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姫君をめぐって(3)

「失礼致します」

 リーナの許可を得て部屋に若い娘が入ってきた。

 騎士隊長がリーナの身の回りの世話をさせるために連れてきた、王城務めの侍女で、騎士隊長の縁戚の娘らしい。

「お眠りにならないのですか」

 窓際に座っているリーナに声をかけると、侍女は側の机の上に手にしていたトレイを置く。

 その上には赤ワインの入ったクリスタルの瓶とグラスが並んでいた。

「先ほど、この街一番のワインが献上されたところなんです。一杯、いかがですか?」

 侍女はにこやかに告げる。

「そうですか。でしたら、頂くことにします」

「かしこまりました」

 侍女はいかにも礼儀正しく会釈すると、手慣れた様子で用意をはじめた。

 侍女は主人の信頼を得やすい立場にあるため、権力者に近づく手段として身内を侍女につけるのはよくある話だ。

 現在の自分に権力などないし、侍女に罪はないのだろうが、エンシアでも見てきた権力の闇が忍び寄っているようで、リーナは憂鬱だった。

 男爵の城での自由な気風が気に入っていただけになおさら、そう思えた。

 侍女はリーナにグラスを手渡すと瓶を傾け、ワインを丁度良い量に注ぐ。

 リーナは促されるように、そっと口を付けた。

 確かに美味しいものだ。街一番というのも頷けるものだ。

「このワインには名前があるのですか?」

 リーナが何げなく訊ねる。

「ええ。何でも“星々の誘惑”という銘柄だそうですわ」

 ──────

 リーナの手が止まる。 

「姫様、お気に召しませんでしたか?」

「え、いえ、とても美味しいですわ」

 リーナは笑顔を作りながら、内心で溜息をつく。

 ワインに罪はないが、何となく飲む気になれない名だ。

 リーナは話題を変えようと侍女に話しかける。

「貴女は王城で働いているそうですね。王城ではユールヴィング男爵はどのように噂されているか、ご存じなのですか?」

 リーナは先ほどのデバスの言葉が気になっていたのだ。

 侍女ははじめて困ったような顔を見せたが、やがて囁くように答える。

「王城でも男爵様の噂はいろいろとありますが、実際のところ、男爵様がどのような方かは誰も答えられないかもしれませんね。何しろ、ご自分でいろいろと噂を流しては楽しまれる方ですから──あの方のお話が好きな方が半分、嫌いな方ががもう半分というところでしょうか」

 リーナは思わず笑みを浮かべた。

 なるほど、どこか飄々として掴み所のない男爵らしい評価だと思ったからだ。

「でしたら、私は前者になりますわね。特にあの方の傭兵にまつわる逸話は面白かったですわ」

「姫様もそうなのですか!」

 侍女が急に感激の声を出して、リーナの前に膝を付く。

「実はわたしもそうなんです!」

 予想外に話に飛びつかれて戸惑うリーナをよそに、侍女は同好の士に会えた喜びを表すように両手を握り合わせる。

「意外でしたわ! 姫様もそのようなご趣味をお持ちなんて!」

(いえ、あなたの方が意外かと……)

 騎士隊長の縁者だからてっきり男爵を嫌っているものと思っていた。あるいは自分に話を合わせているのだとも考えたが、目が否定する余地もないほどに本気だ。

「そうなんですよね! 男爵の語る傭兵達の熱き戦い、因縁、栄枯盛衰の歴史──あの血と汗と陰謀と暴力と破壊と創造の物語は、いつ聞いても身を震わると思いませんか!」

 何か話が怪しい方向に進むが、こちらから話題を持ちかけた以上は合わせるしかなさそうだ。

「で、でしたら、貴女はマークルフ様をひいきにされているのかしら?」

「いえ! あくまで好きなのは男爵様の話だけで、わたしが応援しているのは《竜皇》リシャードの弟子、《龍聖》セイルナック様なんです!」

「あ、ええ、美丈夫な技巧派剣士として有名な方らしいですわね。何でも現在は“聖域”より離れた紛争の地に遠征に出ているとか──」

「よくご存じですね! 地上に目覚めてまだ間もないと聞いていましたが──」

「え、ええ、男爵から本を借りたのです。薔薇で作った下帯一つで、自作の歌を眠れぬ部下たちに聞かせたという記事があって──」

 リーナは困惑を作り笑いで隠しながら、答える。

 自分で言っておいて何だが、なぜ、よりによってこんな記事を覚えているのだろう。そして、勢いに押されながらとはいえ、笑顔で語る必要があるのだろうか。

 さすがにおかしいかと思ったが、侍女はもう感極まったようにリーナを手を強く握った。

「そ、それは現在はどこも廃版になってて、一部の者しか目にできない幻の記事じゃありませんか──あああッ、姫様、羨ましい限りですわ! ね、ねえ、姫様! いったい、どんな歌だったんですか! バ、薔薇の色って何色なんですか!」

(──助けて! マークルフ様!)

 結局、騎士隊長が様子を見に来るまで、リーナは侍女の熱弁を聞くはめになるのだった。



「そうなんだよ! 《龍聖》の子分たちも、そんな格好で下手な歌を唱われたら、眠れるもんも眠れなくなってな。それで薔薇の下帯、盗んで燃やしたまったんだよ!」

 マークルフは酒場の真ん中で客たちに向かって語っていた。

「大丈夫だったんですかい? 妖精からもらったっていう、感性を高める魔法の薔薇だったんでしょう! 祟りが怖いんじゃないんですかい?」

「安心しろ! 薔薇の冠を下帯にしてしまうような鈍感野郎にゃ、向こうもとうに匙を投げてるさ!」

 酔いの回った聴衆たちは爆笑しながら、何度目かの乾杯をはじめる。

 マークルフが元の席に戻ると、その隣にはいつの間に入ってきたのか、ログが座っていた。

「ログ、話はついたのか」

「ええ。急な話なので、高い交換条件になりそうです」

 ログはマークルフに耳打ちするように話を伝える。

「……なるほど、向こうではそんな騒動になってるのか。分かった、そっちも放っておいたら、こちらにも飛び火するかもしれねえからな。承諾したと伝えてくれ」

 ログはそれを聞くと、律儀に自分の勘定だけを済ませて、また静かに酒場を出て行った。



 眠りに就いていたリーナは奇妙な浮遊感を覚えていた。

 そういえば、寝る前にワインをもらっていた。

 少し疲れていたし、きっと、その酔いが回っているのだろう。

 リーナはまどろみのなかでそう考えながら、その眼をゆっくりと開く。

 だが、最初に目に飛び込んできたのは暗い中を歩く、みすぼらしい格好に覆面をしている、いかにも盗賊風の男の後ろ姿だった。

 最初、状況が分からず、目をこすろうとするが、身体が動かない。

 リーナは誰かの肩に担がれていた。まだ目が暗闇に慣れず、どこにいるのかよく分からないが、寝るときに敷いていたマットでそのまます巻きにされたようだ。

 どうやら階段を降りているらしいが、階下に着くと、そこには灯りが点いており、それでようやく、自分にふりかかった状況を理解した。

 その部屋は一階の酒場になっている部分だが、そこで待機していた親衛騎士団員たちは皆、テーブルに身体を突っ伏したまま、眠っていた。

「キャッアアアァッーーーーーーー!?」

 騎士たちの異変と自分がさらわれたことをようやく理解しリーナは大声で悲鳴をあげた。

 周囲にいた覆面の盗賊たちは彼女の悲鳴にとたんに慌てだす。

 途端に床がバキバキと音を立てて割れ、下から伸びた鋼の両腕が行く手を遮った。その間から《グノムス》が頭部を現し、さらに派手な音をたてながら、その身を浮上させようとする。

「ま、待って、グーちゃん!? 動いちゃダメ!!」

 リーナは慌てて叫んだ。

「お店を破壊しちゃダメ! 街の方たちに迷惑をかけたらいけないわ!」

 リーナの命令に《グノムス》は頭と腕を出したままの格好で止まった。

「すみません! 盗賊さん! ここだと被害がひどくなります! できれば外の、地面が剥き出しになってる所に場所を移してもらえませんか!」

 リーナがそう申し出ると、盗賊たちは互いに困ったように顔を向け合う。

 彼らは仕方なくリーナを丁重に床に降ろすと、部屋の隅で輪になり、何やら話しあいを始めた。

 マットの上からロープで縛られていたが、リーナは身体をよじり、《グノムス》の前にゴロンと転がる。

 “待て”状態の鉄巨人と床の上で目を合わせると、たしなめるように言った。

「聞いて、グノムス。ここは私たちが自由にできたエンシアじゃないの。周りの皆さんに、とくにマークルフ様のご迷惑にならないように気をつけなければいけないわ」

 グノムスは黙って(?)、彼女の話を聞いていた。

 その時、正面の扉を蹴破り、何者かが姿を現す。

「リーナ! 無事──」

 マークルフだった。数人の部下たちを引き連れて現れるが、店内の様子を見て閉口する。

「……リーナ、いま、何がどうなっている?」

「え、あの、グノムスに破壊行為はしたらダメといま言い聞かせているところです」

 マークルフが盗賊たちの方に顔を向ける。

 盗賊たちは慌ててリーナを拾い上げると、剣を向けた。

「ひ、姫を助けたかったら、そこをどいてもらおうか!」

「おのれ、卑怯な手を!」

 盗賊の一人がいまさらながらに啖呵を切ると、マークルフもどうやらそれで状況を飲み込んだらしく、舌打ちをして睨み合う。

「大丈夫です、マークルフ様! 外に出れば、グノムスが助けてくれますわ!」

 マークルフを危ない目に遭わせてはいけないと、リーナは王女らしく毅然として告げた。

「さあ、盗賊さん、遠慮なく、私を外に運んで──」

「「「できるか!」」」

 盗賊たちが全員でリーナに突っ込みを返す。

 事態は膠着状態となったが、やがて、マークルフが言った。

「仕方がねえ。姫をそこのデカブツに渡せ。そうすれば見逃してやる」

 盗賊たちは顔を向け合うが、やがてジリジリと下がった。 その先には外に通じる裏口がある。その間もマークルフたちは遠巻きに彼らを牽制する。

 リーナを抱えていた賊たちが、す巻きになった彼女を鉄巨人へとポイっと投げる。

 《グノムス》がその手でリーナを受け止めたと同時に、賊たちは一斉に外へと逃亡を始めた。

「追え!」

 マークルフは部下の傭兵たちに追跡を命じると、グノムスに抱えられたリーナに駆け寄る。

「大丈夫か?」

 マークルフは腰に差していた短剣でロープを切ると、自由になったリーナは、マークルフの胸に飛び込む。

「リーナ!?」

「ご、ごめんなさい、マークルフ様、いまさらながらに手が震えて……」

 解放され、マークルフとも再会できた安堵に、張り詰めた神経が一気に切れたようだった。

「いや、よく頑張った。もう安心してくれ」

 リーナは男爵の手を借りて起きあがると、テーブルの上で動かずにいる騎士たちの姿を見回す。ひょっとして、盗賊たちの手にかかったのではないかと悪い予感がよぎる。

「安心しな。どうやら薬で眠っているだけだ」

 マークルフが騎士たちの首筋に手を置きながら答えた。

「どうやら、この酒に薬を盛られていたようだ。リーナは酒は飲まなかったのか?」

「私はあまり飲まなかったので……でも、マークルフ様はどうしてここに?」

「ん? ああ、帰り道に目の前を通ったんだ。そしたら、嫌に静かなんでな。まさかと思って来てみたんだが、とにかく無事でよか──」

 落ち着きを取り戻したリーナは、マークルフが自分から視線を外しているのに気づく。

 途端にリーナは顔を赤くした。

 そう、自分は薄い夜着のまま、マークルフに抱きついていたのだ。

「きゃあ!?、ご、ごめんなさい、着替えてきます!」

 リーナは慌てて上の部屋へと戻っていった。



 マークルフが慌てて階段を駆け上がるリーナを見ていると、外からログが入って来た。

「閣下、いまの悲鳴は?」

「なに、思わぬ役得・・と言うやつだ。高くついたが、こういうオマケがあるなら、悪くはないな」

 マークルフはあごに手を添えるが、やがて、地面から頭だけを出して置いてけぼりにされた《グノムス》に目を向ける。

「おまえも苦労するな」

 マークルフは鉄巨人の頭の上に腰を掛けると、姫君の着替えを待つのだった。



 夜が明けた。

 盗賊たちは逃げてしまったが、姫君誘拐という大胆な企みは幸いにもマークルフたちによって阻止された。

 警護の親衛騎士団は酒に眠り薬をしこまれ、多くが昏倒し起きていた者も盗賊たちの不意の襲撃にあっけなく無力化されてしまう有様だった。

 その酒はマークルフの依頼により、近くの酒場から運ばれたものだった。その名声を聞きつけた騎士らが調達したものだが、その酒樽を運んだ酒場の使用人主人が事件直後から身の回りの物と共に行方不明になっていた。おそらくは盗賊たちとつながって酒に薬を仕込んだのだと思われた。

 親衛騎士団は面目を丸つぶれにされた形だった。酒で眠らされ、そのあげくに武器のほとんどもまた盗賊たちに盗まれていたのだ。姫をはじめ、宿にいた女子供に被害がなかったのがせめてもの幸いだろう。

 宿屋の周りには、彼らの失態の噂を聞いた住民たちで人だかりができていた。

 その彼らの前で、マークルフと騎士隊長デバスが対峙する。

 リーナの願いでマークルフたちが再び彼女の護衛となり、出発する前に騎士団にそれを伝えにきたのだ。

「そもそも、貴様らの持ってきた酒に薬がしこんであったんだぞ! 貴様らが怪しくなくて誰を疑う! あの盗賊たちも貴様らの手下じゃないのか!」

 騎士隊長は憤りを隠そうともせず、マークルフに詰め寄る。

「俺らが仕組んだとでも言いたいのか? 俺らの酒を勝手に取り上げておいて、勝手に罠にはまったのはそっちだろう? 言い訳にしか聞こえねえな」

 マークルフはそう言いながら、隊長の剣幕を涼しげな顔で受け流す。

「それに俺たちはその時間、酒場や町長の家にいたんだ。疑うなら、誰にでも聞いてみるといいさ」

 マークルフがそう言い捨てると、騎士隊長の耳元に他の騎士が耳打ちする。おそらく、マークルフたちの言うことが正しいことを教えているのだろう。周囲の野次馬の間からもそれを証明する声が飛ぶ。

 騎士隊長は苛立ちを隠せず、反対にマークルフは満足げにうなずく。

「疑いが晴れたなら、俺たちは行かせてもらうぜ。あんたらは先に本国に戻って、事のいきさつを国王陛下にお伝えしてくれればいい。もちろん、俺は口が堅いから、あんたらに不利になるようなことは言うつもりはない。だから、帰り道では安心して言い訳を考えてくれ。さあ、いきましょう、姫君──」

「はい、あの、ありがとうございました」

 気の毒に思ったリーナが騎士隊長へ丁寧に挨拶を済ませると、マークルフは騎士団の見ている前で彼女の手をとり、馬車まで付き添うのだった。



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