第19話:第一章完結編。覇王《はおう》の戦慄《せんりつ》と、徐州《じょしゅう》の城壁で天を仰《あお》ぐ者たち(後半)
第19話:第一章完結編。覇王の戦慄と、徐州の城壁で天を仰ぐ者たち(後半)
――時は同じくして。
東の要衝、兗州・濮陽に構えられた曹操の本陣。
重厚な黒布で覆われた執務室は、蝋燭の炎が幽鬼のように揺らめき、水を打ったような恐ろしい静寂に包まれていた。
「……申し上げます。琅邪に避難しておられた大殿(曹操の父・曹嵩)の車列が、徐州の陶謙が差し向けた護衛兵たちに突如として襲撃を受けました」
床に平伏する隠密の報告に、曹操の背後に控えていた隻眼の猛将・夏侯惇が、凄まじい殺気を放って剣の柄を握りしめた。
「なんだと!? あの老いぼれ(陶謙)め、我が殿の御父上に刃を向けるなど、正気の沙汰ではない! 殿、直ちに全軍を出陣させ、徐州の民共々《みんどもども》、撫で斬りにして血の海に沈めてやりましょう!」
「……待て、元譲(夏侯惇の字)。報告にはまだ続きがあるようだな?」
曹操孟徳は、手元にあった安喜県特産の『改良型・紙』の束から目を離さず、氷のように冷たい声で促した。
「ハッ……! 大殿の車列が襲われたまさにその瞬間、いずこからともなく白馬の若武者と、剣を帯びた軍師らしき男が率いる数百の騎兵が現れ、裏切った護衛兵たちを一瞬にして殲滅いたしました」
「……何?」
曹操の漆黒の瞳が、わずかに細められる。
「その二人は『我らは劉備玄徳が配下、趙雲と徐庶。我が主と曹操殿との友誼により、御父上をお助けに参った』と名乗り、大殿を指一本触れさせることなく、安全な泰山の麓まで丁重に護送して去ったとのことです……!」
「なっ……!?」
夏侯惇が絶句し、その場にいた曹操軍の幕僚たち全員が息を呑んだ。
だが、隠密の報告はそれだけでは終わらなかった。
「さ、さらに! 青州にて数百万規模で暴れ回っていた黄巾の残党どもが、劉備軍の使者(管亥)の説得により、一人残らず武装を解除! 『飯と安住の地を与えてくれる玄徳様に従う』と宣言し、そっくりそのまま劉備軍の傘下へと吸収されました! 加えて、我が軍が密かに招聘を進めていた在野の天才軍師・郭嘉、ならびに天下無双の豪傑・典韋と許褚の三名も……すでに劉備の陣営に加わったとの確報が……!」
『ギリィッ……!!』
曹操の握りしめていた筆が、粉々に砕け散った。
筆の破片が手のひらに突き刺さり、一筋の血が流れ落ちるのも構わず、曹操は天を仰いで肩を震わせた。
「……読まれていた。完全に、私の『次の一手』から『十手先』まで、あの男の脳内の盤面では丸裸にされていたというのか」
曹操の声は、怒りとも、歓喜とも、あるいは底知れぬ恐怖ともつかない、不気味な震えを帯びていた。
青州の黄巾残党を武力で平定し、自らの最強の兵力基盤とする計画。
そして、いずれ父が殺されるであろうという未来すら予測し、それを未然に防ぐことで曹操に『巨大な恩義』を売りつけ、徐州侵攻の『大義名分』を根こそぎ奪い去るという、神業のごとき政治的封じ手。
「……陳凌、字を子雲。そして劉備玄徳。あの時、虎牢関で奴らの首を刎ねてでも連れ帰るべきであったか」
曹操は、血の滲む手で顔を覆い、狂ったように笑い声を上げた。
「クハハハハッ! 恐ろしい! ああ、実に恐ろしく、忌まわしく、そして愛おしいほどの知略よ! 私の覇道の前に立ち塞がる、最大の障壁! ……良いだろう、玄徳! 子雲! 貴様らがその『仁』と『先見の明』で天下を丸ごと飲み込もうというのなら、私はこの身一つで、貴様らの描く理想の盤面を叩き割ってやろう!!」
若き日の覇王の瞳に、生涯消えることのない、灼熱の闘志と執着の火柱が立ち昇った瞬間であった。
――そして、季節が巡り。
中華の東に位置する広大にして最も豊かな大都市、徐州・彭城。
その巨大な城壁の門が、今、地鳴りのような歓声と共に大きく開け放たれていた。
「おおおおおッ!! 劉備様だ! 玄徳様が、我らをお守りくださるために来てくださったぞォォッ!!」
「見よ! あれが天下無双の関羽様! 張飛様! 趙雲様だ!!」
沿道を埋め尽くす数十万の徐州の民衆が、涙を流しながら花吹雪を散らし、劉備軍の入城を熱狂的に迎えている。
曹操の父を救ったことで徐州を大虐殺の危機から救い、さらに青州の黄巾賊を血を流さずに平定した劉備の『仁徳』の噂は、すでに天下の隅々《すみずみ》まで轟き渡っていた。
老齢の太守・陶謙は、自ら城門に出向き、涙ながらに徐州の印綬(統治者のハンコ)を劉備に譲り渡したのである。血を一滴も流すことなく、劉備陣営はついに『一州の主』という巨大な大名へと成り上がったのだ。
その日の夕刻。
夕日に赤く染まる徐州城の最も高い城壁の上に、二人の男の影があった。
俺と、劉備玄徳である。
「……すさまじい光景だ。この見渡す限りの広大な大地と、幾百万の民が、俺たちを信じて命を預けてくれている」
劉備は、秋風に戦袍をなびかせながら、眼下に広がる豊かな城下町を見下ろして静かに呟いた。
「俺は……あの涿郡の市場で筵を売っていた俺は、本当にこんな途方もない玉座に座る資格があるのだろうか」
「資格なら、天がすでに証明していますよ、兄者」
俺は、懐から五色の光を放つ神具『伝国璽』を取り出し、夕日にかざした。
「この玉は、ただの石ころです。だが、兄者の持つ【魅力:99】のオーラ……その『仁』の心こそが、この石ころに真の価値を与え、天下の豪傑たちを惹きつけて離さない。……曹操には武と恐怖の覇道があるかもしれない。だが俺たちには、民の涙を拭い、誰もが笑って暮らせる王道がある」
俺の言葉に、劉備はゆっくりと振り返り、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。
「……子雲。お前が俺の『軍師』でいてくれて、本当に良かった」
「何を今さら。俺はただの『重度の三国志オタク』ですよ。推しのあなたが、天下の頂点で最高の笑顔を見せてくれるまで、この頭脳とシステムを限界まで酷使して差し上げます」
俺が照れ隠しに笑うと、劉備も太陽のように眩しい笑顔を浮かべ、分厚い手で俺の肩をバンッと力強く叩いた。
「行くぞ、子雲! 俺たちの戦いは、ここからが本当の始まりだ!」
「ええ! いざ往かん、漢王朝の復興と、誰も死なせない最高の大団円へ!!」
夕闇が迫る徐州の空に、無双の義兄弟たちと天才軍師たちが待つ宴の笑い声が、どこまでも高く、力強く響き渡っていった。
現代のオタク青年と、最弱だった悲劇の英雄が紡ぐ、前代未聞の『推し活下剋上ファンタジー』。
第一章・反董卓連合編――ここに、完璧なる大勝利をもって堂々完結!!




