回想 英雄の死
「……どうやら……儂の命ももってくれたようだな」
ルーヴェンが静かに呟く。
大公の城に逗留してから一ヶ月余りたっていた。
療養のために用意した部屋は広く、その壁には巨大な絵画が飾られていた。
ルーヴェンのために政策された、戦乙女とそれに従う狼犬を題材にした絵だ。毎日、絵師によって描かれていくのが病床の祖父の楽しみだったのだ。
そして、今日、その絵はついに完成したのだった。
「祖父様……」
ベッドの側に付き添っていたマークルフが言いにくそうに声をかける。
「……どうした」
「……“心臓”はどうするつもりなの」
もうすぐ死ぬことを前提とした話はしたくなかったが、確かめなければならない。
ルーヴェンは目を細め、苦笑した。
「……そうさな……ここに来て、バルネスとも相談したが……この身ではな……」
マークルフは両手を握りしめる。伝えなければならないがそれが口にできない。
だが、そんな孫の葛藤をお見通しだったのか、ルーヴェンは力ない手を孫の手に重ねた。
「……言ってみろ……考えがあるのだろう……儂にできることなら……喜んで……協力しよう」
マークルフは意を決して祖父に打ち明ける。ルーヴェンは黙って聞いていたが、やがて静かに頷いた。
「……そうか……なるほどな……」
「……ごめん。だから、大公様や女将さんに看取ってもらうことはできなくなる……」
祖父に親しい者に見守られずに死ぬことを求める。それはとても心苦しく、それが涙となって目に浮かぶのが止められなかった。
だが、ルーヴェンはその願いに静かに頷いた。
「……承知した。新たな当主の最初の頼み……引き受けられること……光栄の至り……だ。しかとその大役……果たさせてもらう」
まるで全てを分かっていたように祖父は笑みを浮かべる。いや、きっと自分が動くのを信じ、待っていたのかも知れない。
そうだ、祖父は何もかもお見通しなのだ。
「……ありがとう、祖父様」
マークルフは祖父の胸に顔を埋めた。
祖父はその頭に手を置き、静かに撫でる。
いままで何度となくそうしてくれたように——
ルーヴェン=ユールヴィングが歴史に名を現したのは、フィルガス王国がクレドガル王国と肩を並べた時代にあたる。
当時、フィルガスは周辺国との紛争を長い間、続けていた。
そのため、騎士は疲弊し、それを補う形で傭兵を雇うようになっていた。紛争で住む場所をなくし、あてもなく傭兵となり、その彼らによって紛争は続き、新たな傭兵たちを生み出す──ルーヴェンもそのような出自の傭兵の一人だった。
ルーヴェンは若い時代をフィルガスの傭兵として過ごし、やがて頭角を現した。
戦士としても策士としても秀で、傭兵たちを束ねる傭兵隊長となると、傭兵たちは彼の下でこぞって働きたがったという。
そんな時代も、フィルガス王が諸国と停戦合意することで終わり、ルーヴェンたちも契約を終えた。
しかし、それは王が抱いた恐るべき野望を隠すためのものだった。
やがて、フィルガス王は領内で発掘した《アルターロフ》を復活させようと、全軍を投入した。行く手を阻むものは全て排除し、“聖域”の外へ“機神”を運ぼうとしたのだ。
無謀ではあったが、機神を覚醒させて世界の王になるための賭けでもあった戦いの果て、ついに“機神”は不完全ながら覚醒し“聖域”から抜け出そうとした。
それを間際で阻止したのがルーヴェンだった。
《戦乙女の槍》と、自ら発掘した古代の強化鎧《アルゴ=アバス》を纏ったルーヴェンは激闘の末、“機神”の復活を阻止し、フィルガス王は崩壊する国と運命を共にした。
だが、ルーヴェンの敵はまだ生きていた。
フィルディング──フィルガス王家の祖であり、“聖域”内の諸国にもその一族を侵出させている、歴史と権力を表と裏から操る一族だ。
フィルガス王の暴走の裏には一族の暗躍があったと噂されたが、誰もそれを取り上げ、フィルディングに真っ向から挑む者はいなかった。それほどまでにこの一族は深く権力層に根付いていたのだ。
だから、ルーヴェンは生涯を、この伏魔殿ともいうべき一族との戦いに捧げた。
だが、その“戦い”は生涯、終わることなく、ついに英雄の命は尽きようとしていた。
首都ラフルにあるとある宿。そこにルーヴェンはいた。
余生を静かな大公の館よりも、馴染みであったこの宿で多くの人たちに会うことを選んだのだ。
ルーヴェンの傍らには、マークルフとログ、そして同行していた昔からの使用人たち、面会に来ていた友人たちなどが集まっていた。
主治医はすでに席を外し、マークルフが傍らで祖父の手を握っていた。
「……いままで……世話になったな」
ルーヴェンが微かな声で言った。
「……あれこれ……いたずらに、迷惑をかけたが……許してくれ」
「旦那さま!」
「とんでもございません! 旦那さまにお仕えできて、幸せでございました!」
使用人たちは感極まって、涙を流していた。
「……今後は……坊主……いや──マークルフを……助けてやってくれ」
マークルフは祖父を握る手に力を込め、その手を通して祖父に呼びかける。
「……怖いか……」
その手から心中を読み取ったのか、ルーヴェンが困ったように笑みを浮かべる。
マークルフは目に涙を浮かべながら、こくりと頷く。
「……確かに……おまえには……重い使命を……遺してしまうな……だが……儂の真似を……することは……ない」
ルーヴェンは頷く。
「……どうすれば儂のように……なれるか……そんな……ことは……考えるな。おまえの……好きに……すれば……いいんだ……」
「でも──」
「……孫だから……託すんじゃ……ない……おまえが……儂の……背を……ずっと……追って……くれたから……託すんだ……“託す”とは……そういう……ことだ」
ルーヴェンはそう言うと、深くベッドに身を委ねた。
「……どうやら……“心臓”も……匙を投げたようだ……お別れだ……」
ルーヴェンがここまで持ちこたえたのは、“心臓”の生体保全機能があったからだ。
それが停止したということは、宿主の延命が不可能だと判断したのだ。
最後の力を失っていくルーヴェンを前に、マークルフは立ち上がった。
「ログ! “槍”だ!」
涙を抑えきれないまま、マークルフはログから《戦乙女の槍》を受け取ると、それを祖父の目の前で掲げる。
皆が見守るなかで、マークルフは手で涙を拭き、泣き腫らした瞳をルーヴェンに向けた。
「……似合うぞ」
「……ルーヴェン=ユールヴィング男爵……あなたの名声と遺産、その全て──利用させてもらいます」
ルーヴェンは満足げに小さく頷いた。
それが、希代の英傑の最期だった。
天井の上から、鐘の音が鳴り響く。
それはルーヴェンの死を告げる鐘の音だった。
マークルフはその枕元で、安らかに永眠する祖父の姿をそっと見つめていた。
周囲では使用人たちのすすり泣くのが聞こえる。
鐘の音を聞いた、多くの盟友・戦友たちも、今頃は冥福を祈ってくれているだろう。
だが、その時間はほんの僅かでしかなかった。
行進を告げる数多の靴音が廊下を軋ませながら、こちらに近づく音が響く。
マークルフが振り向く。
廊下にいた者たちを押しやり、部屋の入り口を騎士たちが固めた。
その騎士たちの間を通り、部屋に入ってきたのはあの親衛騎士団の副団長ロイフと、その従者として同行するヒュールフォンの姿だった。
「この度のこと、謹んでお悔やみを申し上げる」
ロイフはそう告げて、哀悼の意を表するように軽く頭を下げる。
だが、その冷ややかな目はそれが形式的なものであることを隠そうともしない。
その後ろに控える少年もまた、まるで物を見るかのような冷ややかな視線をこちらに向ける。
「これより、ご遺体はこちらで預からせていただく。お引き渡し戴こう」
ロイフの言葉に周囲の使用人たちは騒然とする。
「そんな、勝手な──」
「若様に別れの時間ぐらいあっても──」
周囲の当惑と憤りなど目もくれず、ロイフはまたしても国王の書状を取り出し、マークルフへと向けた。
「我らは国葬の指揮を陛下より仰せつかっている。ご遺体は先の葬儀に備えて、防腐処置を施さねばならない」
豪奢な棺桶をかついだ騎士たちが部屋へと入ってきた。
「この度のこと、まことにお悔やみ申し上げます」
マークルフの前にヒュールフォンが立ち、恭しく礼をする。
「惜しい方をなくされました。あの方なら故国、フィルガスの地に平和をもたらしてくれると期待していたのですが……フィルガスを滅ぼしたまま、貴方に重荷を遺して逝かれるとは、全く残念なことです」
受け取りようによっては辛辣な皮肉だった。だが、いまはその挑発に乗る時ではない。
「一日、だけでも駄目ですか?」
マークルフはロイフの前に立って言うが、ロイフは渋い顔を向けた。
「これも新たな当主としての務めと思っていただこう。若輩とはいえ、その程度はわきまえいただかないと、先が困りますな」
ロイフたちの口ぶりに使用人らが反感の目を向けるが、それは騎士たちに遮られた。
やはり、目的は“心臓”の埋められたルーヴェンの遺体に手出しをさせないためだろう。
だが、国王の命令を楯にされると、返す言葉もない。
ロイフたちはルーヴェンの遺体を棺桶へと収納する準備を始める。
「……つまり、祖父の亡骸を腐敗させなければ良いのですね」
マークルフの唐突な問いを予期していなかったのか、ロイフは胡乱げに見つめる。
「どうされるつもりかな? 国葬までの長い期間、保存することがどれほど難しいか、分かっておられないようですな?」
ロイフが怪訝そうに眉を潜める。
「……かも知れない。でも、昔の科学者はそれを良く知っていて、そういう機能を作ったのだと思う」
マークルフも引くことなく、ロイフを見据える。
「はっきりしていただきたい。どうするおつもりか?」
「《アルゴ=アバス》を使います」
マークルフの言葉にその場にいる皆が騒然とする。
「《アルゴ=アバス》と“心臓”には装着した者が死亡した場合、遺体の腐敗による内部汚染を防ぐための遺体保存機能があります。祖父の遺体に《アルゴ=アバス》を装着させれば、祖父の遺体は保存することができます」
ロイフが押し黙る。認めたくないのだろうが、それを否定するだけの知識がないのだ。だが、すぐに嘆かわしいとでもいいたげに顔を振った。
「まったく、考えてものを言っていただきたい。《アルゴ=アバス》は国の管理下にある兵器。それを遺体保全に利用するなど——」
「しかし、遺体の保全は難しいのでしょう?《アルゴ=アバス》を使えば確実に遺体は保全できます。国葬で多くの方々の目に触れるのです。少しでも生前の姿でいてもらいたいのです!」
「話になりませんな! そのような目的で兵器を利用するなど常識外れもはなはだしい! いまのは聞かなかったにするので、貴公は国葬までに礼儀作法を身につけることですな。それが先代への弔いというものです」
「構わんではないか。あれは元はルーヴェンの鎧だったのだ」
話を終わらせようとしたロイフの台詞に割ってはいったのは大公バルネスだった。
「大公閣下!」
大公は敬礼する親衛騎士たちの間を通って亡き親友の側に来ると黙祷する。
「すまんな。知らせを受けてすぐに駆け付けたつもりだったが、間に合わなかったな」
大公は詫びるようにルーヴェンの顔を見ると、マークルフの背中に立ってロイフに言う。
「わたしは新たなユールヴィング家当主の提案に賛成するよ。処置のために切り刻んだ遺体より、生前そのままの方が列席者も驚くだろう。先代男爵に相応しい趣向じゃないか」
「しかしですな……」
渋るロイフを前にして、大公はマークルフの肩に手を添えた。
「遺族と親友の意向だ。それを汲んではくれんかね? もし、そなたの手にあまるというなら、わたしが国王陛下にお願いしてもよい」
さすがに大公の前ではロイフも強硬な態度は取れない。難しい顔をしたまま押し黙る。
「……分かりました。ただし、その間は我々が警備させていただきます」
「それは当然のことだろう──これで、よいな?」
「はい」
マークルフは頷き、ロイフの顔を仰ぎ見る。
ロイフは悔しさをにじませてマークルフを見下ろすが、やがて、部下達に遺体を研究所に護送するように命じた。
「せめて、それは僕たちにさせてください」
マークルフはそう言うと、使用人たちに遺体を棺に収めるように命じた。涙を流してお別れを言いながら遺体を運ぶ使用人たちに、ロイフは面白くないように憮然とした顔をするが、大公の前では黙っているしかない。
やがて納棺されると、騎士たちはそれを担ぎ上げ、外に運んだ。
使用人たちも別れを惜しんでその後をついて歩く。
騎士たちが退去するなか、ヒュールフォンがマークルフの方を見る。
「……何をお考えか、マークルフ=ユールヴィング」
マークルフは厳しい視線を送り返した。
「無事に国葬を終わらせることさ」
いつになく不敵な態度のマークルフにヒュールフォンは多少の戸惑いを見せるも、すぐに冷徹な視線を送りかえし、何も言わずに部屋を去った。
「勝算はあるのか?」
大公の言葉に、マークルフは頷くことも否定もしなかった。
枕元に引き返すと、側に立て掛けていた《戦乙女の槍》を両手にとる。
その美しい刀身を見つめながら、マークルフはこの槍を譲り受けた日のことを思い起こすのだった。
亡き男爵の遺体は、大公が管轄する古代文明の研究所に搬送された。
そこのスタッフたちにより、遺体はすみやかに《アルゴ=アバス》を装着される。
現在はメンテナンスルームの中央の作業台に横たわり、周囲の機械と複数のコードでつながれている。魔力の希薄な“聖域”内のため、“心臓”のモニタリングと、非常用の魔力供給をするためだ。
メンテナンスルームの入り口には騎士たちが交代で警備をしている。
足を運んだロイフは、そこにいた部下に労いの言葉をかけると、ガラス越しにルーヴェンの遺体に装着された《アルゴ=アバス》を睨み付ける。
「戦闘強化鎧の棺桶──それとも死に装束か? ガキの発想というのも油断できんな……妙なところはないな?」
「はい、ここのスタッフたちにも自由にはさせていません」
ロイフの狙いはもちろん、“心臓”だ。それさえ手に入れば、後のことはどうにでもできる。
「それで、そのガキはどうしている。ここでは姿を見なかったが?」
「それが……ここには姿を現していないのです
「なんだと……どこにいる?」
「どうやら、使用人の家にいるらしいのですが……理由は分かりません」
ロイフは蔑むように嘲笑を《アルゴ=アバス》に向けた。
「おおかた、重圧に耐えきれなくて逃げているのだろう。英雄も気の毒なことだ。あのような状態で放置されてしまってはな」
ロイフは背を向けてその場を去る。
勝ちを確信し、微かにほくそ笑みながら──




