大公バルネス
ディエモス伯爵と別れた一行はその後、何事もないまま大公の居城へと到着した。
城門をくぐり中庭に入った一行を待っていたのは、列をなして歓迎する使用人たちの姿だった。
マークルフが列の間を通りながら、顔見知りらしい使用人らに気楽に声をかける。
リーナの馬車が通ると使用人らは恭しく頭を下げた。その礼儀正しい姿だけで、この城の雰囲気というものが伝わってくる。
馬車が館の玄関前に止まると、先に馬を降りたログが馬車の戸を開けた。
マークルフも一人、馬から降りると先に玄関を入っていく。
リーナもログの手を借りて馬車から降りると、マークルフの後を追って屋敷に足を踏み入れた。
屋敷に入ってまず驚いたのが、屋敷のなかの調度品の多さだった。
吹き抜けになっている大広間の至るところに古い骨董品や絵画が飾られている。マークルフの城と比べてもその差は歴然だ。ディエモス伯爵から大公がその手の物の蒐集家と聞いていたが、それを納得させるだけの数であった。
マークルフは案内もつけずに先に階段を上がっていた。
リーナも続いて階段を上がる。先の一件以来、男爵とリーナは距離をとっていた。男爵はあいかわらずの態度だが、リーナに対しては以前ほど何も言うことがなかった。
その男爵が足を止めた。そして階段の壁面に飾られた大きな絵画に目を向ける。
リーナも目を向ける。そう日は経ってないのに、男爵と同じ物を見るのは久しぶりな気がした。
大きな額に飾られているのは大きな油絵だった。絵の中心から後光が差し、端の方は暗闇になっている。闇には何やら魔物の群れが描かれていた。一方で後光と溶け合う黄金の髪を持つ若い娘が、人の背丈ほどもある大きな体躯の狼に手を添えていた。狼は少女を護るように、周囲の闇を威嚇しているようだ。
額に記されている絵の題名は《戦乙女の狼犬》だった。
リーナはまた男爵の講釈が始まると思ったが、しかし、男爵は何も言わずに階段を歩き出す。
「あの——この絵がどうかされたのですか?」
リーナは自分でも気づかぬうちに男爵に訊ねていた。自分でもよく分からないが、この絵に男爵にとっての何かがあるように思えたのだ。
足を止めた男爵はリーナの目を見るが、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべる。
「なに、祖父様の遺品みたいなもんだ。ここで絵師に描かせたんだよ」
「先代様がこちらにいらっしゃったのですか?」
「まあ、病気療養さ。ここは空気が良いからな」
マークルフはそう言って階段を上がる。やはり、触れて欲しくない何かがあるのだろうか。
伯爵の言葉を思い出した。“祖父殺し”と呼ばれてまで男爵が何をしたのか気になるが、いつもと違う男爵の背中を前にそれ以上のことに触れることはできなかった。
やがて、最上階にある部屋の前までやってきた。
そこには怜悧そうな笑みを見せる若き侍女が立っていた。彼女は男爵たちを迎えるように深々と頭を下げると、自ら部屋の扉を開けた。
「さあ、ここだぜ」
マークルフは何の遠慮もなく部屋へと入る。リーナも静かに部屋のなかへ入った。
「ようこそ。よくいらっしゃいました」
彼女を待っていたのは、杖をつき、品の良さそうに笑みを浮かべる老紳士だった。
かなりの老齢なのは顔のシワと細身の体つきで分かるが、その振る舞いからにじむ品格に衰えは見えなかった。少なくとも男爵のように粗野な部分は見あたらない。
「はじめまして、古代王国の忘れ形見の姫君。わたしはバルネス=クレドガル、この国の大公です」
老紳士はリーナに手を差し出した。
リーナも手を差し出し、そのシワの多い手を重ねると、大公はゆっくりと手を振った。
「坊主から話は聞いています。時代を隔てて困惑されることも多いでしょう。どうぞ、ここにいる間は気兼ねなく、何でも言ってくだされ」
坊主というのは男爵のことなのだろう。その言葉以外は本当に気品のある貴族の鑑のような人物だ。少なくとも見た目は──
「坊主、道中、この方に粗相はなかったろうな」
「はっはっは、爺さん、俺がそんな失礼をするわけないだろ」
(嘘つき)
リーナは言いかけた言葉を呑み込み、黙って笑顔を作る。
「それは良かった。あの変わり者の後見人をかって出るから、わたしのことも変人に思われていないか気になりましてな」
彼女の心中を見抜くかのように、大公が言った。
「いえ、その、お気遣いありがとうございます」
リーナは慌てて取り繕うようにお辞儀をするが、横で涼しい顔をしているマークルフの顔を見ていると、自分がここまで気を遣わなければならないのか、納得できないものがあった。
その後、リーナは大公にお茶に誘われ、テーブルを囲んで、しばらくの間、歓談をする。
内容はリーナのいた時代の話、この王国についての大まかな概要などだが、その会話や仕草の端々はさすがに大貴族と思わせるもので、テーブルの脇で好物らしいチーズケーキに呑気にかじり付いている男爵とは対照的だった。
「──さて、実は明後日、親しい友人の宴に呼ばれておるのですが、一緒に出席しませんかな? もちろん、こんな老人と一緒で嫌でなければですがな」
「いえ、とんでもありません──ですが、私が来てもよろしいのですか?」
「さすがに古代王国の姫君そのままではいかないが、わたしの付き添いの侍女としてはいかがかな? そうすれば目立つことなくこの世界の社交界というものを観察できるし、悪い話ではないと思うよ」
「安心しろ、リーナ。俺も一緒に行く」
一番安心できない男爵が口のなかのケーキを飲み込むとそう言った。
「坊主、おまえは招待されてないぞ」
「ティーゲル子爵のパーティだろ。大丈夫、爺さんの護衛とでも言えば何とでもなるさ。しなびた爺さんだけに姫君は預けておけないからな」
「さすがに耳が早いな。まあ、好きにすればよい」
端から聞けば失礼すぎる男爵の台詞にも、大公はにこやかな態度は変えない。そう言うことは分かっていたのか、余裕の受け答えだ。この短いやりとりで男爵と大公の関係というのも少し、分かったような気がした。
(──でも、大公様はマークルフ様たちの裏の姿を知っているのかしら)
リーナにはそれを訊ねる勇気はなかった。




