第27話:隆中《りゅうちゅう》の八陣図《はちじんず》と迫る凶刃《きょうじん》。五大軍師、伏龍《ふくりゅう》の謎に挑む(第四章・前半)
第27話:隆中の八陣図と迫る凶刃。五大軍師、伏龍の謎に挑む(第四章・前半)
徐州を絶対的な拠点とし、中華最大の勢力へと成長した我々劉備軍。
だが、俺――陳凌(字は子雲)の「推し活プロデュース」には、まだ最後にして最大のピースが欠けていた。
建安十二年(西暦207年)、冬。
凍てつくような寒風が吹き荒れる中、俺たちは荊州の奥深く、襄陽の郊外にある『隆中』という静かな山村を訪れていた。
史実において、劉備が三度足を運んでようやく面会を許されたという、あの有名な『三顧の礼』の舞台である。
「……いやはや、玄徳殿も物好きだねぇ。今や天下の半分を握ろうかという大諸侯が、たった一人の在野(無職)の書生を求めて、こんな雪山まで自ら足を運ぶとは」
白い息を吐きながら、郭嘉(字は奉孝)が瓢箪の熱燗を煽って肩をすくめた。
「当然の礼儀であろう、奉孝。真の賢人というものは、地位や財産ではなく、主君の『誠意』にのみ心を動かされるのだからな」
分厚い外套に身を包んだ田豊が、厳格な顔つきでたしなめる。
今回、隆中へのスカウトの旅に同行しているのは、劉備を筆頭に、俺、郭嘉、田豊、賈詡、徐庶という『五大軍師』のフルメンバー。さらに護衛として、武力96の趙雲子龍と、武力97の馬超孟起という、過剰戦力にもほどがある布陣であった。
「……皆様、どうかご油断なきよう。私の親友である諸葛孔明は、ただの書生ではありません。彼の庵の周囲には、すでに『ただならぬ気配』が漂っております」
徐庶が、前方の鬱蒼と茂る竹林を見据えて腰の剣に手をかけた。
その言葉と同時だった。
『ピィィィィンッ!!』
俺の網膜に展開された【戦場俯瞰走査】のレーダーが、けたたましい警告音を鳴らし、二つの異常な反応を検知したのだ。
【警告! 前方(竹林内部):超高度な幻惑陣形『奇門遁甲・八陣図』を確認! 侵入者の方向感覚と視覚を完全に狂わせます!】
【警告! 後方(隆中山麓):曹操軍の精鋭暗殺部隊(約五百騎)が猛烈な速度で接近中! 指揮官は夏侯淵(字:妙才)と推定!】
(なっ……曹操の奴、ついに刺客を送り込んできやがったか!)
俺は心臓を跳ねさせながら背後を振り返った。
すべての人材を俺に奪われた曹操は、血眼になって次なる大軍師を探していたはずだ。そして、俺たちと同じく『伏龍』の噂を嗅ぎつけ、それが劉備の手に渡るくらいならいっそ殺してしまえと、軍中随一の神速を誇る夏侯淵の部隊を差し向けたのに違いない。
「子雲殿、いかがなされた?」
俺の顔色が変わったのを見て、趙雲が白銀の槍を構えた。
「……後方から、曹操軍の刺客です! 数は五百、凄まじい速度でこの山を駆け上がってきています!」
「フン! 曹操の犬どもめ、俺たちに正面から勝てないと悟って、今度はこそこそと暗殺か!」
馬超が、白銀の獅子の兜を被り直し、身の丈を超える長槍をギラリと光らせた。
「皇叔(劉備)殿、子雲殿。ここは俺と趙雲殿にお任せを。……この狭い山道、俺たち二人が蓋をすれば、五百だろうが五千だろうが、一匹のネズミすら通しはしません!」
「ええ。玄徳様は、あの竹林の奥におられる賢人を、心置きなくお迎えください。背後は我らがお守りいたします」
趙雲と馬超。五虎大将軍のうちの二人が並び立ち、圧倒的な殺気を放って後方の山道へと向き直る。
これ以上ないほど頼もしい背中だ。
「頼む、子龍! 孟起! 必ず生きて戻ってこいよ!」
劉備が力強く頷き、俺たちは諸葛亮の庵へと続く『竹林』の中へと足を踏み入れた。
――しかし、竹林に一歩足を踏み入れた瞬間、周囲の景色がグニャリと歪んだ。
先ほどまで見えていたはずの小道が消え失せ、深い霧が立ち込め、同じ模様の竹が無限に続く迷宮へと変貌したのだ。
「……ほう。空間を捻げ曲げる幻術か。いや、違うな。地形と石の配置、そして霧の濃度を計算し尽くした『錯視』の陣形だ」
郭嘉が、面白そうに周囲を見回した。
「奇門遁甲の『八陣図』ですね。生、傷、休、杜、景、死、驚、開の八つの門が、刻一刻と形を変えて侵入者を迷わせる。……孔明の奴、我々を試すためにこんな念入りな仕掛けを施していたとは」
徐庶が、冷や汗を拭いながら言った。
(システムレーダーでも、磁場が狂って現在位置が特定できない……! これが、三国志最高のチート軍師の陣形!)
俺が焦りかけた、その時だった。
「慌てることはありません、子雲殿。……しょせんは人の作った物理的な陣形。論理で解けない道理はない」
田豊が、地面の土の湿り気と、竹の葉の向きを冷静に観察して口を開いた。
「風の淀みと、地下水の流れを計算すれば、幻影ではない『本物の道』が浮かび上がります。……右前方、あの奇妙に曲がった竹の裏が、陣の切れ目だ」
「おっと、田豊先生。そこは罠ですよ」
賈詡が、薄気味悪い笑みを浮かべて田豊の袖を引いた。
「陣の構築者は、我々のような知恵者が『論理的』に解くことを見越して、生門に偽装した死門(落とし穴か毒矢の罠)を配置している。……人の悪意と殺気を読み解くのは、私の専門です。正解は左前方……あの最も不気味で『行ってはいけない』と感じる獣道こそが、真の安全ルートですな」
「あははっ! 賈詡殿の言う通りだ。……それに、陣の『要』になっている石碑があの岩の陰に隠れている。あれを動かせば、この霧も晴れるはずだよ」
郭嘉が、瓢箪で岩の裏をコンコンと叩くと、ゴゴゴ……という重い音と共に、周囲の景色が一気に晴れ渡った。
(す、すげぇ……! 孔明の張った伝説の八陣図が、五大軍師のワチャワチャした謎解きであっという間に無効化されちまった!)
俺のシステムチートの出番すらなく、当代最高峰の天才たちは、孔明の仕掛けた『入社試験』を談笑しながら突破してしまったのだ。
霧が晴れた先。
小川のせせらぎが聞こえる美しい庭園の奥に、質素だが気品のある一軒の茅葺きの庵が建っていた。
『ガァァァァァァァンッッ!!!!』
その時、遥か後方の山道から、空気を引き裂くような凄まじい金属音と、夏侯淵の怒号、そして馬超の狂ったような哄笑が響き渡った。
外ではすでに、曹操軍の精鋭と無双の二将による、血で血を洗う防衛戦が始まっているのだ。
「……急ぎましょう、兄者。外の騒ぎなど関係なく、この庵の中では、静かで、しかし世界で最も熱い『頭脳戦』が待っています」
俺が庵の扉を見据えて言うと、劉備は衣服の乱れを丁寧に正し、深く頷いた。
「ごめんください。……漢の左将軍・徐州牧の劉備玄徳、臥龍と名高き諸葛孔明先生に、天下の教えを乞いに参りました」
劉備の澄み切った声が、静寂の庵に響く。
ギィィ……と、古い木の扉が、内側からゆっくりと開かれた。
ほのかに香の匂いが漂う薄暗い室内。
そこに、一人の青年が静かに座っていた。
身の丈八尺(約184センチ)。神仙のごとき超然とした美貌に、白羽の扇を静かに揺らし、その瞳は、宇宙の真理すら見透かしているかのような底知れぬ深淵を湛えていた。
「……お待ちしておりました、劉備殿」
青年――諸葛亮孔明の視線が、劉備を通り越し、俺(陳凌)の目を真っ直ぐに射抜いた。
「そして……歴史の理から外れた、数百年先の未来の知識を持つ『異物』の軍師殿。……私の仕掛けた八陣図をあのように容易く破る軍師がすでに五人も揃っている陣営に、この諸葛亮が仕える意味が、果たしてあるのでしょうか?」
――ッ!!
俺は全身の毛穴が総毛立つのを感じた。
俺が一言も発していないにもかかわらず、孔明は一瞬で俺の『チート(未来知識)』の正体を見抜き、その上で、真っ向から俺の存在意義を問い詰めてきたのだ。
外で響く剣戟の音と、庵の中の極限の静寂。
天才とオタクの、天下の運命を決定づける『究極の面接』が、今、幕を開けた。




