姫君をめぐって(1)
復活する“機神”を倒した英雄を祖父に持つ若き男爵マークルフはある夜、領地への侵入者を撃退した際に地中から現れた古代の鉄機兵と遭遇する。その鉄機兵のなかには古代王国の最後の王女リーナが眠っていた。かつて古代王国エンシアは自ら生み出した機神によって滅び、リーナは最後の王族として地中に逃がされ、永き年月を眠っていたのだ。
だが、機神は現在は“聖域”と呼ばれる地の中央に置かれて封印されているが、いまだに滅ぼす手段は見つかっていなかった。それを知り、再び眠りにつこうとしたリーナだが、マークルフに引き止められ、しばらくをこの時代で暮らすことに決める。
やがて、古代の眠り姫の噂を耳にしたクレドガル本国が、正式に彼女を迎えることになった。リーナはエンシアが未来に遺したものをこの目で確かめるため、本国に向かう決意をする。
マークルフはリーナの願いを受け、護衛として彼女と共に本国への旅に出るのだった。
『《オニキス=ブラッド》──数多い傭兵部隊の中でまず名を上げるとすれば、誰もがこの名を選ぶであろう。屈強な猛者ぞろいで知られる彼らの前身は、先の英雄ルーヴェン=ユールヴィングが従えていた傭兵団であり、かの英雄がその功績によりクレドガル王国の男爵位を賜った後、男爵麾下の部隊として再編された。
この度、その新たな長となったのが英雄ルーヴェンの孫、マークルフ=ユールヴィング男爵だ。祖父の資質を受け継ぐと噂される若き男爵が今後、様々な勢力が入り乱れる旧フィルガス地方の情勢にどのように影響を与えていくのか、その動向が注目されている──』
リーナは馬車に揺られながら、膝の上に広げた本に目を通していた。
いや、正確に言えばようやく本の内容が頭に入るようになったところだ。
クレドガル王国へと旅立ってからの最初の数日は、この時代の王族の苦労というものを嫌でも味わうものだった。
揺れる馬車に長時間、乗り続けることは苦行そのもので本を読む余裕もなかった。
エンシアでは“闇”の魔力で駆動する自動四輪が王族の足だったため、馬車には祭典などの時にしか乗ったことはない。それも舗装された道をゆっくりと進むことがほとんどだ。
舗装されていない道を次の拠点まで限られた時間で進むなど、乗り心地は最悪と言えた。
だが、これでもこの時代では恵まれた方なのだろう。この時代で暮らす以上は慣れるしかない。
そして現在、まだ不安は残るものの、マークルフが暇つぶしに貸し与えた本を読めるまでには馬車の旅路に慣れていた。
受け取った本は複数の傭兵ギルドが定期的に刊行している冊子の一つだった。
傭兵ギルドは傭兵たちの仕事の斡旋から人集め、情報交換などを行う互助組織だと前に聞いている。
そのギルドの発行する冊子には勢力図や名のある傭兵たちについての情報が載っており、これを読むことで現地の戦いの趨勢や傭兵たちの事情を知ることができるというものだった。
リーナが手にしている本には《オニキス=ブラッド》についての記事が掲載されており、マークルフをはじめとした記事や戦歴などが詳しく載っている。
男爵から自分たちのことを知る助けにともらった物だが、若くして様々な戦いを経験しているらしい若き男爵の記事を見て、あらためて頭が下がる思いだった。
一息ついたリーナは馬車の窓から外を眺める。
彼女の乗る馬車を警護するように、傭兵たちが配置に付きながら歩いている。
本国まで護衛する男爵配下の傭兵たちだが、それぞれ装備が違っており統一はとれていない。
ただ一つ、赤地に黒の模様の入ったバンダナが腕章として腕に巻かれていた。これが《オニキス=ブラッド》の一員の証であり、それを広げると黒い鈎爪が記されている──と、これは記事の受け売りだ。
彼らを率いる男爵は一行を先導するように進んでた。
『この辺は多少、物騒な所でね。もしかしたら、何か起こるかもしれないが……まあ、その時は俺らが護るから安心して旅を楽しんでくれ』
リーナは出発する前のやりとりを思い出す。
彼女の行く路は旧フィルガス王国が瓦解し、さまざまな勢力が台頭している土地だ。
フィルガス王国は《アルターロフ》復活させようとしたことをきっかけに他国との戦争になり、敗れた。
そして、王国の崩壊の後も残った権力者たちにより争いが続き、周辺の列強国の介入もあり、なし崩し的に戦いの構図は複雑に絡み合ってしまった。
その戦いの中で、いつしか中心に立つことになったのが傭兵たちなのだという。
戦いの主役であるはずの騎士は長く続く不毛な権力争いにより、戦いで果てるか、別の国に逃げて新たに忠誠を誓うなどしてしまい、その数を減らしてしまった。
それを補う形で取り立てられたのが、急激に数を増やした傭兵たちだった。
彼らは没落した騎士、他国から立身出世を夢見て出てきた若者、または争いで土地を失い身一つを売り出すしかなくなった市民など様々だが、出自も戦う理由も違う彼らは戦いが起こる度に集まり、戦いが終わると共に散っていくという。
『この地の主役は傭兵なんだ』
男爵の言葉を思い出すが、戦乱の地のわりには道中は思いの外、のどかだった。
外の景色はなだらかな田園風景が広がり、なによりすれ違う多くの人たち──地元の住人や旅人たちが馬車を見ては歓迎を表してくれている。
そう、丘を見上げれば子供たちが手を振り──
森を見れば狩人や大工たちが仕事の手を休めて挨拶をし──
川を見れば、洗濯をしている女性達がこちらを見てはしゃぎ──
村を見れば、村人達が横断幕で歓迎の意を示し──
墓地では葬儀の参加者達に何か分からないがありがたがられ──
傭兵たちが互いに睨み合う戦場を見れば、よく分からないが双方で休戦条約が結ばれ──
「あの! マークルフ様! なにか人が多すぎませんか!?」
休憩の時間となり、リーナは馬車から降りてマークルフに率直な疑問をぶつける。
「ああ、噂がえらく広がったみたいだな」
男爵は慣れた様子でそう答えた。
「どの道を行くかあらかじめ下見をさせた時に広がったらしくてな。なにしろ、古代文明の生き残りの姫様だからな。見たくもなるというもんだ。悪いがその辺は我慢してほしい。気軽に手でも振ってればいいさ」
男爵はそう言うと、近くで一行を珍しそうに見ている子供たちに手を振る。
子供たちが喜んで手を振り返したので、リーナも戸惑いながらもマークルフの言う通りに手を振った。
この手のことは王族の一員として慣れていたはずだが、どうも調子が違う。
しかし、そんな状況にもマークルフは平然と対応している。
やはり器の大きい英雄の後継者なのだと、リーナは感心するのだった。
やがて、一行は今晩、宿泊する予定の街に入った。
その城門にはリーナたちの姿を見ようとひしめき合っている住人達の姿で埋め尽くされていた。
「さあ、どいたどいたーー!」
先頭のマークルフたちが人波を割って城門をくぐる。
そして、まるでパレードのように馬車が街中を進んでいく。
歓迎する人々の列の間を馬車はゆっくりと進み、やがて泊まることになっている町長の屋敷の前で止まった。
マークルフは馬に降りると、自ら馬車の扉を開けて手を差し出す。
リーナが外に出ると、人だかりから声が漏れた。
白を基調とした豪奢なドレスを身に纏った彼女の姿に皆が目を向けている。
「……なんだか、照れますね」
リーナはマークルフの手を取りながら、ドレスの裾をつまんで馬車から降りる。
衆目を集めることには慣れているはずだったが時代が違うためだろうか、歓迎されているのではあるが自分が場違いな所にいるように思えた。
「気にすることはないさ。よく似合っているぜ」
マークルフが上機嫌で答える。
彼女のドレスは男爵の母の形見であり、わざわざリーナのために用意してくれたのだ。
馬車を降りたリーナたちは、館の前で待ち受けていた町長の歓迎を受けた。
町長は恰幅の良い、紳士的な人物だった。
挨拶を交わすと町長が自ら、部屋へと案内する。
リーナのためにあてがわれた部屋は質素だが、きれいに整頓されており、落ち着いた雰囲気があった。
「それではご用がありましたら、なんなりとお申しつけください」
町長との挨拶が終わると、夕食まで休憩を取ることになり、部屋にはリーナとマークルフが残った。
「ああ、やっと横になれるな」
マークルフがベットの上に横になると身体を伸ばした。
リーナも男爵に倣ってベッドの上に腰掛ける。
考えてみれば殿方と一緒にベッドにいるなんて、いままでなかったことだ。
リーナは何となく意識してしまったが、マークルフはまったく気にしていないようだ。
リーナもすぐに自然体でいることを努め、会話を楽しむことにする。
「活気のある街ですね」
「普段は少し寂れているんだがな。姫君目当ての旅人たちがいっぱい来てて、賑わっているのさ」
「町長さんとお知り合いみたいですけど、マークルフ様はここによく来られるのですか?」
「たまにな。祖父様と町長が昔馴染みでね。小さい時に連れられて来たもんだ」
「お祖父様は顔が広い方なんですね」
リーナが言うと、男爵はまるで自分のことのように微笑む。
「あの町長もそれは一緒さ。この地方は勢力図の入れ替わりが頻繁だから、ここのような小さな街が生きていくには、多くの権力者たちとつながりを持つ必要があるんだ。祖父様もそのうちの一人というわけさ」
「そして、いまはマークルフ様とつながりを維持しているというわけですか」
「ま、そうなるかな。でも、まあ、祖父様にはかなわねえな。なにしろ、傭兵の神様とまで言われていたからな」
祖父の話をする時の男爵の顔は本当に得意気に見えた。
それだけ、尊敬していたのだろう。そこからでも、会ったことのない老傭兵隊長の偉大さを垣間見ることができるようだった。
「──さてと、そろそろ俺は出て行くか。姫様の部屋にいりびたるのもあれだしな」
「私のことなら遠慮しないでください。マークルフ様と一緒にいるのは楽しいですし。一人だと暇を持てあましそうで──」
「そこまで、言ってもらえるとは光栄だな」
マークルフはベッドから跳ね起き、笑みを浮かべた時だった。
「隊長! 大変です!」
部下の切迫した声が扉越しにリーナたちの耳に届いた。
マークルフがリーナと共に屋敷の外に出ると、そこには騎士の一団が待ち構えていた。
騎士は全員が同じような甲冑に身を包み、揃って意匠を凝らしたマントをなびかせている。
騎士たちは館の前で整然と並び、警護を固める傭兵部隊と睨み合う形になっていた。
バンダナだけを団員証とする傭兵部隊とは対照的に、騎士たちは威圧感を覚えるほどに統制されている。
「マークルフ様、あれは?」
「……本国の親衛騎士団だ」
マークルフは苦々しげに顔をしかめながらも前に進み出る。
騎士団の側からも髪飾りが一際目立つ隊長らしき騎士が兜を脱いで近づいた。
「マークルフ=ユールヴィング男爵か?」
「他にここに、若くていい男がいるかい?」
「……我が名はデバス=ヤールグ。親衛騎士団第二部隊隊長だ」
「何しに来やがった?」
マークルフは不機嫌さを隠すことなく言った。
「見ての通り、お迎えにあがったのだ」
やや小太り気味の顔をした隊長の方もマークルフに対して胡乱な目つきで睨んでいる。そこには相手に対する敬意は感じられない。
緊迫した空気を感じたリーナが慌てて前に進み出ようとするが、傍らに控えていたログが肩に手を置いてそれを制する。
「大丈夫です、ここは閣下におまかせしましょう」
そのやり取りを見た隊長が初めて表情を変えた。
「貴様! 姫君にみだりに手を触れるでない! 無礼者が!」
隊長がログを見咎めると、その言いぐさに腹を立てた傭兵たちと、騎士たちの間でにわかに殺気立つ。
「やめろ!」
険悪な空気のなか、マークルフが一喝すると傭兵たちは渋々といった様子で下がる。
「出過ぎた真似を致しました。申し訳ございません」
ログも頭を下げたまま後ろに下がる。
両部隊の間に立つのはマークルフと騎士隊長、そして、その睨み合いを不安げに見つめるリーナだけとなった。
「……礼儀がなってないようですな。副官らしいが所詮は傭兵というところか」
「おたくさんみたいに堅苦しいのは嫌いでね。それより、なぜ、いまごろ親衛騎士団が動く? 本国までの警護は俺たちがすると、大公閣下を通して了承は得ているはずだぞ」
すると隊長も副官らしき騎士を呼んだ。
その騎士は手にしていた書簡を広げてマークルフの眼前に突き出す。
「国王陛下直々のおはからいだ。古の王家に連なる姫君、万が一の事があってはならぬと、我らにお命じになられたのだ」
マークルフは書簡に目を通す。
確かに国王の印が押された正式な命令書に違いはなかった。
だが、現国王は幼くして即位したマークルフよりも年若い少年だ。そのまま国王自身の考えとは思えなかった。
「……誰が裏で動いてやがる?」
「礼儀のなってない者は、ありもしないことを詮索するのがお好きなようですな」
「そうかい。俺があんただったら、礼儀知らずが勝手に保護したと言ってる姫君のことなんて疑ってかかるがね」
騎士隊長は何も答えず、互いの視線だけがぶつかりあった。
「……リーナ、お出迎えだ」
マークルフは肩をすくめると、踵を返してリーナに告げた。
「あの、私は──」
リーナがためらうように言うと、マークルフは彼女の肩に手を置いた。
「こっちのことは気にするな。国王陛下がそうお決めになったのならそれに従うまでだ」
「貴様!」
「なれなれしく手で触るな、だろ? はい、はい、失礼いたしました」
ークルフは大げさに手を上げると、リーナを促すように騎士団の方を指差すのだった。




