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姫君をめぐって(2)

 リーナを迎えた親衛騎士部隊は、そのまま街一番の大きな宿を接収し、彼女はそこの最上階の三階の一室で過ごすことになった。

 宿は多くの客が宿泊する予定だったが、それは当然のごとく追い出されることになる。

 窓から外を覗けば、追い出された気の荒い客と警備の騎士がいがみあいを起こしていた。

 自分のせいだと思うと、リーナの心は痛んだ。手荒なことはしないように騎士隊長にお願いしていたが、それが騎士たちにまで伝わっているようには見えないのが、さらに辛さを増す。

 リーナは男爵と引き離された不安を抱えたまま、窓に映る心細げな自分の顔を見つめた。

 ドアをノックする乾いた音が響く。

 リーナが入るのを許可すると、恭しい態度で騎士隊長デバスが入ってきた。

「ここはお気に召していただけましたでしょうか?」

「ええ……」

 リーナは言葉を濁した。確かに部屋は広いし、景色も綺麗だ。しかし、そのためにここを強引に接収するやり方を見ては、素直に喜べなかった。

 だが、そんなリーナの態度を遠慮ととったのか、騎士隊長は満足そうに笑みを浮かべた。

「そうですか。それは良うございました」

「……あの、マークルフ様たちはどうされているのですか?」

「奴らですか? やる気をなくしたのか、どこぞの酒場でくだを巻いてますよ」

 それを聞いて、リーナは目を伏せた。

 いろいろと尽力しておきながら、このような形でお払い箱にされては、誰だってそうなるだろう。

 リーナもこのような形で男爵にお別れすることが悲しくて仕方なかった。

「あの、マークルフ様にちゃんとお礼を申し上げたいのですが、ダメしょうか? このドレスもあの方の亡きお母上の形見のものなんです。これだけでもきちんとお返ししたいのです」

 リーナは懇願するが、デバスは渋い顔をしながらも首を横に振った。

「姫君のお気遣いはとても良く分かりますが、あの男爵とはこれ以上、関わりにならない方が貴女様のためにございます」

「──それは、どういう意味なのですか?」

「あの男爵にはよからぬ噂が後を絶ちません。姫君にどのような顔をされたか分かりませんが、向こうは貴女様を利用しているのですよ」

「そんな!? あの方はそのような方ではありませんわ!」

 リーナは反論するが、騎士隊長はそれを見て、いたたまれない様子でため息をついた。

「このような純真な姫君をたぶらかすとは、ユールヴィング男爵も困ったものだ……貴女様が御心苦しくなると思い黙っているつもりでしたが申し上げましょう」

 騎士団長は喉の調子を整えるように咳払いをする。

 黙っていられなくなったわりにはもったいぶった態度に、リーナは正直イラッとしたが、デバスは彼女の苛立ちに気づくことなく話を続けた。

「奴らは貴女様のことを見せ物にしているのですよ」

「私を、ですか?」

「その通りです。奴らは下見と称して古代王国の姫君の噂を流しているんですよ。そうすれば人が集まって、道中にある街は潤います。その見返りにやつらはその一部を賄賂としてせしめているんです。まったく、金に汚い傭兵あがりどもの考えそうなことだ」

 騎士隊長のあからさまに男爵を蔑む態度は正直、不快だった。

 しかし、確かに道中での噂の広がりの早さを考えると、そう思うことも仕方がないようにも思える。

 リーナが言葉を返せないでいると、デバスは恭しく頭を下げる。

「ともかく、これからは我々が本国まで護衛いたします。もちろん、見せ物などにはさせません。どうぞ、ご安心ください。そうそう、ドレスは後で向こうに取りに来させましょう。新しいドレスもすぐにご用意しますので」

 騎士隊長は一方的にそう言うと、そのまま退室しようとする。

「……貴方は私のことを本物だと信じてくださるのですか」

 リーナは先ほどからの疑問をぶつけてみた。

 デバスは振り返ると、そういうのが好きなのだろう、また思わせぶりな笑みを見せた。

「先ほどの男爵の言葉を気にされておるようですな……我々は国王陛下のご命令で参じたことは間違いございません。あえて申せば、あのようなペテン師まがいの奴らにお心を痛める方がいるということです」

 騎士隊長の含みのある言い方は、やはり男爵がにらんだように後ろで誰かが動いているのだろうか。

 騎士隊長は恭しく礼をして部屋を出ていった。

 一人、残されたリーナは、自分で何も出来ないもどかしさに深く溜息をつくのだった。



「すまねえな、親父」

 マークルフはカウンター越しにワインの注がれたグラスをもらうと、ごくりと一気にあおった。

 ここは街の隅にある、どこにでもあるような酒場だ。

 しかし、主人が仕入れるワインは評判となっており、夕方近くの店内はすでに多くの客で賑わっていた。

 その喧噪を耳にしながら、マークルフはカウンターの片隅に座っていた。

 マークルフの相手をしているのはこの店の主人だ。がっしりとした体つきの、しかし気っ風の良さそうな赤ら顔の中年親父であり、祖父ルーヴェンと親交のあったうちの一人だ。

「本当なら、ここに姫君を連れてきて、もっと人を呼ぶつもりだったんだけどな」

「なあに。この小さな街に伝説の姫君が来るというだけで、人は大勢来てくれてる。こっちは連日、もうけさせてもらってるよ」

 そう言うと、酒場の親父は声を潜める。

「……でも、本当にいいんですかい? 何のお礼もしなくて──」

「礼ならいいさ。借りにしといてくれ。まあ、あの騎士連中はきっとあることないことを姫君に言ってるんだろうがな」

 面白くなさそうに言うマークルフに親父は苦笑する。

「分かってますぜ。姫君を集客に使えば、通る道は財布が潤う。その土地の有力者も何ら文句も出さずに通してくれますからね」

「あいつらは知ってたって言わねえだろうがな。今頃は俺の悪口でも言ってるんだろうよ」

「まあ、仕方ないかもしれませんな。探られて痛くない腹かと言えば、そうでもないですからね」

「確かにな」

 マークルフがワインを飲み干そうと口をつけた時だった。

「親父、酒だ!」

 大声をはりあげて店に入ってきたのは三人の男たちだった。

 これみよがしに親衛騎士団の紋章の記された上衣が、彼らがその一員だということを示していた。すでにどこかで酒をあおっているのか、そろって赤い顔だ。

 人だかりが一瞬、止んだ。

 権力を笠に着る奴はたちが悪い。それも酒が入っていればなおさらだ。誰も眼をつけられたくはない。やがて、不自然にならないように再び会話が始まるが、その賑わいは心なしか、先よりもひっそりとしていた。

「店主! ここのワインはかなりの上等品らしいな! 後で最上級のものを樽で用意して、我らの宿に持ってこい! 姫君への献上品だ!」

 騎士はそう叫ぶと仲間たちと笑い合う。

 点数稼ぎのつもりなのだろう。酒場の一角を占拠すると、もう手柄を立てたつもりで盛大に宴を始めた。

 先客を無視して酒とつまみを一番に持ってこさせるように主人に告げると、頼まれてもいないのに、自分たちの武勇伝を周囲の客に聞かせはじめる。

 やがて騎士たちは近くにいた若い娘に目をつけ、酌をさせるために自分たちの席に連れて行く段になって、ついに酒場の主人が腹に据えかねて動いた。

 主人は自ら騎士らの前まで詰め寄ると、テーブルにあった酒を取り上げた。

「何をする、きさま!」

「何様だか知らんが、いい迷惑だ! とっとと金を払って帰ってくれ!」

 主人も元は傭兵だった男だ。相手が騎士だろうと怯む様子は見せない。

 しかし、騎士らはそれにいたく腹が立ったのか、騎士の一人が乱暴にテーブルを蹴り上げると、もう一人が主人の胸ぐらを掴んで突き飛ばした。

「うわッ!?」

「きゃあ!?」

 主人は他の客のテーブルを巻き込みながら突っ伏し、悲鳴がいくつもあがる。

「礼儀を知らん奴だな! どうせ、姫君の御名を使って金を稼いでいるくせに、姫君を護る我々からも金をむしり取ろうというのか、この守銭奴が!」

 突き飛ばした騎士が、仲間の騎士たちの歓声を背に、さらに主人に詰め寄る。

 本気か脅しか分からないが、騎士は剣の柄に手を伸ばし、客たちの悲鳴があがった。

 その騎士が豪快に転んだ。剣を手にして受け身がとれず、顔面から床に倒れる。

 側に座っていたマークルフが床に自分の足を投げ出し、騎士の足を引っ掛けたのだ。

「何をする!」

 騎士は腫れた鼻を押さえながら起き上がると、激昂してマークルフの胸倉を睨みあげる。

「いいかげんにしやがれ、三下野郎」

 マークルフは騎士の手を掴み返すと、押し殺した声で告げた。

 色めき立っていた騎士の表情がわずかに固まった。

 ようやく相手が誰かに気づいたらしい。

 しかし、騎士も体面があるのか引かなかった。酔って気が強くなっているのか、吐く息に酒の匂いを漂わせながら言った。

「これはどういうことですかな。国王陛下の使いである我々に手をあげることは、すなわち国王陛下に逆らうこととみなされますぞ」

「ほう、そうかい。出したのは手じゃなく、足なんだがな」

 マークルフは手にさらに力を込める。爪がくいこみ、騎士は顔をしかめる。

「だったら、遠慮することはねえ。無礼者としてバッサリやってもらおうじゃないか」

 マークルフは口許を釣りあげた。

「……できるならな」

「貴様! かつて親衛騎士団の名に泥を塗られた屈辱、忘れたと思ってか!」

 マークルフの挑発に騎士はこれ以上ないほどに顔を真っ赤にすると、手を振り払い、腰の剣に伸ばす。

 だが、すぐに仲間の騎士がそれを制するように肩に手を置いた。

 騎士は仲間に促されて周囲を見渡し、すぐに気付いたようだ。

 周囲の人だかりに混じって、赤と黒の腕章をした傭兵たちが騎士らを取り囲むように立っていた。そのどれもが剣呑な目つきで騎士らを睨み付けている。

「ただし、ご忠告させてもらう。俺を斬った後に部下が何をするかは責任はもてないぜ。何しろ、元は根無し草の傭兵たちなもんでね」

 そこまで言ってマークルフはこれでもかと不敵な笑みを浮かべる。

 騎士が冷や水を浴びせられたように息を飲んだ。

 周囲の傭兵たちも主君に倣うように不敵な態度で、それぞれの得物に手を添えている。

 なにより、周囲を取り巻く客たちが男爵に続くように険悪な空気を漂わせていた。

「……引き上げるぞ」

 騎士はすっかり酔いもさめたらしく、苦々しげに席を立ち上がった。

「勘定も忘れずにな」

 マークルフが釘を刺すと、騎士はしぶしぶと貨幣をテーブルに叩きつけた。

「これで文句はないだろう……いくぞ!」

 騎士たちがそそくさと店を去ると、周囲の観客たちが口々にマークルフを賞賛した。

「あんた、姫様連れてきた男爵様だろ!」

「よッ、さすがは最強傭兵部隊の隊長!」

 マークルフは手を挙げてそれに一つ一つ応えながら、主人に手を添えて助け起こした。

「大丈夫か、親父?」

「へッ、あんな小物にでかいツラさせるわけにはいきませんからね」

「俺が割って入らなければ、ズバッと斬られたかもしれないんだぜ」

「そこはそれ、男爵がちゃんと助けに入ってくれると信じてましたからね」

 腰をさすりながら立ち上がった親父はそう言って笑う。

 マークルフもそれにつられるように笑った。

「実を言うと、俺も親父が突っかってくれると信じていたんだ」

 マークルフに助け出された主人は倒したテーブルを元に戻すと、その場に居合わせた客に一杯、奢ることを約束し、その場は再び盛り上がりはじめた。

「しかし、いつもながら、御利益がありますな。あのバンダナは──」

 酒場の親父がしたり顔でささやく。

 いまバンダナを巻いているのは、マークルフが僅かな時給で雇ったその辺の町民たちで、武器もただの竹光だ。

「いちいち、あいつらに付き合ってられねえからな」

 マークルフも席に戻ると、主人から新たなグラスを受け取る。

「……なにか、企んでますね、男爵」

「分かるか」

 親父に訊ねられ、マークルフは親父に耳を貸すように指で示す。

「……実は騎士たちを追っ払った礼をしてもらいたいんだ。町長の家で留守番をしているログたちにも酒を届けてほしい。酒樽まるごと、とびっきり上等なやつでな」

「そいつは喜んで……でも、ただ届けるだけじゃないんでしょう?」

「そうだな。姫君の泊まっている宿屋の近くを通ることになるかもな」

「なるほど」

「この街一番の酒だ。取り上げられないように頼むぜ。さっきの連中だって、まだ自分の手柄を諦めてないかもしれねえしな」

 マークルフの意図を読み取った主人は親指を立てる。

「ちょうど、俺の世話してるなかにおあつらえ向きのがいます。そいつに持っていかせましょう」

 マークルフは主人と共にほくそ笑むと、偉大なる祖父神を讃えて乾杯するのだった。

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