閑話 デウスエクスマキナの視点より
主人公の知らない話。
とある見晴らしの良い、豪奢な部屋。
奥にある巨大な机には、1人の青年が座っている。
部屋の主としてはあまりにも若すぎるが、ソレを補わんと身にまとう重々しい服装こそ、逆に彼の滑稽さを強調するようでもあった。
だが、かつては彼も必死であったのだ。
肥大しすぎた組織が、彼唯1人に盲従しているが故に。
そして彼は今、待ち遠しくてたまらないと言った表情で扉を見つめている。
と、扉の向こうから声がかかった。
「会長、騎士団長がいらっしゃいました」
「うむ、通せ」
彼の声が終わる事すら待たずに扉が開き、純白のサーコートを纏った男が入ってきた。
大柄なその男は、2本の剣を持っている。
背中に差した両手剣と、剣の鞘に取り付けられた日本刀である。
男は、部屋の中央で立ち止まると、何の敬意をはらう事もなく青年に言った。
「久しぶりだな、マイケル」
「師匠もお変わりないようで、なによりです」
青年が重厚な椅子に身を委ねたまま返す。そして、互いに笑った。
2人の間に形式などいらないと言ったのは、青年であったから。
「それで、今回はずいぶん時間がかかったようですが、何か問題でもありましたか?」
「いや、邪魔を片付けたついでに、ちょっとな。エノクの見聞を広めてやろうと思って」
「……ああ、彼は訓練所を家として育ち、『白金の天使』なんて呼ばれるようになってからは、全てをキョウカイに捧げてきましたからね……」
エノクの苦労を知る青年は、今でこそ白金の天使と呼ばれる彼が、どれほどの苦難を乗り越えたのか、その全てを知っている。
家族を失い、政争の具とされ、幾度となく信じた相手から刃を向けられた彼の、笑顔と言う仮面の下は、すでにボロボロであった。
彼の名を世界に広めた正義の戦いにおいてすら、周囲の悪意ある後援者たちが考えたのは『いかにして自分になびかない戦力を自然に排除するか』であり、7日もあれば終わるはずの旅が半年にまでずれ込む事となる。
キョウカイの切り札となるために精神を歪ませ、肉体すらも捨て去った騎士団長の男が己の無力を嘆くほどに、勇者は苛烈な妨害を受けた。
魔王を成敗して勇者となった後、今度は誰からも恐れられるようになったエノクが、埋伏の毒としか思えぬ愚か者共を排除し終えた男と再び出会い、交わす会話の中で人間性を取り戻していく姿は、本当に嬉しいものであった。
青年は思うのだ。彼には、幸せになって欲しかったと。
沈痛な面持ちとなった青年に対して、男はまるで興味がないと言った口調で返す。
「へー。アイツ俺の知らないところでも面白い人生送ってんだな。だから馬鹿みたいに騙されるのかな」
「えーと……ご存知なかったのですか!?」
「過去にはそれほど興味がないんでな。久しぶりに俺が直々に訓練してやろうってのにやる気の無えツラしてやがったんで……暇潰しに遊んでやったんだ」
青年は椅子に沈み込んで天を仰いだ。
「本当に知らなかったんですか? 彼をまた救ってくれた事は、本当に感謝してたのに……」
「誰からも望まれなかったとは言え、せっかく生き延びたんだ。アイツには頑張ってもらわねえと、アイツを庇って1人で死んじまった聖女様が可哀想だからよ。なんにしろ感謝の気持ちは物理的な形で示せって事だ」
「そんな無茶な……一瞬とは言え『師匠カッコいい!』って思って損しましたよ」
青年は大きなため息をつき、それを見た男がククッと笑う。
「人と関わるって楽しいなぁ?……で、お前は何やったんだ」
男は話題を変えた。この話はこれで終いとでも言いたげに。
だが青年にとっても、今の話はさほど価値のある物ではなく、話したい事はあった。
「ええ、書類仕事に忙殺されて、碌に視察も出来ませんでしたよ」
「……でも、1度は外に出たんだろ?」
「そうですね。遺失技術研究所に、1度だけ」
「……成る程な」
男はおもむろに刀を抜き、振り下ろす。
当然ながら青年に届く距離ではないが、熱したバターナイフの如く、と言った感じで壁に棚に線が生える。しかし青年は手を横に出し、鉄を切り裂く不可視の刃をそっと握り止めた。
男は感嘆の表情を見せるが、その腕は刀を動かそうと力が込められ、震えている。
「いきなり強くなったもんだ。何やったんだ?」
「南西の都市国家群と押し付けあっている森で、亜人を捕獲しましてね。つい先日研究所に搬送されたあれを、見に行ったんですよ」
青年の手から力が抜けると、男は黙って刀を納めた。
それをみた青年が肩をはだけると、そこには大きな傷跡があった。
「うっかり噛まれてしまいましてね? 命に別状はなかったのですが……何か半分混ざったようでして」
青年は困ったような表情で笑う。
「色々とやってみたい事が出てきたんですよ」
「ほう……例えば?」
青年は笑みの形をを愉悦へと変え、大きく手を広げると、歌うように告げる。
「全ての生命を消し去ってみたい。陽光すらも失われた、どこまでも続く暗い暗い砂の大地を、どこまでも歩いてゆきたい」
「それはまた……魅力的な願望だな。だが、願いが叶った後はどうするつもりだ?」
「師匠、ちゃんと聞いてましたか? 最後は私も消えるに決まってるじゃありませんか」
男も笑う。どんな顔をすれば良いか、解らずに。
「成る程な。だが、なぜそんな事を俺に?」
「私の半分はこの考えに異を唱えておりまして。なら、全てを知った妨害者を作ろうと思ったんですよね」
「……それが、俺か」
「そうです。師匠ならこのゲームを面白く演出してくれると思いまして」
青年は期待を込めた表情で男を見やる。
対して男は、少しばかり考える。部屋をゆっくりと廻りながら、提案を出す。
「俺とお前じゃ出来ることに差がありすぎる……カードが欲しいな」
「確かに、そうですね……なら私の作戦を、全て明かしましょう」
「そいつは助かる」
「作戦は簡単です。世界から魔法をなくせば、今や魔力なしでは生きる事の叶わない全ての有機物は、等しく塵に還るでしょう」
「大胆な考えだな。だが、その方法は?」
男の問いに青年は破顔して答える。
その表情に、昔から彼がこう言った種明かしの状況を心から楽しんでいた事を、男は思い出す。 そんな性格は、消えずに残っているらしい。
「私の半分が教えてくれました。全ての魔力は我々が『塔』と呼ぶものを源とするのです。つまり全ての塔を破壊すれば、世界は緩やかに魔力を失い、緩慢な死を迎えるのです」
「……今までは魔力を全面的に利用してきたんだ。急な方針転換に市民が従うか?」
青年は一瞬驚いた顔になり、その後机に突っ伏す。
「師匠……ちゃんと考えてから発言してくださいよぅ。魔力と塔の正しい関係を知っている人間は、私と貴方だけなんです。私がそこに関して嘘をつけば、誰がそれを否定するって言うんです?」
「あー、俺が言ったところで、たしかになぁ」
男は頭に手をやりながら考える。どうひっくり返した物か。
「キョウカイ内の思想を歪めるのは、2年もあれば十分でしょう。じっくり100年もかければ、全世界を間違った方向に導くのは難しい事ではないと、私は見積もっています……そうそう、私の寿命も200年ぐらいは延びてますから」
「…………塔をフル活用している都市国家群の切り札にはどう対処する?」
「最強を名乗る藍のお嬢様には、共に暮らす住民と言う致命的な枷があります。塔が人間の魔力を奪い亜人に供給していると世界が信じれば、守るべきものに否定されて彼女は自滅します」
「………………なら、ならどうやって塔を攻める? 俺とエノクと魔眼娘が組んでも、塔に侵入する事すらも出来ないんだぞ?」
「それはいい質問ですね、師匠。そこについては絡め技を考えておりまして……かつてラグナロクにおいて崩壊した塔の中に、1つだけちょっと変わった壊れ方をした物があるんですよ」
青年は、この質問を待っていたとばかりに身を乗り出す。
「ここの研究所の最奥に、人としか思えない外装の機械人形が転がっていまして。それが、塔と運命を共にしなかった唯一の『全権管理者』なんです!」
「…………全権?」
「そう! 全ての権利を持つ物! 自分の管理塔を失ったためか、殆どの記憶を失っていますが、その権限は残っています。解りやすく言うと彼女の中身を持ち歩けば、全ての塔はフリーパスになるんですよ。現存する塔の管理者は抵抗するでしょうが、侵入さえ出来れば破壊は容易い事でしょう?」
青年は満足げな顔で椅子に座りなおすと、大きく息を吐いた。
「これが、私の計画ですが……まだ質問はありますか?」
「俺はこの壮大な計画を、どうやって止めればいいんだ?」
再び突っ伏す青年。
「師匠おぅ……そこは自分で考えるとこでしょ?」
「ばかやろう、俺は考えるのが面倒なんだよ。お前の遊びに付き合うんだから、お前がルールを決めるのが当然だろうが」
「はぁ……世界の命運をってシーンでそれはあんまりですよ」
「解ったから勝敗の決め方を考えろ。うだうだやってっと遊んでやらんぞ?」
青年はやる気のない姿勢のまま少し考えると、ルールを提案した。
「じゃあ、私が世界を変えたらこちらの勝ち。私が指導力を失ったら師匠の勝ち。これでどうです?」
「OK、なら簡単だ。剣士たる俺が出来る事は1つしかねえだろ」
男は嗤う。
彼を深く理解する青年もまた、笑った。
「さっすが師匠、常軌を逸した人間は期待通りに面白い事をやる!」
「言ってろ、お前ももうアウトじゃねえか。自動人形はもらってくぜ?」
「壊しちゃ駄目ですよ」
男は黙って頷くと、両手剣を抜き、青年に投げつけた。
剣が真っ直ぐ青年の胸を貫くと、彼は椅子ごとひっくり返り、破壊音が盛大に響き渡る。
慌てて中に入った使用人が見た光景は、壊れた窓から逃げようとする騎士団長と、主のいるべき場所にそそり立つ、騎士団最高峰を証明する聖剣であった。
「イ、イスルギ様!?」
今の会話を知らぬ者からすれば、ありえない光景である。
騎士団長と呼ばれる地位の人間は、絶対にこの様な事をするはずがないのだ。
主従などと言う小さな理由ではない。男は世界を敵に回しても青年に盲従する思想改造と、その状況下で主を守るための肉体改造を受け『主にだけは絶対に反逆しない』ようになっているのだ。
親の代より2人は親交を深めており、その意味でもありえない事態である。
青年は心を痛めていたが、男は彼に全てを捧げる事をためらいなく受け入れたのだから。
「後は任せたぜ? またな!」
騎士団長は窓の向こうに消え、パニックになった使用人に、剣の横に立ち上がった青年の姿が映る。
「か、かか……こ、これは?」
「師匠も派手にやってくれるよ。でも『またな』って……ん? ああ、お前はまだ何もせずにいて良い……いや、新しい団長を作らねばならぬか」
――かつて世界復元協会として発足し、今ではその目的を忘れたキョウカイと呼ばれる組織、その会長。世界全土の1割を軽く超える、巨大な領土を欲しいままにする青年は、落ち着いた声で指示を出し、速やかに騒ぎを鎮める。
その的確な対応を持ってしても、騎士団長乱心の噂をせき止める事は出来なかったが、その際に青年の服が、致命傷を受けたとしか思えない破れ方をしていた事は、誰の噂にものぼる事はなかった。