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戦乙女が教えるもの

 大公の城に着いたマークルフとリーナだったが、二人の間には深い壁ができていた。そんななか、大公の友人のパーティにお忍びで参加したリーナは、自分のことを知っている貴公子と出会う。ヒュールフォン=フィルディングと名乗った彼は自分の故国フィルガスが傭兵たちに支配されている現状を嘆き、滅びゆくエンシアから逃れたリーナもその話に同情するが、その直後、マークルフが現れ、この二人には深い因縁があることも知る。

 リーナはマークルフが“祖父殺し”と言われる意味をどうしても知りたく、大公の書庫を暴こうとしてしまうが、大公に見つかり、逆にどうしてマークルフを信じたいのかを問われるのだった。

 リーナは市民街の外れにある大公の屋敷に逗留した。

 屋敷は古い歴史を持ち、ところどころ改修されていた。それでも、いつでも主人が逗留できるように隅々まできちんと配慮の息づいた佇まいは、大公の人となりが反映されているようだった。

 だが、落ちつく暇なくリーナを待っていたのは、国王との謁見の準備だ。

 クレドガルの主だった重鎮や名士の名を覚えたり、謁見の場で着るドレスの仕立てに付き合わされたりと、しなければいけないことは絶えなかった。

 今日も王城より国王の使者が屋敷に訪れ、リーナも交えて大公といくらか話をし、そして帰って行った。

 おそらく、自分が本物の古代の王女か確認に来たのだろう。使者は終始にこやかにしていたが、その視線がどこか疑われているようであまりいい気はしなかった。それでも最後に屋敷の中庭で《グノムス》を呼び出した時の彼らの驚きを見て、内心では少し気は晴れた。

 使者の帰りを見送り屋敷内に戻ったリーナは、中庭の樹の根元に腰を下ろしながら本を読んでいるマークルフの姿を見つけた。

 ここに来てからは、男爵と口をきくことはなくなっていた。謁見の準備は大公が進めており、男爵が何をしているかもよく分からない。

 リーナは少し躊躇したが、そっとマークルフの元へと近づいた。

 男爵自身が問題のある人物だとしても、いまの自分がこうしていられるのは彼の助力があったからだ。

 国王の謁見後に男爵と会う機会がそのことだけはちゃんとしておきたかったし、何か分かることがあるかもしれないとの期待があった。

「……何を読んでらっしゃるのですか?」

 リーナが声をかけると、マークルフはよっとかけ声と共に立ち上がる。そして手にしていた本の表紙を彼女に見せた。

 表紙にはただ部外秘の銘が記してあった。

「ネタを考えてるんだよ」

 マークルフは先日の一件など忘れたかのように明るく答える。

「……戦いの、ですか?」

 リーナはつい声を押し殺して言った。

 だがマークルフは気にしたふうもなく、本を広げて得意げに彼女に差し出す。

「その通り。これには独自の情報網を使って調べ上げた名のある傭兵たちの特徴、生い立ち、過去の戦績などが載っている。もうこれ一冊で現在の傭兵たちの事情が分かるといっても過言ではない代物だ」

 男爵の得意気な返答を聞き流して、リーナは受け立った本の頁をパラパラとめくる。

 マークルフの言う通りだった。彼女にはそれが正確かどうかは分からないものの、確かにこと細かいことまでが詳しく記されている。

「それをもとに俺がいろいろと考えたネタも書いてあるんだ。何か面白そうなのがあったら言ってみな。前向きに検討してやるぜ」

 あまりにふざけていた。人の命のやりとりである戦い(大半が芝居としても)を、こうもふざけた心構えで仕組んでいたのか。

 そう思うと、リーナは無性に腹が立ってきた。

「グノムス、受け取って」

 リーナは本を後ろに投げ捨てる。彼女の呼びかけに応じ、《グノムス》の両手が中庭から現れ、落ちた本を拾う。  

「……あの、何を?」

 本をを掴んだまま、肩まで姿を現すグノムスを怪訝そうに見つめるマークルフ。

 リーナは背を向けるとすたすたと歩き出し、グノムスとすれ違いざまに命令する。

「グノムス、ビリビリに破っちゃって! お手伝い券を出しても言うことを聞いたらダメです!」

「ま、まてッ!?」

 マークルフの悲鳴があがる。

 リーナがチラッと後ろを振り向くと、本を器用に両手で引き千切る《グノムス》と、その腕にしがみつき慌てふためくマークルフの姿が映った。

 リーナは悲しみと憤りがないまぜとなったまま、告げた。

「お祖父様は偉大な方だったのでしょうが、いまの姿を見てきっと泣いていらっしゃるでしょうね!」

 リーナは早足でその場を立ち去る。

 そして自分の部屋に戻ると、ベッドに顔を埋めた。

 あまりに意地悪だったかも知れない。しかし、あんな命と金勘定を天秤にかける姿を見るのは堪えられなかったし、やめて欲しかった。

 リーナはそのままベッドに身を委ね、仰向けに寝転がる。

 大公の言葉を思い出した。自分はなぜマークルフを信じている、いや、信じたいのだろう。

(自分を助けてくれたから? それとも、私はあの方をーー) 

 リーナはかぶりを振る。どれも自分の勝手な想像でしかない。大公との約束に応えられるものではない。

 それとも大公はそれを見越していて、男爵を見限らせようとわざとそんな約束をしたのだろうか。

 ベッドに仰向けになっていると、初めてマークルフと対面した時のことを思い出す。

 あの時の男爵とはすっかり変わってしまった。いや、自分が変わってしまったのだろう。

 リーナは勇士シグの魔剣を思い出した。

 戦乙女が身を変えたといわれるあの剣だけは、永き時を変わらずに存在し続けている。

(戦乙女ーー)

 リーナは飛び起きた。

(そうだわ……あの時はよく分かっていなかったけどーー男爵は最初から本当の姿を見せてくれていたのかもしれない。そして私も——)

リーナはすぐに部屋を出ると、大公のいる書斎へと向かうのだった。



「何をされているのですか」

 部屋へと入って来たログが見たのは、床にあぐらをかき散りばめた紙片の山を前に腕組みをしているマークルフの姿だったのを目撃する。

「見ての通りパズルだ。しばらくは時間潰しになりそうだ」

 マークルフはそう言って記された文を頼りに紙片を合わせていく。

「それで、奴らの動きはあったのか?」

「いえ、ヒュールフォンをはじめとするフィルディング一族に目立った動きは感じられません」

「奴らにしては悠長だな。それともすでに手は打ってあるということか」

「かも知れません。すでにリーナ姫の今後についての工作活動が始まっています。国王の側室とする話をはじめ、姫様のお相手候補が何人も挙がっているようです」

「で、その候補者筆頭は——」

「ヒュールフォン=フィルディングです」

 マークルフは頬杖をつき、鼻を鳴らした。

「なお、巷では姫のお相手が誰になるかで賭けが始まっており、閣下の名も挙がっているそうです。超大穴ですが、傭兵ギルドが掴んでいる閣下と姫様のロマンス記事が出れば当選確率はかなり上がると思われます。後は既成事実さえ作ってしまえば——」

「待て」

 マークルフは苛立ちを抑えながら、身体を半転させる。

「後半の情報はどこから仕入れた?」

「タニアからぜひ伝えてくれと頼まれました」

「……ログ、『マリーサと結婚します』と言ってみろ」

 マークルフは声を小さくして命じる。

「……マリーサと結婚します」

「ほ、本当なんですか!? ログさん!?」

 部屋の扉が乱暴に開き、タニアが血相を変えて飛び込んで来た。

「よ、よりにもよってマリーサさんとなんて、ログさん、年増が好みだったんですか!?」

「嘘だ。だが、マリーサには伝えておく」

 マークルフの言葉にタニアはきょとんとするが、ようやく騙されたことに気づき顔を真っ赤にする。

「ひ、ひどいです! 騙したんですね!」

「それが俺の専売特許だ。てめえが立ち聞きしているぐらいお見通しだ。ログ、おまえもおまえだ。くだらんことを吹き込まれるな」

「く、くだらなくなんかありません! 大事な問題じゃないですか!」

 タニアが躍起になって反論する。

「最近、姫様に元気がないんです! きっと謁見が迫って男爵とお別れするのが辛いんですよ。男爵もこのままでいいと思ってるのですか!」

「じゃあ、どうすればいい?」

「え、まあ、その逃避行の準備をしたり、いまからでも夜這いをかけたりとか——」

「おまえ、俺なら何でも言っていいと思ってるだろ」

 マークルフは呆れ混じりに深いため息をつく。

「そんなに言うなら、、てめえがまず夜這いでもかけたらどうだ?」

「え、そんな……あたしは……」

 タニアは急に顔を赤くして口ごもる。耳年増とはいえ、まだまだ恥じらいは年相応のものだ。

「……ぜんぜん気づいてもらえなかったし……」

(かけたんかい!?)

「で、でも、あたしは諦めてませんよ。今度の謁見式ではもっとおめかしして、あたしの魅力を見てもらうんです!」

 おそらく、隣に立つログに言っているのだろうが、向こうは気づいてないのか無表情だ。

「前向きなのは結構だが、おまえは留守番だ」

「え、そんな!? せっかく、楽しみにしてたんですよ!」

 タニアは心底、意外そうに驚く。

「国中のお偉方が集まるんだ。当然、超一流の侍従たちがもてなす。そんな中で、田舎もんがしゃしゃりでて粗相でもしてみろ? 帰りは首と血の分だけ軽くなってるぞ」

「で、でも、それじゃ、ここまで何のために来たのか分からないじゃないですか!」

「主人の身の回りの世話に決まってる。とりあえず茶を持ってこい」

 マークルフが命じると、タニアは何も反論できなくなったのか、悔しそうに涙を浮かべて部屋を飛び出していった。

「……ログ、謁見式の時にお土産でも買ってタニアに渡してやれ。おまえも下がっていいぞ」

 そう言ってマークルフは手を振ってログを部屋から追い出す。

 一人になり、マークルフは床に寝転んだ。

(まったく、羨ましい限りだぜ……)

 マークルフはそう思いながら、壁に賭けた《戦乙女の槍》をじっと見つめるのだった。



「それで、答えはでたのかな?」

 書斎に入ったリーナを待っていたのは、安楽椅子に座り窓の外を見つめる大公の姿だった。

「……男爵は最初にお会いしたとき、見ず知らずの私に誓ってくださいました。私を守る騎士になってくださると——」

「ほう、坊主も面白い口説き文句を言うものだな。きっと美しい君の気を惹きたくて、そんなキザな言葉が出たのかもしれないね」

 大公が愉快げに肩を揺らす。だが、本当に笑っているのかは後ろ姿からは分からない。

「仮にも貴族であるわたしが言うのも支障があるが、忠誠の誓いは誰だってできるものさ。その後の坊主の本当の姿を見れば貴女もそう思うのではないかな?」

「……いえ、私は男爵の本当の姿をずっと前から見ていたのです。それをいま思い出しました」

 大公が笑いを止めた。何も言わないので、リーナは一人、自分の思いを伝える。

「男爵は《戦乙女の槍》を誓いの証としてくださったのです」

「家宝の槍に誓ったから、信じるというのかな?」

 大公が訊ねる。試すような言い方だが、リーナはもう迷わなかった。

「家宝だからだけではありません。私も最初はそう思っていましたが、あの方にとって黄金の槍はもっと深い意味を持つのです。戦乙女の武具は決して損なわれず、朽ちぬ物。それに誓うということはあの方にとって永遠の誓約をしてくださったことなのです」

「それだって芝居かもしれないよ。ああいう演出は大好きな坊主だからね」

 からかわれているのだと言わんばかり大公は苦笑し、机の上の紅茶を口にする。

「ですが、私はあの方を信じます」

 大公は紅茶を飲むのを休め、机に置いた。

「あの槍に誓ったのはマークルフ様だけではありません。それを受け入れた私も同時に槍に誓ったのです。ですから、私は私の騎士としてのマークルフ様を信じます。あの槍が折れるまではそれを翻すような真似はもうしません」

 大公からしばらく返事はなかったが、やがて椅子に深く背を預けた。

「……明日、わたしと一緒に街を見物していかないかね? 貴女にいろいろと見せておきたいものがあってね。何か知りたいことがあればわたしが案内しようじゃないか」

「あ、ありがとうございます!!」

 リーナは声を弾ませて深く礼をする。自分の出した答えが大公の望むものだったか分からないが、少なくとも大公は認めてくれたのだ。

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