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遺された貴公子

(あんな人だとは思わなかった)

 広間に戻ったリーナは壁に背を預ける。

 憤りと悲しさがない混ぜになったような気持ちだった。

 この時代で自分を迎え入れてくれたからこそ信じたかった。しかし、もう無理そうだった。

 とにかく気持ちの整理をつけて大公の所に戻ろうと考えたが、大公の方でも友人の貴族らと話がはずんでいるようだった。

 こんな気持ちのままで戻っては盛り上がりに水を差すだけだ。

 そう思ったリーナは広間の片隅で壁の花となりながら、楽士の演奏に耳を傾けていた。

「――失礼、よろしければ私と踊っていただけませんか?」

 ふと気づくと目の前に一人の青年が立っていた。

 栗色の整えた髪に碧眼、身なりも着こなしも様になっている。目鼻だちも服装に劣らず整っており、まさに貴公子という言葉がよく似合いそうな青年だ。

「ごめんなさい。いまはそんな気分にはなれないもので――」

 リーナは正直に答えて断ろうとした。だが、青年はそっとリーナの手を取った。

「それはいけないですね。それにしてもユールヴィング卿もひどい人だ。姫君をこんな所に独りで放っておくとはね」

「……私のこと、ご存じなのですか?」

「ええ。ようやく貴女とお会いできて嬉しくてなりません、姫君――」

 青年は穏やかな笑みを返した。そして、ゆっくりとリーナの手を引き、踊りの輪の中へといざなう。

 リーナは戸惑いながらも断るきっかけを失い、青年と踊ることになってしまった。

 この時代の宮廷の踊りはよく分からなかったが、青年は慣れた様子でぎこちない彼女をリードしていく。気が付けば周囲の視線を集めているようだった。

 青年は社交界でも有名なのだろうか。侍女姿の自分は場違いかと思ったが、周囲の貴族たちは感嘆するように二人を見守っている。

「ごめんなさい、あまり踊りが上手じゃないので――それに、今日は大公様の付き添いで来てて、こんな格好では場違いですわ」

「そんなことはありませんよ。服装などで貴女の美しさは隠せません。むしろ、わたしと踊っていただき、とても光栄に思っています」

 夢中になって踊ったリーナはようやく曲が終わると、礼をしてそそくさとその場を離れた。

 すれ違う招待客たちが賞賛するように拍手をする。

 恥ずかしさで火照った顔を冷まそうとバルコニーに出ると、少しして青年もやって来た。

両手にはシャンパングラスを握り、その一つを美麗な笑みでリーナに差し出す。

 リーナは礼をしてそれを受け取った。

「ありがとうございました。姫君と踊れて、今日はとても良い思い出になりました」

「そんな、私は何も……」

 リーナが恥ずかしくなって顔を赤くする様子を青年は微笑ましく見つめていた。その視線にリーナはさらに顔を赤くする。

「あの、何故、私のことをご存じなのですか?」

「それは、ずっと昔から貴女に会いたいと考え、ずっと調べてきましたから。先ほども使いを出そうとしたのですが、ユールヴィング卿に邪魔されてしまいましてね。できることなら、もっと早くお会いしたかったです」

 使いというのは、あの親衛隊の隊長のことだろうか。そうなると青年は親衛隊を使わせるだけの影響力を持つということになる。

「失礼ですが貴方様は?」

「申し遅れました。私はヒュールフォン=フィルディングと申します。宜しければヒュールとお呼びください」

 ヒュールと名乗った青年は恭しく礼をしながら、そう答えた。

「フィルディング……」

 その名をマークルフが口にしていたのを思い出す。“機神”を復活させようとしたフィルガス王家の名だ。

 リーナの驚きに気づいたのか、ヒュールは苦笑する。

「驚きましたか? 先の大戦における最大の戦犯の一族がこんなところにいるのですからね」

「いえ、その――」

「無理もありません。ですが、貴女には知ってもらいたいと思いまして、こうして声をかけさせていただきました 」

 ヒュールは相好を崩す。そのさりげない紳士然とした姿は、生まれながらに高貴な出自を示すと同時に好感が持てるものでもあった。

「ユールヴィング卿から、わたしたちのことはお聞きになりましたか?」

「はい。一応のことは……」

 リーナは言葉を濁す。《アルターロフ》を使おうとして自滅した王の一族などと、本人の目の前ではさすがに言い辛かった。

「……いかがでしたか、私の故郷の姿は?」

 ヒュールが問いかけた。その表情は穏やかだが、その目はどこか沈んだように見える。

「わたしが生まれたのはこのクレドガルですが、母はフィルガスから嫁いできました。母はフィルガス最後の王の妹にあたります。もっとも兄王の不興を買い、追放同然でこの国に来たわけですが……ですから私にとってはあの地こそ、自分の故郷だと思っています。可笑しいでしょうか?」

「いいえ、そのお気持ち、少しは分かるような気がします」

 故郷という言葉にリーナは強く惹かれた。自分もエンシアという故郷を捨てて、はるか時を隔てたこの時代にやってきた身だ。

「ヒュール様はずっとこの国にいらっしゃるのですか?」

「はい。先の戦乱の時もフィルガス王とは縁を切られていたということで、この国への逗留も許されました。もっとも以前のようにはいきません。辛酸をなめることもありました。特にあの方たちには現在も敵視されています」

 リーナはすぐにそれがマークルフのことだと気づいた。

「ユールヴィング家は先の戦乱の功労者ですし、戦犯を輩出してしまった我が一族の責任を考えれば、それも仕方ないことだと思います。しかし、わたしは現在の故郷の姿を見ていて耐え難くなるときがあります」

 ヒュールは無念の思いを抑えるように目を閉じる。

「わたしはいつの日か、故郷を在りし日の豊かな姿に取り戻したいと願っています。ですが、現状は勢力争いが続き、流れ者の傭兵たちの温床となっています。それも裏ではユールヴィング家が後ろで糸を引いているとの噂もあります。それでも、たとえ、孫の代となろうともフィルディングは罪人であり、ユールヴィングは英雄なのです」

「……お辛いのですね。私もきっと、故郷が荒れている姿を見たら、同じことを考えると思います」

 リーナは道中でマークルフをはじめとする傭兵たちのいい加減さやでたらめな芝居を見てきた。ヒュールの無念な気持ちにはとても共感することができた。

「……これは失礼、つい感情的になってしまいました。いけませんね、初めてお会いしたのに……でも、わたしはずっと昔から貴女のことを待っていました」

「私を? それは、どういう――」

「よう、フィルディング卿。さっそく姫様に取り入ろうという魂胆か?」

 リーナの問いをさえぎったのはマークルフの声だった。

 振り向くと壁に片手をつき、足を組むように立つ男爵がいた。

 彼はヒュールの方を見て笑いかけるが、その目は突き刺さらんばかりに鋭い。

「……ただ、ご挨拶しただけですよ。ユールヴィング卿――」

 ヒュールは慣れているのか苦笑いしながら、マークルフの威嚇を受け流した。

 この二人は顔見知りらしいが、どのような因縁があるのかは分からない。

 ただ、この二人の間にあるのは決して芝居ではないことは確かだ。それは二人の間に立っているだけで感じる空気で分かった。

「ユールヴィング卿もお迎えに来たことですし、わたしはこれで失礼します。今度は王宮でお会いしましょう。楽しみにしています」

 ヒュールは初めて会った時と同様に恭しく礼をすると、マークルフの脇をすり抜けるように去っていった。正直、男爵がすれ違いざまに足でもひっかけはしないかと心配したが、マークルフはただ去っていくヒュールを胡乱な目で追うだけだった。

「……何を言っていたんだ、あいつは?」

「あなたには関係のないことです」

 とりつく島のないリーナの態度にマークルフは肩をすくめる。

「じゃあ、俺も勝手に言わせてもらうか」

 マークルフは壁に背を預けて腕組みをする。

「奴は“化け物”だよ」

「言うに事欠いて“化け物”とは失礼過ぎるのではありませんか」

 いきなりの失礼な発言にリーナは少し口を尖らせるが、マークルフはヒュールから目を離さない。

「普通の人間なら、こんな華やかな舞台に立てやしねえよ。それに立とうと思う方もどうかしてるさ」

 ヒュールが歩くと、その周囲の貴族たちはまるで歓待するようにヒュールに挨拶をし、ヒュールもまたそれに答えるように笑みを向ける。

「旧フィルガス王家はフィルディング一族の出だ。フィルディング一族はな、自分たちが隠し持っている古代の遺産を武器に権力を持つ者に取り入ってはその力を奪い、膨れあがってきた」

 彼がリーナに視線を向けた。

「例えばクレドガルの王妃様もフィルディング一族ゆかりの者だ。だから追放されたとはいえ、先の戦犯の一族であるヒュールにも下手に処分を下せないでいる。むしろ、フィルディングの連中はヒュールフォンを使ってフィルガス再興を狙っているのさ」

 リーナは黙ったまま何も答えない。

 権力争いは貴族として生まれてくれば無視することなどできない。それでヒュールを悪く思うことはできないし、祖国の再興を願うことも悪いこととは思わなかった。

「奴がどういう人間かは俺が言うことじゃない。ただ、利用されないように気をつけるんだな」

「あなたに言われたくありませんわ! お祖父様のご威光で好き放題やっている、あなたには――」

「それは言えてるな。じゃあ、俺は消えるとするか」

 マークルフはあっさり認めると、館の中へ戻ろうとする。

「……マークルフ様」

 リーナの呼びかけにマークルフは足を止めた。

「ディエモス伯爵から伺いました。“祖父殺し”とはどういう意味なのですか?」

 マークルフは背を向けたまましばらく黙っていたが、やがてポリポリと首筋をかいた。

「祖父様の威光で好き勝手してる、ろくでなしという意味さ」

「本当にそれだけなのですか?」

 リーナは心のどこかでマークルフが何かを話してくれるのを期待していた。

 今のマークルフも芝居で、この言葉の意味に隠された真実があるのではないかと――

「それだけさ」

 だが、マークルフはあっさりと答えた。

 リーナは何も言えずにうつむく。

 それは彼にとって自分の存在はその程度――そう言われたように聞こえたからだ。

「気は済んだか? まあ、他の奴に訊いても同じだぜ」

「私は――」

 リーナもマークルフに背を向けながら言った。

「あなたのこと、嫌いになりたくありませんでした」

「……次は悪い男には引っかからないようにしろよ」

 マークルフはそれだけ言うと屋内に戻っていった。

 その場に残ったリーナは考える。

 あの時、ヒュールフォンにマークルフたちの内情をバラせば良かったのだろうか。

 しかし、何故か、それはできなかった。

 リーナは夜空を見上げる。

 そして何も考えられないまま、ただその綺麗・・な星の姿を眺めていた。

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