁見式での事件から次の日。
宮廷の意見は二つに分かれ、紛糾していた。
日頃、マークルフを疎ましく思っている側と大公に組する側──言い方を変えれば、フィルディングに組する側と、彼らの台頭を良く思わない側だ。
マークルフを糾弾する側は、指輪のもたらした結果をもとに、マークルフが偽姫を用意したと主張する。対してそれに反対する側は、伝説にある鉄機兵を操ることを根拠に姫は本物、あるいはマークルフも姫が本物だと疑わなかったことを主張する。すると相手側は、どのような手段かで手に入れた古代兵器による自作自演ではないかと主張し、それに対する側も指輪の有効性について疑問を投げかける。
最終的には国王の判断になるだろうが、国王の周囲はフィルディング派が多い。彼らに対する抑止力でもあった大公は、マークルフの後見人としての責任が絡むため、動くことが難しい。
大公の擁する研究所で行われる指輪の解析結果次第ではさらに苦しい立場に追い込まれるであろう。
諸侯たちの間ではすでに、フィルディングがこの国でも大きく影響力を増すだろうと噂は広まっていた。
渦中の人物となったマークルフは現在、王城の一室にいた。
しかし、外では兵士たちが見張りをしており、いわゆる軟禁状態であった。これから、いろいろと尋問を受けることになるのは明らかだ。
「俺がそんなことをして何の得がある?」
マークルフは椅子にふんぞりかえり、腕組みをしながら独りつぶやく。
「……ないこともないか。爺さんも歳だ。将来、後ろ盾がなくなることに危機感を抱いてと言われれば一応の筋は通るか」
この一件は大公の責任も問われることになるかも知れない。何しろ自分の後見人であり、リーナを古代の王女として国王たちに引き合わせたのだ。大公は反フィルディング派の大物だ。自分が罰せられれば、大公の発言力も衰えることになり、ヒュールフォンたちにはこの上ない好機となる。
「勇者シグといい、古代の王様といい、昔の偉い人間てのはどうして自分の血統を証明したがるのだろうな」
マークルフは首を上に向けた。
豪奢なシャンデリアに並ぶロウソクの炎を見つめながら、リーナのことを思い浮かべる。
少なくともリーナ自身は自分がエンシアの王女であることを信じていた。
あの指輪自体に何か仕掛けがあるのか。
しかし、ヒュールフォンのあの自信からすると、指輪が偽物とは思えない。
「くそッ!」
マークルフは吐き捨てた。
リーナがどうしているかは何も分からなかったが、辛い思いをしているのは間違いない。何とかしてやりたいが、それにはこの場を乗り切ることが先決だ。
「……祖父様、俺はどうしたらいいんだ」
「困ったことになったッすね」
アードが指輪の入った金属ケースを目の前にして言う。
マリエルたちは持ち帰ったケースを置いた作業台の前に並び立っていた。
警護のために城の兵が研究所まで同行したが、研究所内の立ち入りは許可しなかった。表向きは管理が慎重な機材や資料が多いため、土足で上がられるような真似は困るからだったが、マリエルが警戒したのはフィルディング派の衛士がいるかもしれないことだ。この施設の情報を向こうに筒抜けにする訳にはいかないし、最悪の場合、何かの工作をされる危険も考えられなくもないからだ。
「いや~、王城の衛兵を追い返したのはやばかったんじゃないですかね?」
ウンロクも指輪に顔を近づけながら言った。
胡散臭さを際立たせる曇りガラスの眼鏡だが、その奥に潜む鑑識眼は研究所随一のものだ。
「あっしらが何かをするんじゃないかと余計に疑われてますぜ」
「ここには《アルゴ=アバス》があるわ」
マリエルは口を結んだ。
「あれだけは何としても守らないといけない」
「でも、どうするんです、所長代理? こいつはパッと見た限りでもエンシアの宝具っぽいですよ。男爵を追い詰めるような結果になる可能性は……正直、高そうですね」
「もちろん、鑑定するだけよ。例え大公様や男爵の運命が決まるとしても、拒否をしたらそれだけで鎧を奪われるはめになるわ」
「でも、あの鎧は男爵の物で、男爵しか着用できないんですよ? 男爵に何かあったら鎧を守る意味がなくなるんじゃ──」
「男爵が言っていたわ。例え自分に何があるとしても《アルゴ=アバス》だけは守ってくれって。大公様も同じよ」
「そんな矛盾、押しつけられてもこっちが困るんですがね」
ウンロクがいつもの軽口で告げる。
「だいたい大公様が失脚するようだと、この研究所もやばいかもしれませんぜ? 改竄でもしますかい? その手のことは大得意ですぜ」
「ダメよ……向こうもそれは想定しているはず。鑑定報告には手心を一切加えてないようにして」
ウンロクが珍しく沈黙する。いつもならこのタイミングで制裁の拳が飛んでくるはずだったからだ。
「……分かりやした。きっちり見させていただきますぜ」
ウンロクは脇に備えていた分析装置を起動させた。
「アード、他の職員には待機しているように伝えて。すぐに退出できるようにね」
「みんなを巻き込まないようにですね」
「それと、射出カタパルトの点検を頼むわ。あくまで万が一の場合だけど──」
アードもまた沈黙する。
射出カタパルトとは万が一、“機神”が覚醒した場合、マークルフが近くにいない場合に備えて配備しているものだ。《アルゴ=アバス》を直接射出し、遠距離にある“心臓”の信号の発進地へ飛ばすのだ。
「……分かりました。でも、ぼくは最後までこの研究所にいますからね」
「おお、たまにはカッコイイこというじゃねえか。しゃあねえ、これはおれの台詞だったが、てめえに花を持たせてやらあ」
ウンロクが指輪から目を離すことなく笑った。
マリエルは交互に二人を見る。
「責任とれないわよ。どうなっても──」
「矛盾に挑むのが研究員の宿命ですからね」
「姐さんの帰りも待たなきゃいけませんしな」
「なら、始めるわよ」
三人は意を決したように自らの作業にかかるのだった。
「ログさん!? 男爵が捕まったって本当なんですか!?」
大公の館で留守番だったタニアは、玄関先に戻って来たログを迎えて開口一番、訊ねる。
「捕まったわけではない。事情を聴くためにしばらく王城にいるだけだ」
「それって捕まったのと一緒じゃないですか!」
ログが奥に進むと、タニアも並びながら付いていく。
「姫様が偽物だったっていうのも本当なんですか!?」
「その可能性が出ただけだ。まだ決まったわけじゃない」
「ログさんが否定しないってことは、その可能性が高いってことですよね!?」
ログが立ち止まる。タニアがログの背中にぶつかるが、すぐに前へと回り込む。
ログは自分を見上げるタニアを見つめながら言った。
「おまえは姫が騙していたと思うか?」
タニアは突然、話を振られて途惑うもすぐに気を取り直して答えた。
「思いません! 姫様はそんなお人ではありません! あたしには分かります!」
ログは懐に手を忍ばせると、小さな髪飾りを取り出した。エンシアの古代文字の銘文が刻まれた銀細工の物だ。
「礼を言う」
ログは髪飾りを手渡す。
「お土産だ。この件は長くなる。おまえは先に男爵領に戻り、両親を安心させてやれ」
髪飾りを見つめたタニアだが、やがてそれをログの手に押しつけるように返した。
「こんなログさんの形見になりそうな渡され方なんてイヤです! わたしもログさんのお手伝いをします! 何でも言ってください!」
「だから言っている。帰れ」
「お断りします! そんな男爵みたいな言い方しないでください!」
タニアたちが揉めていると、先にある階段から誰かが降りてくる足音がした。
「副長殿、そういうのは自分で髪に挿して、女の子が喜びそうな一言を付け加えるまでがお土産ですよ」
エルマだった。非常時ながら落ちついた様子はいつもと変わらなかった。
「エルマ、大公様から伝言を預かっている。しばらく教会に身を寄せ、ルーヴェン先代閣下の冥福をあらためて祈るそうだ……留守を頼むそうだ」
「そうですか。私たちに命運を託すと言うことなのですね。それで姫様はいま、どうなっているのですか?」
「いまは疑惑の段階で閣下と同じ軟禁状態らしい。王城にいたが今朝、密かにどこかに運ばれたまま、居場所が分からない。情報を集めたいが《オニキス=ブラッド》も監視されていて自由には動けなずにいる」
エルマは思案するように目を閉じるが、やがて自ら髪を束ねていた飾りを無造作に外した。
長い髪が肩にかかったかと思うと、今度はエプロンを剥ぎ捨てた。
「それじゃ、うちも気合いを入れますか……まずは姫様の居場所を突き止めましょう。最悪、姫様さえどうにかしてしまえば、指輪が本物だろうと真偽問題は棚上げ、あとは何とかなるでしょう」
さらっと物騒なことを言い出すエルマだが、ログは動じない。
「心当たりはあるのか」
「それはこれから確かめるわ」
エルマは胸元のボタンを外しはじめた。
「エ、エルマさん!? 何をしているんですか、ログさんもいるんですよ!? っていうか、少しキャラが変わってませんか!?」
ログの前で大胆になるエルマに、タニアが慌てて間に入る。だが、エルマは気にする素振りも見せず、胸元から一枚の紙を指で挟んで取り出した。
「それは──」
「そう、姫様発行のグノムスちゃんの“お手伝い券”。閣下から何かあった時のために預かってたの。それじゃあ、さっそく出て来てくれるかしら、グノムスちゃん」
ドゴッ
エルマの呼び出しに応え、《グノムス》が足許から頭だけ現れた。床をぶち抜いていたがエルマは全く気にすることなく、《グノムス》の前に屈んだ。
「あら、本当に出てきた。なるほど、ね」
「グノムスに探させるのか?」
「いいえ、グノムスちゃんだって姫様が心配だから本当は近くにいたいはずよ。でも、ここにいるということは、グノムスちゃんが手出しできないところに姫様はいるってことでしょうね」
エルマが《グノムス》の顔を撫でる。いや、リーナと比べると形状を調べるような感じだ。
「地上から離れた場所か」
「そうね。でもこの近辺で該当するのは王城の上だけど、そこにはいない。だとすると──地上が姫様の居場所からかなり低い場所になるわ」
ログはそれだけ聞くと、手にしていた髪飾りをタニアの頭に載せた。
「預かってくれ。この件が片づいたらエルマの言う通りに渡すとしよう」
「え、ええと、渡す本人に預けるというのも何ですけど、いいです、ログさんの頼みですから責任持って預かります!」
タニアが髪飾りを大事に掴む。
「それじゃ、うちも出かける準備をしますか。ちょっと待っててね」
エルマは侍女服を堂々と脱ぎだしながら着替えの準備に向かいだした。だが、途中で止まるとお手伝い券をひらひらと見せる。
「グノムスちゃ~ん、この件が終わったら、お礼にちょっとだけ構造を解析させてくれないかしら。大丈夫、大丈夫、分解は得意なのよ。組み立てはマリエルに任せてるけどね」
そう言って、半脱ぎの器用な格好で歩きながら、エルマは準備に消えていった。
「……エルマさんって、大丈夫なんでしょうか?」
「構わん。これからのことを考えれば、本業のエルマの方が頼りになる」
『……』
二人の足許で《グノムス》は言葉を失っていたが、誰も気づくことはなかった(もとから口はないが)。




