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口でかたり、刃でかたり、目でかたり、そして背中で──

「……それが“祖父殺し”の由縁だ。《アルゴ=アバス》を奪われないためとはいえ、坊主には苦渋の決断だった。いまでも祖父の首しか弔えなかったことを後悔しているんだよ」

 メンテナンスルームに鎮座する《アルゴ=アバス》を見つめながら大公の話を聞き終えたリーナは、手で両目を拭った。

「泣いてくれるのかね?」

「だって……あまりにお気の毒で……」

 誰よりも祖父を尊敬していた少年がそのような決断と対決を強いられた。その心情はとてもはかれるものではない。

「私は軽率でした……自分の興味本位であの方の癒すことのできない古傷を抉ろうとしていました」

「いや、その涙で十分だよ。やはり、姫を見込んでここに連れてきて良かったようだ」

 大公はそう言って後ろに控えていたログを呼んだ。

 気を利かせて場を外していたマリエルの代わりにそこにいたようだ。

「姫、今からルーヴェンの墓に行かないかね? 坊主もいま、そこに出かけているはずだ」

「この近くにあるのですか?」

「城下町から外れたところにある。そこを知る人間は坊主とわたしたちぐらいだがね」

 大公たちが歩き出す。リーナも後をついていこうとするが、足を止めた。

「おや、どうかしたかね?」

 大公が尋ねる。

 リーナはひとり思い悩むように両手を組むが、やがて決意に満ちた眼差しを大公に向けた。

「真実を知ったいま、私も真の答えを出す番です。私、決めました!」

 大公とログが顔を向け合うが、やがて大公は静聴するように杖の頭に両手を重ねた。

「では、聞かせてもらおうか?」

 リーナはこれから対決が待っているかのように両手を握りしめると、告げた。

「土下座です!」

 リーナの声が静まり返った研究室内に響いた。

「……土下座、かね?」

「はい! 確かにマークルフ様はお辛い過去をお持ちですが、いまは傭兵稼業にうつつを抜かし過ぎです! 丁度良い機会です! お祖父様の墓前にそれまでのことを土下座させます! そして、ちゃんと英雄の後継者に相応しい方になっていただくのです!」

 大公とログが再び顔を見合わせた。

「大丈夫です! マークルフ様は十分にその資質を受け継いでおられます! そのための尽力は惜しみません! それがあの方にお世話になったご恩返しです!」

 リーナは一気に告げた。

 何故か、静寂に包まれるが、やがて女性の含み笑いが聞こえた。

「マ、マリエルさん!?」

「ごめんなさい、姫様。立ち聞きするつもりはなかったんですけど、大声なんでつい――」

 通路に立っていたマリエルが姿を現し、苦笑いしながら謝る。

「いかんな、マリエル。姫の決意を笑っては――」

「そういう大公様だって口元が隠しきれてませんよ」

 ログの方を見ると、その表情を見る前に背を向けられた。

「あ、あの私、何か変なことを言いましたか?」

 大公は頭を振った。

「いや、失礼した。坊主の傭兵稼業についても説明しないといけないな。でもその気持ちには感謝する。もし聞き届けてくれるなら、しばらくは坊主の“戦乙女”でいてもらえないかね?」

「私がですか? で、でも私に何ができるでしょうか?」

「何、見守ってほしいんだよ。老い先の知れたわたしよりも、姫の方がそれに相応しいだろう」

「張り切るでしょうね、男爵も――」

 マリエルも楽しそうに両手を重ねる。

「いや〜、でも男爵には辛いかもしれませんな〜」

 マリエルの背後から現れたのは、研究員のちょっと胡散臭い方の人だ。

「相手が“戦乙女”だと、乙女でなくなっちゃうようなお触り行為とかできな――グハッ!?」

 マリエルの後ろ回し蹴りが胡散臭い人の鳩尾に突き刺さった。

「姫様! いまの言葉は忘れてくださいね! 耳が汚れるだけですから。さ、男爵がお待ちでしょう。今度はお二人で遊びに来てくださいね」

 床にのびた部下を足蹴にして通路を開けると、マリエルはにこやかに送り出すのだった。



 城下町の外に続く城門。その前の広場にマークルフは立っていた。

 王城の背景に広がる丘陵にそびえる聖堂を見ていると、あの時のことが鮮明に思い起こされる。

 そう、自分が新たなユールヴィングとして立ったあの時を――

「べ、あ、いえ、違った、マ、マークルフ=ユルピンク男爵ですか!?」

「ユールヴィングだ! 妙なゆるキャラみたいに呼ぶんじゃねえ!」

 狙いすましたかのような呼び間違いに、マークルフはつい声を荒げた。

「ああ、す、すみません、緊張してつい!?」

 振り向いたマークルフの前には一人の小柄な少女が立っていた。髪を無造作に後ろに束ね、眼鏡をしたまま手にする手帳をせわしくめくっている。

「……ああ、脅かしてすまなかった。ところで、おまえは誰だ?」

 マークルフは頭をかきながら尋ねた。今日ばかりはお忍びで通すはずだったが、こちらから名乗ってしまったのでは今更とぼける訳にもいかなかった。

「あ、あたしはテトアと言います! 傭兵ギルド、クレドガル支部ラフル局の契約記者です! お会いできて光栄です!」

 テトアは明らかにテンパった様子で、手にしたペンで手帳に記録していく。

「……光栄と思うなら名前を間違えるな。ユルピンクもひどいが、最初に言いかけた“べ”って何だ?」

「す、すみません! 名前を覚えるのが苦手なもので!」

 テトアはさらに慌てふためきながら、メモを録るのは忘れていない。

 ひょっとしてわざと名前を間違えたのも誘導尋問だったのか。そうだとすると見た目に反して侮れないかもしれない。マークルフは油断なく相手を見据える。

「……新人か?」

「はい! 四年目です!」

 どうやら深読みだったらしい。返答に困っていると、テトアは背負ったリュックから何やら機械の箱を取り出した。

「しゃ、写真を撮らせてもらっていいですか? 時間はとらせませんので!」

「それは何式の写真機だ? ずいぶんと古そうだが?」

「ええと、簡単に言うと日光写真機です」

「……確か原盤に光当てて撮影するってヤツだよな? それって、撮影にすごい時間かかるよな?」

「だ、だいじょうぶです! 思ったよりそんなでもないです! ちょっと、ほんのちょっとですから!」

 怪しい勧誘のようにテトアが迫る。

「やめた。飛び込み取材は今日はお断りだ。用があるなら上で話を通してくれ」

 マークルフは手で追っぱらいながら去るが、テトアも慌てて追ってくる。

「ちょっとだけでもお願いします! ちなみに飛び込みじゃなく偶然なんです!」

「どっちでもいい。取りあえず写真機を新しいのにしろ。いまはネガを利用した写真機があるだろ! まあ、高価だからそうそうあるもんでもないがな」

 記者(多分)の少女は足を止めて自分の写真機を見つめたが、また追ってきた。

「そ、それでもこの写真で特ダネをものにしたいんです!」

「なぜ、そんなもんにこだわる?」

「伯父の形見なんです!」

 マークルフは足を止めた。テトアがその背中にぶつかるが、慌てて正面に回る。

「教えろ。おまえにとって、その写真機はどういう意味があるんだ?」

「は、はい! 伯父はあたしの育ての親でした。元傭兵で、自由契約でギルドの従軍記者もやっていました! あたしは伯父の記事を見るのが好きで、将来はギルドの記者になるのが夢でした!」

「一応、記者にはなれたんだろ?」

「ダメです! この写真機は伯父が新米の頃から大事にしていました。伯父は五年前、病気で亡くなりましたが、その時に伯父の写真を気に入っていた人が大勢いたのを知りました。伯父もそのことだけが気ががりだったんです。だから、今度はあたしが伯父の仕事を引き継ごうと誓ったんです! これで大きな記事を作りたいんです!」

 いつの間にか流暢になっているテトアの熱心な訴えに、マークルフは目を閉じた。

 嘘はないようだ。それにどうも、他人事と切り捨てることもできなかった。

「……分かった。いまはダメだが、今度の取材には考えてやっても――」

 マークルフが目を開けると、テトアは脇の商店の棚に写真機を置いて、こちらを真剣に見つめていた。

「あ、すみません、目を開けないでください! そのまま動かないでください!」

(……こいつは――)

 マークルフが拳を握りしめた時、背後が騒がしくなる。

「――誰かと思えばユールヴィング卿ではないか」

 そちらを向くと街の城門を通って凱旋する傭兵たちで溢れていた。

 声の主は彼らを率いる馬上の騎士だった。

 ヒュールフォン=フィルディングだ。

「姫君の謁見式が近いというのにここで暇をつぶしているとは、ずいぶんと呑気なことだな? それとも、もう姫君からお役ご免でも言い渡されたかな?」

 ヒュールフォンは馬上から見下ろすようにマークルフに言った。

 マークルフは最悪の相手との遭遇に内心で悪態をつく。

「てめえは何してやがる?」

「魔物狩りの帰りだよ。わたしは現在、クレドガルを中心に“聖域”内の魔物を対峙する特務部隊の隊長を任されている」

「知ってるさ。方々に良い顔をして、人気取りの最中なんだろ?」

 本来、複数の国をまたいで行動することは難しい。しかし、ヒュールフォンは各国に影響力を持つフィルディング家の後援を得ており、それを可能としている。そして、していることも魔物退治など民の人気を得やすい職務だ。その出自もあり、亡国の新たな英雄とも噂され始めているそうだ。もっとも、それ自体がフィルディング家が裏で手を回して宣伝していることではあったが――

 マークルフとヒュールフォンが睨み合うなか、周囲が騒がしくなる。

 ヒュールフォンの率いる兵士たちが、出迎えに来た家族との再会を喜んでいるのだ。

 マークルフはその姿に目を留める。

 そう、本来はこの凱旋を見に来たのだ。

 だが、ヒュールフォンはどう解釈したのか、意味深な笑みを浮かべる。

「……君の道具である傭兵たちは有効に使わせてもらっているよ。まあ、もう少し腕を鍛えた方がいいのが大半だがね」

「苦情はギルドにいいな。不満なら、自分で戦えばいいだろ」

 ヒュールフォンは鼻で笑った。

「それでは雇う意味がない。彼らには命を賭けてもらわないとね」

 まるで使い捨ての手駒のような言い方だった。

「ん!? 何をしている小娘?」

 ヒュールフォンがテトアの姿に気づく。彼女は近くの露天商の棚の上に写真機を置き、マークルフとヒュールフォンの二人にレンズを向けているところだった。

「は、はい! お二人の対峙する姿を写真に撮らせてもらおうかと――」

 ヒュールフォンは黙って腰の剣を抜くと、写真機を置いていた棚を薙ぎ払った。

「身の程をわきまえろ!」

 棚が破壊され、写真機もこぼれ落ちる。

 テトアが慌てて受け止めるが、倒れた棚が露天の柱を巻き込み、設営していた看板が崩れ堕ちる。

「逃げろ!」

 マークルフがテトアを抱えて飛び退く。看板は避けたが、その拍子にテトアが写真機を落としていた。

「どこの小娘か知らんが、よりにもよって、わたしを傭兵どもと同じに扱おうなど不愉快極まる!」

 ヒュールフォンが手綱を操ると馬が前脚を上げていななく。そして手綱に操られるまま、落ち着かない様子でその場を踏み荒らしていく。

 そして転がった写真機へと蹄が向かう。

「や、やめて!!」

 テトアが手を伸ばすが、間に合わない。

 だが、馬の蹄が写真機を踏みつぶすことはなかった。

 写真機をかばって飛び込んだマークルフの背に馬の脚がのしかかる。その衝撃を何とかこらえると、マークルフは写真機を抱えて離れようとするが、またしてもその背に馬の脚がのしかかった。そのまま何度も踏みつけにされる。

「だ、男爵!?」

「テトアだったな。受け取れ!」

 マークルフは写真機を放り投げる。テトアは慌てて受け取った。

「はっはっはッ、これはまた酔狂なことをするものだ。自ら、馬に踏まれにいくとはな」

 ヒュールフォンが滑稽とばかりに笑い声をあげた。

「き、騎士さま!? 早く馬を退いてください! 男爵様が――」

「そうしたいところだが、馬が興奮していうことを聞かなくてな」

 テトアの訴えに、ヒュールフォンは肩をすくめる。

 周囲の民衆たちも率いられていた傭兵たちもその様を見て、息を呑んでいた。

 ヒュールフォンの直属の騎士たちだけが彼に賛同するようにあざ笑う。

「まったくだ! これほど滑稽なことはないな!」

 人垣の中から野太い声が響いた。人々の目が集まるなか、現れたのは蛇の水晶をいくつも髪に巻き付けた屈強の男だった。

「よもや、ユールヴィングの無様な姿を見ることができるとはな! いや、これほど愉快なことはないな!」

 それは“ゴルゴン卿”と呼ばれた傭兵カートラッズだった。

 人垣から出てマークルフに近づくと馬の代わりにマークルフの頭をグリグリと踏みにじる。

「無様だな、えッ! こんな小娘と写真機を庇って馬に踏まれるなど、“戦乙女の狼犬”が聞いて呆れるわ! それとも何か? 貴様は戦乙女より、こんな小娘の方が好みだったのか?」

 カートラッズが大声で叫び、テトアの方を向いた。

「丁度いい! 小娘、おまえの写真機で馬に踏まれた狼犬を撮ってやれ! 自分が庇った写真機で間抜け様を撮られるのも、一興だろう!」

 カートラッズが大衆に訴えるように派手な身振りを向けた。

 それに押されるようにヒュールフォンも馬を下がらせる。

 大衆たちも騒然とし始めた。

 あまりに悪趣味な光景に軽蔑の空気が立ち込め、それはいつの間にかヒュールフォンにも向けられていた。

 貴族相手に面と向かってはできなかったが、傭兵隊長への批判の目には間違いなくヒュールフォンへの反発も含まれていた。

「……ええい、ふざけるな! 貴様のためにやったのではないわ!」

 ヒュールフォンもようやくそれに気づいたのか、マークルフたちから離れた。

 そしてカートラッズを冷徹な視線で睨む。

「貴様、名を訊こうか!」

「俺か? 俺の名はカートラッズ! “ゴルゴン卿”と呼んでもらおうか。いまはとても気分が良い。俺を雇いたいなら、特別料金で腕を貸すぜ」

「カートラッズか……その名前、覚えたぞ!」

 ヒュールフォンは不機嫌を隠しきれずに吐き捨てると、部下たちを連れてこの場を去って行った。

「……チッ、あの野郎め。性格の悪さに磨きがかかってやがるな」

 マークルフはようやく立ち上がった。

「だ、大丈夫ですか!? すぐに傷の手当てをしないと――」

「心配するな。俺の身体は普通よりも頑丈にできている。向こうもそれを承知で悪ふざけしたんだろうがな」

 心配のあまり狼狽するテトアに、マークルフは腕組みをして答えた。

 その様子を見ていたカートラッズが口許にいやらしい笑みを浮かべる。

「見せてもらったぜ、血統書付き。面白い見世物だった」

「ケッ、手も足も出せずに尻尾まいて逃げるヘビ野郎よりはマシだろ」

「心配無用だ。もとからは蛇に手も足もねえ。あるのは尻尾だけさ」

 二人は顔を近づけて互いに威嚇しあうが、やがてカートラッズが顔を離した。

「さあて、てめえの話を肴に酒でも飲むか。小娘、これだけのネタに立ち会ったんだ。俺のことを大きく記事にしろよ!」

 カートラッズは笑いながら、その場を悠然と歩き去る。

 その際に一瞬だけ、片目を閉じたのをマークルフは見逃さなかった。

(……借りができたな)

 ヒュールフォンはおそらく、今度の魔物退治にカートラッズを雇うだろう。傭兵を憎むあの男なら気に入らない奴を雇い、命を落としかねない任務に平気でつかせるだろう。

 だが、傭兵としての長い経歴を持つ“ゴルゴン卿”だ。きっと上手く逃げるだろう。

 テトアはしきりに写真機の具合を確かめていたが、安心したように息をついた。どうやら無事だったらしい。

「俺も行くぜ。次は撮る相手と場所と時間を選べよ。じゃあな」

「だ、男爵! 待ってください!」

 去ろうとしたマークルフを、テトアは呼び止めた。

「写真機を守ってもらい、ありがとうございました! でも、何で、その、そこまでしてくれたのですか?」

 テトアが戸惑いながら尋ねる。

「その写真機に誓ったんだろ?」

「は、はい……」

「なら、誓いを果たすまで壊すな。それか、壊れないものに誓っておけ」

「は、はい! で、でしたら、何かお礼をさせてください!」

「だったら、“ゴルゴン卿”の特集記事でも書いてやれ」

「……え、あの人ですか? でも、あんな人の特集しても……」

 テトアが嫌がるように首を傾げる。

「その辺が分かるようになったら、傭兵たちのいい記事が書けるようになるさ。もちろん、いい写真もな。とにかく書いてみろ。ああ見えてあいつは取材の応対は丁寧だからな」

 戸惑うテトアを置いて、マークルフは今度こそ、歩き去る。

 すると背後でマークルフを称える声が湧いた。

 一連の騒ぎを見物していた観衆たちだった。

 マークルフは振り向き、その声援に応えて、手を挙げた。

 ふと、観衆の向こうに一人、背を向けて去るカートラッズの姿が目に入る。

 向こうもマークルフの視線に気づいたのか、歴戦の傭兵は右の親指を立てて見せるのだった。



 路地裏から騒動を覗いていた馬車があった。

 リーナたちが乗った馬車だ。

 マークルフを探しに来たリーナはこの場面に鉢合わせたが、大公に止められてそのまま様子を見ていたのだ。

「丁度、面白いものが見れたな。あれが現在の傭兵の姿だよ。そして、現在の“聖域”の縮図でもある」

 大公はそう言うと覗き窓のカーテンを閉めた。

「昔の傭兵というのは酷かった。若い淑女の前では言いにくいが、彼らは食料を奪い、女は犯し、自分の楽しみのためなら殺しも平気でした。雇う側の権力者も報酬代わりに戦勝地での略奪の権利を彼らに渡していたほどだ。権力の後ろ盾を得たことを考えれば、ただの無法者よりも始末におえない存在だっただろう……決して、あんな声援を浴びることなど考えられなかった」

 大公が思いを馳せるように、馬車の天井を見上げる。

「だが、ルーヴェンはそれを変えた。傭兵の神と呼ばれた奴は小競り合いの続く状況を逆手にとり、傭兵たち同士で示し合わせる仕組みを作り上げた。戦いの主役を騎士から奪い取ると、自分たちで戦いを演出しだしたのだ。戦う振りさえしていれば報酬はもらえるし、怪我人も減る。略奪だってする必要がなくなる」

「ですが……それはずっと、小競り合いを続けることになるのではありませんか?」

 リーナは言った。

「それでは結局、争いはなくならないのでは――」

「それもルーヴェンの目的の一つだよ」

 大公はそう言うと、目の前に置いてあった地図を手にして広げた。

「なぜ、機神がここに封印されているか、分かるかね?」

 唐突な大公の問いにリーナは戸惑いながらも思案する。

「……“聖域”の中央にあるからですか?」

「うむ、確かにそれもある。だが、それだけでは正確ではない」

 大公は地図上の諸国を取り囲むように指でなぞりながら答えた。

「ルーヴェンは機神の復活を止めた後、この国で《アルターロフ》を管理することを決めた。クレドガルは列強国に囲まれている。この国が野心を持ち、“機神”を利用しようとしても“聖域”の外に運び出すことはできん。そして、それは周囲の列強国も同じこと。いろいろな地形的制約があって、“機神”を“聖域”の外に運びだすことができない」

 大公は地図に指を滑らせながらリーナに説明していく。

 六王国地域の外周には山岳地帯や巨大な渓谷、大森林や湖が存在しており、巨大な“機神”を運びだすことは非常に困難だ。

 しかし、その説明を受けて一つだけ気になる点があった。

「でも、ここは――」

「気がついたかね。そう、これには一つだけ穴がある」

 大公は地図の中央に置いた指を真下になぞる。

 なぞった先、地図の真南だけは障害となるような地形が見あたらなかった。

「ここは姫も旅をしてきたから分かっているとは思うが、現在は小さな勢力が群雄割拠している地域だ。しかし、元は一つの王国だった。旧フィルガス王国の領土だったのだよ。何故、フィルガスが崩壊したかは知っているね」

「《アルターロフ》の力を利用しようして、それが発端で起こった戦争で滅びたのだと聞きました」

「そう、自国の領内で地底深くに眠っていた《アルターロフ》を発掘した当時のフィルガス王は、その力を我が物にせんと秘密裏に“機神”を“聖域”の外に輸送しようとした。そして、その試みは半ば成功しかけた。ところが、そこで誤算があった」

「当時、その国の傭兵隊長だったルーヴェン様が叛旗を翻したのですね?」

「そう、ルーヴェンが復活を阻止し、それをきっかけにフィルガス王国は瓦解した。その後、この地域は長い混乱が続いたが、その裏でルーヴェンはあらゆる争いに関わった。表だって戦いに介入することもあれば、裏で暗躍することもあった。そして、ほぼ全域に強い人脈を作り上げたのだよ。なぜだと思う?」

「……自分が王になって新しい国を作ろうとしたとか」

 リーナは意図が分からず、曖昧に答える。

「はは、あやつの才覚ならそれもできたかもしれん。だが、そのつもりがあったら我が国に忠誠を誓い、辺境の飛び地に自分の領土を構えるなんてことはしないだろう」

 大公は地図上の旧フィルガス地方を指でぐるりとなぞった。

「この地域が一つに統一されれば、どうなると思うかね?」

「それは……」

「その統一した者が“機神”を狙った場合、復活を止める盾がなくなる。つまり第二のフィルガス王になるかもしれない。中央王国から“機神”を奪い、いや、可能性としてだが中央王国と手を結んだ場合も含めて――“聖域”の外に運びだせる一つの路を、一つの意思に支配されるのはそれだけで危険だとルーヴェンは考えていた。それが、いま説明した傭兵たちによる自演のもう一つの理由だよ。その一方で最後の境界線と言える辺境には自分の領土を置いて、万一の復活の動きを警戒し続けた。《アルターロフ》を完全に破壊する手段が見つかる、いつになるとも知れないその時までな」

 リーナはあらためて愕然とした。あの旅路で見てきたことには、そのような意味があったのだと――

「そして、ルーヴェンが逝った後は坊主がその役目を引き継いだ。“機神”の力を求める者らに対する盾となって監視を続けているのだよ。坊主のしていることは祖父の遺した使命をあいつなりに受け止めてのことなのだけは分かってやってくれんかね?」

 リーナはもう一度、カーテンの隙間から外を見つめた。

 傭兵たちが家族の出迎えに喜び、仲間たちと歓談し、みればギルドの記者と思われる一団が取材しているのも見えた。確かに大公が語った昔の傭兵の姿とは違うものだ。

 きっと彼はこの姿を見るために城門に来ていたのだ。



 城下町を出て少し行くと、リーナたちは馬車を降りた。

「悪いが、ここからは静かに歩いてもらうよ。なに、すぐ近くだ」

 大公に先導されリーナも歩き出す。その後ろにログが護衛として続く。

 何もない山道を歩くと、やがて目の前に小高い丘があった。

 そこにマークルフが先に来ていた。

 足元には小さな岩があり、懐から水筒を取り出した男爵はそれに水をかけて掃除を始めた。

「大公様、あの岩は……」

 木陰に隠れてリーナは男爵の姿を見る。

「あれがルーヴェンの墓碑だよ」

 大公はそう言うと、その墓碑に祈りを捧げる。

「あんな、小さな岩が……」

 そう言われなければ分からないような岩が、世界を救った英雄の墓碑だとは想像もつかなかった。

「生前、先代閣下は望まれていました」

 二人の背後に立つログが同じく祈りを捧げると答えた。

「傭兵たちの凱旋と晴れ姿、そしていつか“機神”の滅びを臨める場所に墓を建てて欲しいと……国葬がああいう形になった後、せめてその望みだけでも叶えようと誰にも邪魔されないここを選んだのです。ここなら城下へ凱旋する姿がよく見えますから――」

 マークルフが祖父の墓前にあぐらをかいて座った。

「……ごめんよ、祖父様。来るのが遅くなっちまった」

 祖父の墓前に話しかける姿はいつもより穏やかに見えた。

 きっとこれが祖父が健在だった頃の男爵の姿なのだろう。

「本当はここに“戦乙女”を連れてきて自慢しようかと思ったんだけどな……どうやら、俺も嫌われてしまったみたいだ。やっぱり、祖父様よりもいい男になるのは無理らしいや」

 語りかけるマークルフの背中に、リーナはとても寂しげなものを感じた。

「……行ってあげるかね?」

 大公がそっと呟く。

「そして聞いてみるといい。祖父の墓前だ。今なら嘘もごまかしもせずに本当のことを言ってくれるよ」

 大公も男爵の姿を見守っていた。

「ただ坊主を責めんでやってほしい。姫のことを気に入っていたからこそ、生涯かけても勝てるか分からない大芝居に巻き込みたくなかったのだろう。わたしもルーヴェンの死目に会えなかったが、それも本当はわたしを賭けに巻き込まないためでもあった……だが、姫にはわたしのような後悔はさせたくなかったのでな。いろいろと試した真似をしてすまなかったね」

 リーナはマークルフの後ろ姿をじっと見つめると、やがて答えた。

「……いえ、それにもう十分です。やっぱり、マークルフ様は“ほら吹き”の方がお似合いです」

 リーナは英雄の墓碑に祈りを捧げた。

 そして願う。

 “戦乙女”にはなれないとしてもその名に誓い、あの小さくて大きな背中を助けてあげたいと――


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