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本はいつでも僕に居場所をくれた。
そこにはいつだって見たことのない美しい景色や、邪悪なモンスターや、逆境に打ち勝つ勇者たちがいた。
物語はいつだってハッピーエンド。
僕はそう信じていたし、中にはバットエンドの話もあるけどもそんな話であっても頭の中で勝手に修正するのは個人の自由だ。
でも、現実はそうはいかない。
*
明日美が死んだ。
彼女―羽柴明日美は僕の従姉妹で、明るく社交的で、勉強も運動も出来て、誰からも好かれポニーイェールがよく似合う―そんな少女だった。
僕はというと、その全く逆でただの普通…いや暗くて、あまり友達もいなくて勉強も運動も並みかその下ぐらいしかできないようなゲームや漫画よりただ本が好きなひ弱な奴だ。
僕の両親は、もう何年も前に死んでしまった。
両親の死のあと、やはりというか僕の処遇で親戚は揉めた。
その中で僕を引き取ってくれたのは母の姉夫婦だった。
たまたま家が近く、僕と同じ歳の従姉妹、明日美がいてよく一緒に遊んでいたし家族間でも一緒に食事や旅行にも行っていた。
姉夫婦…敏子おばさんと稔おじさんは決して裕福ではないけども、そんな僕を憐れんで家に置いてくれた。
僕は引き取られ、羽柴清輝から佐々木清輝になった。
両親の死後僕はうまく人と関われなくなっていた。
それを周囲の人はショックだったのだろう、と好意的に解釈していたけども。
僕は…。
病床の母は、最期まで父を待っていたのに、父は母を見舞うことはなかった。
母の死後、まるで連れて行ったように父も亡くなった。
そして僕は一人きりになった。
そして、誰も好きにならないと心に決めた。
そしてそれから10年経って佐々木明日美は歩道橋から落ちて死んだ。
ある冬の日の夕暮れ時だった。
事故か事件か
歩道橋の上から雪に足を滑らせ、手すりを乗り越えて車道に落ちた。
不審な人物も目撃されておらず、それは事故ということになった。
だけど僕は知っている。
明日美は自殺したのだ。
僕は、本だけが友人の冴えない男で、彼女は誰からも好かれる文武両道の活発な少女で
彼女は従姉妹で、家族で、
そして何より義理の兄妹だった。
忘れもしない2年前のあの日、僕と明日美はともに中学3年生で学校の帰り、夕日が海に沈むのを見渡せる登るのが億劫なその坂を下るなか、立ち止り言った。
「あたしはずっと清輝のことが好きだよ。ずっと、お兄ちゃんとしてでなく、一人の男の人として。」
彼女の頬は薄く色ずいて瞳は真っ直ぐ僕をとらえ、こんな美少女からの告白を断る男なんて普通はいるはずがない。
だが僕はそれはない、と咄嗟に思った。
そして何より裏切られた、と思った。
彼女は僕の両親の事情をを知っていたのに…家族なら、と安心していた。
僕は誰も好きにならないし、好きになってもらわなくてもいい
それでも家族だけはと、行くあてのない僕を受け入れてくれたことを感謝していたのに。
僕は誰かに好きだなんて言われたくなかった。
「どうして、どうして君がそんなこというんだよ!!裏切り者!僕は、お前なんか好きにならない!嫌いだ!!どうして僕なんだよ!どうして僕が好きだとかいうんだよ!?お前の事誰でも好きになるとか調子づいてんのかよ?なんでだ!?かわいそうな、冴えない僕なら喜んで尻尾を振るとかおもったのかよ!?ふざけんな!!!」
彼女はうつむいて小さな声で「ごめん」と言った。
どうしてそんなこといってしまったのか、それでももう言ってしまった言葉は取り消せない。
それ以来僕は彼女と口をきかず、避けた。
もとは一緒だった志望校も変更し、彼女のいく高校とは逆方向の高校を選んだ。
そこには幸い奨学金制度もあったし、おばさんとおじさんには負担をかけたくないといって納得してもらった。
それ以来ずっと彼女は何か言いたげに、悲しそうな目で僕を見ていた。
そして、それから2年して彼女は死んだ。
それが自殺だった、と気付いたのは僕だけだろう。
その日制服のポケットの中に小さなメモが一枚、彼女の字で
「傷つけて、好きになってゴメン。でも、もう諦めるから。許してね、ごめん。」
家に帰ってきてから気付いた。
その数分後になった家の電話で叔母さんが泣き叫んだ。
それからの事はよく覚えていない。
断片的に、
泣き叫ぶおばさんとおじさん
病院の霊安室
顔の布をとれないという言うこと
警察のひと
葬式
そして、彼女の体は焼かれ、彼女は白い煙になって、僕はそれを見送った。
家までの帰り道、車で変える気に慣れなかった僕は一人で帰りたいと、申し出て、叔母さん夫婦も特に引きとめることもなかった。
僕は歩き続け。
あの日、僕が彼女を酷く傷つけた坂道にいた。
謝りたかった。
「僕がっ…代わりに、死ねばよかった…!」
もし、時間を巻き戻せるなら、君の代わりに僕が…
「あなたが望むなら、その望みを叶えてあげましょうか?」
背後に、いや正確にはその背後の斜め上に。
白いものが浮いていた。
いや、正確には光る何かに包まれたものが。
何かはさらに喋る。
僕は…頭がおかしくなったに違いない。
そのひかりをみて、こんなに安らかな気持ちになるのは僕が、僕の頭がおかしくなったからだ。
僕は、泣きながら微笑んでいた。
「彼女の死を巻き戻す代わりに、あなたはそのつじつま合わせのため死なねばなりません。さらに魂の半分を損ねることになります。それでもいいなら、私があなたの運命を変えましょう。でも、それはなたの思い描くものとは違うかもしれない、いまよりももっとずっとつらいかもしれない。それでもいいなら。」
もしこれが夢でも幻でも、悪魔のささやきでもいい。
ほんの少しの慰めでもいい。
これが、僕の…苦しみのあまり生みだしてしまった妄想の産物でも。
「僕はどうせいてもいなくてもいい…いや、死んだ方がいい人間だ。そして彼女は誰からも愛され必要とされている。僕は、彼女に償わなくちゃいけない。…こんな僕の命でそれが贖えるのなら、僕はそれを望む。僕が地獄にいくことはもうずっと前に決まっていたことだから。」
ごめん。明日美、僕は君を傷つけた。
随分前から君に凄く支えてもらったと思うでも僕にとって君は妹で家族でそんな風に見たことは…決してなかったとは言えない。
ずっと幼いころ僕にとっての初恋は君だったのだから。
それはいつの間にか家族の情に変わっていたけれど。
君が大切だということは変わらなかった。
それでも僕は誰かを好きになるわけにはいかなかった、と意地を張った。
「清輝。契約はなされた。その魂の半分は私の手に委ねられた。これは誓い。最古の盟約。尽きせぬ光の元にすべてを失う代わりに、すべてを与えよう。」
その光り輝くものは…光る…布をまとった少女だった。
その少女は僕の前に降り立ち…僕の頭に触れそして額に、顔…唇が触れた。
その何もかもが、酷く懐かしくそして悲しいほどに胸が痛み、そして・・・
「約束された旅人にすべての加護はかくあれかし。」
一瞬見えたその顔は誰に似ていたのだろう?
その声はもう水の底のから響くように不明瞭なものに変っていた。
僕だけを取り残すように周りの景色が…残像を残しながら時間が巻き戻っていく。
僕は、歩道橋の上に立っていた。
彼女、明日美が立っている。
一切の音が消え、だれも微動だにせずすべてが止まっていた。
これはあの日なのだろうか?
明日美の前に立つが、彼女は微動だにしない。
何かを思いつめた顔のまま。
「ごめん。でも僕は君のことは、妹として好きだった。…幸せに、なってほしい。」
そっと押すと、彼女はそのまま歩道橋の道の上に尻もちをついた。
表情は変わらず、どさり、とその音だけが響いた。
僕は、歩道橋の上から身を乗り出し…
叩きつけられた痛みは感じなかった。
ただ、赤い血の色だけが目の裏に残った。
そして僕は、赤い空の中に落ちていった。