傭兵即興曲
ティーゲル子爵の城で行われたのは嫡子誕生の祝いの宴だ。
宴の広間には子爵の顔の広さを示すように多くの貴族や貴婦人たちが出入りし、華やかな雰囲気を醸し出している。
マークルフはその広間の壁によりかかり、天井近くに据えられた大きな肖像画を眺めた。
描かれているのは凛々しい顔で立つ壮年のティーゲル子爵と、その隣で椅子に腰掛ける歳の離れた若き夫人の姿だ。
視線を下ろすと、その絵のままの夫妻の姿が人だかりの中心にあった。夫人の腕には赤子が抱かれ、招かれた賓客たちの祝福を受けている。そしてリーナと大公の姿もその中にあった。
リーナは大公の付き添いの侍女として宴に参加していた。最初は初めてのこの時代の社交界に戸惑っていたようだが、いまは慣れてきたのか赤子の姿に目を細めて笑っていた。
(少しは機嫌はが良くなったようだな)
マークルフはリーナたちから距離を置き、その様子を眺めていた。
本来なら人の輪の中心に立ってその存在をアピールするところだが、今回はあくまで彼女たちの身辺警護のための参加だ。それに人生最初の大舞台に挑む子爵家後継者の邪魔をすることもない。子爵夫人の腕のなかの赤子は、これだけの賑わいのなかで泣くこともなく笑顔で愛想をふりまき、賓客たちを喜ばせている。どんな雄弁も無言の赤子の笑みには勝てまい。
若い貴族の一人がリーナに声をかけた。侍女として地味な姿に変装しているのだが、やはりその黄金の髪や顔立ちは隠しきれるものではないようで、若い男たちの興味を引くようだ。
リーナが困っていると、大公がその若い貴族の肩に手を置いた。そして、マークルフの方に注意を向けさせながら耳元で何かを呟く。貴族はこちらの顔を見て表情を青くすると、そそくさとその場を立ち去っていった。
(……何を吹き込んだ、爺さん)
利用されるのは気にいらないが、この顔一つでリーナに寄りつく悪い虫除けになるなら、今回は我慢するとしよう。彼女のことは大公に任せておけば良い。自分は嫌われたようだが、そういうのには慣れている。
そう、涼しい顔をしていたら良いのだ。
宴が盛り上がり、やがて道化を兼ねた楽士たちが姿を現した。彼らの登場は踊りの時間の始まりである。人々は広間の中央から移動し、空いた空間が即席の踊りの舞台となる。やがて踊る相手を見つけた男女がそこに進み出ると、楽士の音楽に合わせて踊りを始めた。そして、踊りに加わる者が増えていき、宴はさらに盛り上がりを見せる。
マークルフはふと、自分がリーナと共にその踊りの舞台に加わる姿を想像するが、すぐにそれを戒めるようにログの言葉を思い出す。
自分にとって特別な思い入れのある“戦乙女”とリーナの姿を重ねて見ている──
腹は立つが、確かにその通りかもしれない。そのツケが現在の状況だ。このツケは酒場のツケのように踏み倒したり、なかったことにはできないのだ。
(ん?、あれは──)
人だかりのなかにある顔を見つけた。
あの親衛騎士団の隊長だった男だ。誰かの護衛なのか、騎士装束に身を包んでいる。貴婦人たちに会釈を繰り返しながら、リーナたちに近づいているように見えた。
(また、こいつか)
マークルフは歩き出すと、人だかりをすりぬけながら、騎士隊長に近づく。
そして、マークルフは騎士隊長に気づかれぬように脇から近づくと、その隣を何気ない仕草で通り抜けた。
「……のわッ!?」
不意にあがった驚きの声にリーナは慌てて振り向く。そこには鎧に身を包んだ騎士が倒れていた。
その騎士には見覚えがあった。親衛騎士団を率いていた隊長デバスだ。
「キャァーー!?」
側にいた貴婦人(かなり横幅のある中年女性)が悲鳴を上げた。デバスの手にはドレスの裾らしい破けた布きれが掴まれていた。
「……オォ」
周囲にいた貴族たちも驚きの声があがるが、何故かテンションは低かった。
ともかく、デバスが転倒したことが原因らしい。服装が重いのか、よろよろしながら立ち上がると、貴婦人と輪になっている周囲の客たちに場を騒がしたことを謝罪しだした。この人混みのなかで巻き込まんだのが一人だであるのが、不幸中の幸いと言えるだろう。
「あッ!? 貴様!」
騎士隊長が何かを見つけたように声を上げた。その視線を追うと、その先には不敵な笑みを浮かべるマークルフの姿があった。
それで彼が何かをしたのを察したのか、騎士隊長が険しい顔をする。だが、周囲の貴婦人たちに失笑されているのに気付くと、怒り顔をさらに紅くしながらも、そそくさとその場を後にした。
「ほう。あれだけの人混みのなかで気づかれることなく、標的のみを転ばせたか」
隣で椅子に座っていた大公が感心したように言った。
「坊主の足癖の悪さも一段と磨きがかかってきたようだな」
「大公様、いまのはマークルフ様が──」
「みたいだね」
大公はリーナの耳に口を寄せると小声でしゃべった。
「他人の足元をすくわせたら、坊主の右に出る人間はいないだろう。実はわたしも何回か引っかかったことがある」
呆気にとられつつマークルフを見ていると、今度は、男爵と別の男の肩がすれ違いにぶつかった。
背も高くがっしりとした体格は、それだけで周囲の貴族とは一線を画するものだ。それ以上に周りから浮いているのはその顔だ。長い髪で幾つも束を作り、蛇の頭を模した水晶飾りで纏めている。まるで髪が蛇で出来ているかのようだ。
マークルフと男は背中合わせになって止まった。そのまま物物しい動きで両者は振り返ると、顔を近づけ鋭い視殺戦となる。
「こんなところで雇われていたとはな。“ゴルゴン卿”カートラッズ!」
「ふん、どこの小僧かと思えばユールヴィングの若造か」
カートラッズと呼ばれた男は左右に伸ばした太い口髭にも蛇の飾りをしていた。二つ名があることから、男はマークルフと同じ傭兵らしい。
「この前、戦ったのはヤグラッドの時か。あの時は本当、惜しいことしたぜ。尻尾を巻いて逃げる蛇をもうちょっとで仕留められたんだがな」
「何を寝ぼけたことを。殿だった俺の罠に引っかかって、誘い出されたのは誰だったかな? あの時、副官の邪魔が入らなければ、俺が逆に貴様を仕留めていた」
カートラッズと言う男も口では負けてはいない。互いに過去の戦いの話を持ち出し相手を罵倒する言葉の応酬になる。
険悪な雰囲気に周囲もどよめきはじめた。
リーナも心配になり、大公の方に目を向けた。だが、大公は案ずるどころか、むしろ面白そうにその様を眺めている。
「大公様、あのままでは大変なことになります。マークルフ様をお止めしないと──」
「なに、坊主らもその辺はわきまえてる……なるほど、今日の主役が止めてくれるようだ」
大公だけは慌てる様子も言うと、我が子を抱え、なりゆきを心配そうに見守る子爵夫人に目を向ける。
赤子はマークルフたちによほど興味があるのか、じっと二人の様子を見つめている。
すると大公の言葉通り、マークルフたちは互いに一歩下がった。
「……まあ、いいさ。決着はそのうち付ける。せいぜい、その蛇飾りを磨いておくんだな。てめえの墓に花輪の代わりに髭輪を飾ってやるよ」
「こちらも楽しみにしているよ。血統書付きの狼犬の威勢のほどをな」
カートラッズはそう言うと子爵夫人の方に近づいた。そして髪飾りの中から一つを外して夫人の前で恭しく跪くと、抱いている赤子に水晶の蛇を差し出した。赤子はそれを受け取ると笑顔になり、飾りを持つ手をぶんぶんと振り回す。
「おお! さすがは子爵家の跡取りとなるご子息!」
カートラッズが感嘆の声をあげた。
「子爵閣下、奥方様。場を騒がせてしまい申し訳ございません。そのお詫びをこめ、飾りは未来の領主様に献上いたします」
「傭兵殿、良いのですか? 子供の玩具にするには高価過ぎますわ」
「いえ、蛇は厄の象徴ですが、逆に蛇を怖れぬものが持てばその者を護る魔除けとなるのです。御子は将来、必ずや大物となりましょう。その飾りもその方の手元にあったほうが本望でしょう」
そう言ってカートラッズはそこから退いて立ち上がると、堂々とした歩き方でそこを去って行った。
最初は遠巻きにしていた貴族たちもすぐに子爵たちを囲み、赤子と水晶の蛇を話題におしゃべりを再開した。その数は先ほどよりも増えているようだ。子爵夫人も喜んでいる我が子を話題にしてくれることが嬉しいのか、歓談は先ほどよりも賑わうものとなっっていた。
「やれやれ、喉が渇いたぜ」
マークルフは城のバルコニーに出ると、手すりに寄りかかり、グラスのなかの果実酒を飲み干した。
外はすでに日が沈み、涼しげな夜の風が吹いていた。
「マークルフ様!」
やってきたのはリーナだった。彼女は駆け寄ると、心配げにマークルフを見つめている。
「どうしたんだ? 爺さんは放っといて良いのか」
「何を呑気に! 心配したのですよ、あのまま斬りあいにならないかって──」
怒ったように言うリーナを見て、マークルフは手首を振った。
「なりゃしねえよ。爺さんもそう言ってなかったか?」
「それは……確かにそうおっしゃってました」
「まあ、簡単にそう見られるってことは、もうちょっと演技力が必要だってことかもな」
マークルフがそう呟くのを聞いて、リーナは目を丸くする。
「あれもお芝居だったのですか!?」
「そうだよ」
マークルフはあっさり認めた。
「わざわざ、このためにまた芝居を考えたのですか!?」
「出くわしたのは偶然さ。しかし、俺らぐらいに慣れた傭兵になると、何も話を通さなくてもあれぐらいの演技はするさ。見たろ? 結果的にカートラッズは子爵たちにめでたく覚えられた訳だ。俺もその分の貸しを作れたわけで、誰も損してないだろ? ああ、あの親衛隊長は別だがな」
「では戦いがどうのこうのも?」
「もちろん。あれは筋書きを決めるまでに結構もめたんだよなあ。でも、まあ、いまでは俺の名高い武勲の一つだな。この前貸した本を調べてみな。詳しく載ってるぜ」
傭兵は誰かに雇われてこその商売だ。
そのためには自分の名前を売り込まなくてはならない。いまみたいな貴族階級の出入りする宴の場は、格好の売り込みの場であり、アピールの舞台でもある。そして戦いが飯のタネである以上、因縁でも伏線でも何でも張って、戦う理由や筋書きのネタを作らなければならないんのだ。
その話を聞いていたリーナが深く息を漏らした。何かを言おうとしたが言葉にならないらしい。
「……私、傭兵ってもっと凄い方々かと思ってました。でも、この世界の傭兵ってみんなそんな芝居ばっかりなんですね」
「傭兵っていったら、死地を幾つもくぐり抜けた戦闘のプロってイメージはあるし、そう信じている奴もいる。でも、実態はこんなもんだ。あんまり傭兵という言葉に夢を持っちゃいけないな」
「……よく、嘘ばっかりで戦いができるもんですね」
リーナは顔を伏せながら言った。
「傭兵たちにとっては、嘘でも生活のための真剣勝負の舞台だからな。それに戦うっていってもほんの形だけ、雇い主への言い訳がたつ程度のことだけどな」
落胆するリーナとは反対に、マークルフは笑って答える。
「形だけといっても実際に戦うのではありませんか?」
「まあ、傭兵稼業の長い連中はその辺は分かってるから、大怪我しない程度に適当にやり過ごすさ……なかにはいるけどな、手柄欲しさに空気を読めずに真面目に戦う奴が」
「そういう人たちはどうなるんですか?」
「うーん、多少痛い目を見て済めば幸い……悪けりゃ死ぬかな」
「なッ──」
絶句するリーナ。
「まッ、適当に戦って適当に稼ぐ。これが世渡りのコツだな」
乾いた音が響き渡った。リーナの平手がマークルフの左頬を叩いていた。
「……最低です!」
押し殺した声だったが、その表情は憤りを隠そうとはしない。
その瞳は怒りを湛えて、意表を突かれて見開くマークルフの瞳を差し貫く。
「……戦争を、人の命をいったいなんだと思ってるんですか!」
近くにいた者たちが何事かと詮索するのも意に介さず、リーナは大声を上げた。
「貴方のこと、とことん見損ないました!」
それだけ言うと彼女は踵を返す。
遠ざかるリーナの背中を見送りながら、マークルフはやりきれないようにため息をついた。
「……リーナ、この世界は真面目に戦えば良い方向に進むとは限らねえんだぜ」




