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約束

 クレドガル王国へリーナを護送することになったマークルフ率いる傭兵部隊《オニキス=ブラッド》。

 その矢先に現れたのは何者かの意向により動いた親衛騎士団だった。リーナを渡すことになるも、マークルフは裏で一計を案じ、彼女を取り戻す。

 次に訪れた勇士の魔剣が眠るエールス村でも、リーナを狙って仮面の剣士が現れるが、それはログによって阻止される。しかし、村での魔剣騒動のなか、マークルフが裏で仕組んでいたことや傭兵たちの八百長があったことがリーナはついにばれてしまうのだった。

『神さまも“ようへい”をやとうの?』


 祖父の傍らで伝承を聞いていた幼き少年は疑問を口にした。

 祖父やその部下など様々な傭兵を見て育った少年にとって、彼らは金勘定に忙しく、かと思えばすぐに宴会や博打にのめりこみ、しまいにはよく分からない遊びごとを自慢しあう人たちだ。神官や神聖騎士のように“神”に仕える人々とは似ても似つかないかった。


『もちろんだとも。神さまが傭兵を雇ってはいけないなんて誰が決めた? 傭兵だって相手が神さまなら大歓迎だ。神さまは報酬を値切ったり、踏み倒したりしないからな』


 歴戦の傭兵隊長であり、英雄と呼ばれた祖父は笑いながら答える。


『でも、じいさまは神官にやとわれるのだけはやめとけって、いっつもいってるよね。神官は神さまのかわりにいろいろするえらい人なんでしょ?』

『一応な。だが、神さまから預かった報酬が素晴らしすぎて、自分でこっそり懐にいれるんじゃよ。そうなると実際に戦った傭兵の取り分が減ってしまって、割に合わんということになる。文句を言うと逆に神さまにあることないこと告げ口されて、悪い奴にされるしな』

『ふーん、なんかずるいね』

『商売についてはできるだけ間に人をいれない方が良いのさ』

 

 祖父はそう言って、また笑った。

 少年もよく分からないが自分がまた一つ、えらくなったみたいで一緒に笑った。


『おまえに託した黄金の槍も、“神”が勇士に与えた報酬だ』

『やっぱり、神さまの“ほうしゅう”ってすごいんだね』


 先日、祖父より譲られ、いまはずっと手元に持っている《戦乙女の槍》を構える。まだ槍に振り回される不格好な姿だが、祖父はそれでも頼もそうに目を細める。


『ねえ、じいさま?』

『何だ?』

『このヤリって“いくさおとめ”が身をかえたんでしょ? じゃあ、その女の人が“ゆうし”のごほうびだったの? スカートめくったり、わきの下くすぐっても自由だったの?』

『……そういう男のロマンはもう少し大きくなってからにしようか。その頃にはもしかしたら会えるかもしれんしな』

『あえるの?』


 少年の期待にはずんだ声に、祖父は安楽椅子から立ち上がり、孫の持つ槍の柄に指を滑らせる。


『傷一つないだろう? なぜ、この槍は錆びたり折れたりしないか、分かるか?』


 少年は考えるが、降参して首を捻った。


『“約束”じゃよ』

『じいさまのすきなやつ?』

『それは“お約束”──まあ、ようするに、神様は勇士に約束したらしい。いずれ、世界に再び危機が迫り、勇士となる者が現れた時、再びその力となるということを──その約束の証として、決して朽ちることなく存在し続けているんじゃよ』

『でも祖父さまが戦った時だって、神様は力を貸してくれなかったんじゃないの?』

『儂は神さまの望む勇士ではなかったんじゃろう。だが、おまえなら神さまもきっと気に入るだろう』

『ほんと!?』

『ただし──』


 目を輝かせて槍を抱えた少年に、祖父は念を押すように付け加える。


『ずっと持ち歩くのは禁止する。おまえが槍を引きずったり振り回したりするので、館中が傷だらけだと使用人たちからの苦情がすごくてな』



 マークルフは手にする《戦乙女の槍》から目を離し、前方を向いた。

 その先には湖が広がっており、その湖畔に今回の旅の当面の目的地となる城が見えていた。

「ようやく本国に到着か」

 マークルフは国境に差し掛かる道を馬に騎乗しながら進んでいた。

「いろいろあったが、まあ無事にここまで来たな」

 馬首を並べるログにマークルフは言った。

「姫様の我々に対する心証はかなり悪くなってはいるようですが──」

「仕方ねえ。足に血豆ができる程度で済んだのだからまだましだろう」

「いえ、まだ済んでおりません。足の血豆も不要のものです」

 ログはただ事実を言うように淡々と答える。

「姫様には我々の裏事情をかなり知られてしまいました。姫様の口からよそに漏れることも考えられます」

「大丈夫さ。例え俺たちを嫌いになっても、その裏の世界で生計をたてる多くの人間を路頭に迷わせることはしねえよ」

 しかし、ログはまだ気がかりがあるのか、気がかりな顔をしている。もっとも、その微妙な表情を読み取れる者は数少なかったが——

「……これは余計なことかも知れませんが、閣下はあの姫君に肩入れしすぎるように見えます」

「まあ、最初は結構、いい雰囲気だったんだがな。こう早くばれるなら、もっと早く手を出せば良かったとは思っているさ」

 マークルフは冗談ぽく笑う。

「杞憂ならばお詫びします。しかし、閣下にとって特別ともいえる“戦乙女”と、あの姫君の姿を重ねて見ているのではと感じることがあります」

 ログの諌めるような言葉に、マークルフは一転して口をつぐむ。

「姫君が閣下を陥れる方だとは思ってはおりません。しかし、姫の存在で閣下に隙が生じれば、どのような罠が仕組まれるかも知れないのです」

「……それ以上は言うな。分かっているさ」

 マークルフは静かに答えた。

「俺たち、傭兵の世界にリーナはふさわしくねえ。そんなことは百も承知だ。ただ、リーナがあいつらしく暮らせるようにしてやりたいのは本当だ……おそらく、奴らもリーナを狙って本腰を入れてくるだろうしな」

 マークルフは見えざる何かを睨みつけるように行く手に目を向ける。

 いや、その何かは確実に存在する。“聖域”全域に見えざる領域を広げ、そのために権謀術数という見えざる武器を手に影で権勢を振るう。いまでは途方もなく肥大化し、周囲はそれが見えないかのように振る舞うしかできずにいる、巨大な何かだ。

「閣下もやはり、裏であの一族が動いていると──」

「エンシアの最後の王女という、とびきりの血筋だ。奴らが目をつけないわけがない。奴らにだけはリーナは渡したくねえんだ」

 あの一族をどう呼ぶかは人によって違う。それだけ、多くの者たちに影響を及ばし、多様な顔を持つ。

 マークルフは彼らを“宿敵”と呼ぶ。同じように呼ぶ者は少なく、それを貫くのは過酷な道になるだろう。しかし、それは“戦乙女の狼犬”の名を継ぐ者にとって運命であり、マークルフ自身が決めた選択なのだ。

 彼らの名はフィルディング一族——かつて機神を復活させようとした最後のフィルガス王を輩出した一族だった。



「姫君とこうして馬車に同席させてもらえるとは、光栄の至りにございます」

「いえ、伯爵様も大変でいらっしゃいますから」

 リーナは多分に社交辞令を含めながらも答えた。

「まったく、お恥ずかしい話です。我が部下たちをこうも罠にはめる手並みの良さ、只者ではなかったのでしょう。まったく、取り逃がしたのは痛恨の極み。居場所さえ分かれば、地の果てまでも追いかけるものを——」

「そうですね、まったく悪い人間はいるものですね」

 リーナは同情と苦笑いの交じった複雑な表情で答える。

 その賊がこの隊列の先頭にいるのも知らず、ディエモス伯爵は自らのぶかいなさを嘆くように溜息をついた。

 リーナの馬車には現在、伯爵が同乗していた。伯爵たちはクレドガル王国周辺を荒らしていた盗賊団を掃討し、本国の領地への帰還の途中だったらしい。だが、部下の多くが盗賊マークルフの罠によって手足をくじいて身動きがとれなくなったため、マークルフ(賊本人)の部隊の力を借りる形で同行していた。伯爵が馬車にいるのも、《グノムス》もマークルフの罠を手伝った形なので、申し訳なく思っていたのがその理由だ。

「それはそれとして、姫君はこれからどうされるおつもりなのですかな」

「はい。この国の大公様の元に逗留して、準備が整ってから国王陛下と謁見することになっているのですが……」

「何か心配ごとですかな?」

 言葉尻をにごすリーナに、伯爵が訊ねる。

「いえ、大公様というのはどのような方かと思いまして……」

 正直、いままでの一連の男爵の行動を見ていると、その後見人となっている大公もどのような人物なのか、急に不安になっていたのだ。

「ハッハッハ、心配はご無用です」

 そんなリーナの不安など露知らず、伯爵はまた豪快に笑った。

「あの方は素晴らしい方です。若い時は自ら戦地の先頭に立つほどの優れた騎士で、傭兵隊長時代のルーヴェン=ユールヴィング卿とは互いを認め合うほどだったそうです。後に病で身体を悪くしてからは表舞台を遠ざかっておりますが、学術や芸術方面にも造詣が深く、特に古代文明には強い感心をお持ちです。王国でもその研究機関の援助をされているほどです。この国では“機神”の存在を怖れ、古代文明を危険視する者もいますが、あの方なら、古代王国の姫君である貴女のこともきっと歓迎してくださるでしょう」

 リーナはいまさらながらに自分が遙か過去からの来訪者なのを思い出す。当然、自分を歓迎しない人もいるはずだ。

 ふと、マークルフに厚遇され、感謝していたことを思いだす。本来なら、こんなに歓迎されるのも幸運なのかもしれない。

「……その、変なことをお訊きしますが、マークルフ様は本国ではどのような評判をされているのでしょうか?」

「男爵の……おお、いやいや、ご心配なく。我が輩、口は固いつもりですので」

 いらぬ誤解を生んだみたいだが、まあこの際は仕方がない。

「そうですな。家柄が傭兵あがりで、先代が偉大すぎる方でしたから、影口を叩く者は正直なところ、少なくはありません。とくにその言動を胡散臭がられることが多いですな」

(やっぱり──)

 リーナは納得しながら、話に耳を傾ける。

「しかし、我が輩は男爵を気にいっております。我が家も武功で成り上がった身でしてな。それに、若いながらに海千山千の傭兵たちを使いこなす器量の持ち主だとも思っております。こう見えて我が輩は人を見る目だけはあるつもりでしてな」

(その男爵の芝居に貴方はだまされているんです)

 リーナは心のなかでつっこむ。失礼だが、この伯爵の目もあまりあてにはできなさそうで、彼女は胸のうちで軽くため息をつく。

「まあ、心ない連中は“祖父殺し”などと悪し様なことを言う者もいますが──」

「ど、どういうことなのですか!?」

 リーナは思わず声をあげて訊ね返した。

 男爵は誰よりも英雄である祖父を尊敬していた。そのことについてはさすがに芝居とは思えず、信じがたいものがあった。

 伯爵もリーナの豹変ぶりに驚いたようだが、先ほどのような豪放なそぶりから一転して、難しい顔になる。

「……姫君はご存じなかったのですか?」

「はい、だから、教えていただきたいのです。マークルフ様はいったい、何を──」

 だが、伯爵の口は重かった。

「それは……いや、男爵本人が秘密にされているのであればこれ以上、我が輩が横からでしゃばるわけにはまいりません。どうか、ご容赦を──」

 カーグは申し訳ないように頭を下げた。

 リーナは意気消沈する。この伯爵にそう言われてはこれ以上、追及することはできなかった。

「——ただ、一つだけ申し上げます」

 リーナは顔をあげ、重い口を開いた伯爵の言葉を聞き逃すまいとしていた。

「そのことについて貴女様に伝えなかったのは。男爵本人にとっても苦渋の決断だったからでしょう。それだけ、男爵には敵が多いということなのです。できることなら、あの若き狼犬のことを信じ、お力になっていただきたいのです」

 伯爵の願いに、リーナはただ小さく「はい」と答える。

 しかし、いまのリーナには男爵のことをどう受け止めていいのか、分からなかった。



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