謁見式を前に
リーナはマークルフが本当に自分を助けたかったのだと気がつき、大公に自分もそのマークルフの姿を信じることを告げる。大公はそれに応え、真実を教える。
それはマークルフの過去と、ユールヴィングの名を継ぐ者としての使命だった。 いままでの旅での傭兵たちを利用した芝居なども、全てが“機神”とそれを利用とするフィルディング一族への形を変えた抵抗であり、傭兵たちが権力者に利用されることなく生きていくためのものだったのだ。
生涯をかけ、それでもそれが実を結ぶのか分からない使命を背負うマークルフを見て、リーナは“戦乙女”に誓い、彼を助けたいと願うのだった。
そして、謁見式の時がとうとうやって来るのだった。
「いよいよ明日ですね」
大公の居室。エルマはワインの封を切りながら、椅子に座っている大公に言った。
「ああ、これで一つの区切りとなる」
安楽椅子に座る大公は紅茶を受け取りながら応える。
「姫様はこれからどうなるのでしょうね」
「こればかりは分からないね。一応、わたしが預かることになっているが、中立的立場の教会に移す話も出てきている」
教会は“神”を信仰する者たちが自助努力を原則として作り出した集団だ。“光”の力を排除する“聖域”では“神”の奇蹟というものとは縁遠く、“神”の教えだけを頼りに彼らは生活している。武力を持たないため国の庇護を受けているが、その代わりに様々な事情を持つ貴族の子弟を修行という形で預かることもよくあることだった。
「姫様を旦那様から引き離したい方々がいらっしゃるということでしょうか」
「さて、ね。ところで、姫はいまどうしているかね?」
「地下室にいらっしゃいますわ。あれを完成させないと男爵に会わせる顔がないと言って、大きな助っ人さんと一緒に作業中です」
大公は目を細めて笑う。
「姫らしいな。それで坊主の方は?」
「マリエルのところに行かれましたわ。しばらくは戻ってこないかもしれませんね」
「そうか。やはり、こういうものは他人の思惑通りにはいかないものだな」
「それが楽しいのではありませんか」
エルマは微笑みながらワインをグラスに注ぎ、大公に差し出した。
「それもそうだな。君も付きあわんかね」
大公は用意させていたもう一つのワイングラスに自らワインを注ぐ。
「よろしいのですか」
「ルーヴェンの好きだった酒だ。一人で飲むのも味気ない。ただ、後で姫の手伝いをしてくれんかね」
「承知しました」
エルマがワイングラスを手にすると、大公はグラスを合わせて乾杯するのだった。
「始めるぞ」
研究所メンテナンスルーム。マークルフはその中央に立つと言った。
その周囲には別の機械とコードで繋がった《アルゴ=アバス》のパーツが作業用アームによって配置されている。
準備完了のランプが点灯した。
マークルフの左胸の前に紅光の模様が浮き出る。紋章、あるいは集積回路の配線にも見えるそれは、各パーツに装着箇所を知らせる“心臓”からの信号だ。その文様は全身を覆うように広がると、《アルゴ=アバス》の各パーツが起動し、配線を繋いだままマークルフへと飛来する。
マークルフが右腕を突き出すと、手甲がその表面で停止し、腕に装着される。さらに全身に各パーツが飛来し、左肩、右大腿部、右脇腹、背中の左半分と、マークルフの体表をパズルを埋めるように装着されていく。
「――チッ!?」
マークルフの動きのタイミングが合わず、右肩のパーツの装着が遅れた。続けて飛来した右の上腕部に間に合わせようと腕を上げるが、右肩と上腕部が激突し、マークルフは姿勢を崩した。
マークルフは装着テストを中断、全身の信号が消え、残ったパーツは落下した。
「大丈夫ですかい、男爵」
別室から駆けつけたのは白衣の巨漢研究員アードだ。
「大丈夫だ。しばらく装着していなかったから勘が鈍ったようだ」
《アルゴ=アバス》は多くのパーツによって構成されている。それは破損箇所の交換や破棄、または装着補助システムを使えない場合に備えてのことだ。それぞれを独自に制御することで信頼性や緊急時の装着までの効率を高めているのがこの強化鎧の特徴の一つだった。
「無理せんでください。これはあくまでも緊急用の装着、換装システムですから」
アードは転がった強化鎧のパーツを背中の巨大な鉄カゴのなかに拾い集めていく。あまり様にならない光景だが、魔力の無駄遣いができない以上は仕方がない。
「いや、こいつを使う時は必ず緊急時になる。悠長に装着している暇があるかは分からないからな。アード、もう一回だ」
「え~~」
パーツを各々の位置へ配置するのはアードの手作業であり、その返答は予想できた。
「面倒そうに言うな。そのための研究所と研究員だろう」
「いや~~、しかし、今日ぐらいはお城に戻られた方がいいんじゃないですか」
アードは困ったように頭をポリポリとかく。
「明日は謁見式ですよ。今夜ぐらい大公様のお屋敷でゆっくりされた方がいいんじゃないですかい?」
「さぼりたいからそう言うんだろう。とりあえず、おまえは髪を洗え。脂ぎった手で《アルゴ=アバス》を触るのを俺は認めているわけではないぞ」
「……」
「……なんだ、その残念そうな目は?」
マークルフが訝しんでいると、やがて白衣のマリエルが姿を現す。
「うちはアードに賛成です。明日は姫様だって忙しいでしょうし、今日ぐらいはゆっくりお話でもされたらいかがですか?」
「何だ、お前まで? いつもならデータ収集のためにああだこうだ注文つけるくせに。いまだってきっちりデータ採ってたんだろ」
「ま、まあ、それはそれです。実験データは無駄なく記録しないと。でも、それはいつでもできるんですし、今度は姫様とご一緒にここに来られたらいかがですか? デートの場所として研究所なんて意外といいかもしれませんよ」
マリエルがうらやましそうに笑いかけるが、マークルフはそしらぬ顔で流した。
「リーナを誘う気はねえよ。それに悪いがここの怪しい面々を見せても、姫君の教育に悪いだけだ」
「……」
「どうした? マリエルまで?」
言い返せないだけに残念そうな目を向けるマリエルに、マークルフはさらに眉間にシワをよせる。
「いや~~、旦那、いまを逃す機会はないですぜ」
曇り硝子の眼鏡男ウンロクがいつの間にか、含み笑いを浮かべて近づいていた。
「いまなら超上玉姫のお触り自由かもしれないってのに、もった──」
「てめえのせいだ!」
マリエルの裏拳がウンロクの鼻っ柱を直撃する。
「……」
ウンロクも腫れた鼻を手で押さえながら、マークルフに残念そうな視線を向けた。
「いや、俺はまだ何も言っていねえぞ! て、いうか、おまえらいったい何なんだ、そろいもそろって残念そうな人を見る目は!?」
大公の館の地下室。
リーナはそこを借り、閉じこもっていた。
床には紙の断片が散らばっていた。マークルフの部屋のゴミ箱にまとめて捨ててあったものをエルマに頼んで回収したものだ。
リーナはそれをじっと見つめながら、ときおりそれらを組み合わせを試すのを繰り返していた。
「グーちゃん、そっちはどう?」
リーナは疲れて軽く息をつくと、床から頭を出している《グノムス》 に訊ねる。
『……』
《グノムス》は紙片の山をじっと見つめているが、それだけだ。エンシアの技術の結晶である人工知能でも、パズルは苦手のようだ。
助っ人投入が空振りに終わり、リーナはため息をつく。
「やっぱり、難しいよね。何とかこれを元に戻してマークルフ様にお返ししたかったのだけど……」
自分たちが破いてしまった大事なネタ帳を元に戻そうと、リーナはここ数日、作業をしていたが、なかなかはかどらない。内容もよく知らないし、エンシアの時代とこの時代では言葉や文字に若干の違いがあり、それがさらに作業を困難にさせている。せめてもの救いはこの時代にも携帯用の糊があり、紙片の貼り付けが楽なことぐらいだ。
リーナの手元には修復したページの山があったが、まだほんの少しだ。
「うぅ……これではマークルフ様に合わせる顔がないわ」
マークルフの使命を知ったいま、このネタ帳もそのために必要なものと分かる。だから、どうしてもそれをできるかぎり修復したかった。エルマは男爵は全部記憶しているから大丈夫と言ったが、それで済む話ではない。元に戻してから詫びてこそ、本当の仲直りにできるのだ。
リーナは途方に暮れて涙が流れそうになる。
「失礼しますね。どうですか、うまく進んでますか?」
地下室の扉が開いた。姿を現したのはエルマだった。
「エルマさん、すみません、まだ終わらなくて……」
リーナは向こうに見えないように涙を拭いた。
「お困りのようですね。よければ、お手伝いさせていただきますわ」
「い、いえ、これは自分がやってことですから――」
「でも、このままだと男爵にも顔を合わせられずに謁見式に臨むことになりますよ。心残りがあったままだといけないからと、旦那様より仰せつかっています」
エルマはリーナの隣に腰を下ろすと、紙片を眺める。
「頑張りましたね。ここまでされたのですから、気持ちは十分に伝えられますわ。では、少しお手伝いさせて頂きます」
「でも、残っているのは難しい箇所ばかりで――」
リーナが言うよりも早く、エルマは紙片を三つ拾い上げ、それをピタリと組み合わせた。その後も次々と組み合わせを見つけては、空いた場所に置いていく。
リーナと《グノムス》が次々に動く手を追って首を巡らすうちに、すでにリーナたちが集めたそれ以上のページを完成させていた。
「……すごいです、エルマさん。こういうの得意なんですか?」
「得意というより必要に迫られてかしら。研究所にいると、大事な資料を他と一緒に裁断しちゃうことがよくあって。資料の断片を集めて修復するのはよくありましたわ」
いろいろな意味ですごい人のようだ。所長代理がイライラを募らせるのも何となく分かったような気がした。
リーナが完成した部分を見ると、あることに気づいた。傭兵についてのネタの他に、殴り書きのように何かが書かれていたのだ。
それは光と闇、そして、それを均衡させるこの世界の力についての考察だった。
「これは……」
「男爵はこの世界の法則について勉強されているのですよ。私もよく男爵にそのことについてご教授してます」
「なぜ、そのようなことを?」
「“機神”を破壊する方法を探すためですわ。“機神”は魔力が究極までに収縮して生み出された“闇”の特異点とされ、完全にそれを消滅させることは通常の手段では不可能と言われています」
「……私、そんな大事なことを書いているとも知らずにこんなことを……」
「お気になさらず。正直、まだまだ先は見えないのが現状ですので。でも、男爵は諦めていませんわ。“機神”も世界の法則に従う“闇”の存在には違いませんから、世界の法則を究明すれば、何か手はあると信じておいでです」
「……できるでしょうか。エンシアですら見つけられなかったものを……」
「案外、見つけてしまうかも知れませんよ」
エルマは悪戯っぽく言った。
「訊ねたことがあるんです。破壊できないものを破壊する──それは矛盾していると。そしたら男爵はこう答えたんです。『だったら、その“矛”と“盾”を武器にすれはいい』と──なかなかの着眼点だと思いませんか?」
リーナはつられるように笑った。
「いかにもマークルフ様らしいですね」
「さあ、いまは男爵がいつ戻ってくるかも分かりませんし、作業を進めましょう」
リーナは継ぎ接ぎだらけのネタ帳を胸に、男爵の帰りを待っていた。
エルマが紙片を組み合わせ、リーナがそれを糊で継ぎはぎし、《グノムス》は休憩用の椅子として頭を使い、何とか男爵のネタ帳は完成(?)した。
すぐに帰りを迎えられるように一階の中庭に用意したテーブルの椅子にリーナは座っている。
側にはエルマも控え、中庭の隅では《グノムス》も頭を出して待機していた。
やがて、外から馬の蹄と車輪の軋む音が聞こえた。
「お戻りになられたみたいですね」
エルマがリーナの背を押すように促すと、リーナは頷いて玄関へと向かった。
玄関に来ると、そこには大公が先にやって来ており、門番の衛士たちが大公に敬礼をしているところだった。
「大公様、起きていらしたのですか」
「はは、明日の主賓を差し置いて先に眠れないからね」
「申し訳ありません。私の我がままで──」
「なに、わたしも仲直りするところを見ておきたくてね。坊主がどんな顔をするか、実は楽しみなんだ」
「まあ、旦那様ったら、若い方たちをからかってはいけませんわ」
そう言いながら、エルマもやって来ていた。
リーナが少し恥ずかしくなるが、やがて衛士が玄関の扉を開けるとすぐに出迎えに出る。
「おかえりなさいませ、マークル──」
扉の隙間から月の光を背に現れたのは、無気味な影を屋敷の床に映しだす得体のしれない巨体を持つ何かだった。
「キャアーー!?」
「ウワァーーッ!?」
リーナと無気味な影は同時に叫び声を上げた。
衛士たちが慌ててリーナの前に立つが、大公は落ちついた様子で衛士たちを下がらせた。
「やあ、アード。久しぶりだね」
「ああ、大公様、びっくりしましたよ。あ、姐さん、お疲れ様っす」
灰色のチョッキとボロの服を纏っており、すぐには気づかなかったが、あの研究所で見た巨漢の研究員の人だった。
「ダメよ、アード。姫様を脅かしたら」
エルマが笑いをこらえるように言うと、アードはぽりぽりと頭をかく。
「それはないっすよ。こっちはわざわざ男爵をお連れしたんですぜ」
アードはマークルフを背負っていた。アードの肩に顔を埋めており、どうやら眠っているようだ。
「あの、マークルフ様、どうかされたのですか?」
「ああ、姫様、すみません。早く帰るように言ったんですけどね。結局、先ほどまで《アルゴ=アバス》の試験動作を続けて、そのまま眠ってしまいまして」
「試験動作だけども、強化鎧はかなりの体力を使いますからね」
エルマが苦笑しながら言った。
「やれやれ、何だかんだで姫のことが気になってたんだろう。姫が待っていたというのに困った坊主だ」
リーナはそっとマークルフの顔を覗いた。
よほど疲れたのか、ぐっすりと眠っているようだ。普段の大胆さからは分からない年相応の少しかわいい寝顔に、リーナは思わず笑みを浮かべた。
「さて、どうするかね、姫?」
大公が訊ねると、リーナは首を横に振った。
「起こすのは何だか可哀想ですわ」
「でも、明日は朝早くから城に入るんじゃないんですかい?」
「なに、心配はいらないよ、アード。すまないが部屋まで坊主を運んでくれんかね」
アードは頷くと、大公の後をついて奥へと男爵を運んでいった。
リーナはその姿を見つめていると、エルマがその両肩に手を置いた。
「大丈夫ですわ。旦那様なら何とかしてくださいますわ」
リーナは黙ってうなずくのだった。




