疑惑は突然に
リーナは馬車に揺られながら、本に目を通していた。
今、手にしているのは“神”とその信仰をまとめた学術書だ。
“神”に関する事柄が禁忌だったエンシア育ちのリーナには、その全てが新鮮だった。
“神”“は大地の下に広がる黄金世界に鎮座しているという。男神か女神かは触れられていない。運命を司り、人々と世界を見守る一方、試練を通して導き鍛えるとされ、父性と母性の両方を兼ね備えた存在として描かれることが多いようだ。
確かにこの地上で暮らしだしてから、“神”に日々の生活を感謝する声をよく聞いている。一家に一つは、大なり小なり偶像も飾られて、その信仰は人々の生活に不可欠なものとなっていた。
エンシアの技術を研究しながら同時に“神”を信じて日々を生きる姿は、リーナにはとても不思議に思えたが、この時代では自分の方が異端者なのだ。
“神”の世界には、伝説で語られる従属たちが暮らしており、そのなかでも特に知られているのは“戦乙女”と呼ばれる娘たちだ。
本には彼女たちの伝説のなかでも最も知られている伝承として、“シグの魔剣”の話を取り上げている。
エンシア崩壊後、世界は動乱の時代となった。
まず、エンシア時代に辺境に追われていた闇の魔物たちが勢力を復活させた。エンシアの遺物である魔法生物や自律兵器も制御できなくなり、人間に危害を加えるようになった。そして、人間同士が争うようになった。
そんな時代に、シグと呼ばれる若者は“神”に選ばれ、いまリーナたちがいる地域を平定させたという。
そのシグの手には常に一振りの魔剣があった。黄金の刀身を持つ魔剣の切れ味は鋭く、鋼すらも容易く両断したらしい。
それは“神”の娘たる戦乙女がシグのために身を変えたものだと言われている。
この地域を平定した勇士王シグは晩年、その剣を岩に突き刺し、こう伝えたという。
『この地が再び勇士を必要とした時、我が血を引く者がこの剣を抜くであろう』
それから数百年後。
リーナたちがこれから向かうのが、その魔剣が眠るエールスと呼ばれる村だった。
「すまねえな、リーナ」
「いえ、マークルフ様のせいではありませんわ。それにこういうのは初めてで、結構楽しいです」
二人は焚き火の前で石に腰掛け、遅い夕食をとっていた。
進路先で地元の勢力同士の小競り合いが発生したとの知らせが入り、急遽予定を変更することになったのだが、大きく迂回したことで夜までにエールズに辿り着くことができず、やむなく野営をすることになったのだ。
「……それにしても、皆さん、ずいぶんと静かではありませんか?」
リーナは少し離れた先で大きな焚き火を囲む傭兵たちの姿を見つめる。
食事をする者もいれば、腹ごなしに遊戯盤を囲んで興に入っている者もいる。
しかし、そろって正座をしており、酒も飲まなければ、大声で話す者もいない。
それに気のせいか、こちらへの視線を感じる。
リーナがマークルフの方を見ると、彼は睨むような鋭い目を部下たちに向けているようだった。
「マークルフ様? どうかされたのですか?」
「ん、ああ、いや、何でもねえよ。 この前の一件があるからな、酒はしばらく禁止にしたんだ」
マークルフはうって変わって陽気に笑いながら答える。
「でも、それでは楽しみがなくなって、少し気の毒ですわ」
「いやああ、そーんなことはないですよぉ」
脇の藪の中から部下の一人が上機嫌で現れる。赤ら顔で少し足取りもおぼつかないようで、明らかにお酒が入っているようだ。
「あの、大丈夫ですか? 少しお酒が────」
「いえいえ、全然飲んでませんよぉ。あっしは生まれつき顔が赤いもんでして!」
そう弁明するが、明らかに息が酒臭い。
「酒なんかなくても、姫様のお姿だけでいろいろ楽しめますよ。今日も昼休憩の時に、スカートをつまみ上げて川で水遊びをするお姿だけで、今晩は──グハッ!?」
マークルフが逆手に持つ槍の石突きが、部下の鳩尾に深く突き刺さっていた。
マークルフは指をパチンと鳴らすと、他の部下たちが慌てて駆け寄り、悶絶する仲間を担ぎ上げて目の前から消えた。
「マ、マークルフ様!? いまのは少し乱暴では──」
「いや、規律を守らせるのが俺の仕事だ。それに、いつ何が起こるか分からないことを身体で覚えさせとかないと、また同じことを繰り返す」
リーナは自分の短慮を恥じた。男爵はそこまで考えて部下に厳しい態度をとるのだ。やはり、若くとも精鋭部隊の長なのだ。
リーナはあらためて英雄の後継者に敬意を抱きながら、食事を終わらせた。
そして、景色を見つめていると、ある事に気づく。
「ここは若木が多いように見えますね」
リーナが何気なく訊ねると、マークルフは少し厳しい目を見せた。
「気づいたかい? 昔に大馬鹿野郎が大荷物を運ぶために、ここいらの木を全部、伐採しちまったのさ」
「大荷物?」
「《アルターロフ》っていう粗大ゴミさ。ここは丁度、旧フィルガス王国軍が“機神”を運ぶのに通った道なんだ」
リーナは納得しつつも、周囲を再び見渡した。旧フィルガス王国内で発掘された《アルターロフ》を、当時の王が“聖域”の外に運び出そうとしたのは話に聞いていたが、その道程を想像したことはなかった。だが、きっと大変な作業だったに違いない。
「まあ、当時はもっと大きな道だったんだけどな。機神の復活を阻止して、そいつを中央王国に運んでからは、地元の人間たちが再び植林しているんだ。もっとも、元の自然を回復するには気の遠い年月が必要だろうがな」
「そうなのですね」
何気ない景色にも隠された意味があるものだ。
リーナもあらためて、この世界をもっと学ぶ必要があることを自覚する。それがこの時代に目覚めた自分の当面の使命だろう。
でも男爵なら、きっといろいろなことを教えてくれるに違いない。
男爵の横顔をそっと覗き見れば、何やら考え事をしているようだった。
いつか、それも分かる時が来るのだろうか──
夜も更け、陣営では見張りの者を覗くほとんどの者が眠りに就いていた。
リーナも陣営の真ん中に用意された一際大きな天幕のなかで眠りに──就けないでいた。
(う~~、かゆいよぁ)
リーナは寝台から身体を起こすと、腕をさする。
見れば何カ所も蚊か何かに噛まれていた。
いまも周りで羽音が聞こえ、身体全体がかゆくなるような感覚に襲われる。
虫除けの香を焚いてはいるのだが、この時代の蚊はよほど逞しいようだ。
男爵は自分のために広くて、家財道具も備えた天幕を張ってくれたのだが、これではとても快適とは言いがたい。とはいえ、夜着では気晴らしに外の空気を吸うこともできないし、格別の配慮をしてくれる男爵にも申し訳が立たない。
(でも、眠っておかないと馬車が辛いってマークルフ様もおっしゃってるし、どうにか眠らないと──)
リーナはふと気づき、足許を見た。
寝台の下には大きな絨毯が敷かれているが、その下は地面だ。
リーナはそっと寝台から降りると、絨毯を大きくめくるのだった。
「やっぱり、こうしていると落ちつくわ」
リーナは頭上のモニターに映る月を見上げながら呟く。
彼女は《グノムス》の中にいた。
天幕の中から隠れて鉄巨人の中に乗り、陣営から少し離れた地下で休息をとることにしたのだ。
足を伸ばせないほどに狭いスペースではあるが、身体の負担を大幅に減らす特殊素材の内壁に囲まれている。その素材自体もモニターとなり、外の様子をそのまま反映して映像として見ることも可能だ。
本来は数百年を地下で過ごすための生命維持装置であり、個室感覚で使うことは想定外だが、実際に何百年もこの中で眠っていたせいか、ここが一番、落ちつく気がした。少なくとも虫に悩まされないだけでも段違いの快適さだ。
「グーちゃん、マークルフ様たちには内緒よ」
リーナは《グノムス》のセンサーを通して月をぼんやりと眺めていた。
「マークルフ様と一緒に眺められたら、星とかあの月も好きになれるのかな……あ、ダメよ、グーちゃん、マークルフ様に言ったりしたら──」
リーナは自ら言った冗談に照れるように、内壁を叩く。
すると、かすかにエラー音が鳴り、リーナは驚く。
見れば足許に小さな警告マークと数字らしきものが表示されていた。
(え、壊しちゃった!?)
リーナは意味が分からないまま恐る恐る警告マークに指で触れると、それは何事もなかったかのようにエラー音と同時に消えた。
(何だったのかな、いまのは?)
リーナはしばらく様子を見るが、結局、それ以上は何も起こらなかった。
想定外の使い方をしているせいだろうと結論を出し、リーナはまた地上を見る。
「──でも、なぜあの時、捕まえなかったんですか?」
二人の傭兵たちがこちらに近づいてくるのに気づく。きっと、巡回の当番の人たちだろう。
一人はまだ年若い青年であり、もう一人は年輩の男だ。何やら若い傭兵の方が、先輩の傭兵に何かを訴えているようだ。
「隊長も、あっさり盗賊を逃がすことはなかったんですよ。もう少しで盗賊たちを追い詰められたかもしれないのに──」
「それはおめえ、そんなことしたら隊長が困るからよ」
年輩の傭兵が答えた。
盗み聞きは悪いと思いながらも、不思議に思ったリーナはさらに耳を傾ける。若い傭兵も同様に思ったらしく、さらに訊ねる。
年輩の傭兵は周囲を見回した。誰もいないのは一目瞭然なのに、随分と用事深い。さすがに地下にリーナがいるとは露とも思わないだろうが──
「そろそろ、お前にも教えていいころだな。新入り、一度しか言わないからよく聞け」
年輩の傭兵は若い傭兵に耳打ちする。
「……隊長はな。俺たちに号令をかける時に“屑石ども”ってつけるんだが、その時は本気で戦えってことなんだ」
「え? でも、昨日はそんなこと言ってませんでしたよ?」
「その時は手を抜けって意味になるんだ」
傭兵は声をさらに声を細めて言った。
「じゃあ、あの盗賊たちは……?」
「あれは裏で打ち合わせしていたのさ」
(マークルフ様と盗賊が──!?)
リーナは驚きのあまり、声を失う。
若者も驚いたように目を見開いていた。
「そ、そうなんですか?」
「そうさ。一芝居うったのさ」
「で、でも、それなら俺にも教えてほしかったなあ。姫様の前だからって張り切ったのになぁ」
若い傭兵の背を年輩の傭兵が叩く。
「お前みたいに事情を知らない奴がいた方が芝居に説得力がでるからな。まあ、おまえも傭兵稼業をしていくなら、よく覚えておきな。この稼業はその辺の仕組みを理解できてなんぼだからよ」
自分たちの足の下でリーナが呆然としているなど気づかないまま、二人の傭兵たちは静かに去って行ったのだった。




