第31話:草船借箭《そうせんしゃくせん》の超絶改変。十万の矢より、敵の最新鋭艦隊《さいしんえいかんたい》を丸ごと強奪《ごうだつ》せよ!(第四章・赤壁謀略編)
第31話:草船借箭の超絶改変。十万の矢より、敵の最新鋭艦隊を丸ごと強奪せよ!(第四章・赤壁謀略編)
建安十三年、冬。長江・赤壁。
中華の命運を分かつ大河を挟み、ついに両軍は対峙した。
北岸の烏林には、曹操が率いる八十万の超大軍と、荊州から接収した数千隻の軍船が、空を覆い尽くすほどの黒々とした陣容を敷いている。対する南岸の赤壁には、我ら劉備軍と孫家の連合軍、わずか十数万。
兵力差は、およそ八対一。常識で考えれば絶望的な数字だが、南岸の連合軍本陣に悲壮感は欠片もなかった。なぜならここには、歴史のバグとしか思えない『神算鬼謀の怪物たち』が巣食っていたからだ。
「……孔明殿。我が軍は現在、矢が決定的に不足しております。水上戦において矢は命綱。……三日のうちに、十万本の矢を調達してはいただけまいか?」
連合軍の軍議の席で、孫家の最高司令官・周瑜公瑾が、冷ややかな笑みを浮かべて切り出した。
史実にも名高い、周瑜による諸葛亮孔明への『無理難題(嫌がらせ)』である。劉備軍の頭脳である孔明の底知れぬ才能を恐れた周瑜が、軍法会議にかけて処刑するための口実を作ろうとしたのだ。
「……三日、ですか。造矢の職人を総動員しても、通常は十日かかる数ですな」
孔明は白羽の扇を静かに揺らし、全く動じることなく微笑んだ。
「ですが、曹操の首を獲るための大事な戦。三日も待っていては機を逸しましょう。……『三日後』の朝には、十万本の矢を陣前に揃えてご覧に入れます」
「ほう……! 軍中に戯言はなし。できねば軍法により首を刎ねますが、よろしいか?」
「ええ。誓約書を書きましょう」
周瑜が内心で「勝った」とほくそ笑む中、俺――陳凌(字は子雲)は、孔明の隣で必死に笑いを堪えていた。
(出たァ! 三国志屈指の名シーン『草船借箭』のフラグ成立! 霧の夜に藁人形を乗せた船を出して、曹操軍から矢を無料で撃ち込ませて回収するっていう、あの伝説の詐欺計略!)
軍議が終わり、自陣の天幕に戻った俺は、さっそく孔明に語りかけた。
「先生。三日後の夜、長江に深い霧が立ち込める天候を読んだ上での確約ですね。藁人形を乗せた小舟を二十隻ほど用意させましょう」
「……おや、子雲殿。私の策がすでに読まれているとは。さすがは未来を見通す軍師殿だ」
孔明が楽しそうに目を細める。
「ですが、孔明先生」
俺は扇をパチンと閉じ、悪魔的な笑みを浮かべた。
「俺とあなたの『二人のチート頭脳』が揃っているのに、史実通りに『ただ矢を十万本パクってくるだけ』じゃあ、あまりにも芸がないと思いませんか?」
「……ほう? 矢を借りる以上の、何か面白い盤面が見えていると?」
「ええ。矢なんていう安い消耗品じゃありません。曹操が荊州から接収した、最新鋭の『大型突撃船(蒙衝)』……あれを、藁人形の船を囮にして、丸ごと強奪してやろうじゃありませんか」
俺の提案に、孔明の瞳の奥で、知性の炎が怪しく燃え上がった。
「……なるほど。霧と藁人形を『矢を射掛けさせるための囮』ではなく、『敵の視線と注意を完全に固定するためのデコイ』として使う。その隙に、本命の部隊が敵の船団に横付けし、船ごと奪い取る……。えげつない。あまりにもえげつないが、最高に美しい盤面だ」
「俺の現代知識で作った『催涙煙幕(唐辛子や硫黄を調合した特製手榴弾)』を使えば、船上の兵士を殺さずに無力化できます。あとは、我が軍の誇る水戦のプロたちに制圧させるだけです」
「くくっ……ははははっ! 素晴らしい! 周瑜殿が十万の矢で驚く顔を見るのも一興ですが、敵の最新鋭の軍船を丸ごと引き連れて帰ってきた時の顔は、さぞかし見物でしょうな!」
俺と孔明の、歴史のセオリーを最悪な形でぶち壊す『悪巧』が、長江の闇夜に溶けていった。
――同じ頃。長江の北岸、曹操軍の本陣。
北方の乾燥した大地で育った曹操軍の兵士たちは、船の揺れと長江特有の湿気にやられ、陣営のあちこちで激しい船酔いと疫病に苦しんでいた。
「……丞相(曹操)。このままでは、戦になる前に兵たちが疲弊しきってしまいますぞ」
幕僚たちが頭を抱える中、曹操の前に、一人の薄汚れた風貌の男が進み出た。
彼こそが、俺たちが事前に曹操陣営へと送り込んでいたUR軍師――鳳雛・龐統士元である。
「曹操様。北の兵が水に慣れぬのは道理。なればこそ、船と船を太い『鉄の鎖』で繋ぎ合わせ、その上に板を渡せばよろしい。さすれば船の揺れは収まり、陸地と変わらぬ平らな陣地が長江の上に完成いたします。馬を走らせることも可能でしょう」
龐統が、泥酔したふりをしながらも、極めて論理的かつ魅力的な提案(致命的な毒)を口にした。
「おお……! 船を鎖で繋ぐ……世に言う『連環の計』か! 素晴らしい、まさに天啓! さすがは鳳雛と謳われる天才よ!」
船酔いに苦しむ現状を打破できる完璧な解決策を前に、あの疑い深い曹操ですら、ポンと手を打って即座に採用を決定してしまった。
(……馬鹿め。船を鎖で繋いじまったら、一隻に火が点けば最後、全艦隊が逃げ場のない火薬庫に変わるってのによ。子雲と孔明の旦那が用意した極上の火種で、丸焼きにしてやるぜ)
龐統は、曹操に恭しく頭を下げながら、心の奥底でゲラゲラと腹を抱えて笑っていた。
――そして、運命の三日目の夜。
孔明の神算が完全に的中し、長江は一寸先も見えないほどの、深い、深い濃霧に包まれた。
「子雲殿。準備はよろしいですか?」
藁人形をびっしりと並べた二十隻の小舟の上で、孔明が羽扇を静かに下ろす。
「ええ。魯粛殿と太史慈将軍が率いる別働隊の『船泥棒部隊』も、霧に紛れて完全な位置についています」
「では……派手に鳴らしなさい」
『ドンドンドンドンドンッ!!!!』
濃霧の中、曹操軍の巨大な水上要塞のすぐ目の前で、俺たちが乗った藁人形の船から、凄まじい軍鼓の音と鬨の声が響き渡った。
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
北岸の曹操軍陣営が、大パニックに陥る。
「霧が深くて敵の姿が見えん! だが音の距離は近い! 不用意に船を出すな、弓兵隊、音のする方角へ矢を雨霰と射掛けよ!!」
曹操の命を受け、数万の弓兵が、霧の向こうの「太鼓の音がする場所」へ向けて、盲目的に矢を放ち始めた。
『ヒュンヒュンヒュンヒュンッ!』
『ドスッ! バスッ!』
雨のように降り注ぐ矢が、見事に藁人形の束に突き刺さっていく。
小舟の中の安全な船室で、孔明と俺は酒を酌み交わしながら、その音をBGMにして笑っていた。
「いやはや、曹操軍の矢は上等ですね。あっという間に十万本は超えたでしょう」
「ですが、ここからが本番です。……敵の注意が完全にこの『音』に集中している今こそ!」
その頃。
矢を射掛ける曹操軍の先鋒艦隊の『側面』。
霧と同化するように音もなく近づいていた数十隻の漆黒の小舟から、鉤縄を持った江東の水戦のプロフェッショナルたち――太史慈と、彼に従う精鋭たちが、音もなく曹操軍の大型突撃船(蒙衝)の外壁に取り付いていた。
「よし……敵の目は完全に正面の太鼓に向いている。子雲殿の作ってくれた『煙幕弾』、放り込め!」
太史慈の合図と共に、甲板の上の敵兵たちの足元へ、導火線に火のついた陶器の壺が転がり込む。
『プシューーーッ!!』
強烈な刺激臭を持った唐辛子と硫黄の煙が、甲板上に一気に充満した。
「ゲホッ、ガハッ!? な、なんだこの煙、目が、目がァァッ!?」
「息が、できな、ゲホォォッ!」
船上の曹操兵たちが、涙と鼻水を流して次々と昏倒していく。
「今だ! 船を制圧し、錨を上げろ! このまま南岸へ持ち帰るぞ!!」
太史慈たちが甲板に雪崩れ込み、無力化された敵兵をあっという間に縛り上げ、船の操舵を奪い取る。
曹操軍が正面の「藁人形」に必死で矢を射ち込み続けている間に、彼らの自慢の最新鋭の軍船が、十隻、二十隻と、音もなく背後から切り離され、濃霧の長江へと消えていったのだ。
――翌朝。霧が晴れた長江の南岸、連合軍本陣。
「……孔明殿。約束の三日目の朝だが。……矢は、十万本揃ったのだろうな?」
周瑜が、孔明を処刑する気満々の冷たい笑みを浮かべて、港へとやってきた。
「ええ、周瑜殿。曹操殿が大変気前よく貸してくださり、およそ十五万本は下らないかと。……ただ、少しばかり『オマケ』がつきすぎましてな」
孔明が羽扇で長江の港を指し示す。
そこには、ハリネズミのように矢が突き刺さった二十隻の藁人形の船……の後ろに。
曹操軍の軍旗が掲げられたままの、ピカピカの巨大な『最新鋭・突撃軍船(蒙衝)』が、なんと五十隻もずらりと並んで停泊していたのである。
甲板の上では、太史慈や魯粛たちが「大漁だ大漁だ!」と笑いながら、縛り上げた曹操軍の捕虜と、山積みの兵糧を降ろしている最中だった。
「なっ…………!?」
周瑜の美しい顔が、これ以上ないほどに引き攣り、信じられないものを見るように目を剥いた。
「や、矢だけではなく……敵の軍船を、五十隻も丸ごと強奪してきたというのか!? たった一夜で、しかも無傷で!?」
「ええ。矢だけでは、子雲殿の創り上げた『大楼船』に積む物資としては心許ないですからね。船と、兵糧と、捕虜。まとめて頂戴してまいりました」
孔明の涼しすぎる笑顔と、隣でドヤ顔を決める俺(陳凌)を見て、天下の奇才・周瑜公瑾は、ついに膝から崩れ落ちた。
「……化け物だ。諸葛孔明、そして陳子雲。貴様らの底知れぬ悪知恵を敵に回せば、江東は一晩で滅ぼされる……!」
周瑜が完全に白旗を上げ、我々劉備軍への畏怖と服従を魂レベルで刻み込まれた瞬間であった。
一方、北岸の曹操軍では。
「……矢を十五万本無駄撃ちさせられた上に、最新鋭の軍船を五十隻も盗まれただとォォォォッ!!??」
曹操の激怒の咆哮が、長江の対岸まで響き渡らんばかりに轟いていた。
だが、彼の悲劇はまだ始まったばかりである。
龐統の『連環の計』によって鎖で繋がれ、逃げ場を失った巨大な薪の束となった八十万の艦隊。
赤壁の戦い、究極の「大炎上」のカウントダウンは、すでに最終フェーズへと突入していた。




