ガム好きなあの子
カオス。
【ガムが好きなあの子】
私は、よくガムを噛む。
毎日の通学中にも、お昼休みにも、放課後にも。
とにかく、一日にガムを8個は消費する。
でも、昔からこんなに食べていたわけではない。
きっかけとなったのは、あの子からガムをもらったことだった。
中学一年生のとき、私は、あの子と出会った。
制服を見る限り、彼女は高校生だった。
その日は部活で帰りが遅くなり、お腹も空いて喉も渇いていたから、私はコンビニに寄ったのだ。
500mlのコカ・コーラと肉まんを購入し、コンビニの入り口付近で一人早速食べようとした時に、彼女は現れたのだ。
不思議な人だった。
電車で二駅ほど離れたところにある高校の制服を着ており、秋を感じるような気温になってきたためか薄茶色のカーディガンを羽織っていた。
綺麗な人だと思った。
細身で身長も高く、薄い化粧がされたその小顔は、すれ違う多くの男性の目を引きつけることだろう。
首にかけているヘッドホンと気だるそうにガムを噛む様が、なんとも表現できない魅力を醸し出している。
私の横を通り過ぎ、彼女がコンビニに入った。
背中を、目で追ってしまう。
艶のある髪が靡く様子にも惚れるが、うなじも綺麗だと思った。
このコンビニをよく利用しているのだろう、彼女は迷うことなくガムが並べられている棚の前まで進むと、幾つか手にとって悩む素振りを見せた後、幾つかの商品を手に取り、レジへと並ぶ。
どのガムを選んだのだろう。
私は、出会って間もないその女子生徒に夢中になっていた。
一つでも多くの情報を知っておきたくなっていた。
肉まんを食べ終えた私は、コーラを数口飲み、商品を持つ彼女の左手を注視する。
紫色のパッケージが見えた。
彼女はマスカット味が好きなのだろうか。
あの形はウォータリングキスミントのはずだ。
それを2つも持っている、彼女はあれが好きなんだろう。
会計を済ませた彼女は、すぐに出口へと向かう。
彼女の顔をまじまじと見ていると、目が合ってしまった。
やばい。
胸の鼓動が一気に早まる。
彼女は嫌な顔をするかと思われたが、しかしそんなことはなく、代わりに進路を変えて私の方へ歩み寄ってきた。
なんだ、何をするつもりだ。
わけもわからないまま私は固まっていると、ついに彼女は私の真正面に立つ。
思ったよりも背が高い、163cmくらいだろうか。
文字通り眼前に立たれて狼狽えている私を彼女は真っ直ぐに見つめ、そして、唇をそっと近付ける。
それはとても瑞々しい、今まで一度も触れたことのない部位。
興奮していた。
全く理不尽な幸運に。
そして、彼女の口から漏れるマスカットの香りに。
そう、そうだ。
この匂いだ。
「俺はマスカット味が好きなんだぁああああああ!!!」「ッッ?!!」
自分の感情に気付いた次の瞬間には、私は彼女のカーディガンの左ポケットにあるマスカット味のガムに手を伸ばしていた。
まさに達人芸。
彼女が自身の左腹部に違和感を感じるより先に、私は手に入れたガムを包紙ごと一気に頬張る。
舌を器用に動かしてガムと包み紙を分離し、さらに包み紙だけを口の中で丸めてひとかたまりにしてから吐き出した。
彼女は、訳が分からないといった様子で動きを止めていた。
マスカットが、私の口の中で弾ける。
ああ、極上の幸福だ。
それはただただ衝動的で、しかしながら予定調和でもあったような、いや、どうでも良い。
「マスカットな君が、マスカットと同じくらい大好きだ」
「えっ」
充足感に満たされた私は今の想いをマスカットの香りを混ぜて伝える。
そう、突然私の胸に実った熟れた果実~想い~を君に伝えたのだ。
なんと清々しい気分なのだろう。
欲望のまま、愛のまま。
私は私であると同時に、私の中に潜む感情の僕でもあるのだ。
「さぁ、君の答えを聞かせてくれ」
「あ、あの、わた」『おまわりさんあいつよあいつ!! あの学生がさっき女子高生の腹部を撫で回してたの!!』
彼女の返事を断ち切って響くダミ声。
そちらを見やれば、私に指差すパンチパーマのおばちゃん。
なるほど、愛に障害は付き物か。
私は踵を返し、警察から逃げることとした。
愛があれば、逃げるなど造作もないこ「痴漢の現行犯で逮捕!!」
「俺はやってねぇ!! やってねぇ!!」
ああ愛よ、あなたの力は無限ではなかったのか。
警察官に組み伏せられて取り押さえられながら、私は彼女に目で訴えかける。
愛を誓いあった男を、助けろと。
しかし彼女から帰ってきたのは、下劣な笑みだった。
自分の描いた通りに事が進んだことに満足するような、混ざりのない純悪。
なるほど、こういうことか。
因果応報、罪には罰を。
そう、これは私が働いてきた悪事への報いなのだ。
人間が作り上げた法で言うところの、窃盗罪。
私が盗んだのは物以上のもの、それを食した時に得られるこの上ない至福、快楽。
人間が生み出した、多幸感。
これほどの業を窃盗で済ませてしまおうというのならば、それこそが罪である。
ただし、私は欲望の化身。
その程度の罪ならば甘んじて受け入れよう。
そう、牢獄に身を潜め眈々とその時を待とう。
「私の負けだ。さぁ、牢獄に連れて行け!!」
「いや、あんたはここで終わりだ。」
「なッ―――?!!」
刹那、私の左胸に金属の塊が食らいつく。
この男もまた、欲望の虜となっていたのだと、遅れながらに気がついた。
警察官の眼からは、私と同じ類の、同種だけが感じ取れる獣の香り。
遅い。
遅すぎた。
私はそう呟いたつもりだったが、すでに唇は動きを止めていた。
やっぱりカオス。