そして、ようやく
その日、王宮は活気に包まれていた。
古代文明の生き残りの王女が国王ナルダーク=クレドガル三世と対面するのだ。
貴族も名誉市民も、王宮に足を運べる者のほとんどが大きな関心を持ってその場にいる。
彼らは皆、エンシア王女がどのような人物かについて噂をしていた。
すでにリーナについての情報は広く伝わっているらしく、どれほどの美姫か、どのような人柄か、そして、すでに誰々が彼女を狙っているなど、話は至る所で盛り上がっていた。
当然ながら、マークルフも王宮に来ており、いまもその耳にはリーナについての噂話が途切れることなく聞こえてくる。
そうなると彼らの注目を集めることになるのはマークルフだった。
彼女を最初に保護し、本国まで護衛を務めたのだから当然、エンシア王女について最も詳しい人物となる。そして、彼女の将来の相手の候補として挙げられる一人(但し、大穴扱い)だからだ。
「おお、ユールヴィング卿ではありませんか」
一人の紳士がマークルフに声をかけた。
「……」
「もし、ひょっとして眠っておられるのか」
紳士がもう一度、声をかけるがマークルフは返事をしない。
マークルフは来客のために開放された控えの間のベンチに腰掛け、顔に開いた本をかぶせたまま眠っている格好をしていた。
自分が噂好きの貴族たちの標的になることは目に見えていたので、その対策だった。
すでにこれで五人はやり過ごしているのだが、六人目の紳士はしつこく声をかける。
(チッ、この声はグランスローヴ伯爵か。面倒な相手に当たっちまったな)
伯爵は紳士然とした壮年の男性だが、大の噂好きとして知られている。クレドガルの社交界に流れる噂の多くはこの伯爵が広めていると言っても過言ではない。それだけにしつこいことでも有名だ。
「お疲れのようだが、もうすぐ式が始まりますぞ。卿も無関係ではないのですぞ」
伯爵がマークルフの肩を揺すった。
(しつこいな、おっさん)
親切心のつもりだろうが、話を聞きたい噂好きの悪い虫がさせているのは間違いない。
「……その声、グランスローヴ伯爵とお見受けする」
マークルフは本を顔にかぶせたまま、伯爵にのみ聞こえるように呟く。
「何だ、起きているではないか。狸寝入りとは人が――」
「シッ、静かに。周りに話をしていると気づかれないようにお願いします」
マークルフは内密な話をするようにささやく。
「な、何かあるのかね?」
伯爵が声をひそめる。さすが噂好きだけに話には乗ってきやすいようだ。
「いいですか? わたしと話していると思われないようにしていただきたい。これは伯爵のためでもあります」
「な、何かあるのかね?」
「情報通の伯爵殿なら存じ上げているでしょうが、実はエンシア王女に従う鉄騎兵がわたしの足の下に潜んでいるのです」
「おお、あの大地を自由に潜行できるという鉄騎兵のことだな」
伯爵が小声で答える。
「でしたら、話は早い。実は鉄騎兵は王女の許可なしにその情報が外部に漏れないように設定されているのです。そして、恥ずかしながら、わたしは多少、口が軽い方でして――」
「それで見張られているというのかね」
「はい。もし、わたしから話を聞いてそれを他人に話そうとすると――」
「ど、どうなるのかね?」
マークルフはわざとらしく息を呑むと、伯爵もその声に緊張をにじませる。
「足元から巨大な鋼の手が伸び――」
「う、うん」
「足をつかみ――」
「それで、いったいどうなるのかね?」
「ズボンを下着ごとずり下ろすのです」
「な、なんと!?」
伯爵は手段を選ばない報復に声を震わせる。
「それだけではありません。それでもし転ぼうものなら……」
「まだ、あるというのかね」
「頭に手を伸ばし、ズラを剥ぎ取るのです」
「な、なんと恐ろしい!? い、いや、わたしはカツラではないが――」
伯爵の動揺が声を通して伝わる。
「し、しかし、それは本当なのかね?」
「この前、ティーゲル子爵の城で行われた宴に、親衛騎士団のデバス=ヤールグ隊長が出席されていたのはご存じでしょうか?」
「おお、あいにく都合があって出席できなかったが、その事なら耳にしている。何でも会場で転んで――ま、まさか!?」
「そうです。デバス殿の体面を重んじ、転んだだけとなっていますが実は――」
「確かにデバス殿は一度、エンシア王女の護衛に派遣されたが部隊が食中毒でやむなく引き返したと聞いていたが……そうか、デバス殿も……お気の毒に……」
伯爵は同情するように声を細めた。
「ですから、わたしの近くにいるのは危険です。もうじき、王女が自ら表舞台に登場するのですから、もう少しお待ちするのが賢明です」
「う、うむ、卿も大変だろうが頑張ってくれたまえ」
伯爵の去って行く足音が聞こえる。おそらくあの親衛隊長の根も葉もない噂が広まるのも遠い日ではないだろう。
「……男爵もわざわざ面倒なのが分かってて、なぜそこにいるのかしら?」
男爵と伯爵のやり取りを遠目で眺めていたマリエルが言った。
「姫についての噂を集めているそうだ。次にフィルディングがどのような手を打ってくるか調べるためらしい」
隣に立つログが答える。
マリエルはドレス、ログは礼服姿だ。大公のはからいで二人ともこの謁見式に参加していた。
「いじらしいというか、素直じゃないというか」
マリエルは肩をすくめた。
「だが、気になるのは確かだ。この式典を迎えるにあたって、ヒュールフォン=フィルディングはほとんど動かず沈黙を守っている」
「男爵が目を光らせているからじゃないんですか?」
「そうだといいが……話が変わるが頼み事をしたい。時間はあるか?」
「あら、副長さんがうちに頼み事ですか?」
「ああ、土産を買わなければいけないのだが、どのような土産がいいか分からなくてな。選んで欲しいのだ」
ログは懐からお金を取り出す。
「十五の娘だ。どのようなものがいいか、マリエルの方が分かるだろう」
「あら~、ログさんにもそういう人がいるんですか」
「食事当番だ。いつも好物を一品、おまけしてくれている」
マリエルは微笑んで、ログの背中を押した。
「そういうのは自分で選んだ方がいいですよ。うちも一緒に行きますから、式が始まる前に買いに行きましょう」
「だが、閣下の護衛が――」
「これだけ警備が厳重ですから大丈夫ですって。それに、もうすぐ――」
やがて時間が近づくと人々は謁見の間へと移って行き、人の気配は消えていった。
ようやく解放されたマークルフは顔にかぶせていた本を横にやり、ベンチにふんぞりかえって一息つく。
「ユールヴィング卿! そこにいらっしゃいましたか!」
しかし、再びマークルフに声がかかる。
叫んだのは城の衛兵だった。息を切らせてこちらにやって来た。
「何だ、血相を変えて? 俺に何か用か?」
「閣下を探していたのですよ。なかなか来られないから随分と探しました」
「心配しなくても時間になったら行くさ。まだ時間はあるだろ」
マークルフはあさっての方を向きながら、おざなりに答える。
「いえ、大公閣下がお呼びなんです」
マークルフは返事代わりにため息をついた。たぶん、リーナを保護した自分がいなければ具合が悪いと思ったのだろう。
「調子が悪いとかなんとか言っといてくれ。式は端っこで見てるからさ」
そう。わざわざ、目立つ場所に陣取ってリーナのご機嫌を損ねることもないのだ。
「そうはまいりません!」
予想に反して引かない衛兵の言葉に、マークルフは怪訝そうに目を向けた。
「どういうことだ?」
「姫君がエスコート役に閣下をご指名なのです! 意地でも連れてこいと大公閣下に厳命されています――おーいッ、ここにいらしたぞ!」
衛兵が叫ぶと、それに応えて仲間の衛兵たちが三人、集まってきた。
そして、状況を把握できないマークルフを取り囲んだ四人は、彼の両腕、両足をそれぞれ捕まえる。
「な、なんだ!?」
衛兵たちはマークルフの四肢を持ちあげると、彼を宙づりにしたまま連行していった。
マークルフは謁見の間に続く扉の前に立っていた。
扉の向こうでは参加者たちがひしめきながら主賓の登場を待っているだろう。
「……いったい、どういうつもりだ?」
マークルフは気まぐれな王女の登場を腕組みしながら待っていた。
「お待たせしました、マークルフ様――」
リーナの声に振り向いたマークルフは思わず呆然とする。
「似合ってますか?」
侍女たちを従えて現れた彼女は黄金の髪が映える白い豪奢なドレスに身を包んでいた。
その姿をよく見知っているマークルフでさえ、目を奪われるものだった。
大公が腕の良い仕立て屋を雇って作らせたとは聞いていたが、着る物でこうも印象が変わるのかと感心する。
いや、着る者もまたそれだけの魅力を持つのだろう。
思わず見とれるマークルフをよそに、侍女たちはリーナのドレスの最終確認をすると、二人の姿に意味深な笑みを浮かべながら下がっていった。
「どういうつもりだ? いまさら俺に義理立てすることないだろう? 好きな奴を指名すればいい」
マークルフは見とれた自分を悟られないようにぶっきらぼうに言い放つ。
「そうですか。でしたら、ヒュールフォン殿にお願いしようかしら」
「い、いや、ダメだ、あいつだけはやめろ!」
美しい笑顔が横に向くのを見て、マークルフは思わず手と声を上げる。
リーナは向き直ると満面の笑みを浮かべた。
「冗談ですよ。安心してください」
「なッ――」
マークルフはどう反応すればいいか戸惑い、彼女を引き止めようと伸ばした手が宙を踊る。
リーナは自分の両手で行き場のないマークルフの手を握った。
「私は見損なっていました」
「……な、何だよ、まだ下がるのかよ」
マークルフは思わぬリーナの態度に面食らったまま答えた。
「いいえ、あなたのことを見損なっていたのは私の方です。あなたが私の思っていた通りの方だったと教えられ、ようやくそれに気づきました。マークルフ様の労苦を知らず、あなたを責めることを言って申し訳なく思います。本当にごめんなさい」
リーナが自分の手を掴んだまま頭を下げるのを前に、マークルフはようやく彼女が本当の自分の事情に気づいたのだと悟った。
「だ、誰だ!? 勝手に俺のことを言いやがったのは!? 大公の爺さんか!? ログか!? エルマか!? それとも――」
「戦乙女様です」
「……いくさおとめ?」
リーナの意外すぎる答えにマークルフは呆けたようにオウム返しをする。
「はい。私の枕元に現れて、マークルフ様が本当は誰よりも“戦乙女の狼犬”の名にふさわしい方だと教えられました」
マークルフはもっとも弱い相手にもっとも弱い所を突かれ、どう反論すればいいか頭のなかで空回りする。
こんなことは初めてだった。様々な相手と渡り合ってきたが、目の前に立つ少女は今までにはなかった強敵だ。
「今までありがとう、マークルフ様……こんな私ですが、まだ、私の騎士でいてくれますか?」
リーナにまっすぐに見つめられると、マークルフはため息と共に張り詰めていた何かが抜けていくのを感じた。
「……負けたよ」
マークルフはゆっくりとリーナから手を離すと、あらためてリーナの前に手を差し出した。
「意地悪な戦乙女だ。俺の前じゃなくてリーナの方に現れるとはな。仕方ない、こうなれば戦乙女に誓った通り、姫の騎士を演じるしかないな」
リーナがマークルフの手を取った。
「あなたが騎士でいてくれるなら、私も王女を続けられそうです」
二人が手を取ると、それを合図にするようにエンシア王女の登場を伝える銅鑼が城のなかを響き渡るのだった。
「珍しいものが見れましたな。“戦乙女の狼犬”の狼狽する姿など滅多に見れるものではありませんぞ」
上階の吹き抜けの廊下。そこから二人のやり取りを覗いていた仮面の剣士は呟く。
「……今は奴に夢を見させてやろう。どぶ犬には過ぎた夢でもな」
背後に立っていたヒュールフォンが二人を一瞥すると、その場を立ち去った。
「それも、もうじき悪夢に変えてやろう」
去って行くヒュールフォンの背中を仮面の剣士は見つめ、軽く息をつく。
(面白くない、というところか。しかし、確かに殿下の言う通りだ。この勝負、殿下の勝ちとなるだろう。疑うことを忘れた“戦乙女”への憧憬がそなたの命取りとなるのだ、マークルフ=ユールヴィング――)
仮面の剣士はもう一度、狼犬と乙女の姿を見つめると、ヒュールフォンの後に従うのだった。




