人外の食事
――深夜。
ふと目が覚めて辺りを見回す。
この平屋は、例えるなら寺の本堂のようになっており、仕切りが存在しない。
広い室内にぐるりと視界を廻らせるうち、カグヤが起きている事に気付いた。
彼女は平屋の入り口に座り、こちらに背を向けて何かしているようだ。
だいぶ飲んでたから調子が悪いのかもしれないと思い、後ろからこっそり近づき……まだ飲んでやがる。
「カグヤ……明日大丈夫なのか?」
「アルコールは幾らあっても多すぎるって事はないんだよ」
カグヤは笑った。そして酒瓶を掲げながら続ける。
「イスルギが何考えてるのかも、考えたいしね」
「イスルギが?」
ツーカーの関係かと思っていたんだが。
カグヤが真面目な顔になる。
「今日の2番ちゃんとの話、聞いてた?」
「カニバ談義の事?」
人外ハーレム作成のハードルの高さに衝撃を受けたものだ。
「イスルギは、何であんなに頑張って、色々な提案をしていたんだろうね」
だが結局2番が全ての提案を彼女なりの論法で否定していた。
俺としては彼女に人を襲う理由がないと判明してむしろ良かったと思うのだが。
ガラス瓶の中の液体を眺めながら、カグヤは俺に尋ねてくる。
「彼女がイスルギの提案に折れていたら、イスルギはどうするつもりだったのかな?」
「……カグヤは、どうするつもりだったと思う?」
ちょっと迷ってから言うと思ったが――
「多分、切ってたと思う」
――即答だった。
「そんな目茶苦茶な」
いくら何でも強引に誘ってきて、仕方なく乗ったら叩き潰すなんてありえないだろ。
「イスルギって時々そう言う奴なんだよ。あと、人が人であるために大切な部分を、どこかに置いて来ちゃったんじゃないかって、見てると思うんだ」
まさかソコまで言うとは思わなかった。
俺としては逆にカグヤが心配になってくるが。
「飲みすぎてないか? らしくないんじゃね?」
そう言うと、カグヤは苦笑する。
「だね。最後に一つだけ聞かせて? リュウジは何故、塔に行くの?」
「……あそこに行けば、全てがうまく納まる気がして」
「………………で?」
「それだけ」
カグヤの顔から何かが抜け落ちた気がした。
その場にコテンと転がってこちらを見上げる。
「それだけって……うそん」
ちょっとおどけた言い方だ。
「俺の考える事なんて、そんなもんだよ? ぶっちゃけ一目惚れと勘だけが理由だよ」
カグヤはそのままの姿勢で静かに笑い、やがて眠ってしまった。
俺は彼女にそっと薄手の上掛けを掛けると、自分も眠る事にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
目が覚めると、すぐ上に2番がいた。俺が目覚めた事には気付く様子を見せない。
「なあ、お早う」
「んあ、おひゃようお――」ケフンケフン
むせた。
「何してんの?」
とりあえず聞く。
2番は俺の上から降りると口元を拭いながら答える。
「リュウジさんの体液って美味しいんですよ」
「だからって何してんだよ!」
俺は真っ赤になって怒鳴った。
そりゃ怒るだろ? ビックリだよ! イスルギは一体何を――
すぐ横にしゃがんで観察してやがる……カグヤも一緒に。
「えへへー」
人懐っこい笑みを見せる2番。
「お前の魔力がブランド物って言ってただろ? 肉に興味はないけど特別性の魔力のこもった体液はやっぱり美味いってよ。別に甘噛みされる程度なら構わんだろ」
しゃがんだ膝と肘を合わせて頬杖をついた姿勢で、イスルギが言う。
「まあアタシの最高傑作だから、しょうがないよね?」
カグヤは言った。
顔を覆った両手の、指の隙間からこちらを見上げて。
「満喫しましたー」
2番は満足そうだ。
「これくらいの礼は構わんだろうに」
「新しい技を覚えてしまった……」
「じゃあ朝御飯にしましょうか? 私は十分いただいたんで……ってイスルギさん! 床えぐれてるじゃありませんか!」
「おっとすまんな。カグヤ、直せるか?」
「このカグヤ様にまかせろー」
三者三様に好き放題やりながら、揃って出て行ってしまいった。
「……えー?」
静かになった屋内で、俺は手早く着替えを済ませると、建物を出る前にもう一度中を確認する。
俺達は殆ど手ぶらだったから、荷物は何も残っていない。
俺達のいた痕跡は、イスルギの背負う鉄塊がえぐった床を、カグヤが魔法で修繕した跡だけしかない。
あんな物を背負ったまましゃがめば、床に傷が付いて当然の話だ。
昨日だって『床がぬけそうで中には持ち込めないな』とか言って、外に立て掛けていたくらいだったのだから。
――なら、それなら何故、今回は持ち込んだんだ?
昨日のカグヤとの会話を思い出す。
彼女の言った事が全て真実であったのなら。
イスルギは、俺を使って2番を試したのか?
俺の体液以外は人肉食に興味がないと言っていた2番が、本当に俺を自由にして『ソレ』だけで終わらせるかどうか、確認したんじゃないか?
だとしたら、もし彼女が甘噛みの先にいってしまった時、彼はあの鉄塊を、どこまで振り下ろすつもりだったのだろう?
「リュウジさーん! 朝のご飯はひつまぶしですよ~!」
「ひつまぶしと蒲焼って、何が違うんだ?」
「なー!! イスルギさんは人生の3割を損してますよ!?」
2番とイスルギの頭の悪い掛け合いに、俺の意識が引き戻された。
しゃもじ片手に熱く語る2番と、ソレに聞き入るイスルギを眺める。
仲良くしゃもじを持って笑う2人を見るうち、俺は自分の馬鹿な考えが笑えてきた。
酔っ払いの戯れ言に、素面の俺が惑わされてどうするんだよ。
今1番気をつけないといけないのは、ネガティブになった俺自身の勘違いだな。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
朝食を終えると、旅の準備を整える。
と言っても、現地調達が主である俺達に持ち物なんて何もない。
森の外までなら、3番氏が送ってくれると言う話になったので、ヤジロベエみたいに揺れている彼の下に向かう。
と、ふと思いついて3番氏に聞いてみた。
「俺の血は、3番さんにとっても美味なんですか?」
「最高効率のエネルギーとしては実に魅力的だが、生憎味覚を持ってなくてね」
「じゃあお礼に1滴いかがです?」
短剣を持って聞いてみる。
「いや、気持ちだけで十分。良かったら、代わりに娘にやってくれ」
3番氏が角をしゃくる。
角の先に目をやると、2番の目が輝いている。貪欲な娘だ。
まあ最初から『あわよくばー』とか言ってたしな。
短剣で指に傷をつけて2番を……呼ぶ前に彼女から寄って来た。
彼女は俺の差し出した指先をチロリとなめると、指全体を口に含んでいき、ゆっくりと頭を前後に揺らす。
何コレちょとエロイ。
口の動きを見ているだけで心臓が高鳴るのを感じる。ちょっと腰が引けちゃいそう。
そして彼女と目が合うと……
なんか彼女の目がアウト。
目がもうグルグル渦巻きみたいになってる。明らかに正気じゃない。
「ねえこの娘大丈夫? 俺もしかしてヤバイの?」
2番は力が抜けたようにしゃがみ込むけど俺の手を離さない。
身体全体でハァハァ息しながら時々ビクンビクンしてる。
3番氏は……ああやっぱアレは笑顔か!
「まあ、血が1番濃厚に魔力を蓄えるからね……」
カグヤはもう正視出来ないようだ。
俺の身体の回復力によって血が止まると、2番はもごもごと口を動かす。
「まずは俺の指を離して?」
指をそっと引き抜く。
「……っぷぁ、ごめんなさい。ところで私を貴方の所有物にしてみませんか?」
「おい」
「ご主人様と呼ばせてください!」
「展開速いなおい!」
「だって美味しいんだもん!」
「落ち着け!」
眺めている連中に助けを求めてみる。
何とか彼女に冷静さを取り戻させる事が出来そうなのは……
「2番よぉ。まあおちつけって」
イスルギ!
「毎日飲めちまったら飽きるだろう? また今度のお楽しみに取っときな」
イスルギ……
なんとか2番には諦めてもらい、3番氏の背に乗る。
まるで何もなかったかのようにブンブン両手を振っている2番に俺達も手を振り返して別れると、3番氏はあっという間に森の外まで移動してくれた。
別れ際に聞いてみる。
「父親的には娘さんの、あの短絡的性格はよろしいんですか?」
「若い内なんてそんなものだよ。その時にどう思ったとしても、思い出になる頃には笑い話になっているのさ」
「3番は包容力のあるいい親父だな」
「そうなの? アタシには理解できないよ……」
まあイスルギと俺では歳の差が大きいから、考え方の違いがあるのだろうと納得しておく。
だが、聞きたい事はもう1つある。
「あと、3番さんに聞きたいんですけど、ココからオオクニの町まで直線距離で何キロくらい離れてるか、解りますかね?」
驚愕の表情と共に、イスルギが1歩下がった。
「そうだな、ざっと200km以上はあるだろうが、300kmには届かんな」
なら、山脈を越えるには倍以上の距離を移動する事になるんじゃないか?
「そうですか。ところでイスルギ?」
「いやアレだ、目的地が決まってるなら、早く着いた方が……」
「旅の予定は、何日ぐらいを見込んでいたんですか?」
イスルギは黙り込んでしまう。
代わりに3番氏が答えてくれた。
「お前らの機動力なら、強行すれば1週間もかからんだろうな」
「成る程。ところでイスルギ?」
「……すまん」
くっ! もう少しゴネるかと思ったんだが。
「まあ、今回は手早く目的地に到着できたから、良しとしますよ」
俺は笑った。ココで無駄に文句つけても時間の無駄だしな。
……そう。もう塔と最後の町はすぐ側なのである。