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ヴェリタスの最終定理 自伝  作者: Wan Liyue


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第2話:自伝と持論(2)

「私の家は最初からなかったけれども、それでも、私は家に帰りたい」


私はもう、最近はこれしか思っていません。

万が一この文章を親族が読んだら、間違いなくこう思うでしょう。


「ああ、家に帰りたいんだなあ、実家かな?」


違います。

私は、実家や自宅など、現物の家に帰りたいと言っているのではありません。誰かが自分を見守ってくれて安心できるような、暴力のない、心が休まる概念としての「家」に帰りたいと言っているのです。


暴力とは、何か。

暴力とは、ぶつとかどなるとか従わせるとか、そういう表面の話じゃあないのです。

体育会系の部活やブラック企業の社内やチンピラの家庭では、げんこつや怒号が飛び交うことはあります。

大多数は暴力だとは訴えませんが、たまに事件にもなります。

ナントカ学園やナントカスクールとか、ありますよね。

大抵誰もが加害者の行動を見て暴力か否かを論じますが、違うのです。

同じ作品を見たり、同じ言動をしても評価が分かれるように、物事は受け手が全てなのです。

被害者側がどう思ったかで決まります。


暴力とは、相手に納得を与えないことを指すのです。


成果を褒めたり、給料を与えたり、目標があったりして、暴力をされる側が「まあこれでもいいかな」と納得できたら、それは暴力ではないのです。

醜い男に美女が寄り添う理由も、締切を遅らす芸術家をファンが黙認する理由もそれです。大金や唯一無二の作品があるから、しぶしぶ納得しているのです。


暴力とは、相手に納得を与えないことを指すのです。


誰でも言えそうなことを言った大統領は平和賞を取りました。

事故を起こした業界幹部は不起訴になりました。

イラストの名人は暴言を許容されました。

これは、何らかの魅力があるから納得されているのです。

魅力とは才能のことです。

才能とは、好きな研究や趣味を続けて得意分野にすることです。

全ての他人や物や出来事に対して「くだらない」「用事がない」「無駄」「無価値」「興味がない」と言って何も真剣に取り込んでこなかった親族に才能がないのは当たり前です。

才能は魅力です。

魅力のない落ちこぼれからのクレームを、普通は納得できないし、納得できないから、暴力なのです。


未来とは可能性です。

可能性とは行動です。

行動とはやる気です。

才能も魅力もない無能の分際で、私からの納得という許可なしに、私のやる気を削ぎ、行動を妨害し、才能の可能性をことごとく潰して、私の人生をさんざん破壊してきたことを、そろそろ親族には反省してもらいたい。

父の大暴れの火に油を注いできた母も、そろそろ反省してもらいたい。

私の人生を返して欲しい。

私の過去の悪夢を癒すことができないならば、せめて、私の未来を潰すのだけはそろそろやめて頂きたい。

人の未来を潰すのは暴力です。

私の未来を潰すのも暴力です。

私が納得していないから、それは暴力なのです。


私は家庭や社内や屋外で、ありとあらゆる場面で殴られながら勉強と趣味を無価値と全否定されてきました。ましてや、「皆の前で殴っていただいてありがとう」と言えと迫られてきました。

それは、私が納得していないから、暴力です。

私が全否定されることを「嬉しい」と一度でも言ったのなら疑ってもよろしい。

私が納得していないから、それは暴力なのです。


暴力とは、相手に納得を与えないことを指すのです。


だから、私には心が休まる家庭がないから、なかったから、私は常に「家に帰りたい」と漠然と、いつでも、どこでも、ずうっと感じているというわけです。


私は、納得できる家に帰りたい。


複雑な思いがあります。本当に複雑な思いがあります。

父は、今も昔も、私に自殺を迫ります。

父に正当な理由があるなら私は命を捨てますが、はたして父の主張には正当な理由があるのでしょうか。

ところで、私の父は、一度たりとも自分の意思で勉強や研究や仕事をしたことがないから、もちろん、一度たりとも自分の実力で入学や出展や入社をしたことがありません。それだけでなく、一度たりとも自分の魅力からの信頼で友達を作ったり、お金を稼いだことがありません。だからこそ、父はいつだって私に


「ぼくのパパは社長だから偉いから、ぼくも偉いからお前を殴っていいんだぞう」


と言って殴ります。

父は「自分自身の自慢」ができないのです。

父は、常に、「自分の父の自慢」(祖父の自慢)をします。

そして、父は、暇さえあれば「一点集中」といって私を殴ります。

私が殴られて落ち込んでいると、父は言います。


「殴られたことを頑張らない理由にするな。努力しろ。継続は力なり。継続は信頼。わからないなら自殺しろ」


「ぼくはたぶん次期社長だから、偉いんだぞ」


時期的に、私は幼稚園生から小学生の間でした。ほんとうに、私はさんざん性暴力を受けてきました。

誰一人、だれひとり、助けてくれなかった。

児童相談所にも行った。

警察にも行った。

だが、親族は、


『ストレスを解消しないと仕事に支障が出る』


『社員をリンチしたら後々面倒』


『虐めるなら子供が良い』


という論理の飛躍を掲げて、私に男性器を押し付け、踏みつぶされた白米を食わせ、録画して楽しんでいました。

誰か1人を生贄にすることで、他の人を生かそうとするのです。私という小学生へのいじめは、社内統治に必要だったのです。

だから、私は、リンチを受けた理由を親族どもから「家族団欒のため」と説明されてきました。


「家族団欒のため」です。


このさい、物理的な暴力や言葉の暴力はもう、もういい。

それより。

「金をばら撒けば男も女もいつでも手に入るし、お前の友達は小学生だからまだ金ズルにならないから捨てろ」と言い放ち、私に無理矢理絶縁させた父よ、母よ。

貴様らは、今すぐ、私の小学生時代の友達を返して欲しい。

あとからいつでもできると言って、私を卒業式や成人式に参加させなかったり、私の誕生日会で私を裸にして殴って、「その時にしかできないこと」を奪い、私から自信を奪い、喪失感に苦しめられた今日までの私の無駄な時間を返して欲しい。


父よ、母よ、親族どもよ。

あんたら、私にこう言っただろう。


「ぼくはねえ、別に友達いらないからお前も友達持ってなくていいじゃん。なくて良いと判断したからお前の友達を捨てさせてあげたよ」


友達がいなくていいかは私が判断する。世界の中心はお前らなのか。違うだろ。


すべてが嫌になった私は小学5年の冬に、飛び降りて、人生を終わりにしようとしました。

ところが、死ねずに生きのびてしまった私に、父はこう言いました。


「死ぬんだったら全部いらないってことだよな。ならおもちゃも、勉強も、趣味も、交友関係もいらないよな」


小学校のみんな。あの時私がみんなと絶縁したのは、父から「大切な友達を捨てなければ、今後食料を与えないし義務教育も受けさせてやらないよ」と迫られていたからなんだ。

私が悪い。

私は悪くない。

私は悪い。

だが、私は悪くない。

ごめんなさい。

私が悪い。

親が悪い。

親が悪魔だ。

悪魔の暴力に屈した私も悪魔だ。

……そんな、小学校5年のあの日から「数日」が経ちました。「数時間」だったかもしれません。まあ、「昨日今日のこと」です。


そんな心が折れたままの、心が折れた「ばかり」の私に、父は、こう言いました。


「お、お父さんが、お前を、集中、して殴ったから、お前の弟は、お父さんから、あまり、殴られなかったから大学に行けた。だから、弟の、大学入学の、手柄は、お父さん、の、ものだ。お前は、何も、できない、無駄な、人間だから、他人に対して、自慢できるものが、ないだろう。じゃあ、お前も、弟の大学、入学を、自分の手柄として、使って、いいよ。まあ、馬鹿、大学、だけど」


何の話。

えっ、弟が大学。

私は昨日、小学校から帰ってきて、うがいをして……金魚を見て、私はそのあと……私は、私は……そのあとは……そのあと……えっ……。


そうです。

私の体の時間は20歳をとうにすぎていたのですが、私の心の時間は、父からの激しい屈辱の拷問の恐怖のせいで、「止まって」いたのです。


そして、父の言葉の意味がわかりました。

父は、次の金づるの標的を、弟に切り替えようとしていたのです。

「使う」とは、カルト教団のグッズを他人に売り捌く際に「騙る」という意味です。


「ぼくは息子を大学に入学させたから、ぼくも頭がいいから、ぼくの話は信憑性があるぞ」


父は、詐欺や恐喝をするために、弟の学歴を使おうとしていたのです。

そして、私が性暴力を受けていた理由は、弟をいい大学へ向かわせるために、弟を殴らないようにするため。

私は、サンドバッグの代替品。

意味が、わからない。

意味が、わからない。

もちろん、許すわけにはいかない。

瀕死の私は、最後の力を振り絞り、父を殴りました。

もう、バカになるしかなかった。

もう、ふてくさるしかなかった。

狂うんだ。

父のその場のでまかせだとしても、狂う。

狂うよ。

こんなの。

こんな結末ってあるのかよ。

人生を、返してくれ。

父は、まだ、弟が未来に稼ぐカネの勘定をしていた。

母は、まだ、祖父母の遺産の勘定をしていた。

叔母は、まだ、もっとみんなに死んで欲しいと叫んでいた。

私は、四方八方を異常者に取り囲まれていた。

私の狂いは……頂点を振り切った。

廃人。

私は、自殺するつもりでした。

最後に誰かに伝えたかった。

私は交番に行き、「なぜ皆互いに優しくできないのか」などと叫びながら、ガタガタ震えて泣きました。

弟は私を助けに来ました。

弟は……私の憤りを察していました。

知性があるからです。

知性とは、愛です。

弟には、愛がありました。


私は……愛のない両親たちから、私の命や交友関係をぐちゃぐちゃにされるくらいなら、私自身の手で壊して捨てるしか、自分を守る方法がなかった。

そして、この苦しみを、惨めさを、孤独を……誰かにわかってほしかった。

私を殴る親族たちに、私に無関心でいてほしくなかった。

目の前の景色や、料理や、動物や、本や、映画や……今殴られている私そのものに、関心を持って欲しかった。


……関心を持って欲しかった。


……関心を持って欲しかった。


……目の前を見て欲しかった。


……愛が無かった。


……愛が欲しかった。


だから、私は、確信を持って皆に言います。

目の前の景色や、お茶や、朝ご飯や、映画を、昨日よりも味わってください。

目の前の人を、昨日よりも少しだけ大切にしてください。

目の前に関心を向けてください。

いろいろな経験が、実体験が、そこにはきっとあるはずです。

それが、愛です。


愛を持って、愛を探しに、外へ一歩踏み出してみてください。


余談ですが、親族を非難しても私の心がまったく傷まない理由は、「米」です。

親族は、金持ちアピールをする際に、無関心に食べ物──特に米──を床に投げて踏みつぶすのです。

米を大切にしないのが、なんとなく、なんとなーく、いや、かなり嫌なのです。

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