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サクラ吹く

作者: 遠藤 佳

 一  生命


 春子は桜子を産んで亡くなった。生まれてきた桜子は、彼女のように愛おしかった。佳祐は桜子を恨みたかった、しかし桜子の寝顔にはどこか春子の寝顔があった。眼も耳も鼻も口も春子のものだった。桜子の手のひらをそっと包むと佳祐は目の前の小さな命をありありと感じた。

「春子……俺、父親なんだな……」

 涙だった。最後に泣いたのはいつだっただろうか。忘れていた感情がふとこみ上げてきた。

 佳祐はその涙に責任を感じた。桜子の手をまた包む。

 涙は床に落ちたはずだったが、いつの間にか消え、桜子の熱は佳祐の手から全身に伝わっていった。

 病院の窓から桜の花びらがひらりと舞い込んだ。佳祐は窓からその桜の木を覗こうとしたが見当たらなかった。桜の花びらは小さく、まだ生命の輝きが残っていた。

「桜……子……」

 二つの生命の欠片は互いに違う光を放っていたが、やがて一つの生命となり、調和を見せていた。


 二  門出


 火葬場から出る煙が空に立ち上るのを佳祐は見ていた。あの黒い煙が春子だ。佳祐にとって、黒い煙は春子の旅出だった。急に吹き出した春風が妙に冷たかった。春子にとってこの春風が追い風なのか、それとも向かい風なのか佳祐にはわからなかった。

 春子の骨は小さかった。収骨の際、佳祐は春子の骨片を一つだけもらうことにした。佳祐はこれから桜子との未来がどうなるのかわからなかったが、その小さな骨片が佳祐と桜子を導くと思った。確かな理由はなかったが、佳祐には骨片を通して確かな未来が見えたように思えたのだった。


 三  別れ


 佳祐は仕事と桜子の世話を両立するため、実家に戻ることにし、異動を希望した。同僚も突然のことで表面では驚いていたが、こうなるであろうとすでに納得した様子だった。

 だが佳祐と同期で入社した佐竹だけは、口惜しそうにしていた。佐竹はいつもとは違った面持ちで、

「お前の実家って宮城だよな。東京から新幹線で三時間くらいか、だいぶ遠いな。お前と会えなくなると思うと寂しくなるな」

「死ぬわけじゃあるまいし、また会えるよ。心配すんなって」

「……そうだな。また、お前と仕事がしたいよ」

 佐竹は笑顔が苦手なやつだった。今回もいつもと変わらぬぎこちない笑顔だった。しかし佳祐にとって、この時の彼の笑顔はいつになく新鮮な笑顔であった。

「佳祐、元気でやれよ」

「お前もな、佐竹」

 オフィスの窓から入り込む春の光は、確かに彼らを照らしていた。


 四  桜子


「もうすぐ春だね。佳祐に会ったのも春だったね」

「そういえばそうだね。あのときの春子はまだ花の蕾みたいだったけど今じゃ花を通り越して木になっちゃったね」

「そんな成長してないわよ。まだまだ咲いている花よ」

「春子はまだ花か」

「なによ、何か不満かしら?」

「いや、ごめんごめん」  

「ねえ、子どもの名前なににしよっか?」

「春子は名前決めてるのかい?」

「私はまだ決めてないよ」

「決めてないのか、僕もまだ考えてなかったよ」

「じゃあ、生まれるまでの宿題だね。生まれたら二人一緒に発表していい名前のほうにするってのはどうかな」

「わかった。考えておくよ」

「ふふっ、じゃあ発表まではお互いに秘密ということで」

 ……少し前のことだ。僕は名前を考えていたが、結局ふと頭の中に浮かんだ「桜子」という名前を選んだ。春子はどんな名前を考えたのだろうか。新幹線の窓に広がる風景を眺めながらそんなことを考えていた。桜子は静かに眠っていた。佳祐はなぜか春子も「桜子」と考えていたのではないかと思い始めた。


 五  決意


 桜子は小さい頃から大人しく、自分のことは自分でするようにしていた。身長もみるみる高くなっていき、同い年の子と比べても高かった。ただ引っ込み思案で人付き合いがうまくないのを佳祐は心配していた。

 桜子は中学校に入っても、友人はあまりできなかった。しだいに桜子は佳祐から離れていき、学校から帰ってきても部屋にこもるようになった。中学校一年目は小学校のときよりも時間の流れが早かった。もうすぐ一年目も終わる。

 母が他界してからは夕食のときは、二人一緒に食べる。沈黙の中で食器の音だけが部屋を充たしていた。カチャリと箸を置く。佳祐は重い口を開き、

「最近、学校はどうなんだ」

「……別に」

「勉強はついていけてるのか」

「……うん」

「そうか、今度の休みはお母さんの命日だから墓参りにいくからね」

「……そう」

 桜子は静かに食べ終わった食器を片づけ、自分の部屋に戻っていった。佳祐はしばらく黙って座っていた。桜子のためにすべきことを考えていた。すっと立ち上がり棚の引き出しから春子の骨片が入った袋を取り出した。佳祐は袋から骨片を取り出し、そっとそれを撫でた。佳祐は春子との二度目の別れを心で告げ、静かにそれを袋に戻した。


 六  告白  


 何回も来ている墓参りなのに、今回はいつもとは違っていた。しかし、することはいつもとは変わりない。桜子と一緒に墓を綺麗にし、花と供物を供えた。

 墓参りが終わり、帰ろうとする桜子を引き止め、佳祐は春子の骨片の入った袋を差し出した。

「なに、それ」

「お母さんの骨の一つだ、桜子が大きくなったら渡そうと思っていた」

 桜子は黙って袋を手にとった。桜子は袋から静かに骨片を取り出した。

「……どうして私に」

「桜子はお母さんを写真でしか見たことないだろう。お母さんがちゃんと生きていた証だよ、それは桜子とお母さんをつなぐ大切なものだ」

「……」

 桜子は小さな骨片を撫でてみた。不思議な感触だった。小さい頃、佳祐とつないだ手のようで、もっと優しく温かい小さな手のような感触だった。桜子の潤んだ瞳から一筋の涙が溢れ出す。桜子は骨片を袋に入れた。

「……お父さん、ありがとう」

 小さな声だった。桜子は涙を拭った。佳祐は桜子の手を静かに握り、小さい頃のように二人並んで歩き出した。

 あの日吹いた風は偶然ではなかった。お寺には一本の立派な桜の木が咲き誇っていた。桜の花びらたちは春風にのって二人の未来を導くかのようにひらひらと舞っていた。


 七  約束


 二人は静かに箸を置いた。二人一緒に「ごちそうさま」というと二人は少し笑う。

「おいしかった?」

「おいしかったよ。この煮物なんかとくに」

「そう、また作ってあげるね」

 春子が食べ終わった食器を片づけようとすると、

「俺がやるよ」

「大丈夫よ、これくらい」

「いいから、春子は座っててよ」

 佳祐は二人分の食器を台所へ運んだ。食器を洗いながら、

「お腹の調子はどう?」

と心配そうに聞いた。

「まだ全然平気よ。佳祐は心配性だもんね」

「俺らの子どもだからね、心配するよ」

 佳祐は食器を洗い終わると、春子の隣に腰掛けながら、

「子どもが生まれたらさ、どこか出かけようか」

とゆっくり言った。

「気が早いよ。生まれてくるのだいぶあとだよ」

「まあ、そうだけどたまには予定を立てるのもいいかなってさ」

「そんなこと言うなんて珍しいわね」

 佳祐の言葉に春子は喜んだ。

「俺だってたまには言うよ。それで行きたいところある?」

「うーん、じゃあ海が見たいな、それで近くの公園でお弁当食べて、帰りにお買い物もしたいかな」

「わかった。じゃあそうしようか」

「久しぶりのデートだね」

 春子は笑いながら言った。

「デートっていうのかな、俺ら夫婦だよ」

「夫婦だってデートでしょ。子どもが生まれたら三人で必ず行こうね。デート楽しみにしてる」

 ……あのときの二人は笑っていた。そして二人の間に子どもを授かったときも二人と生まれてくる子どもの三人でデートをする約束をした。春子の墓参りの帰り道、車の中で佳祐は思い出した。

「桜子、今から海に行かないか。途中でお弁当も買ってさ」

 桜子は突然の提案で驚いた。佳祐はそのまま続けて、

「今日は桜子の誕生日だろう。帰りにプレゼントも買って帰ろう」

 我慢していた涙が溢れながら、

「今日は三人でデートしよう。俺と春子と桜子の三人で」

 桜子は骨片の入った袋を優しく包んで、静かにうなづいた。


 八  未来


 桜子は中学を卒業すると、地元の白石高校に進学した。桜子は負けず嫌いの性格もあって勉強は得意だったようだ。高校に入ってからは友人もできたらしく、友人のことや部活のことをよく話してくれていた。

 桜子が高校二年生になると、進路をどうするのかを決めなくてはならなかった。佳祐は桜子に自分の生き方をしてほしかった。だから桜子の決めたことに反対するつもりはなかった。

 二人は静かに夕食を食べていた。佳祐は途中で箸をカチャリと置き、桜子を見ながら聞いた。

「桜子は進路どうするんだ」

「お父さんが許してくれるなら大学にいきたいな」 

「俺が進学を反対したことはないよ。心配しなくていいよ」

「本当に?」

「ああ、お父さんも桜子のことは考えてる。どこの大学に行きたいんだ?」

「まだ決めてはいないけど、東北大学がいいかなって」

「そうか、桜子のことだから勉強のことは心配はしてないけど、学部は何にするんだ」

 桜子は持っていた箸をカチャリと置いて、少しためらってから、

「お父さん、私、医者になりたいの」

 佳祐は黙ってうなづくと、箸を手にとりながら、

「頑張りなさい」

とゆっくりと言った。

 桜子も箸を手にとると、

「お父さん、ありがとう」

と静かに言った。

 佳祐は桜子が医者に向いているとは思ってはいなかった。桜子自身も向いているとは思っていないだろう。それでも選んだ桜子の決意を佳祐は感じていた。佳祐はただ黙って蕾が咲くのを見守ることにした。


 九  母  


 桜子の大学受験は努力の甲斐があって、東北大学医学部医学科に進学することになった。合格発表の後、桜子は疲れが一気にきたのか少し体調が悪かった。佳祐は自分が家にいるときは桜子の看病をすることにした。熱は三十八度五分とやや高めであったが桜子は普段と同じように落ち着いていた。

「医者になる子が風邪を引くなんておかしいな」

「うるさいわよ。私だって人間なんだから風邪くらい引くわよ」

 桜子は寝返って佳祐に背中を向けた。佳祐は黙って桜子の背中を見ていた。

「ゆっくり休みなさい」

「……お父さん」

「ん? 何か欲しいのか?」

「……ううん、何でもない」

「そうか」

 佳祐はそっと部屋から出た。桜子は部屋のドアの方を向き、佳祐が出ていくのを静かに見届けた。そしてすぐそばの机の引き出しから袋を取り出し、骨片を優しく撫でる。骨片と触れ合っている時間は寂しさを紛らわしてくれた。骨片から伝わる温かい熱は桜子の身体を優しく包んでくれた。曲げた両足を両腕で包み込み、身体をぎゅっと丸めて桜子は静かに春子の存在を確かめていた。


 十  その日の前に


 桜子は仙台に引っ越すことにした。佳祐もそうするように勧めた。明後日、桜子は佳祐のもとから離れる。家で二人一緒に食べる夕食も、あと二回だけ。

 この日の夕食は二人とも静かだった。食器の音だけが部屋を充たしていた。桜子は箸を休めて佳祐の方を向く。

「明日はお父さんの食べたいもの作るよ」

「どうしたんだ、急に」

「ううん、たまにはいいかなって。何がいい?」

「桜子の作る料理はみんな美味しいよ」

「ちゃんと言わなきゃ明日の夕食はなしだからね」

「うーん、そうだなあ。じゃあシチューがいいかな。桜子も好きだろ」

「わかった。明日はシチューね」

「はは、楽しみにしているよ」

 二人は一緒に箸を置いて、ゆっくり息を一息入れてから、

「ごちそうさま」

と手を合わせた。

「お皿下げるね」

「ありがとう、桜子」

 桜子は二人分の食器を台所へ持っていった。佳祐には桜子の後ろ姿が懐かしく見えた。その姿を見ながら佳祐は静かに目を閉じた。

 

 十一  花びら


 シチューの匂いがする。懐かしかった。シチューは春子の好物だった。彼女があまりにも好きなので、佳祐もいつの間にかシチューが好きになっていった。

「お父さん」

 突然かけられた声に目を開けると目の前には桜子がいた。

「少し寝てしまっていた、顔を洗ってくるね」

 そう言って佳祐は洗面台に向かう。今日で桜子との夕食も終わってしまうのだ……頼りない顔を流水をすすいで洗う。

 夕食の準備が終わると、二人一緒に席につく。

「いただきます」

 二人は手を合わせる。佳祐は桜子の作ったシチューを一口含んだ。

「桜子の作ったシチューおいしいよ」

「ホント? よかった」

 桜子のシチュー。味は違ったが春子のシチューと変わらなかった。

 二人一緒に「ごちそうさま」と笑って言う。

 桜は温度の積分で開花するように、桜子も何かの積分で自立していく。二人の生活も必ず終わりは来る。終わりがあるから生命は輝くのだ。

 桜子は一枚の花びらだった。ひらひらと春風に導かれて、木から離れていく。

 佳祐はただ花びらが落ちていく様をこれからも見守っていくと信じた。


 十二  感謝をこめて  

 

 桜子は一人で線香を春子のお墓に供え、手を合わせる。桜子は袋から春子の骨片を取り出す。

 桜子は静かに骨片を見つめた。

 墓から骨壷を静かに取り出す。蓋を開け骨片をゆっくり骨壷に戻す。桜子はこれでよかったのだというかのように蓋を閉じた。

 桜は咲いていた。

 桜子も一枚の花びらとして、桜の木からゆっくりと歩き出していった。

 「サクラ咲く」を読んで頂き有り難うございます。まだまだ力不足で読み辛かったと思います。推敲を重ねていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。

 「サクラ咲く」は私の初投稿で、次の作品に繋がるように文体や表現を随所変えています。私の文体が決定し次第、また書き直すかもしれません。

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