巨人と少女(2)
『じいさま、またそのヤリをみがいてるの?』
安楽椅子に座る一人の老人。
髪やあご髭も白く、肌には深い年輪が刻まれている。
それでも、いまだ衰えぬ覇気と愛嬌を併せ持つこの老雄を、臣下や領民たちの誰も平服し、そして敬愛した。
少年にとって、そんな祖父は英雄であり、楽しいことを何でも教えてくれる道化だ。
今日も物珍しい槍を手入れする祖父の様子を、少年は足元の絨毯に寝そべりながら、興味深く眺めていた。
傭兵隊長から男爵に成り上がった、希代の英雄ルーヴェン=ユールヴィング。
その老将も居城では孫をかわいがる好々爺だ。
『じいさま、そのヤリをみがくのがすきだね』
少年の瞳が槍に注がれる様を見て、ルーヴェンは微笑んだ。
『汚しては、戦乙女がへそを曲げて会いに来てくれないかもしれんからな』
『いくさおとめ?』
首を傾げる孫に、老将は口の端を釣り上げる。
『そろそろ、おまえも知ってもいい年頃だろう。戦乙女というのはだな、運命を司る神の娘のことだ。自ら選んだ勇士を護るといわれている。この槍はその戦乙女の持ち物だとも、戦乙女が身を変えた物とも呼ばれる代物だ』
ルーヴェンは《戦乙女の槍》と呼ばれる黄金の斧槍の由来を語った。
『遙か昔──そう、古代のエンシア文明よりもさらに昔、神と、その神に逆らう敵との戦いがあった時代。戦乙女は神に仕える軍勢と共に敵と戦った。しかし強大な力を持った敵の前に苦戦を強いられた神の娘は、その敵と戦える勇士を傭兵として雇った。その報酬として勇士に与えれられたのがこの黄金の槍だという。つまり、これは神に選ばれた傭兵の証なのだよ。どうだ、すごいだろ?』
『じゃあ、じいさまは、神さまにえらばれたよーへいなんだね』
孫の憧憬の眼差しに、ルーヴェンはちょっと気まずそうに首を傾げた。
『いやあ、どうかの。さすがのワシも神様には会ったことはないから、分からんな。まあ、大地の下にいる神様はともかく、戦乙女にはぜひ会ってみたいもんだ。伝説では、この槍のような黄金の髪を持つ絶世の美人だったらしい。槍を受け取った勇士もその乙女を見て一目惚れしたそうだからな』
『へえ、ボクも会ってみたいな』
目を輝かせる少年を見て、ルーヴェンは孫の頭を撫でながら豪快に笑った。
『そうか、そうかッ。やはり、おまえも男じゃな。よし! この槍はお前にやろう!』
ルーヴェンは槍を孫へと差し出す。
『え、いいの? じいさまのだいじなものじゃないの?』
『ああ。だからおまえに譲るんだ。いずれ、おまえもワシの跡を継いで戦う時がくるだろう。これをお守りにするといい。お前はワシに似て男前だから、きっと戦乙女も気に入ってお前を護ってくれるだろう』
少年は緊張しながらも、その小さな両手で槍を受け取る。
小さな両手に抱えられた槍は、物語に出てくる黄金の山のようにずっしりと重く、そして美しかった。
そう、この日から《戦乙女の槍》はマークルフの宝となったのだ。
目を覚ましたマークルフは、自分が地面に顔を埋めているのに気づいた。
身体を起こすと、口元に付いた土を手で払いつつ頭上を見る。
崖は高く、上の様子はつかめない。上からも同様だろう。今頃はログたちが探しているはずだ。
随分と転げ落ちたらしく、身体の節々が痛むが、骨が折れたりはしていないようだ。
普通の人間よりも頑丈になっているのも幸いしたらしい。
「──ッ、俺の槍は!?」
身体が痛むのも構わず、マークルフは周囲を見渡す。
槍は少し離れた場所に落ちていた。
安心したマークルフはよろよろと立ち上がると、槍を拾い上げて、土を払う。
槍が傷一つない美しい姿を取り戻すと、マークルフは悩んだ。
部隊はログがいれば心配ない。問題は、どうやって上まで戻るかだ。
辺りを見た限り、断崖に挟まれた岩場が続くだけで上へ行ける道は見当たらない。
「──んッ?」
槍を拾い上げたマークルフは、すぐ近くで何かが光っているのに気づく。
水晶玉だった。
侵入者の親玉らしき騎士から取り上げたまま、一緒に落ちてきたらしい。
マークルフは水晶球を拾い上げた。
崖から転げ落ちてきたはずだが、水晶球にも欠けたところはなかった。
先ほどよりも強く輝き、明滅のサイクルも次第に早くなっている。
まるで何かが起こる合図のように思えたマークルフは、周囲を警戒する。
そして、ついに水晶球は光の球へと変わった。
突如、地面からぬっと巨大な鋼の“手”が伸びた。
「……うぉ──!?」
僅かな硬直の後、マークルフは思わず飛び退いた。
鋼の手が、まるで水面に沈むように地中に消えた。
マークルフは戸惑いつつも警戒すると、今度は地面から巨大な兜のような頭が現れる。
さらに頭から下が地面からゆっくりと浮上し、やがて全身を現した。
それはマークルフの身の丈の倍以上はありそうな鋼の装甲に覆われた“巨人”だった。
マークルフはすぐに、それが古代エンシア文明によって作られた“鉄機兵”の類だと気づく。
かつて、古代王国エンシアは天の“闇”の魔力を研究し、それを力の源とした高度な機械技術を誇っていた。
滅びて悠久の時が経ったが、いまも各地に足跡を遺しており、そのなかでも代表的なのが鉄機兵だ。
土木作業から戦闘用まで、あらゆる用途で製造されており、現在でも頻繁に発掘されている。しかし、完全な稼働状態で見つかるのは非常に希であり、目の前の巨人はそれに加えて地中を自在に潜行する能力があるようだ。
水晶球の光を受けて輝くこの鉄機兵は、他の機体とは明らかに別格だ。
驚愕に目を見開くマークルフをよそに、姿を現した巨人はゆっくりと片膝を落とす。
逃げることもできたが、マークルフは好奇心にかられ、その場に留まる。
そして巨人の胸の装甲が、静かに左右に割れた。
マークルフは息を飲んだ。
割れた巨人の胸部は空洞になっており、そこに人がいた。
水晶の輝きを受けて淡く輝く黄金の長い髪と、その美しさを損なわない、精細な衣装の白いドレス姿をした女性のようだ。若く、その姿だけで高貴の出自だと確信することができた。
狭い機内で身を丸めているため、表情は分からないが、眠っているようだ。
巨人は顔をマークルフに向けた。
「俺に……その子を渡すというのか」
巨人は答えない。いや、答える機能があるのかすら分からないが。
マークルフは槍を地面に刺すと、ゆっくりと巨人に近づいた。そして、そっと両腕を伸ばすと、ゆっくりとなかの女性を抱え上げた。
マークルフは手を止めた。
黄金の髪を持つ美しい少女──マークルフが抱いていた“戦乙女”の姿、そのままだったからだ。
マークルフがゆっくりと離れると、巨人は胸の装甲が閉じ、立ち上がった。
そして、現れた時とは反対に、足元から地面のなかへとその巨体を沈んでいく。
「お、おい!? どうして欲しいんだ! 何か答えろ!」
マークルフは叫ぶが、巨人は何も答えることなく、地中へと姿を消してしまった。
「無責任だぞ、おまえ!」
マークルフは毒づきながら、巨人の消えた辺りを足で叩く。巨人はまるで水のように潜行していたが、その固い感触はまちがいなくただの地面だった。
やがて、自分のすることが無意味だと悟ったマークルフは、今度は少女をどうするかで悩んだ。
とりあえず、近くに岩の少ない場所を見つけると、マークルフは少女を抱えたまま何とか上着を脱ぎ、それを地面に広げた。
その上に少女を横たわらせる。
マークルフもその側に腰を下ろすと、大きく息をついた。
(しかし、いったいどうしたものか)
マークルフは足元に転がる水晶球を睨みながら、しばらく考え込む。水晶球は巨人が消えると輝きが弱くなっていた。
(これは、俺にこの少女を託したと考えるべきだよな)
だが、ふと疑問が脳裏をよぎる。
(俺がへんなことしたら、どうするつもりなのだろうか?)
マークルフの脳裏で警戒心と好奇心ががっちりと組み合い、壮絶な殴り合いを始める。さすがに今回は警戒心も激しい攻めを見せたが、連戦連勝を続ける好奇心は壮絶な殴り合いを制し、粘る警戒心を完全に打ち倒した。
マークルフは槍を手に立ち上がると、少女から少し離れる。
そして、両手で軽やかに槍を回転させると、槍を逆さに持ち直し、先代直伝の見得を切るポーズを決めた。
「……」
マークルフは腕を伸ばすと、石突きの部分で少女のスカートの裾を少しだけめくってみた。
ズソッ
地面から先の鋭い土の柱が生え、マークルフの鼻先をかすめた。
次にそっと少女のそばに近づくと、微かに上下している少女の胸へと触れそうになる、ぎりぎりまで手を伸ばしてみる。
ゴンッ
どこかから飛び出た大きな石が、マークルフの頭上に落下した。
その拍子に少女の胸に少し触ってしまったが、その柔らかな感触は不可抗力としてなかったことにする。
(……これほどの芸当、さっきのはあの鉄機兵の仕業に間違いなさそうだな)
マークルフはさらに顔を少女の顔に近づけた。眠っているが美しい寝顔が間近に広がるなか、その小さな唇に自分の口をそっと近づける。
急に足元が陥没し、マークルフはそこに腰からはまった。
身動きできないマークルフの前に、あの巨人が再び地面から姿を現す。
ゆっくりと上半身を現した巨人は、威嚇するように胸の前で両拳を固めていた。無機質でありながら、今にも拳が鳴るのが聞こえそうな迫力だ。
「わ、分かった! 俺がふざけすぎた! 普通に助けるから! 怒るな!」
マークルフは両手でなだめるようにして巨人に叫ぶ。
すると相手にそれが伝わったのか、巨人は先ほどと同様に静かに地面に沈んでいった。
はまっていた穴が一瞬で戻り、反動でマークルフは放り出される。
まるで計算されたかようにきれいな弧を描き、マークルフは後頭部から地面に落下し、悶絶する。
「──て、てめえ、もう少し、丁寧に元に戻しやがれ!」
マークルフは起き上がると地面に向かって抗議するが、何も反応は返ってこなかった。
地面に独り言を吐くようで虚しくなり、マークルフは諦めて溜息をついた。
ともかく、あの巨人には地中を自在に操る能力があり、自律行動型のなかでもかなり高度な疑似知能を有していることは分かった。
ようするに怒らせるのはまずいということだ。
マークルフは少女の前でどうしたものか思案していると、遠くより声が聞こえてきた。
「俺はここだ!」
それが部下の声だと分かるとマークルフは叫んで返事をする。
しばらくして、ログと数人の部下たちが向こうからやって来た。
「俺を探しに来たのか。すまねえな」
「ご無事でなによりです」
ログが淡々とした声で言う。感情がこもってないが、心配していたのは確かだろう。
「まずは、だ。あれからどうなった?」
「申し訳ありません。侵入者らの親玉は逃しました」
あの混乱で傭兵部隊は態勢の立て直しを余儀なくされ、侵入者の主だった者は混乱の隙に乗じて逃亡したという。何人か捕まえた者たちも、遠くから金で雇われただけの余所者の傭兵であり、肝心な情報は引き出せなかったという。
「まあ、しょうがねえ。なに、また向こうは狙ってくるかもしれん。どうやら奥は深そうだ」
マークルフは側に横たわる少女に視線を落とす。
ログも少女へと目を向けた。
「閣下、その娘は?」
「ああ、話すとややこしいんだがな。とりあえず、城に連れて帰る。馬を用意してくれ……聞いたか、でかブツ。そういうことだから大人しくしろよ」
マークルフはいぶかしげにする部下たちの前で地面に話しかけると、ゆっくりと少女を両腕で抱え上げるのだった。