第3話:自伝と持論(3)
私は「学」と「武」を信じていた。
私は、「愛」から守られたかった。
私は、「狂気」で自分を守るしかなかった。
私は、「普通」が欲しかった。
長いこと苦しんできた。
幸せを奪う親が許せなかった。
幸せを奪う家が許せなかった。
「普通」の幸せを得ている他人が許せなかった。
家の中では、私の髪をむしり、私の顔に爪を突き立て、虐待を楽しんでいるのに、家の外では、縁のない異国の子供に募金をしたり、ホームレスにボランティアをする父が、許せなかった。
「世界には水も飲めなくて苦しんでいる人もいるんだから、理由もなくパイプ椅子で出血するまで殴られたくらいで泣くな」と言いながら殴ってくる幼稚な父が許せなかった。
「イライラしているなら子供を殴れ」と父に虐待を指示をした母が許せなかった。
血まみれになるまで私を殴っておいて、「お前は多分何か悪いことをしたから殴られたんだ。お前がどんな悪いことをしたのかわからないから、何の悪いことをしたのか自分で説明しなさい」と殴り続けてくる父が許せなかった。
玩具を壊してから「悪いと思ってないけど壊したのは謝るから、じゃあ先にお前が何でもいいから何か謝って」と主張し、謝ったら更に玩具を壊してくる母が許せなかった。
「殴られて成長できたのだから、殴っていただいて『ありがとう』と言え」と言いながらなおも殴ってくる父が許せなかった。
私が描いた絵を下らないと言いつつ、その絵を勝手に他人に売り、利益を中抜きした父が許せなかった。
私が就職したら、すかさず「自分が育てたから自分の手柄だからありがとうかごめんなさいと言え」と主張し殴りかかってきた母が許せなかった。
「ぼくから拷問を受けても死ななかったということは、お前は拷問パワーを手に入れたから強くなったということじゃないか。良い話だ。感動した」と、拷問をした自分自身に感動する父が許せなかった。
「本当に辛いなら自殺をするはずなのにまだ死んでいないから辛いと嘘をついているだけだ」と言う親戚全員が許せなかった。
「叔母の自殺教唆のせいで子供がおかしくなったからお金ちょうだい」と叔母に他責する母が許せなかった。
「何年何月何日何曜日に殴られたか言えないんだから妄想じゃないか」と幼稚な反論をしてきた両親が許せなかった。
未公開の映画や未発売のお菓子をテレビで見るたびに「ぼくもう見た。ぼくもう全部知ってる。はいぼく無敵」と言いながらリモコンを投げつけてくる父が許せなかった。
本を破き、「モノを大切にしない精神性をお父さんは怒っているんだよ。まだ使えるから良いじゃないか。ほら。もっと壊しても、ほら、ほら、まだ使える。ほら、もっとこう、もっと壊してもまだ使える。大切にするという気持ちがお前には欠けている」と責めながら本を燃やしてくる父が許せなかった。
集めた持ち物や学問やスポーツや交友関係や服やおもちゃを必ず父に破壊されるから私は継続や所有を恐れているのに「お前はバカだな。何かを積み上げるとか大切にするとかしろよ。継続は力なり。……全部やめちまえ。お前には何も積み上げさせない。人生を絶対に壊してやる。地獄へ落ちろ。さ、男たるもの戦いに生きることよ、悪を蹴散らすのが男のさだめ。ぶがーん。ばごーん。でゅぐでゅぐでゅぐでゅぐ。ほらぼく勝った。これが、男の魂」と言いながら殴りかかってくる父が許せなかった。
「全部捨てろ。お前の命は汚い。お前の命は意味がない。ぼくがお前に飽きたからお前に死ねと言っているんだよ。音楽、勉強、絵画、全てやめろ。無駄。今の友達とも縁を切れ。お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ」と迫ってくる父が許せなかった。
会社事務所で「ホイ、ホイ、ホホホイ。ブーチカブチカッ、ブーチカブチカッ、ブーチカブチカッ、ポン。ホイ、ブーチカブチカッ、ブーチカブチカッ、ブーチカブチカッ、ポン。ったら、アルアッ探検隊ったらアルアッ探検隊。アルアッタッケッタッタラ、アルアッタッケッタ。お前わかってんのか。言ってみろ。ブチカリって何のことだ」と泣きながら突然尋ねてきて、知らないと答えると「ドリマチタ。ブミキ。ダ?分かんないのにお前ウチカビって今言っていたのか。分からないのにウビガビって言ったのか。ううがりましたか?ポ?何の意味があるんだ。ウミカピって何だ。答えろ。はい5秒はいごーよんさんにーいち。はいごーよんさんにーいち。はい答えられない。こたいらりないでしたにい。会社のちきたりは。人材育成の。あ。お昼ご飯たべる。お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ」と、笑いながら造語クイズをしてくる父が許せなかった。
ホテルで家族と食事をしていた際に母と会話をしたら「うるちゃい。うるちゃいんだよーっ、ぼくが来ました。ぼくの許可なしに会話をするな。女子供は犬以下だから。お前らは許可が出るまで何かを一生話すな。ブーリカポン。お前の人生は誰を楽しませるための人生なのかよく考えろ、ブーミカポン。ブーミカポン。ぼくを楽しませてよ。はやく楽しいお話しして。はい下らない。はい全部下らない。謝れ」と笑いながら殴ってくる父が許せなかった。
ボコボコに私を殴った上で「はい、気持ち切り替えーっ。きもちー。きもちいい。ちもきいなー。ちもちいときは笑顔。はい、スマイル。ニッ、スマイルスマイル、はっぴい。あー、目が笑ってない。お父さんは楽しいんだから、お前も楽しくないとおかしいぞ。お父さんは生まれてから辛いと思ったことはないぞ。ホイ。はっぴいーっ、ポン」と責めてくる父が許せなかった。
「バカだから騙せると思ったのに、録音を取る頭はあるんだな」とナメてくる父が許せなかった。
製造業に勤めているくせに、自分の部下や他社の技術屋を「くだらないものを作る外国人野郎の集まり」と、見下す父が許せなかった。
他社製品を代理店として売ると宣言して数点盗み、全てわざわざバーナーで焼いて破壊した上で「最初から壊れていた」と無理な嘘をついて持ち主に返し、会社名を盾にして逆に売れなかったことや壊したことを逆に責め立てて、責め立てたことを誇る父が許せなかった。
私の絵画を勝手に印刷して無理やり恩を売り、印刷屋の前で私に土下座をさせて「頼まれたからわざわざぼくが印刷屋を探してやったんだからごめんなさいだろ、ありがとうはないのか。ウルパチ。ウルパチ。ちょりぽーぽん。ちょいぽう。じゃいぽう。うーっ。うーうー」と叫びながら脇腹を蹴り上げてきた父が許せなかった。
毎日殴られていた私が、警察を呼ぼうとしたら「他人の力を使うな、自分の力で解決しろ」と主張をして妨害したくせに、私から殴り返されたら、警察に「何もしていないのに殴られました。ぼく、良い子だよ」と幼児退行して助けを求めた父が許せなかった。
殴られている私にカメラを向けていたくせに「私は実行犯じゃないなら罪には問えませーん」と言い、あくまでもカメラを回し続けた母が許せなかった。
バス停や駅で男性器を出しながら私を殴りながら野糞をして、「あー、眉間に皺が入ってる。はっぴい、楽しい、お父さんは毎日楽しいのに、何でお前は悩んでいるの。謝れ。謝れ。謝れ。謝れ。社長のご子息のカズヒデさんって呼べ。ボーディカプ。ボーディカプ。ヴァン、ダラキ、ウルパチ、ダリポ。アアアアア。タバコ買ってこい、ダガピイ、絵なんか描くな、勉強なんかするな、下らない。お前はまず何もするな。まーず。まずまずまず謝れ。はい、気持ち切り替えーっ。気持ち切り替えましょーっ。はい。おし。まい。謝れよ。何を謝るのか今決めろ。何でも良いから何か謝れ。い。いゲームしよ。いゲームだよ。い。ほら、い。いだよ。い。い。い。い。いいいいい。い。い。いーっ。いーっ。い。い」などと言いながらどこかの飲み屋に消え、結局私に野糞の後始末をさせてきた父が、許せなかった。
余裕のない私が辛さを話しても、理解しようともしないみんなが許せなかった。
鬱ならば他人に嫌がらせをしてもいいと言い張るみんなが許せなかった。
ちくしょう!
ふざけるな!
ふざけるなよ!
くやしい!
くやしい!
くやしい!
………
……
…
両親は、いくじなしで弱虫だから、私の孤独に気がつかなかった。
そう。あの日、両親は、小学生の私にこう言った。
「お前は何をやってもダメ。お前の人生も、お前がこれから見る映画も、本も、すべて、全部ダメ」
父よ、ふざけるな。
母よ、ふざけるな。
なぜだ。
なぜ、一度も見ていない映画をバカにするのか。
なぜ、一度も読んでない本をバカにするのか。
なぜ、一度も私と対話せず、私をバカにするのか。
目の前の人や物に、向き合えよ。
全力で向き合えよ。
そんなんだから……そんなんだから、自分とも向き合わないから、お前ら両親はダメなんじゃないか。
過去の間違いを一度も反省しないから、一度も改善しないから、何にも学ばないから、だから、お前らの頭は悪いままなんじゃないか。
あまりにもダサい。
ダサすぎる。
お前らバカどもは、間違いを犯した後に、こう言う、
「負けた気になりたくないから、反省しない」
逆だよ。「だから」キサマらバカどもは、負け続けるのだ。
いいかい。
反省したら間違いに気がつく。
すると、改善できる。
改善したら、間違いを犯しづらいから……負けないのだ。
負け続ける理由は、負けを認めないからだ。
同じ戦い方をしたら、同じ結果が出るに決まっているじゃあないか。
いいかい。
私はな、目の前に答えがあるんだから、目の前を見ろと言っているんだよ。
答えはね、お前の頭の中になんかないんだよ。
考えるな。
書かれていないことを、人や、仕事や、ニュースや、問題文から読み取るんじゃあない。
勝手な思い込みをするな。
勝手な判断をするな。
目の前を見るんだ。
まだ見ていない映画や本の感想文を書くな。
人生を、未見レビューするな。
説明書には答えが書かれている。
目の前を見ろ。
いいかい。
「考える」なんてことをするな。
「考える」なんてのは、一人前になってからだ。
公式がわからないのに、数学の何を考えられるのか。
ネコを一度も見たことがない人は、ネコは描けない。
経験からの知識。
つまり、映画や、本や、人や、自然や、文化や、漫才や、歴史や、医学や、地理や……それらが何にも入っていない頭で、一体、何を考えられるというのか。
いいかい。
目の前を、見ろ。
あんたたちに告ぐ。
頭が悪くて、弱くて、負けて、そうして嫌われ続ける最大の原因は、「目の前を見ようともしない性格の悪さ」が原因だ。
目の前を、見ろ。
そしてだ。
「考えるな、目の前を見ろ」
……という私の言葉を、けして都合よく解釈しないでくれ。
二択ですぐさま決断しろとは言ってないんだよ。
「見ろ」と言っているんだ。
頭が悪くて人生経験がないと、目の前の料理もニュースも人も仕事も映画も、何にも味わっていないから、決断は自ずと当てずっぽうになってしまう。
だから、簡単な方へ、楽な方へ、すぐ行く。
即断即決は天才だけがすべきだ。
我々凡人は、まず、目の前を見ることだけをすべきなんだ。
目の前を見ることだけが、勉強だ。
そして、ついでに君に、トドメをさしておく。
「キミが勉強をしないのは、勉強をしても勝てなかったら嫌だなあと、先に恐怖を感じているからだ」
いくじなしや弱虫は、恐怖から、目の前を見ないから、バカなのだ。
バカであるなら、目の前を見て突き進む熱血になるしかない。
冷笑をするな。
正しく熱いバカになれたら、いずれ頭は良くなる。
勝てる。
お前は、意図的に自らに目隠しをしている。
例えるなら、一度もプラモデルに触れたことがないのに説明書を読まずに組み立てるような。
例えるならば、本やニュースを読まないで賛成や反対をするような。
お前は、目隠しをしていたから進む方向が間違っていただけだ。
だが、お前は他人への悪意から、まだ、目隠しを「外さない」のだ。
弱さを武器にするのは、悪だ。
意図的に学ばず、意図的に障害者になって暴れているお前らは、悪だ。
悪人に居場所はない。
理由は、わざと「目の前を見ない」ことで他人を踏み躙っている悪人だからだ。
部下や知人の持ち物に対して「必要がない」と言った母。
部下や知人の仕事に対して「必要がない」と言った父。
両親は、家族や部下や地域社会に対して言う。
「お前のそれ、いらないから捨てるね。あ、お前もいらない。代わりならある」
……いいとこのお金持ちのおぼっちゃんと、いいとこのお金持ちの売春婦が結婚したら、そのまま行けばハッピーになれたはずだろう。
しかし、この現状だ。
友人や、先輩や、部下や、同業や、家族や、街の住人からも避けられて、仲間がゼロだ。
ゼロだぞ、ゼロ。
ゼロってどういうことだかわかるか。
ひとりも味方がいない人なんか、私は、私の両親の他には見たことがないよ。
いまどき指名手配犯にも通り魔にもファンクラブがあるんだぞ。
もう、人間じゃあないだろ。
人間じゃあ、ない。
あいつらは、本を焼く。
あいつらは、知と学を嫌う。
あいつらは、反省しない。
なあ、母よ。
なあ、父よ。
なあ、親族よ。
なぜ、反省しないのか。
なぜ、学ばないのか。
なぜ、私を追い詰めるのか。
なぜ、反省しないのか。
なぜ、私をバカにするのか。
なぜ、一度も見ていない映画をバカにするのか。
なぜ、一度も読んでない本をバカにするのか。
なぜ、一度も私と対話せず私をバカにするのか。
目の前の人や物に向き合えよ。
バカは弱者だが、弱者は悪ではない。
自ら目を潰し、目の前を見ず、学ばず、自らバカという弱者になったのに「何が書いてあるか分かりません」とか「バカを差別しないで下さい」と、他人へ攻撃する悪人が、悪人だ。
つまり、私は、厳密に言うと、両親から虐待されていたことを恨んでいたのではない。
私は、親族たちが「興味がないけどちょうだい」と言ってカネや人や人脈や料理や仕事や趣味を破壊した性格の悪さを恨んでいるのではない。
私は、親族のあまりの性格の悪さから派生した、親族全員の後天的な頭の悪さと、頭の悪さが招いた暴力と、暴力により今まで積み上げてきた会社や、婚姻や、恋愛や、学問や、研究や、趣味が破壊し尽くされたことが許せないだけだ。
馬鹿から歴史とインテリジェンスを蹂躙されたことが許せないだけだ。
親族は、人目を憚らず、こう叫ぶ。
「ホァッ。チャンチャンチャン、チャンチャンチャン、カンカンカン、カン。トァッ。パンパンパン、チュンチュンチュン、トントントン、トン。緑色の。来ましたよォーッ、そこまで来ました鮭茶漬け。ホイ、ホホイ。じゅうび。イーヴッ。ふわふわのおみずはだいげんかいに効くッ。あ、おしっこする」
親族は……私に気がつかなかった。
親族は……私の才能に気がつかなかった。
親族は……私の優しさに気がつかなかった。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
見ることは知ることだ。
目の前のものを深く知るのが愛だ。
知らないものを深く知るのが愛だ。
物事を知らなければ、物事を考えられない。
頭の調理場に材料がないのに、一体何を料理できるのか。
考えるためには、まず、目の前に興味を持つことだ。
「考える」とは、深く知った「何か」と、深く知った「何か」を組み合わせて、試作品の意見や感想を出すことだ。
結論なんかすぐに出るわけはない。
馬鹿が言うところの「考える」とは、知らないことに妄想で断言をすることだ。
馬鹿は、思い込みと根拠の違いもわからずに、アドバイスやコーチングといった名目で他人に正論やでまかせを言う。
映画を未見レビューするように、本を未読レビューするように、人生を知らずに人生を決めつける。
例えば、退職金や学費や学資ローンを、やったこともない飲食店経営や株取引をするために、全て必ず注ぎ込むような。
馬鹿は、周りの人より自分が優れていると思い上がりをしているから、周りの人の忠告を必ず聞かない。
馬鹿は、自分が不幸になるだけでは気がすまないから、他人をも不幸にする。
知らない人の知らない話題に、とつぜん正論を断言として突きつける馬鹿には、愛がない。
私の両親の異常な頭の悪さは、愛のなさだ。
ここまで私に言われて、父は私にこう言い返した。
「頭いいもん。のうぱるぴ。ぶごぉーっ。どがち。ねこがいる、ねこがいるよォーッ。ニャンチョーッ。ニャンッッッ。チョウッッッ。違う。謝れ。謝れ。謝れ。ヴァッ。ヴァッ。ヴァッ。ヴァッ」
ここまで私に言われて、母は私にこう言い返した。
「はいはいおまえは自分があたまいーってゆいたいんでしょー。そうゆうことゆうしとのほうがバカなんだよー、はいばーか。うっせばーか」
話の伝わらなさの切なさ。
人を諦めることは、辛い。
私は、愛されたかった。
もうこれ以上生きても何にもならないのに、何故かまだ生きていた両親が、可哀想だった。
結果的に、社会に迷惑をかけるためだけのために生まれてきた両親が、可哀想だった。
最期まで知と学をバカにし続けた両親が、可哀想だった。
両親は、いくじなしで弱虫だから、私の孤独に、最期まで気がつかなかった。
そしてさ。
これは、何も私の両親だけの話ではない。
みんなも、私も、なんだかんだプライドが高いから、何に対しても批判的になりがちだよね。
目の前に興味がないから、趣味にも、勉強にも、仕事にも興味がない。
目的がない。
だから、妬みと恨みばかりがつのる。
だから、画面の中の有名人や政治家やスキャンダルなどの他人事をふわっと冷笑して、自分自身の命にすら他人事のように冷笑して、お茶を濁しているんだ。
冷えているんだよ。
冷たい血。
死人の群れ。
死んでいるんだよ。
だから……すでに死んでいる人間をもう一度殺して、一体なんの罪になるんだよ。
もう、あんたたちを、殺すしかないじゃあないか。
そうして、私も死ぬ。
でもさ。
熱があるのが、生き物だろ。
まだ生きてるんだよな。
だったら、熱くなれよ。
生きろよ。
生きるってのは、目の前に興味を持って、目の前を見て、自分の実体験を増やして、自分の母語の言語力を鍛えて、考えて反省して、何かを改善していくってことだ。
生きるってのは、目の前を見て、次に繋げることだ。
逃げていいんだよ。
私も結構、逃げる。
だが、戦っているうちは、逃げるな。
仲間がいないなら……
株で赤字を出したなら……
テストの点が悪いなら……
その、「負けた現実」を見るんだ。
そうしなければ改善はできない。
「あーもうやんなっちゃった、傷ついた」
じゃあない。
また同じ間違いを犯すかもしれないから、間違えた部分を直すのだ。
何度も同じ段差で転んでいてはいけない。
それじゃあゾンビじゃないか。
私は、君に、生きはじめて欲しいだけなんだ。
目の前を見て、感じて、それから考えるんだ。
感じることと考えることは、生きるってことだ。
感じることは感情だ。
感情から始まる暴力を抑えるのが「武」だ。
考えることは「学」だ。
それを捨てることは、人としての死を意味する。
人は、必ず死ぬ。
絶望だけが、真実だ。
そして、絶望という闇の恐怖を祓う最後の武器は、「学」と「武」以外にはない。
「愛」は目標だ。
「狂気」は燃料だ。
私はいつか、「普通」の明日を生きたいんだ。
あなたはいま、生きていますか。




